哲学を破壊せよ!?

 終日仕事。息抜きに以下の動画(『爆笑問題のニッポンの教養』FILE035:「哲学を破壊せよ」【参照】)を見つけて、基本的に面白く見る。
 ふーん、木田元ってこんな人だったんだ。でも、見終わってから、ちょっと考え込んでしまった。





 自分のように、木田元の本を読んだことがあり、その上でこの番組を見る人間は、木田元という人に、それなりに親しみを感じることができて、それはそれで、とても良いことだと思う。
 でも、べつに木田元じゃなくても良いのだけれど、哲学書などまったく読まずに、この映像だけを見たならば、人ははたして哲学というものに対してどのようなイメージを持つだろうか。
 グーテンベルク以来の内面的行為としての読書が、大きく変貌を遂げつつある昨今、柄谷行人が言う「近代文学の終わり」は、あるタイプの哲学の営みの終わりとも連動するのだろうか。
 そうなると、こういった動画やイメージが簡単にやりとりされる時代に、哲学はどのような可能性を持つのだろうか。あるいは、学問や思想はどのような形でなされるべきなのだろうか。
 とはいえ、とくに一番下の動画の3分40秒あたりからのやりとりには、やはり爆笑しちまったな。「皆さん、お気の毒に」ってさ、そりゃねえよ。けど、でも、そんなもんなのかも。