東京日記

 台風が去ったあと、バス通りの向こう側の、川に面した一帯が水につかっていた。バス通りから向こう側に下る道は、途中から水にもぐってしまった。
 幼女は、水着に着替えて、浮き輪を持って坂道をおりて行った。にごった水が、風に揺れている。幼女の顔は、パッとほころんだ。浮き輪のなかにからだを通して、腰のあたりで両手でささえると、小さなビーチサンダルを脱いで、そっと片足から水のなかに入って行った。
「うみー、うみー」
 幼女は、上機嫌で、水のなかでバチャバチャあばれた。
 母親が気づいて、幼女をつれにきた。
「うみー、うみー」
 幼女は、有頂天だった。汚れた水たまりが、ほんとうに海のようにおもえた。
「もう、あがりなさい」
 母親が、静かにいった。
 幼女は、浮き輪を腰につけたまま、母親に手を引かれて家に帰ってきた。
 風呂場で、水着を脱がされ、おしりをピシャンとたたかれた。痛くないたたき方だった。それから、からだをゴシゴシ洗われた。
「ういーんして」
と、母親がいった。
 幼女は、頭をいっぱいにそらして、首を洗ってもらった。
「ばんざいして」
「バンザーイ」
 両手をあげてわきの下を洗ってもらった。
「おえんちょして」
 幼女は、風呂場の床に腰をおろした。母親は、静かな眼で、幼女の足の指のあいだまで、きれいに洗ってくれた。
 それから、眼をつむっていると、やさしい指が、幼女の髪を洗ってくれた。
「息を、とめているのよ」  
 たくさんの水が、幼女の顔の上を流れ落ちた。
 日向のにおいのする、よく乾いたタオルで、幼女の髪はくるまれた。そして、頭がグラグラするくらいしっかりふかれると、もうからだは冷たくなかった。
「ジュース」
と、幼女はいった。
 下だけパンツをはいて、バスタオルを肩に掛けたまま、幼女は縁側にすわりこんだ。両手でコップをつつみこんで、ストローをくわえた。口のなかに、ブドウのかおりがひろがった。
 陽は、縁側まで射しこんで、幼女の日焼けした肌を、もう乾燥させている。
 幼女がストローをくわえている縁側からは、樹々にさえぎられて、バス通りの向こう側までは見えない。それでも、幼女は知っている。坂を下った向こうに、大きな海がひろがっていることを。
 窓際に置かれた、液体を満たしたガラスの容器に、「アーティスト、90歳」と書かれた脳が浮かんでいる。その脳からのデータは、逐一グラフの針にあらわれる。きょうは記憶中枢にいちじるしい反応が出ているのを、若い研究員は興味深そうに眺めている。
(「私のニセ東京日記」で、一回分かせぎました。ちなみに、「おえんちょ」は「お坐り」のこと。「おっちゃんこ」という地方もあるそうです)