ツールは手になじめばなじむほど「無自覚」になるのかも

うぼしさんのFlashのツールとしての汎用性についてという記事が興味深いです。

私がMacromedia Flashを「万能ツール」と評したところ、それはツールの適性を無視してはいまいか、いう指摘を受けました。

おっしゃるとおりで、Flashが万能ツールであるというのは私の思い入れに他なりません。実際問題としては、おっしゃるような適性の問題が絡んでくると思います。

2chではよくフラッシュ作成者を職人と呼びますが、まさに私の思い入れというのは「職人的」なものです。

昔テレビでパワーショベルだかなんだったか、とにかく重機を使ってシャンパンのグラスタワーを作るという職人が出てきてました。

もちろん、これは職人芸としては観る価値がありますが、パワーショベルでグラスタワーを作ることが適切か不適切かは明らかです。それでも私はその職人から「俺にパワーショベルを持たせりゃ何でもやってのけるぜ」という気概を感じて感銘を受けたものです。

そんなわけで私も「俺にFlashを持たせりゃ何でもやってのけるぜ」と言えたらなあ、なんて思っているわけです(まあ、Flashはパワーショベルよりは汎用性がありますけど、所詮程度の問題です)。

まあ、何にしてもうぼしさんのご指摘にあるように、

例えば「紙」や「ペン」で自己を表現する小説家であるとか評論家(今は皆パソコンを使ってますが)はそれがあくまでも「紙」と「ペン」であり、絵筆や拡声器ではないことに無自覚であっては絶対にいけないと思いますし、それはFlashにおいても同様だと思います。

というのは確かです。

自分が手にしているものはいったい何なのか。ツールが手になじんでくると、それを使ってなんでも出来るようになってきて、適性を意識しづらくなります。つまりなじめばなじむほど「無自覚」になりやすいわけで、特にFlashみたいなのは下手に汎用性があるだけに常に適性を意識していないとおかしなことになりそうです。