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2011-03-25

魔法の髪の処女 - 『塔の上のラプンツェル』

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©Disney Enterprises,Inc.


公開中の『塔の上のラプンツェル』(原題:Tangled) を観てきた。(以下ネタばれあり)

ディズニーアニメ50作目、初の3D作品。母親に束縛されていた女の子の自立の物語。

「母」を裏切ることへの罪悪感と、外の世界への強い憧れの間で逡巡、葛藤するヒロイン像は、これから親離れしていこうとする若い女性の共感を呼びそうだ。「娘」を心配し庇護するふりをしつつ無力感を植え付け、自分のナルシシズムのダシにして共依存関係を図る業の深い毒母も、リアルなモチーフに思える。


時代のロールモデルを反映してきたディズニーアニメのヒロイン達。初期の『白雪姫』(1937) や『シンデレラ』(1950) や『眠れる森の美女』(1959) での、白馬の王子様を待つ受け身で純真無垢で心優しいお姫様というジェンダーステレオタイプは、好奇心旺盛で行動的なキャラとして描かれた『リトル・マーメイド』(1989) のアリエルでかなり変化した。

これ以降のヒロインは「心優しく好奇心旺盛で行動的」という性質を保持しつつ、『美女と野獣』(1991) の知的で聡明なベル、『アラジン』(1992) の自由奔放なじゃじゃ馬娘ジャスミン、『ムーラン』(1998) の高潔で勇敢な女戦士ムーラン、『ターザン』(1999) の冒険家の娘ジェインなど*1、元気で明るく情熱的で大胆で、時に迂闊な失敗もするが立ち直りが早いという超ポジティヴキャラが定着している。

『塔の上のラプンツェル』もこの流れにあり、キャラクターを生かすために原作が大幅に書き換えられている(グリム童話ラプンツェル』の底本は青空文庫で読める)。


ディズニーのラプンツェルは普通の娘ではなく王女で、恋に落ちるのは王子ではなくお尋ね者の泥棒である。二人は手に手を取って、派手な逃走劇を繰り広げる。ほとんどアクション映画(というか"アドベンチャー・ムーヴィー"なのか)。

だが何より重要なポイントは、原作では魔女が塔を上り下りするための梯子代わりでしかないラプンツェルの長い髪が、時間を巻き戻すという魔法の力をもっている点だ。魔法のラプンツェル(チシャの一種)を食べた女王が生んだ女の子にその力が備わっていたという設定で、マザー・ゴーテルが赤子のラプンツェルを盗んだのも、この髪の魔力によって永遠の若さを手に入れることができるから。

まるで、処女の生き血を飲むと若返ると信じた、16世紀ハンガリーの「血の伯爵夫人」みたいだ。もともと、処女は霊力をもったものとして宗教的に特権化されてきた歴史もあった。神に「生け贄」として処女を捧げる風習は世界各地に見られたという。

つまり、一度でもハサミを入れるとその神通力を失ってしまうというラプンツェルの長く美しく輝く魔法の髪は、「処女」の象徴である。彼女を束縛するものであると同時に、彼女を欲望の対象にしているという二重性を帯びている点からも、それが「処女」を表しているとわかる(たぶん大人には)。


グリム童話では、自分の留守中にラプンツェルが王子と逢っていた*2ことを知った魔女が、彼女の髪を切って荒野原に放逐する。

昔は「不義密通」をしたり「敵」と寝たりした女を捕え、見せしめとして髪を切るという行為があった。古くは紀元前1世紀のゲルマンで姦通した女は丸刈りにされ裸にされ、中世魔女狩りで捕らえられた女はすべての体毛を剃られたという。また、第二次大戦時、ドイツではユダヤ人と親密になった疑いのある女性達が、パリ解放の時はドイツ兵と寝たとされる女性達が、丸刈りにされ市中を引き回された。写真や映像で見た人も多いだろう。『ライアンの娘』(1970、デヴィッド・リーン) でも、独立戦争前のアイルランドイギリス将校と通じた人妻が、村人に押さえつけられて髪をジョキジョキ切られるシーンがあった。

「女性の象徴」である髪を切り、「女らしさ」を剥奪すること、それが性的に奔放な女への罰であり辱めなのだ。その行為には、「女性のセクシュアルな力」への嫉妬と怖れと憎しみが混じっていただろう。童話の魔女という年老いた女にとっても許しがたいのは、ラプンツェルの裏切りだけでなく、彼女が既に「世間知らず」ではなくて「知っている女」「性的な女」へと変貌したことだっただろう。


一方、アニメでラプンツェルの髪を切るのは、魔女に刺された瀕死の泥棒だ。髪の魔力で時間を巻き戻し、恋人の負った傷を必死で癒そうとするラプンツェルを抱き寄せて、ナイフでざっくり髪の毛を切り取ると、輝く金髪はみるみるブラウンに変化し、同時に魔法も失われる。

これは、ディズニーアニメ初の処女喪失のシーンである。

‥‥‥いや表向きは、恋人が自分の命と引き換えに、ヒロインを「家」に縛り付けてきた枷(としての髪の毛)を断ち切ったという究極の愛の場面だが、そこに原作で暗示されている性行為を象徴的な形で取り込んでいると見た。

女性の髪を切る行為が見せしめでも私刑でもない、「自由」というポジティヴな意味を帯びている点で、『ローマの休日』(1953、ウィリアム・ワイラー) のヘアサロンのシーンが思い出される。アン王女は「普通の女の子」になるために髪を切った。ラプンツェルの場合は、欲望の対象である受け身から、能動的なポジションへの変化としての断髪だ。ここには「処女という魔法と信仰」から脱却する少女が描かれている。

重たい髪を捨てた、ショートカットのラプンツェルがとても可愛い。

*1:『ポカホンタス』(1995) と『プリンセスと魔法のキス』(2009) は未見。変わったところでは、実写とセルアニメの組み合わせ作品『魔法にかけられて』(2007) のジゼルが、家事が得意で夢見がちという古典的なプリンセスの特徴と、天然ゆえの行動力を兼ね備えている。この作品は毒のある笑いもたっぷりで、従来のプリンセスもののセルフパロディとして面白い。

*2:後に一人になったラプンツェルが双子を産んでいることから、密会時の性交を暗示。初版では妊娠したことが魔女にばれてしまう下りがあるらしいが、後にカットされた。

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