おけぐわの日記

2ch系さいたまフラッシュサイト「おけぐわの微笑」管理人の OKGWA の日記です。かつては毎日更新を心がけていましたが、今は不定期更新です。

特集|無断リンク論日本語インクリメンタル検索 migemoデジカメマリみてと萌え

[2005-04-30]

「論理的思考と中二病」そしてゲーム脳  「論理的思考と中二病」そしてゲーム脳を含むブックマーク

前フリとして友人Mのケーススタディ

先日書いた「論理的思考と中二病」に関連して、友人Mからその具体例として面白い話を聞いたのでご紹介します。

私の友人Mの後輩が、週末に大学のゼミの教授から飲みに誘われました。でも実は同じ教授にレポートを課せられています。締めきりは次週の頭ですが、全く手をつけてないので間に合うかどうか微妙なところです。

レポートが間に合わないのはマズいけど飲み会好きの教授の誘いを断るのも何だし、どうしたらいいだろうか──。

Mは「論理的に」次のように答えました。

 飲み会は参加するかしないかの2択。レポートも間に合うか間に合わないかの2つなので、2×2で4つのパターンが考えられる。順位をつけると、

  1. 飲み会に参加して、レポートが間に合う
  2. 飲み会に参加しないで、レポートが間に合う
  3. 飲み会に参加して、レポートが間に合わない
  4. 飲み会に参加しないで、レポートが間に合わない
 となるだろう。飲み会に出てもレポートが間に合えば、それがベストだ(1)。飲み会に出ずにレポートを間に合わせても良いだろう(2)。飲み会に出たせいでレポートが間に合わないのは確かにまずい(3)。でも、出なくても間に合わないというパターンも考えられ、それが最悪のパターンだ(4)。

 ここで1の最善のパターンを得るためには、飲み会に参加した上でレポートを間に合わせなければならない。最善は得られないまでも、4の最悪のパターンさえ避けられれば良いのであれば、レポートが間に合うにしろ間に合わないにしろ、飲み会に参加しさえすれば(4になることはあり得ないので)避けられる。

 いずれにせよ飲み会に参加すべきである。

友人Mがこのように答えたところ、後輩には非常に喜ばれたのだそうで。

一見論理的でもその裏は

論理的思考と中二病」の理屈からすると、後輩からの悩み事の相談(C→P)に対してMはマジレス(A←A)してますから、一見このやりとりは交差しているように見えます。それなのに喜ばれたというのはどういうことでしょうか。

話は非常に単純で、結局後輩は飲み会に行きたかったわけです。でもレポートの件があるので、ただ飲み会に行くのは少々心苦しい。そこでMに「行こう」と言ってもらって共犯になってほしかったわけですね。つまり、一見相談事のように見えて実は「C→C」だったわけです。

そして、それに対するMの回答は、論理的でありながらも実は「後輩の望む答え」を理屈っぽく装飾しただけのものであり、結局は「いいから飲み会行こうぜ!」という「C←C」の対応だったのです。

したがって、結果的には「C→C・C←C」のやりとりになり円滑にコミュニケーションが為された、というわけです。

このように、裏を読むと表面的な交流と違う交流をしているようなものは(前にも書きましたが)「裏面的交流」と呼ばれています(Ref. 『やりとりの分析』)。

ゲーム脳の理屈も同様

上記のように友人Mの理屈は単に飲み会に行きたい後輩の後押しをしているだけのものですから、4つのパターンの蓋然性とか順位付けの妥当性とかについてまともに議論するのはナンセンスです(もちろん、Mの対応が実は「C→C」であることを見抜いた上で「それはまずいんじゃないの」と言うのは構わないんですが、正面からMの理屈を論破しようとするのは意味がない、ということです。それでも敢えてやりたくなる人は「中二病」かも知れませんよ……?)。

こういう、「A→A」に見せかけた「C→C」の理屈は世の中にたくさんあります。

その例は色々挙げられますが、一番わかりやすいのはゲーム脳の理屈でしょう(ゲーム脳については一通り批判されて落ち着いていたと思っていたら、尼崎の電車脱線事故に関するZAKZAK運転士、異常行動“ゲーム脳”の特徴という記事に森教授のコメントが掲載されて、またあちこちで取り上げられたようです)。

これも「ゲームばっかりやってたらバカになるぞ!」という「A→A」に見せかけた「C→C」の理屈に過ぎません。この理屈に賛同している人は一見まじめに「A←A」の対応をしているようでも、実は無責任に「そうだそうだ!」と言ってるだけだったりします。これはとりもなおさず「A←A」に見せかけた「C←C」の対応ですから、「C→C・C←C」でコミュニケーションがうまくいくわけです。それ以外の対応(批判や検証)はことごとく「交差的交流」となります。

つまりゲーム脳の理屈に対しては、最初からまともな議論は不可能だったのです。

もちろん、ゲーム脳の理屈への反論が無意味というわけではありません。第三者に対してゲーム脳の理屈には中身がないことを示したい場合は非常に有効な手段です。

しかしながら、森教授と「C→C・C←C」のコミュニケーションをしてしまっている人達にはその反論(A←A)は通じません。

そんなわけで、圏外からのひとことのessa氏はこれは放置プレイが望ましい*とコメントしていますが、私もそれが無難だろうなあと思います。