やっぱり生ジャズ

okatake2009-06-05

ひさしぶりにブックスジャパンに書評を送る。これから、締め切りを作り、月2回のペースで書くことにした。大谷能生『不良たちの文学と音楽 持ってゆく歌、置いてゆく歌』アクセス・パブリッシングについて書く。これは斬新な文芸批評として、もっと評価されるべき本。しかし、白地に、殴り書きのような文字だけの装幀、これでいいんだろうか。おっさん、だまっとれ!と言われたら、ぼくら昭和世代は口をつぐむしかないが、これがかっこいいのか、どうも読者に届かないのではないかと思えた。これが、いいんですか?
昼少し前、神保町下車。「城南展」。ほんと低迷期で、ガバガバ買えなくなってきた。必要があって、太宰ものを二冊(ダブりを承知で、とにかく緊急にいるので)。あと山崎豊子『仮装集団』文藝春秋(帯、函、初版)を315円で。労音をモデルにして大阪を中心に音楽団体を暴くというもの。興味津々。「まるで労音がコンサートでもやってる雰囲気で」とは岡林の「ほびっと」という歌の歌詞。
サン毎で仕事をしていると、担当者のIさんが、上で(ということは「アラスカ」)植田康夫さん、水口義朗さんと食事しているから、あとでいらっしゃい、と言われる。仕事を終えて、少し顔を出す。水口さんから速射砲のように、野坂昭如をはじめ、ちょい前の文壇の裏話が飛び出る。ふむ、ふむ、えええ!とただただ聞く。
ムックや単行本を作っている部署で、太宰本の進行の打ち合わせ。もうずいぶん、太宰本が各社から先行して出ているが、毎日からも出る。それにぼくがかんでいるのだ。もらった辻井喬『叙情と闘争』(中央公論新社)を車中で読む。タイトル、もう少しどうにかならなかったか。時間があったので「ギンレイ」で一本だけ見る。ジュリエット・ビノシュの「PARIS パリス」。うーん、どうだろ。一言でいえば、「セラヴィ(それが人生)」って内容だろうが、もう一度見る気にはとてもなれないな。感想はジュリエット・ビノシュがさすがに年をとったな、ということ。もう一本の「モンテーニュ通りのカフェ」も、わざわざ見る必要がないような気がしてきた。
それで思ったのだが、「私は猫ストーカー」のなかで、主演の星野さんが、どうも自室では火をつかわず、お茶か紅茶を温めるのも、すべて電子レンジを使っていた。チンされるまでに、かつての恋人から届いた林檎の箱のガムテープをはがすシーンが、ちゃんと撮られていた。なんでもないようだが、こういう細部がおもしろかった。
帰り、吉祥寺下車。ジャズライブハウス「サムタイム」で、ギラ ジルカ(ボーカル)、南博(ピアノ)トリオのセットを、高校の同級生、レオナルド藤田とひさしぶりに聞く。藤田の知り合いで、アニメの演出家・やまざきかずおさんも参加。アニメ業界の残酷物語を聞く。やまざきさんは、アニメ業界では、ウィキペディアが立つほど、大変なヒトなり。でも、少年みたいなヒトだった。
ピアノの南博さんは、『鍵盤上のU.S.A. ジャズピアニスト・エレジーアメリカ編 』(小学館)を書いて注目の人だ。週刊文春では川本三郎さんが書評を書いた。
ギラ ジルカは、神戸出身の女性ボーカリスト。外国人かと思ったら、日本語(関西弁)ベラベラの、たぶんハーフじゃないか。関西弁のMCでしきりに笑いをとっていた。しかし、生のジャズライブはやっぱりいいなあ。いつまでも聴いていたい気分にさせる。いつものように、演奏者をスケッチ。あまり似ていないが、左がジルカさん。その右、ほんとはもっと清楚できれいだった女性客、帽子をかぶっているのはドラムス。
「サムタイム」には月に2回は行きたいものだ。この夜も満席で、あきらめて帰った組がいくつかあった。要予約、だ。