okatake2017-03-02

雨の朝である。昨日は、一度、国立へ外出した以外は家に籠り、所用を。
「紀ノ国屋」でホワイトブレッドを一斤買い、紙袋に入れてもらう。「ド」で休憩。久しぶりに「ザ・ピース」を買い、火をつけ、香りを楽しむ。カバンに入れてきた、新潮文庫「日本文学100年の名作 8」『薄情くじら』の、田辺聖子による標題作を読む。40男の屈託を描いて、まことにみごとな語り口。うまいもんだなあ、と感服する。これを選んだ池内紀による、わずか十数行の解説もまたみごと。「語り口の巧みさについ見落としがちだが、田辺聖子の小説の人物は世の中に対して、しっかりした自分の考えをもっている」。なるほど、ぼくが「見落とし」ていたところだ。このシリーズは揃えたい。
かまやつひろしさんが亡くなった。ぼくは2002年『ムッシュ!』というかまやつさんの本が出た時インタビューし、本にサインをもらった(写真)。驚いたことに、明日、生出演するニッポン放送「金曜ブラボー!」で、一曲、思い出の曲を選んでくれと事前に言われていて、選んだのがかまやつひろし「どうにかなるさ」であった。明日、午後2時ごろから、かまやつさんのこと、古本のこと、自著新刊のことなどを話す予定。
先日の佐藤書房さんのインタビュー原稿をどうにかまとめ(400字10枚くらいか、もっとか)、佐藤さんに送付。メモを元に起こしたのだが、やっていて気分が盛りあがる、楽しい仕事だった。溌剌としていて、まったく人を恨んだり、いじけたりしない佐藤書房さんの突進人生のエネルギーに、ほとほと感心する。自分に、そういう前向きのエネルギーが不足しているのが情けない。風前の灯火発電、という感じである。