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okanagonの日記

2013-12-25

お正月映画?

| 11:57

我が家は、週末映画を見たりすることがよくあります。個人的に今年見て面白かった映画を書きとめておこう。。俳優さんそれぞれの芸を堪能し楽しめたのは。。三谷幸喜監督の。。

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この映画に出てくる、古い映画。。これも見たくなります。。

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この映画は小学生の時にNHKで見て、すごく印象に残ってましたから嬉しかった。小学生の時はスミスにばかり目がいってましたが、今もう一度見ると、秘書のサンダースがすごくいいんだなぁ。。もう一つでてくる「素晴らしきかな人生」はまだ見ていないので、これもいつか見てみたい。。

SFで面白かったのは。。

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多世界解釈。。微妙に変っていく世界。。どうなっていくんだろうと最後まで目が離せませんでした。

内田けんじ監督のアフタースクールが面白かったけれど、これも期待通りでした!

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舟を編む」も結構よかったなぁ。。

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映画の選択は、夫、息子、私の順なので、夫や息子には大当たりでも私にはイマイチ、というものやその逆も結構あります。この他邦画では「ケンとメリー」「カラスの親指」も見ました。。男子向けには「マイティソー」「パシフィックリム」「マンオブスティール」。。「オズはじまりの戦い」も見たなぁ。。インド映画では「スタンリーのお弁当箱」。

アニメでは、「時をかける少女」「サマーウォーズ」「カラフル」「怪盗グルーの月どろぼう」「ヒックとドラゴン」「モンスターズユニバーシティ」「シュガーラッシュ」などなど。。

2013-12-15

瞑想

11:53

気になっている記事。瞑想により人の遺伝子発現が変化したという研究。

Meditation changes gene expression, study shows

2013-12-08

かぐや姫の物語

| 11:27

一人で映画「かぐや姫の物語」を見てきた。奧にしまいこんでいたものを強く揺さぶられたのか、その夜映像が蘇ってきてカタカタと泣いた。おまけにすっかり体調を崩して風邪までひいた。

この作品は「風立ちぬ」と見事に対をなしている。

男女という互いに遠く離れた向こうの岸から橋がかけられている。。そう感じられた時にいつも深く感動する。

高畑勲監督は、滅多に居ない方の一人だと思った。

私は普段テレビも見ないし、雑誌も読まないので、たまに見ると強烈なインパクトを受けます。最近びっくりしたのは、女性のおっさん化。。これ男女逆にしたら、セクハラで即うったえられそうだ。。と思ったことが何度かありました。また先日水道橋博士ラジオで「女装したい」と。。男性のおばさん化の試みも様々に生まれていているに違いないのだな!と思ってます。

河合隼雄さんが、「とりかへばや物語」についての文章で、今の日本社会で女性の男性化はかなり成功しているけれども、男性の女性化はまだまだというようなことを書いていたと思います。(うろおぼえです)2つの対立的要素を自己の中に調和融合させることは難しい、けれどもその難しい道の先にはもっと深い人間理解があるのじゃないか。。

私は2つの映画の共通テーマは、強烈な「あこがれ」だと思いました。「風立ちぬ」は「空」へ、「かぐや姫の物語」は「大地」へ。象徴として分けると、「空」「宇宙」などは男性的な志向で、「大地」は女性的志向です。

周囲で(夫ふくめ)男性が「風立ちぬ」を絶賛し、女性(私ふくめ)が「かぐや姫の物語」を絶賛し、どちらもその反対にはちょっと思い入れできない部分を残すという現象を見かけます。我が家は夫は「風立ちぬ」を独りで、私は「かぐや姫の物語」を独りで見に行ったのはある意味正解だったかもしれません。

女性のおっさん化がかなり進んでいることに驚いたのには触れましたが、本当の意味での豊かな統合は私自身もそうですがまだ十分に実現されていない。「かぐや姫の物語」はそこをついた作品だったと私は思いました。

あなた達は、男性的社会への同化に成功し、または失敗し、または前時代へ後戻りしようとしていますが、

山河自然、本来の力の源泉を見失っちゃいませんか?

その力をもって生きることを忘れちゃいませんか?

とたぶん、映画館で一人一人が問われたようなのだと思います。そしてその問いかけに呼応するものを持っていたのは、多くが女性ということかもしれません。

風立ちぬ」もそういう視点で見てみれば、創造のエネルギーの源泉は「十歳の少年の心にあり」というメッセージ。それに呼応したのは、「少年の心」を胸に秘めたその多くが男性だったということかもしれません。

どちらも子どもの心の持つ輝きやエネルギーです。。両監督が同じものを描き出したことに心動かされる。

とにかく「かぐや姫」が最後に統合を経験してくれたのは、私自身にとっては本当によかった。

2013-12-02

ラマチャンドラン

| 08:25

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この動画を見てはじめて、茂木健一郎氏がよく言っているクオリアというものが何なのかわかった気がした。

この話の中でラマチャンドラン氏が色盲の例をあげているように、インターネットの世界でもまた、そこで得る知識というものはこのクオリアを欠いたものだろうと思う。風のそよぎ、日の光に触れる時に働く人間の五感の体験の総体。。これはネットでいくら知識を集積してもたどりつけない。


また一方で皮肉なことに子供にSNSというオモチャを与えた時、日本で起こっていることは、子供から沈黙の時間を奪ったということではないだろうか。。携帯を風呂場にまで持ち込み、他者とつながりつづける。。今の私は、まっぴらだと思うのだけれど十代だったらわからない。

考えの糸をつないでいこう。。

2013-11-30

スガタ•ミトラ

| 10:55

スガタ•ミトラ「自己学習にまつわる新しい試み」という講演をYoutubeで見た。

http://www.youtube.com/watch?v=5iLPOQ8lXsA

彼は、インドスラム街をはじめ、世界のどの国にもある、優秀な教師が行きたがらない地域に、インターネットにつながったPCを持ち込み、それまでパソコンなど全く知らない子供がそれを操作してどのように自己学習していくのか実験を行っている。子供たちに先生はつかない。ただ、問題が与えられ、毎日何かいじっているうちに検索機能にたどりつき答えを導いてくるのを待つのである。子どもたちは、好奇心から近づき、互いにあぁだこぉだと教えあいながら、見事に答えを出してくる。

ここにあるのは、能動的な好奇心と、子供の仲間である。

World Orderをここにも感じた。どこに住んでいても、どんな環境でも、世界の叡智にふれられる。子供たちが自らを貧困から救う手だてを得られるかもしれない。

それから、もう一つこれが非常に重要と思ったのは、彼が「おばあちゃん」的存在を置いたことである。導く教師ではない。ただ、子供たちの背後にいて、「わぁすごいね。それ見せて。」と見守り声をかける存在。。

日本の中で生まれてきている教育格差など、本当に微々たる差だということに気づく。やりようはいくらでもあるじゃないかと。。

If children have interests, then education happens.

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