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2016-10-21

「エロいかどうか」より「御しやすそうに見えるかどうか」では

‥‥‥と思うのだけど。エロばかりに焦点が当たっているのに違和感がある。


https://twitter.com/koshian/status/788095618216366080


露出度では明らかに左のピーチ・ジョン(女性の下着通販会社)の広告の方が高く、ポーズもセックスアピールそのもの。それをもって「左の方がエロいのに」という意見だが、ポイントはそこではないと思う。

女性下着の広告だからこうなるのは定石だが、ピーチ・ジョンのモデルたちのイメージから伝わってくるのは、己のボディへのナルシシズムと自信である。自分たちの美しさを十二分に自覚し、こうすればコケティッシュで色っぽいという非常にベタなポーズを積極的に取って、肢体を誇示しているように見える。目線もかなり挑戦的だったり誘惑的だったり。

積極的で自信に満ちた女の像は、女性消費者の受けがいいと考えられているがゆえの演出の結果だが、そういうイメージを伝達しているということが肝要。


こうした攻めの要素は、右の『鉄道むすめ』版の「駅乃みちか萌えキャラバージョンには皆無だ。

彼女も、服の上からでもそこそこナイスバディであることを想像させるように描かれているが、本人は、己の体がどう見えているかには無自覚な、全体に受け身っぽい大人しい雰囲気で、なぜかちょっと困った顔を上気させている。

もしかしたら、スカートが股間と腿に張り付いて透けて見えてるようなのを(批判を承けて後に修正された)自覚した上で、恥ずかしがっているのか。よくわからない。

つまり前者は、自らの性的要素に自覚的で積極的、攻撃的。自信をもってガンガン来そう。振り回されそう。こういう女のイメージに引く男性は多いと思う。

後者は、自らの性的要素に無自覚か、自覚していても恥じらいがあり消極的。つまり入り込む隙があちこちにありそう。少なくともピーチ・ジョンよりは全然御しやすそう。ここはわりと重要な「萌え」ポイントなのではないだろうか。


そして、今回の反感や批判の中には、性的要素が付与されながらもそれに「無自覚」で「御しやすそう」なイメージで女が描かれていることへの強い抵抗感、忌避感があったのではないかと私は思っている。「主体性がない感じがいやだ」という意見もどこかで見た。

極論すれば、エロそれ自体に問題があるのではない。エロが「御しやすさ」のイメージと結び付いた時が、厭なのだ。そういうイメージで女を描かれたくない。そういう視線で女を見ないでくれということだ。

「これは限定的なところで使われる萌えキャラであり、別にあなたのことをそう見ているのではないし、女性を皆こう捉えているわけでもない」と言ったとしても、受け取る側にはそれが女の表象というだけで、自分も含めた女全体のことのように突き刺さったり、不快になったりする。ファンタジーの中のまったく架空の妖精みたいなキャラならまだ目を瞑れても、駅員の制服・制帽というアイテムが自分と地続きの「現実の女」感を醸し出す。


従って、「女の体をエロいものとして描いていて不快」vs「自分が不快なものだからなくせというのは暴論。エロは全部ダメというのか?」という対立は、本質的ではない。それは上辺の議論だ。

エロの抑圧、萌えへの侮蔑。「駅乃みちか」への乱暴な批判は、「女性の身体はエロく卑猥なので、表現として不適切、表現すべきでない」につながると題された柴田英里氏のテキストも、その対立点に絞って性急に論を進めているように感じる。見かけはエロが争点だったとしても(またおたく差別や表現規制的言説があったとしても)、一つのイメージへの抵抗感、忌避感の内実をもう少し想像的、分析的に論じてもいいし、その上で、表現規制反対を言うこともできるのではないかと思う。

因に、そこで主張されているように「ゾーニングされているから問題ない」とすると、あるイメージに対し反感や批判の出てくる原因について突っ込んで考えることができなくなるので、ここではしない。


もしピーチ・ジョンのモデルが皆、あの「駅乃みちか」萌えキャラバージョンのポーズと表情をしていたら、「気持ち悪い」という声が女性たちから上がっただろう。

露出度が高かったり、胸や股間や臀部などを強調してたり、ポーズにエロ要素が盛り込まれていても、自らが積極的に選択しているように見え、自信をもってアピールしている感じの絵であれば(そしてその外見がキャラに与えられた役割を大きく逸脱していなければ)、ここまでの反感は招かないのではないかと思う。

もっともあの絵を描いたイラストレーターは、特別エロい感じにしてやろうと思ったのではなく、「女の子を描くなら性的箇所を服の上からわかりやすく強調するのが、萌え絵の基本的な作法」ということで描いたのだろうし、困ったような上気した顔も、萌え絵の定番なのかもしれない。

そういう「お約束」が、その外の世界にいる人には時として異様なものに見えることについて、萌え絵を愛する人々がどこまで自覚的なのだろうか?と思うことはある。いや、萌え絵を愛する人々というより、萌え絵を使用しようとする自治体や企業というべきか。



大昔から、ありとあらゆる女のイメージが描かれ作られてきた。そういうものの一部は博物館や美術館にあり、ジェンダー論的観点からも批評されている。萌え絵も21世紀初めの日本で盛んになりさまざまな議論を呼んだとして、いつかその中に入るかもしれない。

いくら「そういうイメージで女を描かれたくない。そういう視線で女を見ないでくれ」と言っても、こういった欲望の視線がすっかりなくなることは、この先もないだろう。仮に規制をしても、それはまたかたちを変えて必ず現れてくるだろう。女の表象は、さまざまなかたちで尽きることなく現れる。そしてその都度、「不快だ」「直してほしい」という声も上がる。


個人は、「駅乃みちか」萌えキャラバージョンも、ピーチ・ジョンの広告も好きではない。だから「不快だ」という声には共感するところはある。しかし一方で、「御しやすそうなエロ可愛い困った女の子」のイメージも、「強気で自信満々なエロ要素全開の女」のイメージも、”不快だが”ファンタジーとして同じようにありだと思う。

それは「表現の自由」があるからではない。(「女」への)欲望とはそういうものだと思うからだ。



(余談だが、よく行くレンタル屋さんのレジの内側に「変態仮面」(あのパンツ被ったやつ)の等身大の立て看があって、レジに行く度、ちょうどモッコリした股間が視界の中央近くに入ってきて何だかつらい。女性の胸や股間が不自然に強調されているのを見るのとは別の厭さがある。何か威嚇されているような気分になる。私だけだろうか。男の人は別に何とも思わないのだろうか。鈴木亮平はわりかし好きな俳優だし、映画はもしかして面白いのかな?と思うけど、いつまであのモッコリと向き合わねばならないのかと思うと、その店に行くのがちょっと憂鬱)

rememberremember 2016/10/22 01:09 「御す」というのは普通にある日本語ですが、あまり聞きなれない表現なので新鮮に感じました。

>「主体性がない感じがいやだ」という意見もどこかで見た。
河合隼雄氏の著作にあった「アニマ女性」というのを思い出しました。「アニマ」というのはユングの分析心理学の用語なんですが、「男性の中の内なる異性」「男性が持つすべての女性的な心理学性質」「永遠の女性」というようなものです。かなり抽象的な概念なので定義が難しいのですが(ちなみに女性の中の「内なる異性」はアニムス。アニマはムードを形成して、アニムスは意見を形成するといいます)。

で、世の中には「アニマ女性」というのが存在すると。これは、
・自我というのをほとんど持たないため、男性のアニマの投影をどのようなものでも引き受けやすいので、外見的にはよくもてる。
・その自我のなさは同性から見ると全くつまらないので、どうしてあれほどつまらない人が男性にもてるのかと不思議がられる。
・このようなタイプの極端な人は、ただ男性のアニマの鏡となるだけで、自分本来は生きていないといってもよいほどなので、不思議に年をとることがない。多くの男性をと関係を持ちながら、外見的な処女性をさえ保持している人もある。

というもののようですね。

ohnosakikoohnosakiko 2016/10/22 08:19 「御す」、たしかに私も会話では滅多に使いません。「大人しそう」にすると見る側の視点が盛り込めないし、「支配しやすそう」にするとキツ過ぎるしで、「御しやすそう」になりました。


ユングの概念は、男性と女性を対比的に図式化し定義づけるというところはわかりやすいし、今でもわりと人気のある概念のようですね。

私自身は、フロイト-ラカンを参照することが多いです。ユングはフロイトの弟子ですが後に袂を分かち、ラカンは再度フロイトに帰って新たな読み直しをした人です。難解で、私もすべて読めているわけではなく、概念を拾い読みしながら考えています。

男女論でよく参照しているフレーズがあります。

・<女>はいない。

・<女>は男の症候である。

・異性愛者とは、男女を問わず、女を愛するものである。



ラカンは、というか精神分析では、「男とは何か」から話が始まり、女は「すべてではないもの」といった否定形でしか言い表されません。このため、フェミニストにはあまり評判が良くなかったりしますが、そういうふうにしか記述し得ないとしたことによって、男女の非対称性を独特なかたちで浮かび上がらせていて面白いです。





ohnosakikoohnosakiko 2016/10/22 08:25 自己レス。
>「大人しそう」にすると見る側の視点が盛り込めないし

「見る側の欲望」と書くべきだった。

mirakichimirakichi 2016/10/22 09:16 一点補足させていただきます。「困ったような上気した顔」や、性的箇所をわかりやすく強調する表現などは萌えキャラ化によって付与されたものではなく、オリジナルバージョンから存在する特徴です。「駅乃みちか」で画像検索していただくとサザエさんのような絵柄でセクシーなポーズをしている広告絵がいくつも見つかると思います。同じ「御しやすそうなエロ可愛い困った女の子」という表現でも、絵柄によって快・不快が変わってしまったのが今回のポイントだと思います。

ohnosakikoohnosakiko 2016/10/22 09:56 mirakichiさん、ありがとうございます。
まさにその点ですね。オリジナルはとても素朴なイラストなので、セクシーなポーズや困った顔でも「エロ」「御しやすそう」という雰囲気がなかったのが、萌え絵によってあぶり出されてしまったと。

そうすると、同じキャラなのに萌え絵だからいけないというのか→萌え絵を排除したいだけじゃないか→オタク差別だ‥‥という意見がかなり出ていたことも理解できます。
オタクというか萌え絵を愛する人々は、そこに性的欲望を読み込まれることを非常に嫌がる傾向があるようですが、外から見ていると、そこは開き直った方がいいのになと思います。欲望をさまざまな情報が詰まった(しかもそこにいろんな文法があるらしい)ビジュアルに置き換えているというのは、かなり高度な昇華の仕方です。

「快・不快」はそれが人の目に触れれば持ち上がる問題ではありますが、最近は現実にしてもネットにしてもさまざまな場が繋がっているので、そういう声が上がりやすくなっているとは感じます。アートについても見られる風景です。
不思議なのは、すぐに「被害者」であることの競い合いみたいになってしまうこと。なぜここまですぐにヒートアップするのか、ちょっとした言葉に互いが過剰に反応しあっていく状態は、息苦しいです。

rohiki1rohiki1 2016/10/22 12:51 ダンガンロンパの登場人物に、罪木蜜柑というとても御し易そうでエロい記号たっぷりキャラがいるのですが、あれって初見でどう見えるのかな?と。
物語を知って、いろんな表情を見た後だと、同じ記号でも見え方が少し変わる…そんなキャラです。
記号が与える快不快、記号の読み取り方の微妙な法則は興味深いな。
という立場から。

someotakusomeotaku 2016/10/22 18:17 rohiki1 さんの意見に似ていますが、ディープなオタクというか二次元好きほど、キャラの外見だけで性的欲望を覚えることは少ないかと。キャラクターの容姿と性格(その背景)があってはじめて萌えなり性的欲望を覚えたりするので、物語的な背景が少なければどんなに萌えの文法を使われても、萌えを感じることはないと思います。だからただの絵じゃないかという意見はかれらにとっては詭弁ではなく、本当にそう思っているのです。なので「オタクというか萌え絵を愛する人々は、そこに性的欲望を読み込まれることを非常に嫌がる傾向がある」のは当然だし、「そこは開き直った方がいいのに」と言われても困るのです…

ohnosakikoohnosakiko 2016/10/22 22:04 rohiki1さん、someotakuさん、ご教示ありがとうございます(まとめてですみません)。
「駅乃みちか」萌えキャラバージョンという言い方をあちこちで見ていたので、既に絵の中に萌えが入っているものと思っていました。あれは横にあった自己紹介という物語と込みで、萌えが発生するんでしょうか。

東浩紀が昔、物語や文脈抜きで萌えが成立するようになっていると言っていたのが、頭に残っていたせいもあるかもです。

someotakusomeotaku 2016/10/23 00:46 従来の萌えアニメとされてきた作品の外見的特徴を抽出し、パターン化し、それにそって描いた絵も萌え絵と呼んでいるから混乱するのだと思います。東浩紀の言葉はそのパターン化されたものを見ての発言ではないだろうかと愚考します。そういう文法で描かれた絵と実際に萌えを感じるかは別モノであり、実際の萌えはいまだ物語と文脈抜きで成立はしにくいと考えます。駅のみちかの萌え絵だけで萌える人もいないわけではないと思いますが、やはり横のプロフィールがあったほうが、萌えを覚えやすいですし、さらにいえば、オリジナルのバージョンのビジュアルでも物語と込みであれば萌えは発生します。
答えになっているでしょうか

rememberremember 2016/10/23 00:57 この件に関する記事をいろいろ見ていて思ったことがあるので、再度コメントさせていただきます。
「ラベルに萌えキャラがプリントされているペットボトルのお茶」が映っている画像があったのですが、それを見て、「…これは買えないな」と思いました。
「萌えキャラがプリントされている服」なども同様で、買えないし、絶対に着れません。「萌えキャラが描かれている乗り物」も、まあ乗れないこともないですが、結構抵抗があります。
それは何故かというと、「そういうものが好きな人」と他人から思われるからです。

「自分の生活圏内に存在すること」と言えばいいのでしょうか。パブリックな空間にそういうものがあっても、自分とは関係がないものとみなすことができて、自分から切り離すことができるのですが、プライベートな空間にそういうものがあると、それがどういう形であれ、他人からは「そういうものを受け入れている」人間に見られ、そうなると「美少女物、萌えキャラが好きな人」というレッテルを貼られてしまう。それがどうしようもなく恥ずかしいんですよね。

ここまで考えて、自分は「萌えキャラを受容する人(あるいはその感性)」を「恥ずかしいもの」とみなしているんだな、と思いました。

それにしても、すごい数のブックマーク数ですね…

ohnosakikoohnosakiko 2016/10/23 13:25 someotakuさん、ご説明ありがとうございます。
では、「駅乃みちか」萌えキャラバージョンと言われて騒ぎになっていたイラストは、「ただの絵」ではなく、東京メトロ/サービスマネージャーの制服と自己紹介、そしてオリジナルバージョンという文脈によって、「萌え絵」となりえていたということですね。まあそうでなければ、「萌えキャラバージョン」と態々呼ばれないと思います。
で、この絵に、誰かが性的欲望(他に適切な表現を思いつかないのでこれを使いますが)を喚起されたとしても、そのこと自体は別にいいのでは?と思います。

ohnosakikoohnosakiko 2016/10/23 13:48 rememberさん
萌え絵は流行りだしウケるだろうから使おうという企業側の思惑と、消費者の感覚とは、必ずしも一致しないということですね。
私はどちらかというと萌え絵が苦手なほうなので、自分の感覚に合わないという理由で買わないですが、「そういうものが好きな人」と見られるのがどうか‥‥というのは、考えたことがありませんでした。

>自分は「萌えキャラを受容する人(あるいはその感性)」を「恥ずかしいもの」とみなしているんだな、と思いました。

これは欲望に関することなので慎重な議論が必要ですが、いかなる(性的)欲望も恥ずかしいと言えば恥ずかしいし、恥ずかしくないと言えば恥ずかしくないです。人の性欲は多型倒錯なので、基本何でもありです。その時代や社会の規範によって、表に出していいか良くないかの線引きがされるだけだと思います。

rohiki1rohiki1 2016/10/23 19:26 記号の使い方とか意味としては、性的欲望を喚起してるのはキャラクター自身であり、見る側には女の型の一つを思い浮かべさせるものかな。
萌えない事物を萌えの記号で描き直してその違いを面白がるというものなので、メタ的というかモノマネ芸的な構造があるわけで。
本当は残酷なグリム童話とか、本当はエロい桃太郎とか。
とはいうものの、そこに使う技法のレベルや演技の方向性で、あれこれ複雑な話になっちゃいます。そこが興味深いところ。

ohnosakikoohnosakiko 2016/10/23 19:32 rohiki1さん
なるほど。しかしそこまで複雑な構造があるものを読み解くのは、一般の人にはかなり難しいでしょうね。
一般と言うのも雑駁ですけど、どのくらいの割合の人が萌え絵の文法的なことを知っているのかは、知りたい気がします。

sugirkunsugirkun 2016/10/26 20:23 論議を呼んだこの画像についてはどう思われるでしょうか。
https://pbs.twimg.com/media/Cu8eMsjVIAITctY.jpg

私には性的な記号を控えめにした修正後の画像の方がまさに控えめで御しやすそうな女の子にみえます。
清楚な感じでかえってそそるという声もありますし、私だけの印象ではないでしょう。
保守的な社会観・女性観の非オタク男性の好みはたぶんこちらでしょう。
(やまとなでしこという言葉にふさわしいのはどっちでしょうと問われたら・・)

ohnosakikoohnosakiko 2016/10/26 20:56 修正前は、わざとそう振る舞っているあざとい感じだという意見はありますよね。元のキャラがそういうキャラなので。

ただ元キャラはコミカルですがいわゆる「可愛い女の子」が描かれているとは認識できないのに対し、萌えキャラバージョンは明らかに「可愛い」、しかも表現された形が元キャラよりはずっと現実の女の子に近く、その分、性的強調表現もリアルということで、認知の内容に差が生じていると思います。
つまり性的な部分がリアルになったことで、むしろあざとい”いかにも”な感じより、「御しやすそう」とか「言うこと聞いてくれそう」な感じが浮かび上がったのではないかと。

問題なのは、保守的な男性の好みが実際にどうかということより、修正前の像に、歓迎できない印象を受けてしまった人々が一定数いた(特に女性)ということではないかと思います。
もちろんそれは像そのものが及ぼした力というより、これまでさまざまな場面で、「御しやすい」「言うこと聞いてくれそうな」女の子、顔を赤らめてブリッ子(死語)ポーズを取るような女の子が欲望されてきた、そういうふうにするべきだと明に暗に押し付けられてきたという、ネガティブ体験があってのことです。
これはもちろん感情の問題です。だからこそ、こういう批判は根強く、何度でも繰返されるのです。

ちなみに修正後の像も、私には基本的に同じようなキャラに見えますが、性的強調表現がない分、多少ニュートラルに近くなっている印象を受けます。「おりこうさん」という感じです。

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