よかった漫画

 そんなわけで最近は久しぶりに漫画を読んでいたのですが、世界に存在する漫画がどれもこれもおもしろくてびっくりしました。
 たまたまいい漫画に当たっただけかもしれないけど、ほんとに絵があって台詞が書かれているだけでたのしい。そしてどれだけ読んでもなくなることがない。このなくなることがない、というのは、おもしろい漫画、おもしろそうな漫画が、です。
 大変な時代になったものだ。
 僕は高校時代にアフタヌーンIKKIをたしなんでいた程度にはオシャレでイカした人間なので、とりわけ僕の感受性がみずみずしくてなんでもかんでも楽しめるというわけでもないと思います。全世界的に漫画のレベルがあがっているのかもしれません。
 大変な時代になったものだ。
 

 いちばんおもしろかったのは岩明均原作、作画の人が作画の『レイリ』です。
 なんだろう……やはりスゴイ……。
 読んでいると岩明やっぱ天才だわもうダメだって気持ちになります。
 死にたがりとレイリちゃんと死ねねえ信勝が影武者修行でつながるのがすごくツボでした。
 たまにレイリちゃんなのか信勝なのかわからなくなるところもよかったです(作中は親切に書きわけられてるけど)
 問答無用でおもしろいので読んでください。

 
 そしていちばんおもしろかったのが、猪ノ谷言葉の『ランウェイで笑って』です。
 なんだろう……やはりスゴイ……。
 読んでいると作者は新人っぽいのに天才だわもうダメだって気持ちになります。
 ファッションデザイナーを目指すいくとくんと、ファッションモデルを目指すちゆきちゃんが交わったり交わらなかったりしながらそれぞれの道のため、なりたい自分にプリズムジャンプするところがツボでした。
 五巻で二人がつながるための布石もきちんと置いてて、物語はまだまだこれからだけど(ちゆきはハードすぎる状況だけど)すでにウィニングランの風格が漂っていて、おれは、さめざめと涙を流した……(?)
 二人ならLを超えられる。
 読んでください。


 そういえば堀尾省太の『ゴールデンゴールドもいちばんおもしろかったです。
 なんだろう……やはりスゴイ……。
 読んでいるとおばあちゃんのお店は商売繁盛してハッピーなのに、お金が儲かれば儲かるほどおばあちゃん天才だわもうダメだって気持ちになります。
 序盤の不穏さがヤバすぎてヤバになってしまい、並大抵の人間なら名前をヤバに改名するハメになる……それほどにゴールデンゴールドはヤバイ……(僕は自分をしっかり持っているので改名せずに済んだ)。
 4巻でちょっとB級っぽい刻刻を思い出させるような展開になってきたのでこれからもたのしみですね。
 ただ不穏でヤバさがヤバいヤバモスフィアがヤバだったのが、問題が明らかになってわかりやすくなったことでヤバみが少し減少したのは残念でした。おもしろさは損なわれていない。
 るかがかわいいので大丈夫です。
 島生まれの人は読んでください。日本は島国です。

おはようございます。

2017年の1月以来の日記になりますが、一年半前の日記によると一年ほど人狼しかしていなかったようですね。
それからも人狼しかしていませんでした。

人狼がたのしすぎるのが悪いよ。

そういえばぼくは人狼をはじめた去年の六月くらいに人狼モンスターエナジーの過剰摂取により倒れ、病院に運ばれたのち息を引き取ったのですが、それ以来カフェインに過敏になってしまってつらいです。
ミスタードーナッツで勇んでホットコーヒー(飲み放題)を注文しても、二杯ほど飲むと動機が激しくなり呼吸は乱れ瞳孔は開ききり全身の穴という穴からあらゆる液体が噴き出てしまう。
タバコを吸うと吐き気と眩暈に襲われながらえづきます。
いろんなものに弱くなった。
強がれなくなったのかもしれません。
スマホ人狼のログを読みすぎた弊害か、視力もなくなりました。もう何も見えない。
なんとなくですが、これからどんどん失っていくのかもしれません。
この前誕生日を迎え、十七歳になりました。
武田信勝が十五歳で死んだことを考えると彼より二年も長く生きています。
そろそろ歳をとったというより、一つ若さを失ったような気持ちになります。
やれることをできるうちにやりたいなあと思います。
リソースを使い果たしてゲームを終えたい。
もしかしたらそれは本を読んだり、音楽を聴いたり映画を眺めたり、何かを書いたり、誰かと話したりすることなのかもしれません。

小出祐介は、生きてる気がした気持ち、それがウォオウ、すべ、てだ、ウォオウと歌っていましたが、そんなものなのかもしれないなあと僕も思いました。

つまりどういうことかというと、久しぶりになにかの感想とかを書いたり書かなかったりしたいような気持ちになったので書くかもしれません。

たぶんね。

スプラトゥーン

 スプラトゥーンをやっていた。ひたすらやっていた。六月のはじめにwiiuごと買ってから今までずっとやっていた。最初はナワバリバトルだけだった。一緒にスプラトゥーンをはじめた友だちと通話をしながら遊ぶスプラトゥーンはとても楽しかった。ガチマッチが解禁されるとウデマエの上昇を目指してひたすら研鑽を積んだ。どこに潜伏するのが強いのか、どの場所ならどの武器に有利が取れるのか、人数差を見ること、制圧したら塗って足場を固め、敵の侵入ルートを抑えること、エリアを取られたら仲間と足並みをそろえてスペシャルで打開すること。ぼくは着々と力をつけていった。スプラトゥーンをプレイし、寝て起きて、スプラトゥーンをして……そんな毎日だった。
 気がつくとウデマエはカンストしていた。さらなる実力をつけるため、ニコニコ動画の生放送を見て強い人と同じ部屋に入り、ガチマッチをやった。強い人を知るたびにモチベーションが上がり、もっと強くなってやろうという気になれた。いろんな武器を試した。いろんな人と出会った。
 だけどいつの間にかぼくと一緒にスプラトゥーンをやる友だちは減っていた。その現象はぼくの実力が上がるのと比例しているように思えた。ぼくがみんなにどうすれば勝てるようになるのか、どう立ち回ればいいのかを伝えても、あまりよい反応は得られなかった。周りのみんなは熱心に語るぼくに冷めた目を向けていたように思えた。みんなはぼくから離れていった。それは強者の証だと思っていた。頂に辿り着いた者の代償なのだと。誇らしさもあった。弱い者が諦めるのは仕方がない。足りない努力を棚に上げ、敗北を味方のせいにして自分の立ち回りを省みないものが強くなれるわけがない。ぼくはひとり、またひとりと仲間を切り捨てていった。
 ぼくはひたすら敵を倒した。敵を倒してガチマッチに勝つ。それだけを繰り返した。
 ある日ぼくは疑問を抱いた。
 なぜぼくはスプラトゥーンをやっているのだろう。
 このゲームって、何が楽しいんだろう……?
 買ってすぐのことを思いだそうとした。ぼくは笑っていた気がする。だけどその景色は、ピントの合わないカメラみたいにぼやけてうまく像を結ばない。ぼくは……ぼくは……。
 ぼくはひとりだった。
 そのことに気付いた瞬間、途方もなく広がる荒野にぽつんと立っているような感覚に陥った。たまに誰かを発見するが、ぼくはすぐさま照準を合わせ、インクを撃って倒してしまうのだ。あんなに鮮やかだった世界は色を失っていた。ぼくの周りには倒すべき敵しかいなかった。
 ぼくはスプラトゥーンをやっている。イカを操作し、塗り、潜伏し、インクを撃ち、敵を倒す。機械的に指を動かし、試合に勝つ。何の表情も浮かべないで。それは確認作業だ。勝てるのは当たり前。ぼくは強いから。だけど、なんだろう。たまたま同じ部屋になっただけの仲間が、勝利間際に叫ぶマンメンミの声に感じる懐かしさは。ぼくが失ってしまった何かなのだろうか。
 マンメンミ。
 マンメンミ。
 いやに耳に残って離れないな。
 マンメンミ。
 マンメンミ。
 頬に手を当てると指が濡れている。
 マンメンミ。
 マンメンミ。
 無意識に泣いていたのか。
 マンメンミ。
 マンメンミ。
 でもごめんよ。わからないんだ……。

 マンメンミ……。
 マンメンミ……。

みなさんさようなら

 そろそろ大好きだった大学生活を総括したいと思う。いろんな出会いがあった。たのしいことも両手からあふれかえるほどあったし、つらくかなしいことも起こった。それらの出来事すべてが花束だ。四年間かけて歩いてきた僕の道のりにはあちらこちらにきれいな花が咲いていた。ときには立ち止まり、ときには真っ直ぐな道を蛇行し、ときには脇道にそれ、ひとつずつ花を見つけていった。その発見の瞬間が比喩的な花摘みだった。ピース。ちょきん。空を切って。象徴的な花々はいまではこんなにたくさん集まった。ありがとう、ありがとう。いまでは胸が感謝の気持ちでいっぱいだ。僕は大学を卒業します。社会にでます。みんなありがとう。お母さん、お父さん、ありがとう。

 と言えたらどんなによかったか。みなさんご存知のとおり僕はこの四年間で単位をさっぱりとれなかったよ。旅は続く。僕の次回作にご期待ください。手に入れたと思っていたものはいつのまにか供花に変わっていたよ。遊んでいた友人たちもいまではどこか遠い場所に行ってしまい離れ離れだ。

 とか書くのもあれだなって思う。つきあう友人は入れ替わっていったが、役割としてのオルタナティブを次々に見つけていったわけではない。僕はまったく変わらなかったよ。じぶんではそう思ってるんだけど、みんなからみたらちがうのかな?

 僕は自分の気持ちを場合分けして、それぞれに言葉を振り分けることができる。ケース1,僕が大学生活を後悔している場合。ケース2,僕が大学生活に満足している場合。ケース3,僕が大学生活について何も思ってない場合、といったふうに。気分ひとつで変わる。それはすべてがほんとうのことで、同時にすべてがほんとうではないように思えた。気持ちというものは虚ろなんだろうなと思う。

 ひとつ言えるのは、僕はこの四年間で新しい言葉を手に入れ、またいくつかの語彙は失われたということだ。体験の象られかたが変わったのかというと、それもなにか違うような気がする。言葉の矢に正射はなく必中もないように思われた。

 まあなんだかなあって気分だ。どうだったのかなあ。何がだろう。でもやっぱまだまだみんなにいろんなことをききたいよ。いろんな新しい話をしたいし、昔したことのある話を繰り返したい。だから僕は大学生活を続けるんだろうなと思う。言葉の荒野の中で。なーんてね!

 みんな、どう?