おだやかに始動する新年。もう年賀状も届かない。なるべくもらった人には返信したいが、自分で出したかどうかが、どうも。年賀状だけでもう20年も会っていない人もいる。こういう人こそ、年賀状で近況のやりとりをするのは大事か。くれた人にだけ出すという方針の方もいて、これはなかなかの名案。ぼくは中高時代から、手書きによる年賀状に熱心に取組み、力を入れていた。高校の担任の家を卒業してから訪ねたとき(あれはどういう用事だったか)、先生の奥さんから、「まあ、いつも楽しい年賀状下さる方ね」と言われたこともあった。いまのところ150枚くらいで収まっているようだが、これをどうしていくか。
昨日は「サン毎」初本えらび。帰り、盛林堂へ補充精算。「音羽館」、「ささま」や「水中」へもと思ったが、まったく元気がない。盛林堂小野くんは、連日、買取りで不在、忙しそう。盛林堂店頭で、阪田寛夫『戦友』(文藝春秋)を見つけ買う。娘による回想を読んでから、阪田寛夫を何か欲しいと思っていたのだ。歌にまつわる探索を短編連作とした『戦友』の標題作は、日露戦争で歌われ人口に膾炙した「戦友」の作曲者・三善和気(かずおき)の物語。年に何度か、集まってのみ語る毎日のJ氏が、昨年末の忘年会で、「戦友」の作詞者の方、真下飛泉についての数奇な探索をしていると聞いたが、もちろん本書にも真下についても触れてある。これはいいものを見つけた。1986年の刊だが、後ろ見返しにエンピツで、古本屋の「1200 初版・帯・S61」という書き込みがある。1500円定価が、古本屋で1200円と、今では高く感じるが、1980年代、新刊が古本屋へ下りて来た時、こんなものだった。大学生協の書籍部が5分引き。2割安けりゃ御の字、という感じだったのだ。刊行から一年以内ぐらいの新刊で、1500円定価が1000円になることはほぼなかった。1150円という渋い値付けをミナミの天地書店でつけていたのを覚えている。これなら1500円定価の本を500円で客から買い取っても商売になる。1980年代ぐらいまで、古本屋さんは、買取りと売りの甲斐のある、いい商売だった。
坂本龍一が京都に土地を買ってあって、将来、最後を京都で送りたいと考えている旨、発表があった。松本隆も京都へ移住。世田谷ピンポンズくんも「世田谷」ながら京都へ移住。「なのにあなたは京都へ行くの 京都の街はそれほどいいの」というチェリッシュの歌を思い出す。もちろん、京都はいい。金のある人にとっては、の話だが。