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2015-01-31

階級とジェンダー規範の壁を踊って越えていく少年・・・「ビリー・エリオット」を観て

名古屋でも先週末から公開になった『ビリー・エリオット ミュージカル・ライブ』を観てきた。

2001年の映画『リトル・ダンサー』のミュージカル版で、監督も同じくスティーブン・ダルドリー。感動しました。3回ほど涙腺崩壊。

オフィシャルサイト


80年代半ば、ストライキに揺れるイングランド北部の炭坑の町を舞台に、バレエに目覚めた少年ビリーが、周囲の偏見と闘いながら夢に向かっていくストーリー。映画版を観ていなくても楽しめる内容だが、観ているとまた細かいところで比較できて面白いのではないかと思う。

(『リトル・ダンサー』は毎年授業でも学生さんに薦めている映画。あらすじはこちらを)


189分という長丁場(4分のインターミッションあり)だが、まったく長さを感じさせず、さまざまなアングルやクローズアップを多用したカメラワークによって、ライブ映像ならではの動的かつ迫力のある画面を堪能した。

エルトン・ジョンの音楽の力強い情動喚起力、映画以上にキャラの立った味のある脇役たち、それぞれの心情と歌の見事なまでに高度な一致。*1

だが何より、歴代のビリーの中で最年少の、若干10歳で主役を演じたエリオット・ハンナが!素晴らし過ぎる!! 奇跡的!!!  既にいろんな人が書いてることだけど。


子どもっぽさの残る体で、ロックからクラシックバレエからタップダンスまで驚くほどパワフルにこなしているが、体力を限界まで使っているらしく激しく動き回った直後に息が上がって胸がハアハアとなっているのがいたいけ。

顔はレオナルド・ディカプリオのデビュー当時と萩尾望都の描く少年と金子國義の描く少年少女を足して3で割った感じで、出てくるだけでその場を攫うような視線吸引力がある。

f:id:ohnosakiko:20150128233929j:image:w220 f:id:ohnosakiko:20150128233930j:image:w200 f:id:ohnosakiko:20150128233933j:image:w220

  この3つを足して3で割ると、↓こうなる(と思う。ポール・マッカートニーの若い頃にもちょっと)


       f:id:ohnosakiko:20150128235616j:image 現在、11歳。


この幼くも美しい小さな顔を頂いた細い体が、自らの厳しい境遇と大きな夢の間の苦悩、「踊りたい!」という狂気のような情熱と強靭な意志を、全力でひたむきに健気なまでに表現しているという、それだけで涙が出てくる。

死んだ母親が残した手紙を暗唱するシーンでは萌え死にさせる気かと思ったが、「白鳥の湖」のテーマをバックに、初代ビリーを演じた22歳のリアム・ムーアと二人で踊った鳥肌もののダンスシーンは、あまりの神々しさに座席の上に正座しそうになった。


可愛い男の子のことばかりダラダラ書いているとキモいと言われそうなので話題を変えて。


この物語にはさまざまな対立項が出てくる。労働者階級と中産階級、ボクシングとバレエ、ヘテロセクシュアルトランスジェンダー(ビリーの親友マイケル)、父と息子。

特に80年代サッチャー政権下という背景が冒頭から強く押し出されており、労働争議やサッチャーを皮肉る人形劇など、映画以上に政治的ニュアンスが加味されているように感じた。ストライキ前夜の炭坑夫たちのシーンなど、今にもインターナショナルが出てきそうな雰囲気だ。

だが、ボクシングを愛し仲間たちと結束して資本家と闘い、(女がやる)バレエなど決して認めなかったマッチョな父親は、最後、息子の才能の前に膝を折る。ロイヤル・バレエ・スクールからのオーディション合格の知らせが届いて沸き立つ一方で、ストライキは失敗に終わり「俺たちは負けた」というフレーズが歌で繰返される。

ビリーの夢の実現への第一歩は、父たちの長い闘いの敗北と引き換えであるかのようだ。


斜陽となった産業のせいで地盤沈下していく労働者階級の生活から少年が脱出するには、一度しか来ないチャンスの前髪を掴むしかない。

それがロックやパンクあるいはサッカーやボクシングという元々労働者階級の音楽やスポーツではなく、クラシックバレエという中産階級以上の文化であったところに、このスター誕生(前夜)物語の一抹の苦さと面白みがある。

ビリーの父や兄にしてみればそれは「あっち側」のものだ。息子は自分たちが苦労して築いてきた生活、文化の継承者ではないのだ。そのことをわかった上で少年を応援し、新しい世界に送り出そうとする大人たちの姿に胸を打たれる。ここには世代交替の普遍的なありようが描かれている。


舞台は、成長したビリーの姿をラストにもってきている映画版と違い、少年ビリーがいよいよロンドンに発つところで終わる。その後のカーテンコールから大団円のダンスに傾れ込んで行く中で、2005年の初代ビリーを筆頭に、これまでビリーを演じたダンサーたちがずらりと揃い踏みするところは圧巻だ。「ここから巣立った男の子たちがみんなこんなに成長したよ」という文字通りの情報とともに、「世界中にビリーはいるんだよ」というメッセージを伝えているように感じた。

若い人が見れば勇気づけられ、若くない人が見れば大人の役割とは何かを考えさせられる。「アナ雪」にいまいち乗れなかったという男性も、「ビリー・エリオット」には胸アツになるのではないでしょうか。


観ていて思い出したのは、2004年春に初めてナマで体験したマシュー・ボーン率いるダンスカンパニー、アドベンチャー・モーション・ピクチャーズ(略してAMP)の『白鳥の湖』。古典的異性愛物語を、男性のダンサーたちによってこの上なく格調高く現代的に表現したステージだった(関連記事はこちら)。今回の映画と合わせて、イギリス舞台芸術の厚みを改めて感じさせられた。

*1木の実ナナの入ったウィルキンソン先生の圧倒的な歌唱力、思わず泣かせるビリーの父の歌、スト中の炭坑夫と警官隊のシニックな絡み、親友のマイケルとビリーが巨大なドレスと共に踊る場面の圧倒的な楽しさなど、印象的なシーンは挙げればキリがない。