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2014-08-19

四人の親が二人になったところで、改めて介護問題を考えたけど。

俺「あの、そちらの老人ホームに空きありませんか?」:キニ速


有料老人ホームより割安なために何年も入居順番待ちの特別養護老人ホーム、3Kで離職率が高く慢性的に人手不足の介護業界、そして親の在宅介護は独り身にとって地獄‥‥という話。


長女の私は一人っ子と結婚した(妹は遠くに住んでいる)。将来4人の親の介護に関わらねばならないということを、結婚当初はあまり深く考えていなかった。そのくらい能天気だった。親がピンピンしていると、なかなかリアルに考えられないものだ。少し想像しても、「うー、考えたくない、なるようになれ」とすぐに頭から追い出していた。

55歳の現在、父と義母は既に亡くなっている。私自身はまだ本格的に介護に関わっていない状態だが、ここで自分の親たちの状況をまとめて書いてみようと思う。


▶父(享年89歳)

四人の親たちの中で、真っ先に介護が必要になった。

若干認知症の気が出てきて数年してから自宅で度々発作を起こすようになり、父の面倒で消耗した母には対応が無理になったので介護施設を探した。どこも満杯の特養は最初から諦め、有料老人ホームを当たった。入居金数千万から数十万までピンキリ(入居金が安ければ月々の支払いは相対的に高くなる)だったが、入居金50万、月額30万の施設を選んだ。もちろん介護用品のレンタルなどで、一ヶ月平均では30万を越えていた。

父は元公務員(高校教員)で退職後も私立高校で長らく働いていたお陰でかなりの額の年金を貰っていたし、貯金も少しはあったので、そういう選択ができたのだ。それでなかったらとても無理だった。ヘルパーさんを朝夕頼み、私は仕事の合間を縫って車で片道一時間半の実家に通うしかなかっただろう。それでも母が倒れて入院という事態になった可能性は高い。父の施設入居は半分以上は家族のためだった。

今年の2月に父が亡くなるまでの一年半、母と私は施設に頻繁に見舞った。介護士や看護師の対応は丁寧で、明朗会計、食事もちゃんとしており、良い施設だったと思う。近い将来の義両親の介護に備えて、昨年私はホームヘルパー2級の免許を取った。


▶義母(享年82歳)

今年4月から夫が単身赴任で頻繁には戻って来れないので、残った親たちの介護は基本的に私一人でやるしかないと覚悟していた矢先、6月にすこぶる元気だった82歳の義母が突然死した。親類たちは「急なことでお父さんが可哀想だけど、お母さんは病気で苦しまなくてよかったね」と慰めの言葉をくれた。

義母は生前「サキコさんに迷惑かけたくないから、なるべくコロリといきたいわ」と口癖のように言っていたが、一方で私がヘルパーの資格を取ったと聞くと、「ありがとう、ありがとう」と凄く喜んでいた。やはり内心心配だったのだろう。

義母の死後、かつて姑の介護で散々大変な思いをした母は、「こんなこと言っちゃアレだけど、あなたはそういう苦労しなくて済んで幸運だったかもしれないね。うちのおばあちゃんは大変だったよ。こっちがいくらやってあげてもボケてるもんだから何もわからず、暴言は吐くわウ◯コはそこら中に擦り付けるわ‥‥、ほんとにあんな思いは自分の子どもにはさせたくないと思ってた」と言った。


▷母(77歳)

今のところは元気だ。頭も明瞭。父が亡くなってから一時期少し気弱になって、「もう家を売って私もどこかに入りたい」と言って近くの有料老人ホームを見学して回っていたが、要支援にもなっていないのに入れないし「やっぱりうちがいい。もうちょっと一人で頑張る」と言っている。

今は週に2、3回電話し、月に2、3回は様子を見に行っている状態。母の弟が近くに住んでいて、週に一度は車で買い物に連れて行ってくれたりしているので、かなり心強い。今、遺族年金で暮らしている母は「少しでもボケてきたりうちのことができなくなったら、お父さんと同じような施設に入る。あなたの世話にはならない」と言っており、その資金はあるようなのでたぶんその通りになるだろう。

母は最近「お父さんにはやっぱり感謝してるわ。私が今苦労しなくて済むのも、お父さんが一生懸命働いてくれたからよね」とよく口にする。一生懸命働いても老後に経済問題で苦労している人は多いだろうから、うちの両親はいろいろな意味で恵まれていたのだと思う。


▷義父(87歳)

最近独居老人となった義父(元警察官)は、記憶力は年相応に若干衰えているもののまだボケてはおらず、掃除、洗濯、炊事を毎日こなし、買い物にも一人で行っている。書く字はしっかりしているし、暗算も(老人にしては)早い。

先日、義母の香典返しを配るため、義父と共に近所の家を11軒回った。そのうち、独居老人が5人もいた。隣の90歳のおばあさんは「今、畑から帰ってきたとこ」と言って出てきたが、とてもそんな歳には見えない。他の老人は80歳前後が多いが年齢のわりに若々しく、義父と「まあお互い元気で頑張りましょう」と声をかけあっていた。

私は今、週1回の割合で、車で小一時間ほどの義父宅に通っている。まだ片付いていない義母の遺品の整理をしたり、一緒に買い物に行ったり、おかずを1、2品作ったりして帰ってくる。今は暑いのでしていないが、涼しくなったら一緒に犬の散歩に行って、なるべく外を歩かせようと思っている。

4人親がいてそのうち3人はほとんど直接介護していないという状況なので、将来義父の世話くらいは、という気持ちでいるけれども、一人でどこまでできるのかは心もとない。立ち行かなくなったら貯金を全部突っ込んで、どこかの有料老人ホームのお世話になるかもしれない。運良く適当なところが見つかれば、だが。



ヘルパーの研修中に近い将来働きたい意志を伝えていたので、資格を取った後、研修先の介護施設から是非来てくれとお誘いがあったが、そうこうしているうちに身内に独居老人が二人誕生し、そっちで働く余裕はなくなりそうだ。

「なんかこの半年、しょっちゅう両方の親の家に行ったり来たりしてる。家がまったく反対方向だから移動時間がちょっとね‥‥」と知人に漏らしたら、「お義父さんとお母さんを一緒に引き取って暮らしたら? そしたらいつでも目が届くし、あなたんち、ダンナさん今いなくて広いでしょう」と言われた。

いやいや冗談じゃないですよ、それは絶対無理。少なくともうちの場合は。どっちの親も自分の生活スタイルが崩れるのを嫌がるだろうし、元気でご近所付き合いもある老人を、長年住み慣れたところから新しい環境に移すのは好ましくないはず。老人同士で話が合うのでは?と簡単に見ない方がいい。老人も千差万別で、しかも若い頃より融通がきかなくなっているのでいろいろ難しい。

そんな他人同士のおじいさんとおばあさんが一つ屋根の下にいてごらんなさい、こちらも一日中気を使ってストレスで疲労困憊しそうだ。もし義理の親と自分の親を同居させてうまくやっている人がいたら、それは本当にたまたまいろんな条件が重なってうまくいっているのだと思う。

まあ移動時間くらいで文句を言っていてはいけないのだろう。同じ県内の比較的近い地域に住んでいて、すぐに飛んでいけるのだからラッキーと思うべきかもしれない。中途半端に遠方だともっと大変だ。


結局、介護に関しても「すべてを解決するのはお金」という、身もふたもない話になる。お金のある人は手厚い介護を受けられ家族も苦労せずに済み、お金のない家族は自宅介護で精神的にも肉体的にも限界に挑戦しなければならない‥‥と。

以前、ある有料老人ホームの見学会に行ってきた母が話していた。「駐車場に停まっている車が違うのよ、ベンツとか高級車ばっかり。近くの高級住宅街からすごく一杯見に来てたわ、お金持ちそうな夫婦連れが。中もホテルみたいに豪華でね、食事室なんか高級レストラン並みだったわよ」。

しかしそういうところも、いくら箱が立派でも人がいなければいつまで経営が保つのかはわからない。ベッドは空いているのにスタッフ不足で入居人員を増やせないところもあるようだから。


で、何とか親のことは片付いたとして、自分と夫はどうなるのかはまったくの未知数だ。私たちには子供がいないし、高い有料老人ホームを余裕で利用できるような資産もない。

「先にボケたもん勝ちだな」と夫は言う。「あと20年くらいの間に尊厳死が認められるようにならないか」とかなり真面目に思っているが、ボケたらその選択もできないわけだから、せいぜい頑張って貯金をしあとは運を天に任せるしかないねといったところ。

アルツハイマーの奥さんを長年自宅介護した(晩年は施設に預け毎日通って終日共に過ごしたらしい)叔父がいるのだが、その人が言うには「初めてシモの世話をした時、『あ、俺にもこんなことができるんだ』と思ったね。そのうちだんだん介護が生き甲斐みたいになっちゃって。周りが『そこまで頑張らなくても』って言うくらいのめりこんでしまった。介護するということに依存してた節がある。今はそれがなくなったから、何か見つけないといけない」。

もともと愛妻家だったそうだが、いっそ「生き甲斐」くらいにしないと自宅介護などできないという話にも思え、考えさせられた。



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2013-11-23

「偉い男」ほど厄介なことになる

父が入居している有料老人ホームの、介護士の人に聞いた話である。

「施設に入って認知症が急速に進むのは、女性より男性です。その中でも多いのが、会社の社長さんとか学校の先生。社会的には「偉い立場」で、ずっとこれまで自分が指図する側で来た人ですね。それが、環境が変わって人から看てもらうようになった時、気持ち的に自分の立場を受け入れられなくて、おかしくなってしまう」。

そうでしょうとも‥‥と、父を見ていて思った。

社長さんはどうなのか知らないが、教師は現在、大昔に言われたような「偉い人」ではない。「先生」が「先生」というだけで一応尊敬の眼差しで見られた時代は、とうに過ぎ去った。でも今、老人ホームにいる人は「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた人である。89歳の父はまさにその典型だろう。

高校教師を長年勤め、頭のてっぺんから足の先までガチガチの先生気質だった父。家族の上にも父親兼教師として君臨してきた父。ボケ始めてますます頑迷になっていった父。

その父は、ホーム入居半年で、言葉と記憶をほぼ失った。


ジェンダーと古典的な先生気質の共通項は、何か。「物事を決めるのは自分」「上に立っているのは自分」という支配者的な意識だ。会社の社長など、多くの人を束ねリーダーシップを発揮しなければならない職業でも同じだろう。その自意識が強烈なプライドとなって、長い職業生活の支えになってきた人は多いだろう。

ところが、周囲の人に世話してもらわねばならない立場になり、自分に関する大事な物事が周囲の人によって決められていく中で、何の力もなくただそれに唯々諾々と従うしかない*1‥‥というふうに、自分の立場や環境が激変してしまうと、それに気持ちがついていけず、現実を否認し、壊れ始める。

父の言うことがおかしくなりやがて言葉が出なくなった時、教師としての誇りで岩盤のように強固に凝り固まっていた父の心に、無数の細かい亀裂が入っていくのが目に見えるような気がした。これはもう元には戻れないと思った。


今年の春、ホームヘルパーの実習で幾つかの介護施設に行った。印象に残ったのは、女性の方がコミュニケーションが活発で、いろいろな作業を積極的にやる人が多いということだ。こちらが挨拶をして返してくれたり、話しかけてくるのも全員女性。

男性でも、「どんなお仕事なさってたのか、お話伺ってもいいですか」などと水を向けると結構喋る人はいるものの、レクリエーションの時間は概して消極的で、「何でこんなことせにゃならんのだ」とばかりにムッツリとそっぽを向いている人が時々いた。こういう人は認知症が進みやすいと言われる。

そもそも老人介護施設において、男性は女性よりずっと人数が少ない。多くが自宅で妻に介護されて亡くなるからだろう。父のいるホームも同様で、女性たちの中に点在している男性は、食堂でも大抵いつも一人きりでぽつねんとしている。

女性同士では時々噛み合わないながらも言葉を交わしていたりする(喧嘩もある)が、男性同士でやりとりしているのは見たことがない。終の住処で、せめて数少ない同性と仲良くし、残りの人生を少しでも居心地良く過ごそうとするのかと思っていたのだが、全く違っていた。そういう発想は女性のもののようだ。


もともと、外で仕事をし家のことは妻任せだったような男性は、環境に柔軟に対応し何でもないコミュニケーションを楽しむという習慣がない。特に今、老人ホームにいる世代の男性は戦後の高度経済成長の中で仕事に邁進した会社人間で、仕事を離れたところでの人間関係が貧弱だった人が多いのではないかと思う。

一方その世代の女性は、家事・子育て・近所のおつきあいなどを同時にこなしつつ、同性で集まっておしゃべりしたり地域の活動をしたり、子どもとの関係も夫よりは密だったりして、日常的にさまざまな水準のコミュニケーションを体験している。相手との距離を測り、共感を旨とする人間関係を維持しようという習慣も身に付いている。

もちろんそれに当てはまらない人はいるだろうから、全体的な傾向としての話である。こうした男女の社会的位相の違いがある上に、社長や教師など特定の職業で醸成されたメンタリティが加わることによって、「上に立つ仕事」を務めた老人男性特有の難しさが浮かび上がってくるのだ。


少し前、母が父を訪ねて行った時、食堂に新しい入居者の男性がいた。半身不随だがまだ矍鑠とした雰囲気で、見舞いに来ていた奥さんに新聞を持たせ、「次、16面!」「次、32面!」と大きな声で命じ、その度に奥さんは手早く新聞を畳み直して夫の前に差し出す、ということをやっていたという。

施設のスタッフが「先生」と呼びかけていたので、母は「この方も学校の先生だったのね。校長先生かしら」と思ったが、後で聞いたら元は医師でどこかの院長だった。「先生」違いだったが、「上に立つ」意識が強い点では近い。

別の日に母が行くと、先日自分の奥さんが来たことはすっかり忘れて「ちっとも見舞いに来ん」と怒っていた。母が「お元気そうですね」と話しかけると居ずまいを正し、「私は◯◯科の医者をやっておりましてな。あなたはあまり顔色が良くないようだ。具合の悪いところがあれば見てあげますからいつでも来なさい」と言ったそうだ。


父は上記の「先生」のような経緯を経て言葉が出なくなり、終日無言でほとんど目を閉じたままになった。

父の口から時々発せられるのは、「アイ!(「ハイ」のつもり)」という返事だけである。そんな返事を、家にいる頃家族にしたことはない。ホームに来て、毎日のように介護士に「先生、これから◯◯しますよ?いいですか?いいならハイってお返事して下さい」と言われて、言うようになったのだ。

全身の機能が低下してきている中での「アイ!」は、中身のない自動的な反応にも見える。しかも介護士や私の呼びかけには時々応えるのに、母の呼びかけには何故か一切反応しない。

「しょっちゅう来て話しかけてるのに、お父さん何にも言ってくれない。私のこと嫌いになったのかしら。こんなところに入れやがってって怒ってるのかしら」と母は嘆いた。

介護士の人は、「おうちでも威張ってらした方ほど、そういう態度になりがちなんです。本当は奥様に傍にいてほしいのに、いざ来られると素直になれなくて、無視したりしちゃうんですよ」と言った。「そういう気質は、どんなにボケても最後まで残るんです」。

厄介なものですね、「偉い男」ってのは。


余談。

先日、母から電話があった。

「今日、お父さん、やっと口開いたの。「お父さん」で反応しないから、昔あなたが小さい頃に呼んでた「パパ」でやってみた。パパ、ママよ〜、ママ来たわよ〜、パパ〜って大声で。そしたらいつもの「アイ!」じゃなくて、小さい細い声で「ハイ」って言ったの。そんで自分で無理矢理目を開けようとしてね、片目しか開かなかったけど。私よママよわかる?って言ったらまた小さい声で「わかる」って言った。嬉しかったわ、奇跡が起きたって思ってねえ」

会話はそれきりで終わりだったようだが、母は有頂天だった。私は「良かったねぇ」を繰り返した。

鼻持ちならない先生気質に凝り固まったまま柔軟性を失い、ひび割れてバラバラになった父の心。最期の時が近くなってやっと、その一部に一瞬暖かい血が通ったように思えた。



●追記1

スターが多くついていたブックマークコメントの質問に答えたいと思います。

id:tail_y これ、自分もボケてもレクリエーションをやらされるのはなんか嫌だし、単純に施設の方の準備がこういう男性に向けて作られていなくて、そういうところに入れられちゃった結果悪化していくっていう可能性は無いの? 2013/11/23

http://b.hatena.ne.jp/tail_y/20131123#bookmark-170467338


そういう可能性もあると思います。しかし自宅介護は無理、介護施設は手が足りないという状況では、なかなか良い解決策がないようです。


レクリエーションは、手遊び、リズム体操、図画工作、書道、輪になってする簡単なゲーム、パズル、クイズ、輪投げや玉転がし、カラオケ(あるいは合唱)、囲碁将棋・カルタ*2など。まるで幼稚園のお遊びだと感じる方も、中にはいるかもしれません。

また利用者への言葉遣いは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」という呼びかけや赤ちゃん言葉はNGとなっています。ただ耳の遠い老人が多いので、大きな声でわかりやすくゆっくりという喋り方になり、それが子どもに言っているようだと傍から見えることはあります。


レクリエーションは全員で行うものが多いですが、合わない人も当然います。合わないのでやりたがらない人に無理に薦めることはありません(強制されると思っている人がいるようですが、それはないです。女性でも参加しようとしない人はいます)。他には、ボランティアが来て、演奏やダンスやマジックショーなどを楽しむことも時々ありますし、遠足などの行事もあるようです。

レクリエーションは基本的に、施設利用者の健康(運動不足解消やボケの進行防止)と娯楽のために行われますが、介護スタッフの人数がどこでもぎりぎりなため、個々の利用者に応じたきめ細かい対応はなかなか難しいのではないかと思われます。私の見て来たのは中クラスの介護施設なので、富裕層向けのところだと違うのかもしれませんが。


また、父もそうでしたが、男性は特に「こんなところに入れられてしまった」「他の老人と一緒にされたくない」という思いの強い人が多く、積極的に環境に溶け込もうという意思が女性より薄弱に見受けられます。介護士に横柄な態度を取ったりするのも、どちらかというと男性が多いようです(これからは違ってくるかもしれませんが)。

もちろん例外もあります。私の見てきた中では、まだ頭も比較的しっかりしており普通に歩ける男性が一人いらしたのですが、その方は食事の配膳をいつも手伝っていました。その施設では、配膳はその方の役割ということになっていて、それなりに仕事意識を持ってなされていたようです。「これも運動不足解消とボケ防止になると思ってね」と仰っていました。そういう男性もいます。


全体的に女性も男性も、ゆっくり話を聞いてくれる人を求めているように思います。一旦話しだすと、それはそれはよくお話になる人が結構います。自分の半生について、時々質問もされつつ興味をもって肯定的な態度で聞いてもらうというのは、孤独な老人にとって精神的に非常に良い効果があるのではないかと、実習で感じました。

しかしそうしたことも、介護スタッフが少ない現場ではなかなか難しいことだと思います。


‥‥というか。

デイサービスに通える間はまだいいでしょうが、全面的に介護が必要になって施設入居となった時、多くの人が目も耳も衰え頭の回転も集中力も鈍り、それまで楽しめていた趣味がやれなくなったり興味を持てなくなっている、もっとずっと単純なことしかできなくなっている可能性がある(好むと好まざるとに関わらず)ことを、あまり想像しない人もいるんだなと、ブコメを眺めて思いました。


●追記2

「先生」と呼ばれる女性は?ジェンダーというより職業の問題では?というブコメも散見されるので、書いておきます。


「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた介護世代の元・先生(社長さんなども含む)の女性は、女性の社会進出が進んでいない中で物凄く頑張ってこられた人が多いので、プライドも男性と同じかそれ以上に高く、従って認知症が急速に進み「厄介」なことになる確率が、(例えば専業主婦だった女性より)高いかもしれないと思います。

また私事ですが、義母の友人たちの中で一番初めにボケ始めたのが、長年教師を勤めてきた方でした。仕事に非常に熱意と使命感をもって取り組んできた人(私の父もそうでしたが)ほど、燃え尽き症候群の後にそうなっていく傾向があるのではないかと思います。


ただ現・介護世代は、社長さんも先生も男性の割合が圧倒的に多いので、「偉い女」が厄介なことになる事例よりも「偉い男」が厄介になる事例が目につきやすいということです。

冒頭の介護士の話にも、「社長さんや先生の女性には一人もそういう人がいない」ということは含意されていません。何百人もの利用者を見て来た中で、強い傾向の話として言えることを仰っていると思います。


それと、社長さんは別として、学校の先生で管理職に上がって行くのはやはり圧倒的に男性なので、「先生」という「偉い女」も、職場では下の立場となります。昔だと、「男の先生」とは違ったものが「女の先生」に求められたこともあったでしょう。

また教職と家庭の両立に苦労してきた女性も多いでしょうから、その点も、その世代に多い仕事一本やりの男性とはメンタル面が異なってくると思います。


総合して考えると、少なくとも現在の介護世代においては、単純に元・先生の男性と元・先生の女性を比較した場合、男性の方により認知症が出やすいジェンダー的な条件はあるのではないでしょうか。

先生(特に初等教育)に女性が多くなった今、その方達が介護施設を利用するようになる頃は、また違う傾向が見えてくるのかもしれません。とても興味があります。ただその頃は既に私もボケている可能性大ですが‥‥。



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父が施設に慣れるまで

言葉の抜け殻と紙の帽子

*1:「偉い男」からの視点で書いている。実際は、本人とコミュニケーションが取れる限り、どんなことも本人の承諾を仰ぐというかたちは取られている。が、それが難しくなってくると結局判断し決定するのは家族、介護する側になる。

*2:デイサービスではよくありますが、認知症の多い特養を始めとした入居型施設ではあまり活発にはされてないようです。

2013-05-30

介護される犬、介護される人

犬 (1)

かなり前から足腰が弱っていたうちの老犬16歳は、ほとんど自力で立ち上がることができなくなった。敷物が敷いてあってもいつのまにかずれていって、コンクリートで擦ってしまうのかあちこち擦り傷ができ、医者からもらった薬を塗っている。寝たままも良くないので、この2週間ほどは毎日朝晩、体を支えながら庭で歩行訓練をしている。

目も耳も、すっかり衰えた。後ろから声をかけてもまったく気付かず、触るとビクッとして顔をこちらに向ける。その目は白内障で白く濁っている。鼻も利かないようで、ごはんを目と鼻の先に置いても反応せず、口元に持っていって触れさせるとやっと食べる。一口二口食べてはしばらく休み、手伝ってやらないと自力で食べ終えることができない。

水の容れ物を口元に持っていくと、「これは何だったかな?」と考えているかのように、下顎を水に浸けたまましばらく固まっている。いらないのかなと思い始めた矢先、ようやくバチュバチュと飲み始める。前は3分もかからず食事を終えていたのが、今はその10倍くらい時間がかかっている。


父(1)

犬にごはんを食べさせていると、老人ホームで介護されている父を訪ねて昼食の介助をしたのを思い出す。去年の夏、要介護2で入居した父は、この間、要介護4になった。

今年になって少し神経系の薬を減らしてもらってから、なんとか自分で食器とスプーンを持つことができるようになり、言葉も少しだが戻っていたのだが、今度は昼間と言わず夜中と言わず大声をあげるようになってしまい、体力を消耗するということで薬を増やされた結果、また何もできず喋れない状態になった。

薬を少なくすれば夜でも大声を上げ続けて寝ない、薬を増やせば麻酔がかかったようにずっと眠り続けて食事も摂れない‥‥‥というわけで、精神科の医師も看護士も調整にとても苦労しているようだ。


犬(2)

うちの老犬も、淋しいのか認知症(飼い犬も人間と同じように罹るらしい)のせいか、深夜になると吠えるようになった。

私はだいたい夜12時前後に床に就くが、ウトウトしかかったと思うと「フゥーン、フゥーン」という犬の鼻声が玄関先から聞こえてきて目が覚める。「フゥーン」がだんだん大きくなって、時々「ギャウ!」という吠え声が混じる。

どうしたのかと思って見に行くと、ピタリと声は止んでケロッとした顔をしている。体位を変えてやったりおやつをやったり撫でて話しかけたりして、落ち着いている様子を確認して寝室に戻ると、しばらくしてまた「フゥーン‥‥ギャウ!」が始まる。寝られないので再び階下に降りて行くと、ピタリと声は止んで‥‥。

その繰返しが明け方近くまで続き、慢性的な睡眠不足である。前期の仕事が昼からなのが幸い。


父(2)

母は、一人で父の見舞いに言った時に大声を上げられたのに、ショックを受けていた。

「いつものように話しかけながら頬をさすっていたら、目を瞑ったまま突然、ケダモノみたいな凄い声で吠えたのよ、ウガァーーッって。人間の声じゃないみたいだった。私びっくりして尻餅ついて、思わず部屋の入り口のとこまで逃げちゃった。‥‥お父さん、どっか痛いところや不快なところがあって、言葉にできないからあんな声上げるんじゃないかしらねぇ」

身体的な痛みなどではなく、薬が切れた時の脊髄反射的なものか、医師の言うように認知症が進行しているせいだと思う。国語の教師で「言葉の人」だった父は、言葉を失ってから「吠える」というかたちで症状が出ているのかもしれない。

父を見舞った後はいつもネガティブモードになってしまう母は、前にしたのと同じ話をくどくどと繰り返した。

「去年の5月、家で食事中に倒れて呼吸が停まった時、救急車が来るまでに私が必死で心臓マッサージしたでしょう。後で「助かったのは奥さんの応急処置が良かったからです」って救急隊員の人に言われたけど、あれからお父さん急速に衰えたものね。もう前のお父さんじゃなくなっちゃったものね。私があの時助けてしまったからよね。あそこで死なせてあげれば、お父さんもこんなふうに苦しまなくて済んだのよね‥‥」

そういうことを考えてクヨクヨするのをやめなさい、と私は母に言った。

「お薬増やしたから寝てばっかり。何にも言わない。あんなによく喋る人だったのに。何でもいいから喋ってほしいのに」。55年も父と一緒に暮らした母の辛さは、私にも想像できる。でもあの頃の父はもうどこかに行ってしまって、帰ってくることはないと思う。



うちで一番元気なのは、5歳になる猫だ。毎日のように庭を散歩させているが、時々寝転んでいる老犬に近づき、お腹を見せて転がる。構ってほしいらしい。犬の方はほとんど反応しない。

その様子を見ていたら、父と母の姿がダブった。


f:id:ohnosakiko:20130324133816j:image (グーグー‥‥)

f:id:ohnosakiko:20130324134736j:image 「お父さん、元気かしら元気かしら」

f:id:ohnosakiko:20130324135040j:image 「こんにちは、お父さん」

f:id:ohnosakiko:20130324135042j:image 「お母さん来たわよー」

f:id:ohnosakiko:20130324135044j:image 「ちょっと、こっち見て」

f:id:ohnosakiko:20130324135049j:image 「どこか痛いとこはなぁい?」

f:id:ohnosakiko:20130324135052j:image 「ねぇってば」

f:id:ohnosakiko:20130324135059j:image 「ねぇねぇねぇねぇねぇー」

f:id:ohnosakiko:20130324135101j:image 「‥‥ふっ。今日も無反応だったわね」



ところで犬は最近、私の顔を見るともがいて立ち上がろうとするようになった。3、4回に1回くらい成功する。少しはリハビリ効果が出ているのであれば嬉しいが、年齢からしても元通りに歩けるようにはならないだろう。

立っている状態を少しでも長くできないかと、体を支える小さい木の台にキャスターをつけた簡単な犬用歩行器を作り、クッションの上に犬の胴体を乗せてずれないようにチューブで括りつけてみた。脚を動かせば前に楽に進めるはずなのだが、犬にとってはどうも具合が良くないようだった。変な車に括りつけられて、カッコ悪くて厭だと思ったのかもしれない。

こんなふうに、自分が犬の介護にことさら時間と手間を費やしているのは、やはり一方に父のことがあるからだ。私は直接父を看ることも意思の疎通を図ることもできない。父は生きているけれども、私の手の届かないところにいる。

その「穴」を、せっせと老犬の面倒を看ることで埋めているような気がする。

2013-04-15

介護サービスを受ける人、受けない人

スーパーでたまに見かけるおばあさんがいた。

最初その人を見たのは夏だった。暑いのにボロボロになった長袖の上着を着て、首にもグレーの小さな襟巻きのようなものを巻いていた。近づいた時、それは襟巻きではなくその人自身の髪の毛で、長い間洗っていないらしく、毛髪の束がくっついてまるで一枚の毛織物のようになったのを首に巻き付けているのだとわかった。

年齢は見たところ80歳は超えている感じだった。痩せていて膝と腰がやや曲がり、ヨボヨボと形容していいような歩き方をしていた。大抵、お弁当やインスタントラーメンや菓子パンを買っていた。


身なりや髪の状態からして、周囲に気を使ってくれる人がいないか、人に構われることを拒んでいるかだろうと思った。デイサービスや訪問介護などのサービスを受けていたら、もう少し身ぎれいにしているのではないか。

もちろん「身ぎれい」の尺度は人によって異なる。髪を大量の三つ編みにして一ヶ月くらいは洗わないというヘアスタイルもあるのだから、あのおばあさんの襟巻きと化したヘアも一つのスタイルと言えば言えないこともない。洗髪することであれを崩したくないのかもしれない。

しかし洗髪しなくても死なないが、食べなくては生きていけない。高齢ゆえ調理をする体力も気力もないので、近くのスーパーにすぐ食べられる食糧の買い出しに来るのだと思う。


数年前の雪の日に車で通りかかった時、吹雪の中をスーパーの袋を引きずるようにしながら歩いているのを見た時は驚いた。こんな日に一人で買い物に出なくてはならない境遇。でも私は車を降りて「お手伝いしましょうか」と聞くまでには至らず、通り過ぎた。後で、もし断られたとしても声をかけた方が良かったかなと少し後悔した。

そのあたりには、かなり古い長屋が何棟か建っているところがある。新しい家と古い家、マンションと長屋が混在している小さな町である。おばあさんはたぶんその長屋の一つに帰っていったのだろうと思った。



ホームヘルパーの実習が今日でやっと終わった。新学期の授業の始まりと実習の日程が重なってしまい、この10日あまりはバタバタで過ぎた。

実習はデイサービスが1日、施設が2日、同行訪問(訪問介護に同行する)が2日である。実習の目的の一つに高齢者とのコミュニケーションの取り方について学ぶということがあるので、80代から90代の人たちとかなりたくさんお話させてもらった。

戦争を経験している自分の親世代の人々の話を聞くのは、私にとっては意味深い体験だった。同じサービスを受けている高齢者でも、一人一人実にさまざまな事情がありその人なりの個人史がある。話に興が乗って、こちらの手を握ったままなかなか離してくれない人もいた。

施設にいる高齢者を見ていると、父のことを思い出さずにはいられない。本人の納得の度合いはいろいろあるかもしれないが、こうした場所で健康と安全に配慮されて生活できる人々は、やはり客観的に見れば恵まれていると感じる。


同行訪問先の中に、独り住まいの障害者(半身麻痺と軽い知的障害)の方がいた。ヘルパーの業務は、生活援助‥‥買い物、食器洗い、米を研いで炊飯器にセット、居室の掃除、洗濯もの干し、ポータブルトイレの掃除など‥‥である(一応ゆっくりだが歩けるので身体介護はない)。これらを1時間で行う。入浴などはデイサービスを利用しているという。

プライバシーの守秘義務があるので詳しいことは書けないが、家族とは疎遠で生活保護で暮らしてきて、半身麻痺になったのをきっかけにそれらのサービスを受けざるを得なくなったようだ。でも施設入居は希望していない。基本的に自分のことは自分で決めて自分でやりたい、自立志向の高い人だった。


そのお宅を訪ねたとたんに、私はあのスーパーのおばあさんのことを思い出した。

ネズミが部屋に出入りするような古びた祖末な長屋。薄い板壁と建てつけの悪い木枠のガラス戸。こういう場所で、誰の助けも頼めず、一人で暮らして老いていく生活。それを自ら選ぶ人もいるのだろうか。

気楽に過ごしたいという気持ちは、年を取れば取るほど強まるものだ。煩わしい他人に邪魔されず、好きな時に好きなものを食べ、好きな時に出かけ、面倒なことは避けて気ままなスタイルを通す。あのおばあさんは自分の足で歩ける限り、「自由」に暮らしたいと思っていたのだろうか。それが他人からは、不衛生で不健康で不自由な生活に見えたとしても。

彼女の姿をこの1、2年は見ていない。私の住んでいる町内からは少し離れているので、その人が亡くなったのか入院されたのか、民生委員などが介入して施設に入れられたのかは知る由もない。

2013-03-06

介護とお金と幸せ

有料老人ホームに入居している父の見舞いから帰ってきた母が電話で、「相変わらず言葉はほとんど出ないし寝てばっかりだけど、お父さんは幸せだと思ったわ。あんな暖かくて快適なところできちんと食事をさせてもらって、体も髪も爪も歯もきれいにしてもらって、何から何まで面倒を看てもらえているんだもの」と言った。

「それに新聞見たらね、認知症高齢者のうちの50%が自宅介護だって。特別養護老人ホームが15%で、あとは医療機関‥‥病院の精神科ね、とか介護老人保健施設とかなんだけど、病院だって2ヶ月で家に帰されるし、公共の安い施設は満杯だしね。それで有料老人ホームに入っている人は、たったの3%。お父さん、その3%よ。恵まれてるわよねぇ」


自宅介護をしてもらう方が幸せなのか、有料老人ホームに入居できる方が幸せなのかは一概に比較できないので措いておくが、3%とは初めて聞く数字だったので、少し驚いた。

所得に応じて支払い額が決められる特別養護老人ホームは人気で、何年も順番待ちという話は知っている。しかしいくら介護保険料の範囲内(一割負担)で賄えそうだからと言っても、徘徊や暴言、暴力、異食、不潔行動などがあり、問題が大きければデイサービスでも受け入れてもらいにくい認知症高齢者を自宅で看ることは、心身ともに相当の負担。多少お金に余裕のある世帯は有料老人ホームに入居させているのではないか、少なくとも全体の1割くらいは‥‥と思っていた。

有料老人ホームは利用者の所得に関わらず、月額20万円なら20万円と支払い額が決まっている。だいたいの傾向だが、月々の額が安ければ入居費が最低一千万円代くらいからと高く、月額が30万以上になると入居費は安く押さえられている。


私の実家は父が高校の平教員、母が専業主婦だったので、特に裕福な方ではない。入居費だけで数千万円のところは避け、月額約30万(当然、父の年金より高い)でかなり入居費の安いところを見つけて入った。

父のケースと同じように、いつ要介護になるかわからない義両親がいる私と遠くに住んでいる妹が母を介護することはできないため、いずれは母も有料老人ホームに入るだろう。幸いにして母にそのくらいの資金はあるようなので、その点は助かっている。

「でも認知症の自宅介護が50%って、結構多いわねえ。有料老人ホーム利用者の割合がもう少しあるかと思ったわ。お金がない人ばかりじゃないでしょうに」と、母が私の第一印象と同じことを言ったので、ちょっと考えてみた。

自分が要介護者になった時、自宅介護を望む人は6割いるらしいが、認知症高齢者を自宅介護している家庭のすべてが、「親の希望を尊重している」ケースや「有料老人ホームの入居資金がない(特養の順番待ち)」ケースばかりではないだろう。

つまりその50%の中には、「親を有料老人ホームに入れる資金が(親に)ないわけではないが、自宅介護を選択する家庭」がかなりあるのではないかと思う。


後期高齢者である私の親世代(戦中世代)には、節約しながら高度経済成長期に頑張って、そこそこ資産を蓄積している人が少なくない。それで子どもの家のローンの頭金を援助したり、孫の教育費に出資したりしてきた。有料老人ホームに入居できるくらいの預金をもっている人も結構いるだろう。

だが子ども世代はというと、おそらく全般的に見て親ほど資産形成ができていない。もうそのくらいの歳になると資産が増えるということもない。退職金も年金も、親世代ほど当てにできない。さらに自分たちの子どもはもっとお金がなく、就職も結婚も厳しく、いつまでも親に依存する可能性がある。

もし親を有料老人ホームに入居させて、それで親の預金を使い切ってしまったら、どうなるだろう。それだけで済めばいいが、下手をしたら自分たちの老後のためのわずかな貯蓄も切り崩さねばならなくなるばかりでなく、当面の生活費にまで影響が及ぶかもしれない。

だから今現在はキツくても、介護保険料の範囲内で自宅介護をして経費を節約し、少しでも親の資産が目減りするのを避けようとするのではないだろうか。親の遺産を計算に入れた上でしか、自分たちの老後の生活設計が立たないとしたら尚更だ。子どもには頼れない。貧乏な老後ほどみじめなものはない。老後の幸せは、結局お金で決まる。皆、そう思っている。

もちろん「そんなケチ臭い理由ではなく、最後まで自宅で面倒みてあげたいし、親自身もそれを望んでいるからそうしているだけ」という人もいるだろうから、以上はあくまで推測だ。


私は自分の「老後の生活設計」について正直なところ何のメドも立っていないが、母には「もう昔みたいに節約しないで、自分のために使ってよ」と言っている。親を自宅介護することは事実上不可能に近いので、せめて‥‥という気持ちだ。

夫はもっと直裁で、前から自分の親に対し「別に金なんか一銭も残さなくていいからな。期待してないから」と偉そうなことを言ってきたが、私の父の介護事情を知ってからは、「自分たちが老人ホームに入れるくらいの費用は取っといてくれ、俺たち金ないから」などと弱気になっている。その「俺たち」の老後についてはあまりリアルに考えたくないようだ。

私は電話で母に、「老々介護で大変な人はいっぱいいるんだから、お母さんは恵まれてるよ」と言った。私の声は、若干羨ましそうに聞こえたかもしれない。

しかし母は無邪気に明るい声で、「そうねぇ。結婚してからお父さんのことでは何だかんだ苦労してきたけど、今、私が歳取って介護にもお金にも困らなくて済んでいるのは、お父さんのお陰だしね」と言った。「やっぱり私、幸せよね」。



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