アナグラム 2

 作家の泡坂妻夫氏は、神田鍛冶町生まれと年譜にあります。三代続く紋章上絵師の家、松葉屋に生まれ、ご自身も跡を継がれました。着物の紋付のあの家紋を描く仕事です。丸のなかに繊細微妙な線を引くこまかい作業で、手が震えるといけないので、ふだんから箸より重いものは持たないようにしているそうです(万年筆は箸より軽いのか、とつっこまないでください)。
 上下さんが、これ読んで、といってぼくにくれた本は、いとこが書いた本だといいました。すると、泡坂さんは上下さんの親戚ということになります。
「むかし、隣りに住んでいたのね。わたしは子どもでおぼえてないけど」
 泡坂さんは、家の芸、地味な職人の仕事を選んだのでした。古い伝統のある家では、選ぶということもなくて、ただもう自然にそうなってしまったのかもしれません。お酒が好きで、ひたすら静かな人という印象があるそうです。親戚でも、年がはなれていると、つき合いは薄くなります。しかし、いくら薄くても、血は水よりも濃しで、赤の他人よりは気にかかります。
「ずうっと、手品と小説を書くのが趣味で、それしか楽しみのない人だったから、受賞したときは、一族みんな、それこそ自分のことのように喜んだの」
 そういわれると、ひとりでくりかえし手品を練習する姿が浮かんできますが、ひたすらトランプをめくったり、くしゃくしゃのハンカチからなにかを取り出して、見えない観客にさし出してみせたりする仕種は、一字ずつ原稿用紙のます目を埋めてゆく作業と同じで、孤独のにおいが感じられます。
「上下さんちも、地味だったの?」
「うち? うちはもう、たいへんなものよ」
 上下さんのお父さんは、一級建築士でした。それじゃあ、地味なんじゃないか。しかし、そのお父さん、すなわち上下さんのおじいさんは、鳶の頭をしていました。しかもそれは、江戸町火消しのながれをくむ、第一大区一番組よ組の組頭だったのです。
 鳶は、いってみれば男を売る商売です。ひたすら町内のみなさんのために奉仕して、また、その分お世話になります。持ちつ持たれつ、といきたいところですが、意気に感じて持ち出しばかり。湯水のようにお金が出てゆきます。しかし、そんなことでひるんでは男がすたります。意気は意地。だから、粋なんです。意地が張れなければ、男をやめちまいな。それは、女もいっしょです。おばあさんは出かけるとき、着物の帯のところに心付けの袋をしのばせておき、世話になる片端から配って歩いたといいます。こういう稼業は、理解を拒みます。ひとにいったって、わかりっこないやね。
 玄関の格子戸をあけると、広い土間があります。上がり框の奥に角火鉢が据えてあって、その向こうに諸肌脱いだ角刈りの男があぐらをかいています。組頭のおじいさんです。そして昼間から、ぐいぐいと冷や酒をあおりますが、いっこうに酔いません。そのかわり、背中の彫り物がだんだん色を変えて浮き上がってきます(彫り物は入れ墨とはちがいます。入れ墨は、刑罰によって入れられたものですが、彫り物は美意識です。そうはいっても痛いので、我慢ともよばれます)。
 おじいさんの背中に彫られたのは、桜吹雪をバックに、神田明神の三柱の一、三ノ宮に祀られた平将門公の長女滝夜叉姫だったそうです(子どものころ、早い時間に銭湯にゆくと、こういうおじさんが湯船につかっていました。きまって手拭を頭にのせて真っ赤になっていましたが、ふざけて水がとび散ろうものなら、おっかない顔で叱られました。あのころは、大人がきちんと子どもを叱ったものです、よその子でも)。神田っ子が滝夜叉姫を入れるというのも、義理と贔屓を身をもって体現しているわけで、面目躍如たるものがあります。大勢いる若い衆も、みんなさまざまな彫り物を入れていました。
 こういう家に上下さんは生まれました。(つづく)