日々の生活の中で、心が鬱々となってふさぎこむことがある。
ストレスが多い世の中だもの、みんな多かれ少なかれ心が重くなって耐え切れない状態にだってなるというもの。
そんなとき、どうしたらよいか?
思い切って環境をかえてみるのもひとつの方法である。
なぜなら袋小路に落ち込んだ自分を自分自身で明るい自分にするのは容易ではないからだ。
環境をかえるといっても海外へいけばよいというのではなく、ショッピングに行ってもいいのである。
要はじっと自分自身を見つめ続ける状態から解き放ってやればいいのだ。
おいしいものを食べただけでもぱっと目の前がひらけるときもある。
小さな旅にでるのはそんなときだ。行く先はどこでもよい。隣の町でもいい。
いつも見慣れているはずの青い空を実はそんなにいつも見ていないことに気づく。
アスファルト道路の裂け目を破るように一輪の花がさいているのをみつけるとき、そのけなげさやたくましさに突き動かされる。
人は自然の中にあるものになぐさめられることが多い。自然の中にあって学ぼうとしなくとも自らの心の渇きが何かを掴むのであろう。
点から点への移動でしかない旅で、人は普段きづかないで過ぎてきた何気ないものににふと目を留める。
見知らぬもの同士の会話の中に、働く人の姿に、鳥の声に、寒村の景色に。
人と比べず、自分の良いところを愛でてやる。
あるがままの自分を認めてやる。
貴方は、貴方のままでいい
ありのままの貴方でいい
いつもそのまま、在ればいい
この言葉は瞑想教室の師の言葉である。
一生が終わる頃、人はみんなおしなべて帳尻があうのだという。
明日には明日の風が吹くのだもの。くよくよしたってはじまらない。
補い、補われ、支え支えられて生きていくのが人というもの。
空を飛ぶ鳥は何故自分が空をとぶのだろうなどと煩悶しないものだ。
風をきり、大空を舞う。水辺で喉を潤し、えさをついばむ。
一日がそうやって過ぎていく。
人もたまには鳥になってみるのがよい。
心を空に解き放って・・・飛んでみよう、鳥となって。
それでもダメな時はどうするかって?
気軽にカウンセラーのところへ行って、心の内を吐露してみるのもいい。