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2017-07-21

「性愛用の女」との同居で「生活用の女」にされた妻はその見返りを得たのか?(ラブドールを家庭に持ち込んだ夫についての感想)

(※7/22追記あります)


ラブドールを恋人代わりにする男性のことを初めて知ったのは、10年くらい前にあった某ブログ。彼女との「愛の生活」を綴った日記が面白いということで、一部で人気だった。私も一時期読んでいた。最初に、これ「ピグマリオン」だなと思った。古代ローマ詩人オウィディウスの『変身物語』に登場する、キプロスの王ピグマリオン(ピュグマリオン)の物語だ。

生身の女性たちに失望したピグマリオンは、完璧な女性を求めて彫像作品を作った。その出来映えがあまりに見事だったので、彼はすっかり彫像の女性に恋をしてしまい、毎日のように語りかけ、贈り物をし、ベッドを共にし、ついに彼女は自分の愛に応えてくれたのではないかと思うようになった。その狂おしい思いと彫像の素晴らしさに打たれたヴィーナスが、褒美として彼女に命を授けてくれた。

SF小説未来のイヴ』から映画『空気人形』まで、さまざまな小説、映画などのベースとなっているこの物語はある意味、ヘテロ男性の究極の夢なのだろう。「<女>は男の症候である」というラカンの言葉を呟きたくなる。


ラブドールに真実の愛見つけた男たち、「僕にとっては人間」:AFPBB News


最近話題になった上の記事に取り上げられていた「尾崎さん」に集中していた批判は、既婚者がラブドールに嵌っていること自体より、あの記事の中の「尾崎さん」の言葉とそこから類推される背景に向けられていたと思う。

妊娠、出産した妻が育児に追われ、セックスレスになる夫婦はよくあるらしい。妻には疲労に加え、一時的に性欲が失われるという話も聞いたことがある。で、夫が風俗に通い出したり浮気をしたりというのもありがちなので、ラブドールもそのパターンになる。男が「生活用」(家事育児を任せる)と「性愛用」(あらゆる楽しみを共有する)に女を使い分けているということだ。


昔だと、夫と妾の関係を正妻が黙認している例がよくあった。それは普通、夫の経済力で妻には何不自由ない生活が保証され、夫は対外的にも家庭内でも妻を立てて成り立つものだった。現代でも夫の愛人の存在を黙認するのと引き換えに、経済的保証を得るということはありそうだ。

まして、一つ屋根の下で夫の愛人と暮らすのであれば、妻には相応の見返りがなければならないだろう。もし、何の見返りもなしに愛人の存在や妻妾同居に妻が耐えている状況があるとしたら、さまざまな要因から女の側に経済的な独立が難しく、男の側がそこにつけこめる構造があるからだ。


ラブドールとの同居状態を「尾崎さん」の妻が受け入れざるを得なかったのは、家を出ても行くところがない、子どもを抱えて経済的に自立できる見込みがないと判断したからかもしれない。そうだとすれば、夫もそれを充分知っていて、「生活用」と「性愛用」を同時に確保できる今の状況を享受してるということになる。*1

ラブドールは妾や愛人(人間)ではなくただの人形だからその喩えはおかしいという人もいるかもしれないが、「尾崎さん」にとってそれは「人間」であり愛情を注げる唯一の「女」なのだから、彼の妻が、自分は「生活用の女」としてハウスキーパーの役に押し込められ、夫婦の交流のすべては「性愛用の女」であるラブドールに独占されている、と感じたとしても不思議ではない。


では彼女は、夫からどれだけの見返りを受け取っているのだろうか?

「尾崎さん」は、セックスレス以外にも、仕事から帰ってきた自分の愚痴を黙って聞いてくれないなど、妻への不満があったことをほのめかしている。結局その問題を2人で話しあって解決するということができなかったわけだし、この点に関してはどっちが悪いというふうには、外部からは決めつけられない。

なのに「尾崎さん」は「性愛用」の女を無理矢理家庭に持ち込んでおいて、その見返りとなるものを妻に与えていないようだ。

せめて取材に対して「妻の理解のお陰でこういう生活ができています」と対外的に妻を立てておけばよいものを、自己正当化の言い訳に終始し、更には「最近の日本の女性は、ちょっと冷たい部分も増えてきている。心が汚いというのか、人に対して冷たい」などと女性全体への批判までしている。


古いことを言うようだが、女を使い分け、それを女に納得させたいなら、それなりの「甲斐性」ってものが必要なんだよ。それもないのに勝手なことして偉そうなこと言ってんじゃない。いざとなれば妻は妾を殺すこともできるんだからせいぜい気をつけろ。

私が「尾崎さん」という男性について思うことは以上だ。



(男女関係というものについて根本的にわかってないとか、こういう「見返り」を期待する考え方こそが愛を潰すとか、逆に「強制異性愛主義的男女二元論」に陥っているとか、妥協して暮らしている夫婦はいくらでもいるとか、いろいろ異論はあるだろうけど、あの記事から読み取れる範囲で言えば私は、鈍感で自己中な夫、父を持ってしまった家族が気の毒でならない)



●追記

疑問がチラホラ出ているようなので書きます。長いです。


○セックスレスの責任

子どもができてからセックスレスになったり、妻が夫を構わなくなったというそもそもの「原因」について、夫はすべて妻の側に問題があったように言っているが、実際のところどういう状況であったかはわからない。

妻が育児で疲れているのに構わず夫が求めて、妻が拒否するようになった可能性はある。その場合、妻は自ら夫の性愛の対象から降りたくはなかったのに、鈍感な夫のふるまいがそのように仕向けていたことになる。また、妻が自分の気持ち(今はセックスしたくない)を丁寧に夫に伝えて理解を得る、という手続きを怠った可能性もある。

従って、これに関しては「妻の責任」も「夫の責任」も問えない。つまり、妻が一方的に夫に精神的苦痛を与え話し合いにも応じなかったというような証拠がない限り、ラブドールを突然家に持ち込むという夫の振る舞いを「仕方のないこと」として擁護することは難しい。


○関係再構築の放棄

「妻はセックスしたくないのだから、夫に不満を溜め込まれているより楽になったはず」という見方もあると思うが、「セックスしたくない」という感情と、「親密さを育みさまざまな楽しみを分かち合いたい」という感情は両立する。妻にその感情が皆無だったら、ラブドールの家庭への持ち込みにほとんど抵抗してないはずである。


もし、セックスレスになったけれども別れるのを望まない場合、当面は「親密さを育みさまざまな楽しみを分かち合」うような方向に重点を置いて行った方がいいことになるし、実際そういう夫婦は多い。そうやって互いに努力していった結果、セックスレスもいつのまにか解消したというケースもある。

こういうことは、モノガミーを選択しつつセックスレスになったすべてのカップル(異性愛、同性愛を問わない)に言える。そしてたとえセックスレスが解消されなくても、良好な関係を続けている場合も結構あるのではないかと思う。


「尾崎さん」ちはそういうことにトライしたのかどうかわからないが、結果として夫は家にラブドールを持ち込み、寝室に留めているだけでなくその「性愛用の女」と一緒に外出もして「親密さを育み楽しみを分かち合」っている。「性愛用」の後に()書きで「あらゆる楽しみを共有する」と書いたのはそのためだ。妻とも同じようにしているとは思えない。

夫が離婚も別居もしないのは、食事の用意から掃除・洗濯その他の細々した家事の一切をすべて黙ってやってくれるメイド女が自分しかいないからだということは、妻は知っているだろう。それを自覚した時に彼女は、「生活用」(家事育児を任せる)だけに立場を固定されたと思っただろう、ということである。そして、何年にも渡る精神的苦痛を仕方なく諦めに変えていった状態らしいと、記事からは読み取れる。


○妻妾同居のケースを出した理由

妻の諦めの上に成り立っている理不尽な点が似ていると思ったからだ。「見返り」とは、こうした一方が忍従を強いらるような状態に対して、もう一方から差し出される何らかの対価を指す。

その中身が金であることも多かっただろうが、それで実際に埋め合わせがついていたかどうかはまた別の話である。私が問題にしたのは、対価を差し出すような態度をあの夫は取っていたのか?ということだから。


自分の特異な性生活をどうしても容認してもらいたい男と、容認に苦痛を感じる女。しかし双方別れる気はない。としたら男が、「これを認めてくれるなら、自分も、何か相手の望むこと(を相手がするのを)を受け入れる」と提案し、その約束を守るほかない。そういうことを古臭い言葉で「甲斐性」と書いたが、別に当たり前のことだ。

一緒に暮らしていればお互い気に入らないこと、迷惑をかけてしまうことは出てくるのだし、いついかなる時も対等・平等なんてあり得ないのだから、何かあればその都度互いに歩み寄りを見せることでしか関係は維持できない。これは夫婦だけでなく、やはりすべてのカップルに言えることだと思う(「一緒に暮らしていれば」を省けば、ほぼすべての人間関係に言える)。

そしてあの記事で見る限り、夫がそういうことを提案し、妻の了解を取り付けているようにはとても思えない。彼は見返り=対価を差し出すような態度を取っていなかったと見るのが自然だ。


○「妻の方が〜」の場合

BLやアイドルに嵌っている妻の言葉として聞いたことがあるのは、普段から夫に感謝の気持ちを伝えているとか、美味しい料理で夫を喜ばせるといったことだ。そういう配慮することで、上手くいってるケースはよくあるらしい。もちろん、夫の方が不満爆発寸前なケースもあるだろう。

結局、こうしたことは当事者がどう語っているか具体例を見ないと何とも言えない。夫の気持ちを無視して部屋中をアイドルグッズで埋めている妻が、こうなったのは自分を構ってくれない夫のせいだと不満を漏らしつつ、「日本の男は心が汚くて〜」などと取材で語っていれば、それはそれで批判すればいいと思う。


○結婚制度の内面化

付け加えれば、この妻の人が苦痛を諦めに変えてまで離婚せずにいるのは、どんなに内実が歪でも結婚制度内に留まっていた方がいいと考えているということであり、それは夫も同様だろう。その点では似た者夫婦のように思える。

夫が離婚しないであろう理由は先に書いた。自分にとっては、何かを我慢しなくていい快適な生活が維持できるからだ。

妻が離婚しないのは経済問題を除くと、離婚をしたら「ラブドールに負ける」と思っているからではないだろうか。つまり今の時点ではまだイーブンであると。諦めの中にそういう(傍から見たら理解し難いような)「妻の意地」があるとしたら、それこそが結婚制度の内面化というものかもしれない。

*1:その点、記事で二番目に紹介されている中島さんの、「家庭崩壊」の末に家を出たという状態はまだ健全に感じる。離婚には至ってないものの、妻が「生活用の女」の位置に押し込められてはいないからだ。

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