「そんな言い方誰もしない」というセリフをどう解釈すべきか
慣用句の問題が分からなかった小学生についてのみやきち氏のエントリと、それに違和感を覚えたというしっぽ氏のエントリについて。
どっちかというと私はみやきち氏のエントリに同調するのですが、しっぽ氏が言うことも「気持ちは」分かります。
そもそも自分が「そんな言い方誰もしない」というような態度をとったことがないと言うつもりもありませんし、これからしない保証もありません。みやきち氏の記事に言及している他の皆さんも書いているとおり、すべて「自戒をこめて」のことです。
とはいえ、しっぽ氏の主張はみやきち氏のエントリの主題とは違うと思ったので、はてなブックマークで次のようにコメントしました。
それは違う。問題の難度や「教わった、教わってない」の話ではなく、間違えたときの態度の話。
そしたらさらにしっぽ氏からこんなコメントがありました。
いや態度もさ、相手が何言ってるか分かれば印象違うんじゃないの?と思うんだけど。
馬鹿にしたような態度ってのも、受け手が「こいつこんな問題も解けないくせに」とか思うのと「無理な問題で悔しいんだな」と思うのでは全然違うわけだし。
あれれ。そういう話だったんですか。
もしこういうことをおっしゃりたいのだったとしたら、「これは先生と子供とのコミュニケーションの問題であって、プライド云々といった子供の内面の問題ではない」と書いてもらった方が分かりやすかったです。
まず、ですね。仮にしっぽさんのおっしゃるとおりに「そんな言い方誰もしないよ」という子供の心の動きが次のようなものだったとします。
じゃあ先生、さっきの僕はどうやったらこの問題が解けたんですか?
ほら見て、みんな解けない問題だよ。
誰も知らない答えだったよ。
なのに、どうして大人は知ってるから子供も知ってて当然だと思うの?
テストって勉強したことを真面目に覚えていればできるものなんでしょ?
誰も今まで教えてくれなかった問題を出すなんてずるい。
これって、この子供は「学校や塾のテストに出た」ということを「これを知らないのは恥ずかしいことだと指摘された」のと同等であると認識したということですよね(もちろんそれが本当に恥ずかしいことかどうかは別ですよ)。
そうでなければ「ほら見て、みんな解けない問題だよ。誰も知らない答えだったよ」なんてわざわざ誇示する必要ないですから。
で、子供がそう認識する理由は大きく二つあると思います。
一つは教える側が「こいつこんな問題も解けないのか」という態度をとってしまった場合です。これはよろしくない。このときの子供たちの反応は、どっちかというと「馬鹿にされたから馬鹿にしかえす」というものになります。つまり完全に「先生と子供とのコミュニケーションの問題」になります。
もう一つは何か「別の理由」によって、「今の問題を知らないのは恥ずかしいことだったのだ」と子供が認識した場合です。
このとき重要なのは、子供がそういう風に認識するには先生の態度以外の「別の理由」が必要だということです。
で、「国語の問題だった」というシチュエーションはこの「別の理由」になりやすいのです。日本語は日常生活でみんな使ってますからね。「学校で習わなくてもそれくらい知ってるはず」というものがあっても全然おかしくありません。
一方、数学などの科目ではそれが「別の理由」になることはほとんどありません。基本的に学校や塾で教わることだからです。したがって、子供が「今の問題を知らないのは恥ずかしいことだった」と思うこともほとんどありません(もちろん他の人に馬鹿にされたら別ですよ)。
まとめると、次のようなパターンが考えられるわけですね。
- 最初に先生が子供を馬鹿にした態度をとった……(a)
- 別に先生は子供を馬鹿にしていなくて、
- 子供は「恥ずかしい」と認識した……(b)
- 別に子供は「恥ずかしい」と思ってない……(c)
(a) は前述の通りコミュニケーションの問題で、みやきち氏のエントリの主題ではありません。この記事でも (a) のパターンは「それは先生が悪い」とバッサリ切り捨てて、考えないことにします。
で、恐らくみやきち氏のエントリの主題は (b) でしょう。だから子供の態度は「プライドを保とうとしている」という解釈になるわけですね。私が問題にしたいのも (b) のパターンです。
じゃあしっぽ氏のエントリの主題は、というと、 (b) ……ではなくて、(a) ……のようでいて、実は (c) なのでは、と思われます。
というのは、しっぽ氏が追記でこんな風に書いているんですね。
僕は、小学生が「知らないから間違った」って主張しているんではないか?と書いたのであって
僕が「知らないことは間違ってもいい」とか「生徒が知らないことはテストに出すな」とか主張してる記事ではないっていうか。
「ほんとは (c) のパターンなのに、(b) のパターンだと大人が勘違いするのはどうよ」というのがしっぽ氏の言いたいことではないでしょうか。
でも、しっぽ氏はそのことを自覚してなくて、(a) も (b) も (c) もごちゃ混ぜにしてしまっている印象です。
しっぽ氏が挙げた例がそのことを端的に表しています。
でもさぁ、例えば僕があなたに「int と floatの違いを答えよ」とか言って、もしあなたが答えられなかったら、「そんなこと知ってるかボケ」って感じじゃないですか。
それで僕が「全世界何万というPGの皆さんにとっては常識ですが、ププスー。」とか言ったらぶん殴る勢いでしょ?
こういうのは本当なら典型的な (c) のパターンなんですよ。プログラミング言語は前述した「別の理由」にはなりませんから、そもそも知らないことを「恥ずかしい」と思うことがないわけです。
しかし(これが全くもって余計だったんじゃないかと思うのですが)、出題した方が「常識ですが、ププスー」と馬鹿にしたという話になっているので結局 (a) の「馬鹿にされたから馬鹿にしかえす」パターンの例になってしまっています。
また、最初の方で引用した「じゃあ先生、さっきの僕はどうやったらこの問題が解けたんですか?」のくだりは(しっぽ氏は (c) のパターンのつもりで挙げたのかも知れませんが)、どっちかというと (b) のパターンの話です(自己正当化の意味合いが強すぎて、むしろこれはみやきち氏の主張を補強しています)。
さて、以上を踏まえまして。
まあ確かに、子供は「今のは恥ずかしかった」と思おうが思うまいが、それこそ「天然」な反応として「そんな言い方誰もしない」と言うことは、それはあると思います。だから「そんな言い方誰もしない」という言葉だけを捉えて上記の (b) か (c) かを決めつけることはできません。
しかし私は、子供の態度を直接見れば (b) か (c) かくらいは分かると思います(まさしく「態度の問題」です)。その上で、みやきち氏は (b) であると判断したのでしょう。もちろん、みやきち氏が教えている生徒が実際どういう態度をとったかを我々が知るすべはないのですが、それを言い出したらきりがないと思います。
あるいはみやきち氏が(無自覚のうちにでも)最初に子供を馬鹿にした態度をとった故に (a) の「馬鹿にされたから馬鹿にしかえした」パターンになってた可能性もあります。それも実際のところを我々が知ることはできません。
そんなわけで、結局本当は (a), (b), (c) のどれだったのかは分からないので、読んだ人がそれぞれ自分の経験に照らし合わせて推測するしかありません。
みやきち氏の主張に違和感を覚える人は (a) や (c) のパターンに心当たりがあるのでしょう。また、「子供の態度を見れば分かる」という私のような考えが受け入れられない人は、「そんな言い方誰もしない」という言動をもって「(b) のパターンだ」と見なすのは大人の決めつけであるという風に感じるかも知れません。
ついでに、念のため書いておきますが、私は「プライドを回復しようとするすべての子供は人を馬鹿にした態度をとる」という主張をしたいのではありません。みやきち氏もそういうことを言いたいのではないと思います。そこのところは誤解のなきよう。
いずれにせよ (a) や (c) の解釈も、結局は (b) と解釈するのと同様の「決めつけ」をしないと成立しないと私は思います。
私が (b) だと「決めつける」根拠は既に述べたとおりですが、 (a) や (c) だと「決めつけた」人はどういう根拠をもっているのか、興味深いところです。