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2013-10-13

好きなアーティスト、嫌いなアーティスト

前の記事のUst発言起こしの部分で持ち出されている「美大生の好きなアーティスト、嫌いなアーティスト」というのを、自分の講義(名古屋芸術大学での「ジェンダー入門」)を受けている学生対象でやってみた。

講義本題に入る前に、出席票の裏に書いてもらう。1. 書くのは強制ではない、2. 美術周辺のアーティスト限定、3. 集計してブログで紹介するかもしれない、ということを伝えてある。

133人のうち7割方がデザイン科の学生で、また1年生が7割くらいを占める。*1回答したのは70人。


集計したが「得票数1票」が非常に多いので、見た目にわかりやすくするため、日本人(戦後生まれのアーティスト(画家、美術家として紹介されている人)/戦前生まれのアーティスト/イラストレーター/マンガ家、アニメ作家/デザイナー)、外国人(同じ)の順に並べた。※はそれらに分類できない人。

なかなかカオスです。


●好きなアーティスト

1位 奈良美智(5票)   

2位 ミュシャ(3票)    

3位 会田誠草間彌生、マルミヤン(2票)

4位 村上隆杉戸洋ヤノベケンジ吉村芳生、船越桂、青木野枝、青野文昭、愛まどんな、中澤英明、深堀隆介、渡辺おさむ、永山裕子/尾形光琳朝倉文夫小磯良平上村松園熊谷守一岡本太郎、田淵俊夫/いわさきちひろ宇野亜喜良、中村祐介、天野喜孝山本タカト野村哲也、猫将軍、いのまたむつみミギー、カスヤナガト、浅田弘幸、yocky、たんじあきこ、コイヌマユリ/水木しげる荒木飛呂彦井上雄彦富樫義博、わたなべあじあ、中村明日美子宮崎駿、辻初樹/佐藤可士和佐藤卓、カトウシンジ(Shinzi Katoh)、深沢直人

ボッシュブリューゲルレンブラント、カラヴァッジョ、フェルメール、ブクロー、ガレ、クリムト、シュルレアリズムの画家、ターナーモネゴッホマチスセザンヌロダン、ロスコ、ジム・ダイン、ウォーホル/キース・ヘリングデミアン・ハーストラッセン、イ・ブル、ウィル・コットン/ノーマン・ロックウェルディズニーピクチャーズ/ウィリアム・モリス、パントン、シド・ミード、打開連合

※Yoshi、北方謙三、嵐、perfume

(以上1票)


●嫌いなアーティスト

1位 村上隆(3票)

2位 会田誠、草間彌生、カオスラウンジピカソ(2票)

3位 奈良美智、Chim↑Pom、愛まどんな/黒田清輝片岡球子新海誠蜷川実花

ダ・ヴィンチシャガール、ゴッホ、ゴーギャン、ベーコン/キース・ヘリング、ブーンスィ・タントロシン

(以上1票)


全体を見て思ったことは、「10年前ほどではないが奈良美智は強い」「世間一般と同じくミュシャが人気なのか」「美術作家よりイラストレーターやマンガ家の方の人数が多いのは、デザイン科の学生が多いせい?」「好きな方にラッセンの名前が!」「村上隆は「嫌い」で1位だが133人中で書いたのが3人なので、すごく嫌われてるというわけでもない」「草間彌生と会田誠がどちらにも同数で入っている(これはアーティストとしてはなかなか良いポジション)」。

好きなアーティストだけ書き、嫌いなアーティストは「特にいない」とする(あるいは書かない)学生が多かった。「嫌い」も、「どちらかというと」「以前はいいと思ったが」「嫌いというよりわからない」などの断り書きがあるのがいくつか。

「好きなアーティストも嫌いなアーティストも特にいない」という学生が5、6人。白紙で出した学生の多くはそれかもしれない。また、デザイナーやマンガ家を「美術周辺」とは言えないのではないかと考えて、書くのを控えた学生もいたと思われる。


地方の芸術大学なので、展覧会の多い東京などと比べると相対的に作品体験は少ないだろう。大学の講義で詳しく紹介されたり、地元で展覧会(開催中のあいちトリエンナーレ出品作家の名がちらほら)があって、たまたま知ったというケースは結構ありそうだ。またこの大学に限らず、直接作品を見ていない状態でネットの画像を見て判断することや、ネット上の評判に評価が影響を受けることも少なくないと思う。

アーティストもマンガ家も同列に扱っている例がいくつもあった。20年くらい前まではあまりなかったことだ。今の美大生、というか若者の間では、現代アートもイラストもマンガもデザインも同じ地平で捉えられているということだろう。


他の美大ではどういう結果になるのだろう。1位2位はそれほどがらりと変わらないとしても、3位以下は相当ばらつきがあるのではないだろうか。

しかし、なぜに北方謙三‥‥。気になる。

*1:追記:女子もやはり7割くらいを占める。「ジェンダー入門」だからではなく全体の割合がそのくらい。今の美大や芸大は、どこでも女子の方がずっと多い。

えのきえのき 2013/10/13 15:53 これって、雑誌「美術手帳」で記事になってる順じゃないの?

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/13 16:16 ミュシャは会田誠や草間彌生より多く『美術手帖』に取り上げられたりなんかしてないんじゃないの?
マルミヤンは『美術手帖』より『イラストレーション』に掲載される人なんじゃないの?
前記事のUst発言にも出てくるように、「有名な」「目立ってる」アーティストだから上げられやすいということなんじゃないの?

えのきえのき 2013/10/13 16:31 雑誌とか有名とかが美術体験って、おかしいでしょ。自分個人と現実の作品との関わりじゃない。それと、海外は、無名でも優れたアーチストがいて、ひょこっととりあげられたり、誰かに感動を与えたりしているけど、日本の場合は、メディア・アーチストであって、メディアに対してマーケティングしているだけだったり。で、美学生は、メディアで判断って。

えのきえのき 2013/10/13 16:51 ちなみに、美大生が今いる学生の中に、若き頃の奈良さんが無名のままマジっていて、その存在に気がつかないで、雑誌を眺めているようじゃ、遊んでるだけでいいですねって、ことです。美大生はみな無名かもしれないけど、全員、それぞれに才能を持っているんです。自分自身の才能への関心が深くあって、メディアにとりあげらる有名どころしか知らないっていうなら、それはそれでいいんです。あと、有名な人は、もう、メディアなんて、どうでもいいだろ、仕事しろってことです。ずっと、メディアとつきあっていくのか?

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/13 17:02 雑誌だけ見て判断したり、有名だから「いい」と判断したりするのは、もちろんおかしいと思います。ただ、回答してくれた学生が皆そうだとは思いません。
メディアを通じて知る機会が圧倒的に多い(というかほとんどそれしかない)わけですから、雑誌などからそのアーティストに興味をもつことは普通ですし、毎週のようにギャラリーを巡回したりあらゆる展覧会をチェックしているような人でない限り、有名なアーティストの名前が上位に出てくるのは、別におかしなことではありません。

また、それぞれのアーティストはメディアへの露出の仕方をコントロールはしていたとしても、「メディアに対してマーケティングしているだけ」とは思いません。
もしそうなら美大生が多く読んでいると思われる『美術手帖』によく登場している村上隆が、なぜ当の美大生によって「嫌いなアーティスト」に選ばれるのか説明がつきません。

二つ目のコメントは、何を言いたいのか意味がよくとれませんでしたが、「自分たち学生の中に混じっていてまだ無名だが才能のある人の名前が上がってこないのがおかしい」ということですか? 「アーティストの名を上げよ」と言われたら、既にアーティストとしてデビューしている人の名を上げるのが普通であって、まだそこに至っていない同級生の名前など出さないと思いますが。

それから、美大生のすべてがアートの才能をもっているわけではないですよ。卒業して10年以内にやめていく人の方が多いです。

ReplyReply 2013/10/13 19:32 もへろんは?

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/13 19:38 出てません。

nobioxnobiox 2013/10/13 21:28 >雑誌とか有名とかが美術体験って、おかしいでしょ。
>自分個人と現実の作品との関わりじゃない。

美術館なり画廊なりでオリジナルと対面しなくては体験したことにならん、というのはひとつの見識としてあり得るとは思うけど、ぜんぜん共感できないなー。中田英寿だってイチローだってきゃりーぱみゅぱみゅだってテレビ(と雑誌と Youtube)でしか見たことないし、「テレビでしか見たことないならお前のイチロー体験はゼロな」と言われても、ああそうですかハイハイ、っつー感じ。ちなみに僕の場合、会田誠の現物見たのも2013年が初めてです。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/13 21:57 横レスですが、ほとんどの人にとってメディアを通じてしか知り得ない、あるいはメディアの中で出会うことが前提となっている有名人、芸能人と、直接対面するものとして作られている美術作品を同列に論じるのは、ちょっと乱暴かと思います。

もちろん、有名作家の作品を映像や雑誌などでは知っているが直に見たことはないという人は非常に多いわけで、「モナリザをルーブルで直接見たことはないが、図録や複製画などでは何度も見て知っている」という人に対して、「モナリザについてのこの人の体験はゼロ」とするのは、行き過ぎな感じはします。
これが音楽になってくるともっと顕著で、録音されたものしか聴いていない人を「ナマで聴いてないからダメ」とは言えなくなります(そういうタイプの音楽もあるでしょうが)。

ただ「好きなアーティスト」として挙げる以上は、少なくとも一回は直に作品を見ているのではないかと思います。というか、そう思いたいです。それでも、メディアの影響はなかなか避けられないとは思いますが。

anonymousanonymous 2013/10/13 23:20 こういうアンケートは、他者が何らかの参考にするということを念頭に置いて、
ある程度知られている人の中から選んで答えるもんじゃないの?
尊敬する人物は?と聞かれて「お父さん」と答えるのは、仮にそれが本当でも
なんかちょっと違う気がするでしょ?

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/13 23:31 また横レスかもですが、一般にはあまり知られていないマイナーなアーティストであっても、その人が気に入っていればいいとは思います。
でも、知られている/知られていないの「基準」は難しいですね。
今回、日本人イラストレーターの半分近くは、私がそちらにあまり明るくないせいでどういうジャンルの人だかわからず、ネットで検索して調べました。

小田能知小田能知 2013/10/14 21:39 ごぶさたしてます。
ラッセン云々の流れを興味深く見てましたが、若かりし頃、
ラッセンにも奈良さんにも同じ感想をもったことを思い出しました。
「そういえばアートって金で買えるんだった」ってやつです。
欲しいか否かっていう物差しって、けっこうでかいと思います。
奈良さんの作品って、みんな「欲しい」んじゃないですかね。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/14 22:10 こちらこそごぶさたです。
所有欲を刺激するというのは、アート云々は措いておいて商品として正しいあり方ですね。

そう言えば私も思い出しましたが、大昔まだ奈良さんがデビューする前、ドローイングに色をつけてカラーコピーとったものを「これ、どう?」と見せられたことがありました。「いいね、絵本にしたら売れそう」と言った覚えがあります。
たくさんあったので「一枚ちょうだい」と言ったら「ダメ」と断られました。

nobioxnobiox 2013/10/16 22:52 >ohnosakiko さん

「美術作品というのは直接対面するものとして作られているものだ」、
といういうのはひとつの見識としてあり得るとは思いますが、
僕にはぜんぜん共感できない、というのが僕の私見です。

イチローはほとんどの人にとってメディアを通じてしか知り得ない、一方
例えばダリの絵画はそうではない、という命題の真偽は、
時代や居住地や経済状況などに大きく依存するので、決めようがありません。

スポーツヒーローや芸能人はメディアの中で出会うことが前提となっている、一方
美術作品はそうではない、というのはひとつの主義として尊重したいと思いますが、
僕の主義ではないです。なぜそういう主義をお持ちなのか、よくわかりません。

そういう主義の方は珍しくない、ということは経験で知っていますので、
「それは私にとっては当たり前なのです」と言われれば、
「なるほどわかりました」と言います。

作家自身がどう思ってるか、という点には、多少興味があります。例えばダリは、
直接対面する以外の鑑賞手段など殆ど意識になかっただろうと思いますが、
ウォホールとかコスタビとか会田誠とかは、「とにかく現物を見て欲しい。
画集でしか見てないっつーヤツは、見たうちに入らん」という意識は
(ダリよりは)希薄なんじゃないでしょうか。まあもちろん人それぞれでしょうが。

nobioxnobiox 2013/10/16 23:16 僕はコスタビも好きなのですが、
西武美術館で現物を見たことあるのか、画集でしか見たことないのか、
いくら考えても確信が持てません。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/17 00:37 nobioxさん
>スポーツヒーローや芸能人はメディアの中で出会うことが前提となっている、一方
美術作品はそうではない、というのはひとつの主義として尊重したいと思いますが、

いえ、「主義」ではなく、多くの美術作品は直接作品に体面することを想定して作られている、それが前提になっているという「事実」を言っております。である以上、メディアの中で出会うことが前提になっているものとは、同列にはならないだろうという話です。

>ウォホールとかコスタビとか会田誠とかは、「とにかく現物を見て欲しい。
画集でしか見てないっつーヤツは、見たうちに入らん」という意識は
(ダリよりは)希薄なんじゃないでしょうか。

それはわかりません。作品によっては画集で見るのと実際に見るのと大きなギャップがないものもあるかもしれませんが、サイズと質感が伝えてくるものは、現物を体験しないとわかりませんので、画集の体験と実際の体験はやはり別物だと思った方が良いと思います。
かといって私は、画集だけで見ていることを「見たうちには入らん」とは言っておりません。ただそれは、(その作品を)「見た」というよりは、(その作品を)「知っている」ということではないかと思います。

私もかつて美術作品を作っておりましたが、実際に展示されている場所に足を運んで見てもらうことが大前提でした。雑誌などに掲載された写真は、作品情報のせいぜい6〜7割を伝えるものに過ぎません。もし作品について感想や意見を述べるのなら、まず現物を見てほしいというのは、おそらくすべてのアーティストが願っていることだと思います。

nobioxnobiox 2013/10/17 01:07 >それはわかりません。
>直接作品に体面することを想定して作られているという「事実」

ウォホールとかコスタビとか会田誠が何を想定しているかわからないなら、なぜ
「直接作品に対面することを想定して作られている」ことが「事実」だとわかるのでしょうか。

また、何故ダリの絵画に比べてイチローのプレーは「メディアの中で出会うことが前提になっている」と言えるのでしょうか。

「それは私にとっては当たり前なのです」ということでしたらそれで納得しますが、
それは主義、あるいは主観です。主義や主観が事実より下だとは思いませんが、
主義や主観を「事実」と言われることには反対します。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/17 02:04 私が「わからない」と言ったのは、”ウォーホルやコスタビや会田誠が、ダリと比べて「とにかく現物を見て欲しい」という意識が希薄か否か”という”比較”についてです。そんなことはわかりません。
しかし、ある空間に展示するというかたちで発表された作品が、「直接作品に対面することを想定して作られている」のは間違いありません。これは「私にとっての当たり前」や「主義」ではなく、普遍的な事実です。ウォーホルもコスタビも会田誠も、展覧会をしている以上、そこに出品した作品は直接見られることを想定して作っています。だからたとえば(油絵なら)絵のサイズやキャンバスの厚みも慎重に決定されます。その作品に対面した時、受け手にどういう効果を与えるかということが重要だからです。
最初から印刷物やネット上での発表だけを想定して作られた作品に関しては、もちろんその限りではありません。

繰返しますが、以上は私の主観ではなく、美術作品一般、展示一般について言われていることです。その証拠に、作品に直接対面する機会があるのにも関わらず、画集など写真だけ見て書かれた批評は、批評として認められていません。

>また、何故ダリの絵画に比べてイチローのプレーは「メディアの中で出会うことが前提になっている」と言えるのでしょうか。

それは、物と行為の違いです。
ダリの絵画は美術館などにコレクションされてある限り、ずっと変わらず存在している物ですから、展示してある場所に行けば誰でも見ることができます。展示が巡回してきた機会を捉えて見ることも可能です。それでも見に行くことができない人はいるかもしれませんが、絵画が「見られる物」としてどこかに常に存在しているのは事実です。
しかしイチローのプレーは、その試合のその瞬間にしかありません。行為とは、その時間が過ぎてしまえば終わりです。だからこそほとんどの人は撮影、記録されたものを見ることになり、スポーツ観戦をテレビでというのが当たり前になります。

かつらかつら 2013/10/17 10:36 ふーん、面白いですね。でも地方の学生さん(私から見たら機会の差がある事は分かりますが、それほど違いがあるかどうかは分からないです。)ですよね。 まだ若いし、海外経験もないから、何かのきっかけで知ったとか良く知られている、目にする機会が多いとかで、ある意味美術品の本物を見る経験をして好き嫌いと言っているわけではないですよね。

社会人になってから、海外へ出るたびに美術館に足を運んでいますが、本物を見て『嫌悪感を素直に感じる』という物や『これは無性に好き』という経験を何度もしました。でも私が見たものは、旅行者が興味本位で見た程度ですから話にならないですが、美術大学の生徒さんはそれ以下ですからね。ほとんどイメージという程度ではないでしょうかね。。。

ぜひ作家活動をするかしないかは別にして、海外へ出てヨーロッパにせよ、北米にせよ、せっかくそういう大学に行っているのだから見てほしいですね。私みたいに20年以上たって、なんら普段の生活で美術に触れることはない主婦でも感じるものがありますからね〜。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/17 11:56 かつらさん
>まだ若いし、海外経験もないから、何かのきっかけで知ったとか良く知られている、目にする機会が多いとかで、ある意味美術品の本物を見る経験をして好き嫌いと言っているわけではないですよね。

そうですね。7割が1年生ですから、たくさんの作品を実際に見て、その中から選んでいるということではないと思います。奈良美智は他の印刷物に使われたりグッズになっているものも多いので、作品よりそういうものの方が目に入り易いということはあるでしょう。村上隆の展覧会はこの10年以上日本で行われていませんから、実際に見ている学生はほとんどいないはず。ミュシャはもともとポスターだったりするので、複製でもいいですが。

やはりイメージと実物は違いますので、実際に見て判断してほしいと思います。画集で見ている時はいいと思っていたのに、実際に見たら何かアラが目についた‥‥なんてもあるでしょうし。もちろんその反対も。
ただ、これだけあらゆるコンテンツがネットに公開され、アートに関しても昔と比べ物にならない量の印刷物が出回っている今、それらを見ることでとりあえず満足するという層は、増えているのかなとも思います。
音楽も映像も家で手に入るのに、アートだけそこにわざわざ行かなきゃならない。アートはある意味非常に「不自由」な形式を保持しているジャンルなのかもしれないですね。

nobioxnobiox 2013/10/25 01:56 僕も展覧会に作品を並べたことが何度かありますし、
小学生時分の「交通安全ポスター展」とか「赤い羽根ポスター展」みたいなのまで含めれば
けっこうな経験がありますが、直接作品に対面することを想定して描いたのかどうか、と
あらためて考えると、ちょっと茫漠として、よくわかりません。
「直接作品に対面することを想定して作られているのは間違いありません。
これは『私にとっての当たり前』や『主義』ではなく、普遍的な事実です」
とか、見ず知らずの方になんでそこまで断言されるのか、はなはだ不思議に思います。

「普遍的な事実」として間違いなく言えるのは、
「そこにはグラデーションがある」ということじゃないですか。
例えば出雲阿国は、直接観られることだけを想定して踊っていたでしょう。
しかしバリシニコフはそうではないでしょう。
どのくらいそうじゃないか、と言えば、そんなことはわかりませんが、まあとにかく
「ゼロか百か」「白か黒か」ではないですね。そこにはグラデーションがあります。
バリシニコフが「直接対面されることを想定した」度合いは、
ゼロでも百でもなく、その間のグラデーションの、どこかだということです。
そうでないなら映画出演など断ったはずです。

ということを考えると、いや、出雲阿国だって浮世絵のことは念頭にあったのかも知れない、
すると「直接対面されることを想定した」度合いは百ではないのかも、
などとも思います。

>音楽も映像も家で手に入るのに、アートだけそこにわざわざ行かなきゃならない

音楽や映像や画像やテキストと、アート、を対置して、
前者は家で手に入るが、後者はわざわざ行かなきゃならない、と言うのは無理があるような気がします。
だって音楽や映像や画像やテキストのいくぶんかはアートですから。

nobioxnobiox 2013/10/25 02:50 >それは、物と行為の違いです。

物はいつでも対面可能だが、
行為はメディアの中で出会うことが前提、とは言えないでしょう。

イチローの行為はほとんどの人にとってメディアを通じてしか知り得ない、一方
例えばダリの絵画はそうではない、という命題の真偽は、
時代や居住地や経済状況などに大きく依存するので、決めようがありません。

また、当たり前ですが、アートは物で、
行為は非アート、というものでもありません。

nobioxnobiox 2013/10/25 04:33 例えば「咳をしても一人」という句は「家で手に入」りますが、
アートでないとは言えないでしょう。

間違いなく「家で手に入」らない、と言えるのは、
例えば「パフォーマンスアート」だと思うのですが、
「パフォーマンスアート」は「スポーツ選手のパフォーマンス」と、かなり似ています。
「スポーツ選手のパフォーマンスはその瞬間にしかないのでテレビで見るのが当たり前」であり、
「一方、パフォーマンスアートはその瞬間にしかないのでそこにわざわざ行かなきゃならない」
と、言えるでしょうか。

nobioxnobiox 2013/10/25 05:21 「スポーツ選手のパフォーマンスはその瞬間にしかない→だからテレビでというのが当たり前」
「パフォーマンスアートはその瞬間にしかない→だからそこにわざわざ行かなきゃならない」

と言うとしたら、おかしいですよね。(連続投稿、すみません)

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/25 11:09 たとえば子どもの絵やアウトサイダーアートの中には直接誰かに見られることを想定してないものもあるでしょうね。ではそれは写真を通して見られることを想定していたかというと、そうとも言えないでしょう。

で、私はここでは、美術のアーティストを前提として話しております。
彼らが自分の作品を人に見てほしいという願いは、今まさにアーティスト自身が作品に対面しているところのこのナマの視覚体験を、他人にも共有してほしいという願いに他なりません。写真ではスケールや質感がダイレクトに伝わらないからです。スケールや質感は絵画の重要な要素です。

>音楽や映像や画像やテキストと、アート、を対置して、
前者は家で手に入るが、後者はわざわざ行かなきゃならない、と言うのは無理があるような気がします。
だって音楽や映像や画像やテキストのいくぶんかはアートですから。

「アート」ってどういう意味で使っていますか?私はここでは一貫して「美術」という意味で使っていますし、もともと絵画の話だったと思います。大文字のARTは創作物一般を指すでしょうが、美術の論点でいかないと話が混乱します。
美術に対して音楽の話をしたのは、前者は見るものであるのに対して、後者は聴くものだということ(そこに見る要素は入っても中心ではない)、そして複製されたものを聴くことが一般的になっているという現状を言ったのです。これは音楽の方が美術よりずっと産業化しているからです。

たとえばCDレビューというのがあります。複製されたものが「作品」として提示されているので、それを聴いて批評を書いてよい。しかし、絵画を直接見ないで画集で見てレビューするということはありえません。画集の出来映えを批評するのは本のレビューであって、絵画そのものの批評ではありません。
もちろん質の良い画集の条件は、写真が限りなく本物の色合い、質感に迫っていることです。それは美術作品は直接体験が至上だとされているがゆえです。
こうした点をとっても、美術は直に見るものであるという理解が一般的であることがわかると思いますが、いかがですか。

>物はいつでも対面可能だが、
行為はメディアの中で出会うことが前提、とは言えないでしょう。

そんなことは言っていません。まったく同じ行為は二度と繰返されず、従って現場に立ち会える人も限られてくるので、記録が必須になるというだけです。記録がなければ、その行為に関する客観情報は一切失われてしまうからです。それと、ずっと存在し続け、常に情報が開示されている物を同列に見ることはできません。

また私は、「アート作品は直接対面することを前提として作られる」と言っているだけで、その条件が整わない人が写真で見ることを否定してはいません。私だって実際に見た作品より、画像や画集で知っている作品の方がずっと多いです。
ただその複製体験は、現物体験とは質的に違うということを言っています。これが当然なのはお分かりですね? 美術において「作品体験」と言われるものは後者です。

>また、当たり前ですが、アートは物で、
行為は非アート、というものでもありません。

そんなことも言っていません。パフォーマンスなど行為をアート作品とするものもありますが、イチローのプレイは「アート(ここではずっと美術ジャンルのことを言っています)」にカテゴライズされているのですか?(個人的にそう見るのは勝手ですが、私は極めて一般的な話をしています)

絵画と違ってスポーツは行為だから、その時を捉えないと見ることができない。しかも大きな娯楽となっている。だからテレビで見ることが一般的になったのです。野球は一回のプレイで終わらない長いドラマなので、視聴率も稼げます。
アートのパフォーマンスも、野球と同じく何十万人という人が見たいと欲するような娯楽になれば、テレビ放映で見るのが普通になるかもしれません。現場に行ける人は限られているのですから。

ただ、野球とアートパフォーマンスとは、そこで体験されているものが違います。野球で観客が注視するのは、選手とボールの動きとゲームの展開です。これはテレビでも十分楽しめます。誰のユニフォームが少し汚れていたとか、芝の色がいつもと違って見えたとかいったことは、どうでもいいでしょう。
それに対し、パフォーマンスは人間の動きや展開だけを見るのではありません。そこにあるあらゆる視聴覚(時に嗅覚、触覚)情報が鑑賞・体験の対象です。それはその場にいないと感知できないものです。
パフォーマンスと同じく、彫刻や空間全体を使った作品も、写真ではわからない要素が多くなります。
こうした点も、スポーツ観戦とアート体験の大きな違いです。
おわかり頂けましたでしょうか?

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/25 12:07 なんかモヤモヤするので書いておきます。

>僕も展覧会に作品を並べたことが何度かありますし、
小学生時分の「交通安全ポスター展」とか「赤い羽根ポスター展」みたいなのまで含めれば
けっこうな経験がありますが、直接作品に対面することを想定して描いたのかどうか、と
あらためて考えると、ちょっと茫漠として、よくわかりません。
「直接作品に対面することを想定して作られているのは間違いありません。
これは『私にとっての当たり前』や『主義』ではなく、普遍的な事実です」
とか、見ず知らずの方になんでそこまで断言されるのか、はなはだ不思議に思います。

誰がnobioxさんの小学生の頃の作品の話をしていたのでしょうか? 最初からアーティストの美術作品の話しかしていないじゃないですか。だいたいあなたが描いた絵を私が知っているわけがない。そもそもあなたのことも知らない。こういう場所で「見ず知らず」なのはお互い様であり、そんなことは関係なく、これについてはこう言えるという議論をしているに過ぎません。途中から関係ないことを引っ張ってきて、人の発言の意図を歪めないで下さい。


細かいところをほじくって何度も反論なさっていますが、いずれも「アーティストは、作品を直に見、体験もらうことを想定、希望している」「美術作品の鑑賞とは普通直接体験を指し、画像など複製情報を通して見るのはその代替」という私の論を覆していません。
私の論は一般論ですが、それに対して「複製情報と直接体験は同じものである」と言うならその論拠を示さねばなりませんし、「直接体験できないケースは多いのだから複製情報で代替するのは仕方ない」と言いたいなら、私はそれには最初から反対していません。
nobioxさんは論点を保持していないので話がずれていっています。
今後も同じレベルでコメントされても、これ以上のやりとりは無駄だと思います。

nobioxnobiox 2013/10/26 05:02 僕はイチロー(でなくてもっと凡庸な野球選手でもいいのですが)のプレイが「アート」であるということは当たり前だと思ってたのですが、「アートとは美術のことであり、極めて一般的には野球選手のプレイとか音楽とか俳句とかはアートとは呼ばない」と言われると、なるほど、たしかにそういう価値基準(? もっとふさわしい言葉はありそうな気がしますが)はありますね。なるほど、と思いました。

>「美術作品の鑑賞とは普通直接体験を指し、画像など
>複製情報を通して見るのはその代替」という私の論を覆していません。

僕はただ、「普通は何々を指す」とか「という理解が一般的である」というのを「普遍的な事実」と呼ぶのはおかしい、と言ってるだけです。しかしながら「普遍的な事実」という語に無駄にこだわり過ぎなのかも知れない、とは思いますし、この議論にはほとんど生産性がない、ということには同感です。

>誰がnobioxさんの小学生の頃の作品の話をしていたのでしょうか?
>最初からアーティストの美術作品の話しかしていないじゃないですか。

念のために繰り返しますが、僕は展覧会に作品を並べたことが何度かあります。
どうしてあなたは僕を「アーティスト」じゃないと思われるのですか。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/26 11:50 >僕はイチロー(でなくてもっと凡庸な野球選手でもいいのですが)のプレイが「アート」であるということは当たり前だと思ってたのですが、「アートとは美術のことであり、極めて一般的には野球選手のプレイとか音楽とか俳句とかはアートとは呼ばない」と言われると、なるほど、たしかにそういう価値基準(? もっとふさわしい言葉はありそうな気がしますが)はありますね。なるほど、と思いました。

何をアートと言おうと自由ですが、それこそその人の「価値基準」が反映されるものです。そういうふうにアートという言葉を好きなように拡大すると論点がボケるので、カテゴリーやジャンルとして通常言われているところの狭義のアート(美術)に限定しているのです。
なぜならそもそもこの話の発端は、「美術作品は直に見るべきものかどうか」ということだからです。それを拡大していったのはnobioxさんで、そのためにやりとりが煩雑になっているのです。

>僕はただ、「普通は何々を指す」とか「という理解が一般的である」というのを「普遍的な事実」と呼ぶのはおかしい、と言ってるだけです。

いえ、私が「普遍的な事実」という言葉を出す前から、nobioxさんは、「多くの美術作品は直接作品に体面することを想定して作られている、それが前提になっている」という私の言った一般論に対して、それはあなたの主観だと異を唱えておられました。
どう説明してもそこに戻られてしまうので、こう書きました。

>ある空間に展示するというかたちで発表された作品が、「直接作品に対面することを想定して作られている」のは間違いありません。これは「私にとっての当たり前」や「主義」ではなく、普遍的な事実です。

もちろんアーティストでも、作品を作っている時はそういうことを何も考えない人や、nobioxさんのように「人に直に見られる」ことを最初から想定して描いたかどうか不明な人もいるかもしれません。
でも最終的に展覧会場にある作品は、アーティストが人に見せたい、直に見てほしいと思ったものです。そういう意思は、アトリエにまだ作品があるどこかの段階で決定されています(それを「直接作品に対面することを想定して作られている」という言い方をしました)。

である以上、世の中に発表されている美術作品は直に見るべきものだし、それが一番いいのではありませんか? それが不可能な場合に、その代わりとして画像や写真を見るということではないですか? 私はずっとそれを言っています。極めて当たり前のことを言っているつもりなのですが。


nobioxさんの論点を整理して差し上げると、二つあります。
1. 作品は直に見られるものという想定や、直に見てほしいという強い希望を、アーティストがもっているとは限らない。
2. 美術作品を直に見るべきかどうかは、時代や居住地や経済状況などに大きく依存するので、決めようがない。

1について。人に直に作品を見せたいと思わない、その意思がはっきりしないにも関わらず展覧会を開いて作品を発表するアーティストというのが、私はうまく想像できません。
2について。これは「作品に対面できる可能性」の話ですね。可能性/不可能性はもちろん人によってさまざまです。そのことと、「美術作品は直に見るべきものである。不可能なら画像や写真で代替するのはやむを得ないが」という命題とは両立しています。

nobioxnobiox 2013/10/27 23:07 >カテゴリーやジャンルとして通常言われているところの
>狭義のアート(美術)に限定しているのです。

なるほど。言われてみればたしかに冒頭に「美術周辺のアーティスト限定」と書いてありますね。失礼しました。

ゆうべ家に帰って、夕食を食べながら、「普遍的」と「一般的」はどう違うと思うか、とヨメに尋ねて少しそれについて会話し、それから風呂に入って頭を洗ってるうちにようやく理解しました。A:「私の言ってることはひとり私だけの主義ではなく、古今東西で一般的に共有されている主義(価値観)です。そういう価値観が一般的に共有されているのは事実です。私は私個人の主義を述べてるのではなく、それが一般的に共有されているという事実を述べておるのです」、と、いうことをおっしゃってたんですね。最初から。一貫して。

わかりました。僕が阿呆でした。申し訳ありませんでした。そのご見解には、何ら異論はありません。

僕は、B:「私の言ってることは主義とか価値観とかではなく、普遍的な事実です」と言われてるのかと思い込んでしまって、うわこりゃまたなんという傲慢な、狭量な、他の価値観を認められない、怖ろしい人なんだろうか、と思ってました。「主義ではなくて普遍的な事実です」と言われたら二割くらいはそう受け取るよな、とも思いますが、ただしかし、仮にそうだとしても、八割くらいは僕のアタマの悪さのせいです。無駄にお騒がせし、失礼しました。

AとBの違いはわかりにくいかもですが、A「多くのラーメンにはかん水が入っている。これは別に規範の主張ではなく単なる事実」と、B「ラーメンにはかん水が不可欠。これは主義とか好みじゃなく、議論の余地のない普遍的な絶対真理」の違いです。

生産性のない議論だ、と思ってたのですが、わかってみると意外に(僕にとっては)得るものがありました。ありがとうございました。ご不快にさせたこと、平にご容赦ください。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/27 23:53 「普遍的」という言葉に例外を認めないニュアンスがあるので、誤解を招いたかもしれまん。
「美術作品は直に見るものだと言われているし、多くの作品はそのように作られている。写真でもどんな作品かは知れるが、それでは伝わらないこともあるので」ということをご理解頂けたのだったら、それで結構です。
長々と失礼致しました。

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