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2017-07-25

絵を描く老女‥‥「丸木スマ展」を観て

人は大人になってから、どんなきっかけで絵を描き始めるのだろうか。

子どもの頃からずっと描いていた人が、社会人になって多忙で休み、仕事から解放されてから再開するという話は時々聞く。見る方専門だった人が、ある時趣味の手習いで始めたというケースもあるだろう。

丸木スマは、息子で画家の丸木位里に勧められ、70歳を過ぎて絵筆を取った。1875年に広島県伴村(現・広島市阿佐南区)に生まれ、家業を手伝いながら結婚し四人の子どもを育て、原爆で夫を亡くした彼女は、絵を始めてから「死にとうなくなった」と語ったという。


丸木スマ展 おばあちゃん画家の夢(三岸節子記念美術館 7.1〜8.13)


「原爆の図丸木美術館」他から借り受けられた57点の作品は、数点の油彩を除き、水墨彩色とクレヨンを併用したもの。モチーフは、故郷の情景や自然の風景、身近にいる猫や鶏、犬、野鳥、魚、花、野菜など多彩。

一見すると素朴だが、モチーフが描かれた地となる背景を、大胆にもカラフルな色で塗り分けていたり(具象と抽象の融合?)、クレヨンの上から水彩や墨をかけて弾かせる手法にトライしていたり、あちこちに工夫が見られる。大きめの刷毛と細筆の使い分けが繊細だ。

柿の木を描いた『柿もぎ』という作品で、人の顔より柿の実の方が大きいのはなぜかと訊かれたスマは、実を描いたら人を描く隙間がなくなったのでそうなったと答えたという。つまりそれらは、最初に全体的な計画が立てられているのではなく、「これをこう描きたい」という気持ちにだけ忠実に描かれている。

その結果、絵は写実というより半分はファンタジーのような、童話の世界も思わせる。色彩の幅があり、濁色もたくさん使われているが、それがとても複雑で面白い効果を出している。


美大生などでこうしたアウトサイダーアートっぽい、ナイーブな感じの具象絵画を描く人が時々いるが、丸木スマの絵を観たらちょっと太刀打ちできないと思うのではないだろうか。

芸術的なものとは無縁に重ねられてきた70余年の人生の中で育まれた「目」と、もともと持っていた絵の才能が出会い、何かが化学反応を起こし希有な結果をもたらした。

誰でもこんなふうには描けない。でも描いてみたいと思わせる力を感じた。

今回初公開となる『ピカドン』他、ポスターや丸木俊(丸木位里の妻)の手による肖像画も展示されている。


f:id:ohnosakiko:20170715162155j:image チラシとカタログ

f:id:ohnosakiko:20170725101147j:image カタログより

f:id:ohnosakiko:20170715162516j:image 絵葉書買った(上『めし』、下『やさい』)

2017-06-06

『抽象の力』と『描かれた大正モダン・キッズ』を観て

(※Twitterでの呟きに大幅加筆・編集しています)


先週末、会期があと一週間となった『岡崎乾二郎の認識 抽象の力──現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜』展*1を観に、豊田市美術館へ。

f:id:ohnosakiko:20170606232440j:imageチラシデザインがカッコいいので追加。

f:id:ohnosakiko:20170606232454j:image表題文字の線、サム・フランシスっぽい。


f:id:ohnosakiko:20170606144824j:image:w300会場入り口。


監修者の言葉(パネルの写真を撮ったが可読性が低いので書き起こし)。

          抽象の力

 

 キュビスム以降の芸術の展開の核心にあったのは唯物論である。

 すなわち物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追求してきたものだった。アヴァンギャルド芸術の最大の武器は、抽象芸術の持つ、この具体的な力であった。

 だが第二次世界大戦後、こうした抽象芸術の核心は歪曲され忘却される。その原因の一つは(アメリカ抽象表現主義が示したような)抽象を単なる視覚的追求とみなす誤読。もう一つは(岡本太郎が唱えたような)抽象をデザイン的な意匠とみなす偏見。三つめは(具体グループが代表するような)具体という用語の誤用である。これらの謬見が戦前の抽象芸術の展開への正当な理解を阻害してきた。ゆえにまた、この世界動向と正確に連動していた戦前の日本の芸術家たちの活動も無理解に晒されてきたのである。

 本展覧会は、いまなお美術界を覆うこうした蒙昧を打ち破り、抽象芸術が本来持っていた、アヴァンギャルドとしての可能性を検証し直す。坂田一男、岸田劉生恩地孝四郎村山知義吉原治良、長谷川三郎、瑛九などの仕事は、ピカビア、デュシャンドゥースブルフ、モランディ、ゾフィー・トイベル=アルプ、ジャン・アルプ、エドワード・ワズワースなどの同時代の世界の美術の中で初めて正確に理解されるはずである。戦後美術史の不分明を晴らし、現在こそ、その力を発揮するはずの抽象芸術の可能性を明らかにする。                              

                                岡崎 乾二郎

  

「前衛の核心にあるのは唯物論である」という古くて新しい命題を提示したこのキレッキレな「宣言文」だけでワクワクするが、展示室ごとに刺激的な展開が待っていた。

フレーベルやシュタイナーの教育玩具、ボイスの毛布と蜜蝋、夏目漱石熊谷守一、1900年代の扇風機に椅子、落下傘部隊の写真、村山知義と雑誌「マヴォ」、タービン工場や自動車工場の写真、ジョン・ケージ楽譜ブランクーシの彫刻、戦前日本の抽象画家たち、ベーコンにフォンタナ、そして岸田劉生‥‥‥。

展示方法は絵の高さやキャプションの位置など、見た目のコンポジションだけでなく観客の身体に働きかけるような工夫がされており、エレガントでシャープ。モダン・アート史の語り直しの中で、身体と物質、事物との日常的且つ社会的な関わりが浮び上がってくる。美術を隣接ジャンルと繋ぐ試みはかなり前から盛んだが、広範な文脈とアクロバティックな接続が際立っていて、不思議な開放感を覚えた。

しかし、フレーベルで始まって岸田劉生で終わるとは思わなかったなー。興奮しました。*2


ちなみに、明治九年に日本に導入され一部の幼稚園で試みられていたフレーベルの恩物教育(積み木、折紙、切り紙、組み紙、豆細工、砂遊び、粘土などの造形遊び)については、拙書『アート・ヒステリー』の中で言及したが、学校の美術教育について書くのが主眼だったため数行に留まっている。*3 その美術史的な位置づけを確認できたのが、個人的には大きな収穫だった。


同時開催の『東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展』を観にきた比較的年輩の観客が、『抽象の力』の方にも流れ込んでいた。通常、東山魁夷ファンの多くはわざわざ観に行かない展示だろう。

昨年のジブリ立体建造物展と杉戸洋個展もそうだったが、豊田市美が時々やる”合わせ技”でいい「誤配」が起きてる感じ。


【artscape 2017年06月01日号(キュレーターズノート)】岡崎乾二郎の認識 抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜|能勢陽子

ポイントを的確に押さえた良い解説(会場写真あり)。戦前のアヴァンギャルドが挑戦した「美術の枠組みを超えて、芸術を改めて人の生に結びつけ」るという根源的な試みに光を当てていることへの評価。

確かに恩物教育の積み木は、「人の生」の始まりに出会う物質、事物として、「美術の枠組みを超えて」存在している。



『抽象の力』、一回観ただけではとても消化しきれない感じを残して、刈谷市美術館で最終日の『描かれた大正のモダン・キッズ 婦人之友社『子供之友』原画展』に滑り込む。


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さっき豊田市美で観た村山知義に再会。たーのーしー♪ ひたすら楽しかったです。

デッサンと描写の巧みさが前面に出ている北澤楽天や岡本帰一の童画は、当時の子どもの風俗を知ることができるので面白いが、絵としては断然、村山知義や武井武雄の方に惹かれる(下はいずれも図録より。1枚目が村山知義、下2枚は武井武雄)。

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特に武井武雄、子どもの頃はキンダーブックなどで見ていて、その少し癖のある画風が脳裏に刻み込まれている。大胆で明快な構成と、太/細を使い分ける独特な線、ユーモア。周辺の童画家に影響を与えていたのが見てとれた。そして竹久夢二の優れたデザイン感覚も再認識。

展示は『子供之友』の原画が中心だが、明治から昭和・戦中までの幼年、少年、少女雑誌の流れなど、周辺情報の展示も充実していて見応えがあった。


しかし当時の坊ちゃん嬢ちゃんは、幼稚園で立方体、円柱、球体で遊ぶ恩物教育を受け、家では幾何形態を遊戯的に組み込んだ新感覚の童画を見て、なんと贅沢に先端文化を吸収していたことか‥‥‥。



連関するところのある二つの展覧会を一日で観たせいか、頭の中で円や四角や三角が踊り狂う中、ネットに公開されているPDFを読む(画像多数。250部しか刷られてなかったらしい図録は会期半ばで完売。論考掲載の小冊子が近日出るとのこと)。

『抽象の力』 岡崎乾二郎


すごくおもしろい。会場で情報に押し流されそうになりながら半ば感覚的に捉えていたところに、クリアで詳細な地図を与えられた感じがした。

主知主義、視覚至上主義で全体性を目指す、ある意味「男性的」なモダン・アート観への批判マルクスフロイトの召還。特に岸田劉生の(写実からはみだす)「無形なもの」と、フロイトの「不気味なもの」との接続。幼児教育、クラフトやダンス、全体性の拒否、ゾフィー・アルプ始め女性作家の影響力など、ジェンダー論的なラインも引けそうに思った。

近代以降の芸術についての再考を促す点もそうだが、それ以前の、生活や労働や遊びやそれらを通した人間と物の関係へのさまざまな思索を誘う。芸術の基底部がそれらに向けて大きく開かれていて、芸術はその中に溶解していくイメージが湧いた。逆に、生活や労働や遊びや‥‥について考えさせない現代芸術(そういうものも多いと思うけど)とは一体何だろう、とも。


きわめて個人的な遠い記憶が蘇ってきた。

幼少期の積み木遊びの体験。妹が生まれたので、物心ついてずっと後まで積み木で遊んだ。その時の、木の手触りや色や重さ。車のついた四角い箱に積み木を隙間なくきれいに嵌め込むのに、何度かやり直したこと。

3歳から始めたピアノ。音楽は抽象芸術、楽譜も抽象的だ。慣れない定規を使って五線を引き、ト音記号やオタマジャクシを書き込む練習をした。幼稚園児の私にとってそれは、「書く」より「描く」に近かった。

洋裁をやっていた母が、部屋に広げていた洋服の型紙。生地に型紙を合わせてチャコペンで印をつけていた。その横で折り紙や切り紙で遊んだこと。これから使う型紙をジョキジョキ切ってしまって叱られたこと。*4


私の「抽象」との出会いも、「身体行為をともなった事物と事物の交感のプロセス」(テキストより)そのものだった。それは「美術」のずっと以前にあって、たぶん自分の中の意識されない重要な部分をかたち作っている。



おまけ。

ところで「抽象」と言えば、きものです。きものの文様には高度に抽象化されたものが多い。大抵は現実(植物、動物、自然現象など)から抽出したと見てとれるが、純粋な抽象模様にしか見えないものもある。

着物の文様・模様・柄:着物について:着物俱楽部


そして、きものほど抽象的なかたちをした衣服もないと思う。着れば体の具体的な凹凸や細部を隠して直線と一部曲線(抜き衿)で構成されたシルエットを作り、畳めば長方形、解いてもほぼ全部長方形だ。

更に、日本の建築にも畳や障子や庭石など抽象形態が一杯。

大正期に抽象美術が西欧と同時進行した背景には、日本の伝統的なデザイン感覚も関わっていたんじゃないかと思った。



(刈谷市美のショップで買った「夢二」のミニ風呂敷になんとなく手持ちのアクリル帯留めを置いてみたよ)

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*1:岡崎の崎の字は「大」が「立」。文字化けするので崎と表記。以下同じ。

*2:追記:一番言葉にし難い何かがあった最後の部屋の、ブルリュークの『家族の肖像』の中で、一人だけまっすぐこちらを見つめている赤ん坊(唯一まだ社会化されていない者)の姿が、第一室のフレーベルの教育遊具に繋がっていって、全体が大きく連環をなしているようにも思えた。

*3:フレーベルのこの造形教育は当時幼稚園に限られており、小学校では展開されていない。尋常小学校の図画は長らく臨画教育(お手本を見て描く)で、構想画や写生画が教科書に登場した後も「手工(工作)」導入については賛否両論だった。30年代に皇国主義が強まってから、バウハウスのデザイン教育を参照するかたちで工作が取り入れられている。

*4:そう言えば岡崎乾二郎の初期立体作品『あかさかみつけ』は、洋服の型紙の形が元になっていた。

2017-04-01

人はなぜ女の子の絵を描くのか・・・『絵を描く人々』更新

絵を描く人々 第12回 日本・お絵描き・女の子 - WEBスナイパー(18禁サイト)


マンガ・アニメやイラストから現代絵画に至るまで、今ほど女の子の絵が盛んに描かれ、見られている時代はないのではないか‥‥‥この十年近くずっと抱いているそんな印象から書き起こしています。


一口に「女の子」や「少女」と言っても、描く人、選ぶジャンルやスタイルによって、その動機や思い入れは違うことと思います。

しかし百年くらいの大きな流れの中で見た場合、「少女」のイメージや「女の子」的な要素は、日本のビジュアル表現シーンに繰り返し現れています。

性別を問わず多くの人が「女の子」あるいは「少女」の表象を愛し、そこに夢を見ているのはなぜなのか––––


今回のイラストは、私の7歳(1966年頃)の時のものを模写してみました。

本絵はこんなの↓です。自分では覚えていませんが、高橋真琴のイラストにディズニー絵本の動物を組み合わせて、見ながら描いたと思われます。

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2017-03-16

前衛、野グソ、「先験的廃業」

またセルフTogetterです。7日から一週間ほど、集中的にアート関連のtweetをしたので、抜粋の上まとめておきます。(※参照)はここで追記。


3月7日

本来は(いい意味での)アート未満のものやことが、アートとして位置付けられたとたんにつまらなく見えてくる現象に何か名前をつけたい。


絵画は自明なものではないと判った時には、既に何かがインストールされてしまっている。だから、絵画へのとっかかりをどう作るかで呻吟している人々がいる。しかし今や「絵画」だけでなく、「アート」(近・現代美術)も自明ではなくなったと言えるのではないだろうか。

とすれば、既にインストールされているものにどう対処するかが、問題となるのではないだろうか。それが、「前衛の再設定」となるのが私にはやはりよくわからない。「再設定」において、アートの自明性を問うということなら理解できる。でもそういう話はほとんどなかったように思う。

(※参照:美術をインストールされた受動体としての作家/梅津庸一「未遂の花粉」とシンポジウム「前衛、近代、コミュニティの再設定」感想 - Ohnoblog2

そこで、ここではアートの自明性は問われてなかったのではないか?(アートの進化的未来が信じられている)ということを書くと、反発が来る。何言ってんだそんなのはとっくに織り込み済みの話で‥‥とはならないのね。

(※参照:未遂の花粉関連シンポジウム「前衛、近代、コミュニティの再設定」中村史子、土屋誠一、筒井宏樹、松浦寿夫、黒瀬陽平、梅津庸一 - Togetterまとめ


「アート未満」(いい意味で)は重要な概念。私の行ってる地方の私大では学生見ててもアート未満が多い。それとメンタル病んでる人が増えた。休学に退学。そんな中でアートが最後の受け皿になっている感じはある。もうこの皿取ったらどうしようもないという。そういう「よすが」として機能している。


あと、近代より前に日本にあったものは皆「アート未満」なのだから、そこにゆっくり回帰するというのは一つのあり方かもしれないと思う。工芸もデザインも絵画も未分化の渾沌状態。そういう状態への積極的な「再設定」、その中で一番過激なことは何かを考えてみる。ってこれももう誰かが言ってそう。


「学生たちがアートという言葉で前提にしているものが食い違う。アートが呪いの言葉のようです」と先生が仰ったのを受けて、先日某大学院大学でレクチャーをしたのだが、「アート」とか「アーティスト」という言葉(「作品」も)を一旦忘れていいんじゃないかという話をした。

で、どういう言い方をするかというと、「ものを作る人」「物語を作る人」「場を作る人」「関係を作る人」。もちろん兼ねる場合もある。こうするとアートだけでなく幅広いジャンル、職業の人がそこに入ってくる。絵画を描いていて「場を作る人」を自称する場合もあるかもしれない。これって良くない?

学生のプレゼンと講評にも立ち会った。映像、音、パフォーマンスなど。美大出身でない学生が半分以上かな。その中で「作品」という言葉を無理して使ってるのが気になった。それは「作品」てより「研究発表」でいいんじゃないかと言った。多少なりとも”憑き物”が落とせたみたいです。


3月8日

あれから美術の「前衛」について考えている。連続tweetになります。

前衛は、「敵」と「友」を明確にする。少なくとも「敵」を設定しない前衛はない。これまでだと「敵」は制度と市場だった。それを支えている近代の機構、民主主義社会(政治)や資本主義経済(生活)も射程に入ってくる。

制度の外のオルタナティブな試みは現在、制度自体の弱体化でどうなるのかという話はあった。もちろん受け皿としての機能はあると思うが、美大を経由しないアーティストも既にいる。そして学校制度を回避しても、美術館展示で制度へと回収される道筋はまだ残っている。

前衛美術家による展示が「ゴミ裁判」へと展開した歴史的事実は、美術館によってスルーされた。ここで美術館は「前衛」をなかったことにした。http://artscape.jp/report/review/10095359_1735.html この批判は重要。

市場に対しては商業ギャラリーを介さないことを初め、売れる(簡単に所有できる)かたちの作品にしないなどいろいろな抵抗の仕方はある。しかし実際問題、じゃあどうやって食ってくのよ、絵の具代も交通費もいるし‥‥となって、自治体支援も望めないとなるとパトロンが必要になる。

理解ある金持ち。でなければ、クラウドファンディング。後者は理解ある大衆の存在を頼みとするので、前衛にとってはなかなか難しい。前者になると思う。

とすると、もっと階層差が開き、酔狂な金持ちがアートに金使うしかないようにもってくしかない。底辺の芸術家を金持ちが支援するという図。でもただの成金じゃ知性も教養もないから無理。

つまり階級社会の復活しかない。前近代。って勢いで書いた。良いか悪いかの価値判断は置いといて。そんでものすごい教養をもった富裕層が徐々に形成されるのを待つ。しかし階級社会をぶっ壊すぞという前衛が出てくる。絶対でてくるな。堂々巡り。

とても雑なことを書いているのかもしれない。でも私は真面目です。

前衛が機能しなくなったのは「敵」が捉えづらくなったからだ。「敵」と「友」、「敵」と自分の区別が難しくなった。だからつきつめると(アート内の)自己破壊になる。今の前衛は何を壊したいのだろうか。誰か教えて。


やっと読了しました。梅津庸一×蔵屋美香×黒瀬陽平×齋藤恵汰「今、日本現代美術に何が起こっているのか」[実況] - Togetterまとめ

「新しい公共圏」というのは、自前の学校とか画廊とかを含めたアートのオルタナティブな活動、つまり「アートのインフラをめぐる新しい公共圏」ということのよう。そこだけで回していくのはもちろん不可能で、一方に公共圏(学校制度と美術館制度)があった上でアンチとして成立する空間。

アーティストとして搾取されずに生きていくための自助努力ということでいいのかな。村上隆も個人的な規模でやっているやつですね。それが徹底されていったらこうなるのでは?ということは、『アート・ヒステリー』の中の村上隆論に書いたわそう言えば。

つまり藝大を初めとする学校はすべて解体され、視覚文化を中心としたあらゆるジャンルのカルチャースクールになり、近美を初めとする美術館も解体されて海外も含めた民間に売られ、芸術関係に割かれていた予算は復興や福祉に回されて、既得権益を貪っていた層は駆逐されるという未来予想図です。

資本主義社会のアートの存在様式をつきつめていったら、それが「正しい」姿になるのではないかと書いた。

3.11以後、「美術館に入りたがる(作品がコレクションされることを望む)」アーティストが増えたという話が興味深かった。自分のスタジオやコレクターの家やギャラリーなどよりは、災害で作品が失われる可能性が低いし何十年も残る。それは美術史に登録されたいという欲望でもあるのだろう。

「新しい公共圏」でも美術館を作るのは大変だから、やはり既成の美術館が変わってくれることを望むということらしい。そしていつかそこに登録されることも。

確かに新たな価値を創造し、それを後世に残していくべきだというのはある。それは何だろう。作品なのか方法論なのか何らかの技術なのか言説なのか。そのすべてなのか。アーカイヴはあった方がいいとは思うけど。

「美術館制度も学校制度も、最初から存在しないかのように振る舞う」ということは、ないのだろうか。もしあるとすれば、近代以降のアーティストの像は根本的に書き換えられるだろう。アーティストという名もなくなるような地点。その位相について考える。

「新しい公共圏」については何となく掴めたが、そこで目指される新しい価値って何なんだろう。それはアートと関係ない人々も幸せにするもの?‥‥とか、また素朴なことを書くけども。


美術館、予算も厳しいだろうが、いずれ収蔵スペースがないということにならないか。増え続ける作品と限られた空間問題。でも「空間を支配する者が一番強い」というのは20世紀で終わりになったはず。今は時間を支配する者、時間泥棒が一番強い。たとえばどんだけネットで時間喰われてんだという‥‥。

領土の拡大=空間支配だから、もうそれは古いのよ。とすると、増やすのではなく減らす方向、あるいはリサイクルする方向しかない。モノに関しては。

そして新しいモノもできるだけコンパクトな形にする。物量にびっくりするってのは20世紀的な感性。そこで残るのは物質性になるのかな。

昔インスタレーション作品作っていた時、なんかまどろっこしくて、もっとコンパクトな本みたいな形態にならないかと思ってた。ただどうしても気になるのは物質性だった。それは結構フェチな感覚と直結していた。物を所有したい感覚とも似ている。それを切断しようと映像に行ってそこでやめたのだった。


3月9日

「インサイド」に回収されない前衛を夢見ることが、アートに取り憑いた業のようにも思える。それは何かを先送りしている。

独立したオルタナティブを作り上げるだけでなく、制度の中にもウィルスのように浸食するように入り込んでいくという戦略なのだろうか。

乗っ取り作戦。ミイラ取りがミイラになることもある。

乗っ取りなんて無理ですよね。乗り物じゃないんだから。制度が弱体化していると言われるが、意外としぶといのかも。


3月11日

長さがあって古くなっていて詰まり気味だったトイレの配管を昨日取り替え工事したので、紙を心置きなく流せるようになってストレスが解消された。生活のインフラは問題が生じてからその必要性を実感する。

アートのオルタナティブとか新しい公共性とか言われているのも、そういうことなんだろうか。

既成の配管はもうボロボロで詰まりに詰まってどうしようもないが、地中深く埋まっていて取り替えるのも大変なので、横から新しい管を取り付けて、そっちで流そうという。そのほうがストレスなくてスムーズだと。

だとしたらその配管もいずれは古くなって取り替え時がやってくる。そして配管だらけになる。そのうちトイレ本体が壊れる。

トイレなんかあるからこういうことになるんだよ、野グソでいいじゃんという人もいるだろう。アートは野グソみたいなものだった。迷惑だと文句言われたら、土を掘ってそこらに埋める。そのうちいい堆肥になって、おいしい野菜がとれたりする。

アート有機農法。

おいしくて安全な野菜を作っている人は、それがアートだとは言わない。

◯◯関係者による◯◯界に向けた◯◯界の幸福と未来に関する言説。それが配管。

トイレの配管は、台所排水やお風呂排水の管と合流してやがて浄化される。野グソは浄化されない。

とは言え、部屋には浄化されたものも野グソも飾ってあるな。

野グソ野グソとすみませんでした。


3月13日

「先験的廃業」という言葉が、アーティストのKさんにヒットしていた。

(※参照:海上宏美×千坂恭二×岸井大輔「21世紀にアーティストと名乗る人は根本的に何かが腐っているのではないか」- Togetterまとめ

「なぜアートが終わってるという話にならないのか」と海上さんは言っていたが、個人的にはそういう話を聞いたりする。個人レベルで呟いているが、あまり堂々と言わないだけみたいな感じがある。


3月14日

社会的に意義のある活動、貧困で教育的機会に恵まれない国の子どもに継続的に学資支援するとか、マイナーだが重要な文化活動を金銭的に支援するとか、災害地に寄付するとか、えん罪を訴える活動への署名とか募金とか、これまで微力ながらいくつか関わったけど、そこに芸術の名を冠するものはなかった。

最近、芸術の名のもとにそうした活動も行われるようになった。それはこれまでの社会的な活動が低下しているということなのだろうか。それとも芸術が「新たな活動領域」を見出したということなのだろうか。

その活動の結果は社会のためになると同時に、「芸術のためにもなる」ということなのだろうか。

すべてが「延命」の時代。すべてが「先験的廃業」に直面してる。

2017-03-05

美術をインストールされた受動体としての作家/梅津庸一「未遂の花粉」とシンポジウム「前衛、近代、コミュニティの再設定」感想

昨日、愛知県立美術館で開催中の梅津庸一展と、関連して行われたシンポジウムに行ってきた。その時感じたことなどをつらつらと。長いし結論はない。


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梅津庸一については、黒田清輝の大作『智・感・情』を自らのヌードに置き換えて点描画法で描いた作品で話題になり、「パープルーム」という画塾兼共同体の主宰者でもある画家‥‥といった程度の知識しかない。

現在愛知県のあちこちで「パープルーム」も含めた展覧会が開催されている模様だが、私が見たのは、新栄の「波止場」という小さなスペースで、佐藤克久とのコラボレーション作品『ネオ受験絵画とフラジャイルモダンペインティングに見る日本の現代美術家の苦悩』のみ。

これまでの「表現行為を選択する能動的主体としての作家」ではなく、「美術をインストールされた受動体としての作家」像のようなものはなんとなく見えた。「能動」ではなく、積極的な「受動」。


愛知県美の展示では、先の黒田清輝、ラファエル・コラン、フェルディナンド・ホドラー、ポール・ゴーギャンの絵画に基づいた自画像と共に、県美が所蔵する近代絵画9点(高橋由一、山本芳翠、坂本繁二郎、青木繁、瑛九、上原欽二、織田広喜、鶴岡政男、麻生三郎)が展示され、外部執筆者5名がテキストを添えている。

パンフレットの、企画者・中村史子によるテキストのタイトルは、「彼方からの花粉  - 梅津庸一は歴史を生き直す - 」。「花粉」はこの作家のキーワードで、芸術家同士が時代や空間を越えて影響を与え合う現象を指す。自らが取り込まれてきた日本の近代美術や美術教育の起源に遡り、「生き直し」をしている画家であると。

歴史は実際には「生き直し」ができるものではないので、絵画という枠組みで仮構的に行うにせよ、それは常に/既に「手遅れ」な所作になる。もはや「手遅れ」を生きるしかない。先が見えない。そういう青年っぽい悲壮感と、それを裏切る可笑しな感じが作品に同居。

直接関係ない話だが、先日IAMAS(大垣にある情報科学芸術大学院大学)で『「アート」はどこから来たのか? その来歴と「呪い」と美術教育』というタイトルで特講をしてきたこともあり、「近代、日本、美術、美術教育」を巡る展示として個人的には興味深かった。



開始時間ぎりぎりに行ったシンポジウムは、ざっと見たところ百数十人の大入り満員。若い人が多い。椅子が追加されやっと座るも、室内がすごく暑い。調整もできないみたい。上着脱いでTシャツだけになりたいが着物なので不可能。最悪のコンディションで4時間耐えられるか早くも不安になる。

時間を押して始まった前半は、作家の挨拶に続き、各登壇者の発表。以下はざっとメモしたもの(落としている部分は多々ある。たぶんそのうち、みそにこみおでんさんの実況Tweetまとめが上がると思う/追記:上がった。https://togetter.com/li/1087363)。

( )内の肩書きは当日配られたチラシより。→の先は自分の感想。


▶筒井宏樹(ライター。編集、展覧会企画。鳥取大学准教授)、ファシリテーターとしての発言。

シンポのテーマは梅津の活動から見出されたもの。1、現在、なぜ前衛の手法を使うのか? 2、「美術」という概念が作られた日本の近代に立ち戻るという戦略は、どのくらい有効なのか? 3、アーティスト・コレクティブ(コラボレーションを行うアーティスト・グループ)に可能性はあるか? あるとすればそれはどのようなものか?

美術の前衛は、制度と市場に抵抗するものだった。制度の最たる美術館でやっていて、こういうシンポも美術館で行われるってなんかスゴイわ。というか最近日本の前衛美術の展覧会が海外も含めあちこちで開かれること自体、前衛が歴史化されたということで。ああだから「前衛の再設定」って言っているのか。でもそれを制度の最たる(以下ループ)

▶中村史子(愛知県美術館学芸員)

梅津は近代日本美術を批評的に生き直すことを、画業として実践している(パンフの内容とほぼ同じ)。

近代の作品をコレクションする美術館として梅津庸一は企画しがいのある作家だろうとは思う。

▶土屋誠一(美術批評家。沖縄県立芸術大学准教授)

床の間芸術(場所に帰属)と会場芸術(大衆に依拠)ではない第三の道としての「卓上(デスクトップ)芸術」。マルチプル、小サイズ、水平的、物語とセット。これはそのまま現在の視覚文化状況。つまり通俗的モダニズム理解の還元主義がいかに特殊だったかということ。

シンポのテーマとどう関係してくるかわからなかったが、話としては面白かった。アートが終わり、その”横”にあったものやその”前”にあったものが呼び出されてきている話として聞いた。

▶筒井宏樹

60年代末〜70年代初頭の名古屋の前衛パフォーマンスアート集団「ゼロ次元」について。長らく美術史で無視されてきたが、90年代以降発掘が進んだ。中心になっていた加藤好弘は東京でも活動し、多弁で論理的で欧米のアーティストに近かった。一方の岩田信市は論理嫌いで不器用で泥臭い(デロリの美)。その後、岩田は前衛芸術から後衛庶民(芸能)に移った。

今日「前衛」として登壇している人に無理矢理当て嵌めると、黒瀬陽平は加藤好弘で、梅津庸一は岩田信市に近い感じになるのかな(この印象は、シンポを通じて徐々に強化された)。あと、名前の出てきた人とつい先日久々に話したり、スーパー一座でスタッフしてた人と偶然出会ったばかりだったので、妙な気分になった。

▶松浦寿夫(画家。西洋近代美術史)

点描絵画をめぐり、知覚と労働についてデリケートに語っておられたが、私には把握しにくく要点をメモできず。画家の人にはよくわかる話だったのだろう。

▶黒瀬陽平(美術家。美術評論家。カオス*ラウンジ代表。ゲンロン*カオスラウンジ新芸術校主任講師)

「近代を生き直す」ことの動機は何か、主体のあり方が変更される契機をどこに見出しているのか(梅津への批判)。主体のあり方が変わったのは近代に限らない。例えば仏教伝来時(「怨霊化した神々」例示解説)。異質な西欧を日本がどう受容したかという話だと「日本=悪い場所」的宿命論になってしまい、日本は何でも受け入れ共存させる「寛容性の神話」だと議論が雑になる。

主体が変わる契機が重要なら、これまでの美術家主体(前衛も含め)は無効にならないか。美術家として「これまでと主体形成が変わりましたよ」と作品見せるのって何か変だし。



10分休憩の後、後半のディスカッション。

他の登壇者の発言も異論や補助線としてあったが、黒瀬氏と梅津氏のやりとり(互いを批判しつつ自分のあり方を述べる。非常に平たく言うと「どちらが真の前衛足りうるか」みたいなところ?)が中心になっていた感触。


一番印象的な部分を短くまとめると、

黒瀬:梅津及びパープルームのやり方は、受けの姿勢で事後的に読解してもらうものであり、日本の美術史では当たり前で教科書的。僕は特異点でありたい。

梅津:パープルームは病理が深く、自分でも何だか分からないほどの近代の生き直しに重心が置かれている。特異点としてわかりやすく違うことをしたいのではない。


「特異点でありたい」という言葉にびっくりして、しばらくそれ以外の情報が入ってこなくなった。そういう言い方を美術家/美術評論家がすることに驚かされたというか。その「特異点」の内実はわからない。

しかし二人の語っている内容より言葉遣いや喋り方の相違が印象に残った。そっちに注目した方が何か本質的なものが顕れる気がする。*1


それはさておき私から見ると、後者が「美術をインストールされた受動体としての作家」であるならば、前者が体現しているのは「表現行為を選択する能動的主体としての作家」である。前衛美術作家そのものであり、前衛は言うまでもなく、進化・進歩を信念とする男性的、論理的、能動的な主体。つまり「アートの父殺しの歴史」(大野) において正当性を主張する息子たちの位相だ。それが父となり、また次の息子たちに乗り越えられていくというヒストリーがある。

後者は、そういう作家主体が立ち上がりようがなくなった21世紀において、仕方なく受動的なあり方でしか画家として生き延びられない(なぜなら「花粉」を受容してしまったから)と自閉的に悟った主体に見える。「受動体としての作家」は矛盾を孕んだ言い方だが、近代的、男性的主体の最期の痙攣のような感じにも見える。

どちらが主体の変容に直面しているかと言えば、後者だと思う。梅津庸一の自画像が、元の絵画ではすべて女性がモデルであることも、これに関係しているかもしれない。言うまでもなく女性は歴史的に受動側に置かれてきた性だ。私は梅津庸一論の類いをまったく読んでないし、今日のアーティスト・トークも行っていないので、見当違いかもしれないが。*2


とは言え、全面的に受動的なわけでもなく、展示は非常に周到だし、戦略的な立ち振る舞いをしているという印象は受ける。

こういうのを「受動的に能動(のうど)る」という。この言葉遣いは私のオリジナルではない。1984年に画廊パレルゴンIIから発行された小冊子『現代美術の最前線』(責任編集/藤井雅実、ちなみにここには松浦寿夫も入っている)に掲載されている座談会の一つ「I. 受動的能動––––現代の戦略」で、関口敦仁の発言として最初に「受動る」という言葉が出てくる。一部抜き書き。

関口:西洋的な構成って、まあ能動的な訳で。逆に受動(じゅどう)っちゃう事でさ(大爆笑)出て来る可能性があると思う。能動(のうど)る美術の形が今まで続いてた訳で、そうでなく引用や組み直しの受動っちゃうところをはっきりさせていくべきじゃないかな。

 (大幅略)

奥野:受動っちゃうって言っても、優れて能動的な訳ね。

関口:受動っちゃうことが能動ることだから。


ここから発して、「受動的に能動る」という言い方が出てきたのだった。誰かが口にしたか、展覧会のパンフで見たのかもしれない。あるいは座談会タイトルから自分でそう覚えたのかもしれない。30年以上昔のことなので忘れたが、過去のあらゆる前衛が"再発見"されている今、上記の『現代美術の最前線』を構成した80年代前半の動向(言わば最後の前衛たち)の本格的な掘り起こしは、ほんの一部を除いてはまだ行われていない(「Sさん、一昨年の秋に出した原稿どうなりました〜?」とここでこっそり呼びかけとこ)。


それから、筒井氏の話で出た90年代初めの「前衛」。中村政人や村上隆が60年代の前衛のシミュレーションをした一連の行為だが、あれらは近代美術の亡霊を召還し憑き物を落とす儀式だったと思う。つまり近代美術も前衛も(というか両者はほぼイコールだが)そこで完全に歴史化されたのだ。

ということは、もうアートにおいて前衛的位相はあり得ないということではないか。ネタでやるのはともかく大真面目には。それで「再設定」なのだろうけど、話を聞いているとかつての前衛と同じく、アーティストとして制度と市場に、そして画一化、平準化されていくグローバルアートヒストリーに抵抗するという。その言葉は、昔の前衛と変わらない。つまり「特異点」の連続としてのアートの進歩と進化を信念としている。

「再設定」なら、そこを突き抜けて、アートも突き抜けて、別の場所に出てしまう(実際、かつての前衛には「出た」人もいた)ということでもいいと思うのだが、話は最後までアートの中から出なかった。ここに生まれる欲望は、何なのだろうか。アート内の自己実現? 「真の◯◯」を巡る権力闘争? それとも別の何か?


‥‥‥などの疑問が湧いてきたが、質問はしなかった。質疑応答の時間が非常に限られていたので、ここは若い人が質問する場でしょうねという教育的配慮(笑)が働いた。

予想はしていたが、アートに対するスタンスは異なってもその進化的未来を信じる人々‥‥違う人もいたかもだけど‥‥の中で、アウェイ感が半端なかった。暑くて頭が朦朧としてきたのもあって、終わった途端に早くこの場を去らねばという感じになったのだった。

おしまい。

*1:追記:あと、梅津氏の話の中で、介護施設で働いて感じたことが語られていて、こういう話とアートの話が(介護現場で有効な美術とかアート療法とかではなく)結ばれる「線」には興味がある。

*2:日本の近代以降の男性美術作家における「女性性」「女性的主体」って面白いテーマじゃないかな。誰か書いてないだろうか。