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読む書く歌う旅をする      by 姜信子 Twitter

2019-01-20 ブログ、引っ越します。 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

2019年1月末をもって、こちらは閉鎖。

新しい住所は下記の通り。

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2019-01-15 金満里『生きることのはじまり』(ちくまプリマブックス)メモ

そうか、ほんとうに生きるためには<野垂れ死にの精神>が必要なのだ。と痛切に思う。これは「問いの書」。生き惑え、生きなおせ、そのためには他の誰でもない自分の目で世界を観よ、自分の体で世界を感じとれ、と覚悟を突きつける「問いの書」。 


金満里1953年生まれ。在日朝鮮人二世。母親は朝鮮古典舞踊の芸能者。

三歳でポリオを発症し、首から下が麻痺という重度障害を生きることになった。

そして今は演者は身障者だけの劇団態変の主宰者。

その人生の身世打鈴を読む。


・施設に隔離されるように収容された少女時代

・施設内の中学卒業とともに施設を出て、家にこもるほかない状態で過ごした思春期

60年代、重度障害の子どもは高校に行くこともほぼ不可能な状況に置かれていた。社会的にはいない存在とされていた)、

・ようやく重度障害でも受け入れてくれた近畿大学付属高校通信課程に入学。(社会のなかで生きる、ということへの思いは、通信課程のスクーリングでは果たされない。生徒間の交流のない、人間関係の生まれない教室

CP者(脳性麻痺者)の障害者運動組織「青い芝」との出会い。障害者の主体的な自立解放の運動へと突き進んだ19歳。

・「障害者は親から離れて家出しよう」(青い芝の自立の勧め)。障害者運動をしながら、家ではすべて家族に身をあずけて頼っている自分の矛盾に悩んだ末に、ついに家を出た21歳の頃。

・青い芝の分裂。青い芝からのPC者以外の切り離し。青い芝のように健常者組織があるからできる障害者運動であってはならないという思い、「野垂れ死にの精神」で文字通りの自立を選んだ24歳の頃。

・劇団態変を立ち上げた28歳の頃。そして、それからの人生。


こうやって、時系列で簡単にまとめてしまうと、淡々とした記述になってしまうのだが、これは社会に生きる場所を与えられていなかったひとりの「障害者」の、その意味で生きながらの「死」を生きることを強いられていた者の、破壊・浄化・再生(🄫金満里)のすさまじい物語なのだ。


「青い芝」の運動に身を投じ、家を出て自立することで、はじめて19歳にして、「生きることのはじまり」の地点に立つことができたのだ、世にはじめて産まれ出たのだという歓びを味わった。

その自立生活は「野垂れ死にの精神」のうえにあるのだという凄まじい覚悟があった。

しかし実質的には健常者によって、その論理によって支えられていた「青い芝」を離れることによって、組織の論理から金満里の論理・言葉へと向かう、さらなる険しくも厳しい自立の道に立った。


「青い芝」との決別によって、「青い芝」の<野垂れ死にの精神>を真に生きるということ。

(安全な場所で何を考え、何を問い、どんな人生を生きているのかという刃のような問いが読む者に突きつけられる。)


「野垂れ死にの精神」

「きれいに管理され、隠され、生きることを許されているだけの生活から飛び出し、自分の命の発露に忠実に、安全なんて顧みず、白日の下に命をさらすこと。これが本当の学びであり、生きていることだ」


青い芝行動要領

一つ、我らは自らがCP者であることを自覚する。

一つ、我らは強烈な自己主張を行なう。

一つ、我らは健常者文明を否定する。

一つ、我らは愛と正義を否定する。

一つ、我らは問題解決の道を選ばない。


このきっぱりとした声は、「らい文学集団」の宣言文のようだ。

自立を試みる金満里に当初激しく反対した母が語った言葉

「おまえのやろうとしていることは、朝鮮が日本から独立をしたのと同じ意味がある」「おまえがおまえとして生きるために、親も捨てていこうとするのは、おまえの立場とすれば当然のことだ。しかし、親がそれを止めたいというのも、また当然のことだ」「生きていくのはおまえ自身だから、結局はおまえの思うようにするしかないのだ」


植民地支配を骨身で知る母の言葉の深さ……。

そして、この言葉で外へと送り出された娘は、自立第一夜を「いのちの初夜」という。


組織解体―「私たち」という複数形から「私」という一人称へ  

「自分がそれまでいかに運動用語でいう“まだ解放されていない障害者総体”の代弁者の言葉しか持っていなかったか」「運動がなければ、組織がなければ、それほどまでに自分が無に帰する存在であったとは」

「普通はこういうものだ、まっとうな人ならそうする――では最初から「普通」ではない障害者はどうすればいいのか

その型そのものがすでに健常者文化なのではないか。あるべき姿をあらかじめ決めてしまうこと、それが制度となって個人を管理しつくす」「なんだかんだといっても、その制度に乗っかって、するすると摩擦なく生きていけるのは健常者の方だろう。とりわけ有利なのは、健常者の男だろう。」


障害者に主体性なんて本当にあるのか。

結局は健常者文化のほうが強かったということなのか。

障害者と健常者の共同性なんてしょせんあり得ないのか。

そして、健常者にも障害者にもある、「逃げ場としての子どもと家庭」への不信感。


ひとりぽつんと置かれた西表島・原生林での気づき

在日朝鮮人であるということ。日本と朝鮮、CP者と健常者、どちらからも距離を持たざるを得ない自分。<間性>/境界上に生きる者としての意識。

それが金満里を沖縄へと向かわせた。


「まわりはうっそうとしたジャングル。ふだんでも一人になることはめったにない。それが、いきなり大自然である。こういう経験もめったにできないだろうと、負け惜しみ半分、恐さ半分で、まわりの景色を楽しむことにした。すると目の前の大木に、アリがたくさん這い上がっているのが目についた。するといろんなものが、目に飛び込んできだした。それをボーっと眺めていると、ふと私の頭をよぎる思いがあった。

 それは、アリはアリでこれが世界だと思っている。大木は大木でこれが世界だと思っている。それぞれに、それぞれが世界だと思う、悠然とした営みがあるんだ――ということだった。それは、大木の世界にアリが含まれる、といった大小の関係ではなく、それぞれ独自の世界が、互いとは関係なく互いと絡み合って存在している。という宇宙観のようなものが閃いた瞬間だった。

 私にとって、この閃きは大きかった。それまでとは見えるものが大きく変わり、すべてが宇宙に生かされた存在なんだ、という喜びが充満してくるようだった。すべてがそのままの存在として、すべてと楽に共存している心やすらかな状態を初めて味わった。(中略)私にとってこのときの沖縄は、夢によって癒され、自然と宇宙との繋がりまで感じさせてくれたものとなった。そしてこれは、私が今、「態変」の芝居の中で表現しようとしている、破壊・浄化・再生という宇宙観との初めての出会いでもあった。」

2019-01-09 坂口恭平『建設現場』書評

熊本日日新聞2019年1月6日掲載。

建設現場』は、『現実宿り』からの大きな流れから生まれ出たもの、

だから、『現実宿り』から読むと、この世界には入りやすいと思う


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2019-01-08 梨木香歩『海うそ』 メモ

「これは私の記憶なのか。それとも場所そのものの、島そのものの記憶なのか。場所の記憶が、島の記憶が私に喚びかけ、働きかけているのか」


明治以前、西の高野山とも呼ばれ、修験道の島であった「遅島」の記憶。

昭和の戦前の時代に、その記憶は既に遠いものとなっている。

というのも、明治初年に、修験と神仏習合の世界が明治政府の神仏分離令とそれによって引き起こされた苛烈な廃仏毀釈によって、その記憶は修験者たちと共に消され、捨てられ、封じ込まれたから。


人は忘れる、人は忘れる、すべてを忘れてゆく


そんな忘れられた修験の島になぜ主人公はやってくるのか、

もちろんいろいろ理由はある。論文を書くためだとか。

だが、実のところは、あまりに身近な死に取り囲まれたがゆえに、無意識のうちに再生を願って島にやってきたのではないか。

かつての修験者のように山を駆けることで、再生を果そうとしたのではないか。

生きたいという衝動を身のうちに抱えていたのではないか。

修験者のあとをたどって山をゆく主人公は、修験者が残した地名を辿ってゆく者でもある。

地名には主人公を導いてゆくひそかなかすかな記憶が宿っている。


島には、他の部落とは暮らしぶりの異なる波音(はと)という部落がある。平家の落人部落という伝説があるが、よくある伝説でもある。

主人公の山駆けの案内をしてくれるのは、その部落の若者だ。


主人公が島で見るもの、聴くこと、体験することは、すべてが生と死のあわいの出来事のようでもある。幻のようでもある。

海うそ(=蜃気楼)のように。


色即是空。現実は幻だ。


あわいの世界をくぐりぬけて、生の世界へと還っていった主人公が、再び島を訪れるのは50年後のことだ。運命の呼び声に引き寄せられるようにして。


50年後、島は無惨に様変わりしている。

当時の人びとはもういない。波音のあの若者はもうずいぶん前に戦争で死んでいる。

その波音(はと)が、吾都(あと)の転じたものであること、それは本当に平家の落人部落だったことに主人公は気づく。50年後に。


土地の記憶、土地の教え。


島は様変わりしているが、その変容のうちに、変わらぬものがあることに気づく。

「これは私の記憶なのか。それとも場所そのものの、島そのものの記憶なのか。場所の記憶が、島の記憶が私に喚びかけ、働きかけているのか」


色即是空、空即是色、色即是空、空即是色……。


「風が走り紫外線が乱反射して、海も山もきらめいている。照葉樹林の樹冠の波の、この眩しさ。けれどもこれもまた、幻。だが幻は、森羅万象に宿り、森羅万象は幻に支えられてきらめくのだった。世界を見つめる初歩の初歩のようなこの認識は、また奥の奥のような常新しいきらめきを放ち、山根氏が私に問うた「色即是空の続き」は、経のなかでは空即是色だったということを、今更ながら私に気づかせた。「続き」は、空即是色だった。修験者たちが、修行のなかで、この島のあらゆる場所で、洞窟で、断崖で、滝で、何万回も呟いたであろう。色即是空、空即是色。子も島に満ち満ちているはずのその文言。なぜこんな当たり前のことがわからなかったのか。

 いや私はわかっていた。ずっと、わかっていた。それがまた色即是空へと一瞬にして転ずる、そのことも含めて。繰り返し繰り返し、島で過ごす朝な夕な、新しく更新される世界を目の前にして、私はそのことを、そのたびごとに新鮮な驚きとともに、わかっていたのだ。五十年前のあの旅で、私は自分の論文の内的な問題意識が到達すべき場所に、ことばによらず、すでに到達していたのだ。」


海うそ。この言葉/現象を、色即是空、空即是色の別名として、作家は記している。唯一変わらぬものとして。

2019-01-05 中島智『文化のなかの野性』 メモ

重要なのは両者(寓話・象徴)ともに世界の多様性が安易に一義化されてはいないということです。


●これ(↑↑)はアフリカのセヌフォ族のフィールドワークに入った中島智の言葉。

この言葉は、さらにこう続く。

「そういうわけでセヌフォの人びとも文字を学んだ者に対しては基本的に秘儀を伝授しません。これは意味の一義化、固定化の指向を招くものだからです。そこでは自然と対峙したり精神階梯の高い人びとと対話を交わす中で働く官能的な直感力が鈍くなってしまうのです」


●セヌフォ族の酋長の意味深い言葉。

「そこにいないものの名を呼ぶと、見えない世界の中に重大な運動を生じさせ、その事情、その存在が喚起され、呼び出されることになる。気をつけなさい。」


安易な呼びかけは危険なのである。

意識によっては交感不能な位相の世界に対して音楽の形式や象徴の形式、あるいは肉体(語りやダンス等)を通してその呼びかけを実践していく者たちにとって、呼びかけは存在レベルの交感であり、実際にそれは何らかの喚起をもたらす。それゆえに呼びかけは危険なのである。


●「セヌフォの人びとにとっての美とは、共に生きながら意識レベルでは交感不可能な絶対的他者を、内なる他者の諸形式に仲介させる技術において立ち現れるものなのです。すなわちそれは一種の力であると同時に、存在そのものなのです」

民俗的な世界においては土器を制作するのもまた女性たちの仕事です。

「土器を造る火、「外」から得られたものを人間世界に有効にもたらす火、これらは女性に統べられることで生産の火と見なされうるものです。」


この「生産の火」と対極の「破壊の火」を扱うものとしての男性性を中島智は語る。

そして、生産の火と破壊の火を両方を扱うマージナル存在、シャーマンと相似の存在としての「鍛冶師」を語る。


「鍛冶師というのもこの女性原理としての生産の火を扱うことの許された特異な存在なのです。彼らは屑鉄や銅の原石を人工物に変える力をもっています。この点では彼らは女性の力を纏っているのです。ところが彼らが造り出すものは樹木を伐採し、動物を仕留め、大地を耕し、戦争に用いるための道具なのです。また男たちが用いる火は主に焼き畑です。その目的が何であれ、それらに共通しているのはそれが破壊力であるということです。すなわち鍛冶師というのはその生産力によって破壊力を生み出す両義的な存在なのです。あるいは女性原理と男性原理をあわせもった両性具有的な存在なのです」

2018-12-28 しかし、今日はただ喜びを書けばいいのではないかと思う。

これは ⇑ 坂口恭平『建設現場』のなかの言葉だ。年末の予言のような言葉。

抜き書きしながら、自分の声も書きとめながら、これだけ読んでは意味をとりがたいであろう言葉の群れ。


もう崩壊しそうになっていて、崩壊が進んでいる。体が叫んでいる。体は一人で勝手に叫んでいて、こちらを向いても知らん顔した。


日誌にはなにか記録されていたが、どれも何語かすら判別できない。いろんな国の人間たちがいた。

私は一人で水を飲んでいた。その水がどこからきているのか、知らない。


振り返ろうとすると、また嘘の思い出が登場する。

視界が広がる。風景が見える。ところ、それで見えていることに慣れて、つい苦しさを忘れると、その先の風景がまったく見えなくなってしまう。まるで夢から覚めたみたいに、思い出そうとしても、次々に形を変えて、伝言ゲームのような最後にはまったくいびつな過去の風景が現われたりする。


しかし、本当にそうなのかどうかをいつも振り返ってしまう自分がいた。

しかし違う顔に見えているあけで、本当は毎日同じ労働者たちと働いているのかもしれなかった。


「読めるところだけ読めばいい」

誰しもそういうところがある、という声がしたがそれは頭の中の声で、わたしの声ではなかった。


音もせず突然崩壊ははじまる。わたしは崩壊自体を止めないことには、この建設は永遠に終わらないと思うのだが、そういう議論は一切出ない。むしろ、崩壊は建設の一部であると思っているようだった。


わたしは崩壊のたびに参加してはみるのだが、いつも初めてやっているように感じ、何からはじめたらいいのか躊躇してしまうからだ。


ここはいつか消えていく。」だからこそ、崩壊を止めなくてはいけない。



時々この建設現場で、わたしは別の場所のことを感じることがあった。しかも一つではなく、いくつも。

ここには何もいない。精霊もいない。(死者はいるようだ。)

彼らの手のひらは言葉よりも的確にこちらに感情が伝わってきた。


夢ならすぐに入ることができるのに、わたしはこの目の前の現実にすぐに入ることができない。

目は見えないものを探す道具に思えた。


「方法ならいくつもある」

まずはじめに疑う、そして味わう、そして空気を吸う、というようなむちゃくちゃな順番で生きていた。


わたしの体には眺めている景色が、充満していた。



12節

細部を見る。俯瞰する。それはどちらもわたしの目ではない。わたしは見ることはできる。しかし、見たものを記録するという作業に入った途端、それがわたしではなくなってしまう。わたしは、見ている状態をそのまま、わたしが知り得ない方法で、具体的に浮かび上がらせたい。

わたしは見たり、聞いたりすることが分かれる前、まだ一つの塊だったときのことを思い浮かべたりした。音というものは人のことを考えているのではないか。


腕にはめている計測盤  示されている数字や記号を読み取ることはできない。


体の動かし方が違うと言葉も聴き取れない。

わたしは自分の中で崩れ去っていく記憶のことを思い出した。

(崩壊しているのは外の世界だけでなく、自分自身のなかもまた。内と外の境目はよくわからない)

感じたまま書くということ。忘れぬためにではない。体が書かせている。


時間がいくつか流れていることは確かだった。

懐かしい気持ちなんてこれぽっちもないのに、わたしは見たこともない母親を、勝手にこしらえて帰郷の風景に浸った。そういう気持ちが次々と湧いて出てきた。


ありもしない故郷について懐かしんだり、存在しない肉親などをつくりだしていたのは、ペンだった。

(自他の境ももはやない)

わたしはペンにもなり、バルトレンにもなる。


ディオランド


わたしはクルーのことばを書く、わたしはクルーかもしれない


ある者は踊り、ある者は歌い、ある者は雄叫びをあげ、そこらじゅうにある石や崖、樹木などに体当たりし、その痕跡を残そうと、いや、痕跡ですらない。


人間が生まれるもっと以前の生き物の声が頭の中で、紙の上の洞窟の中で鳴り響いた。

わたしたちがいまこうして働いている建設現場がそれ以前にもあったことをクルーは伝えてきた。

サルト。猿人か? 


彼らは亡霊のように見えた。


わたしは横たわっている、なのに歩いている、


彼は息するように書きつづけている、私は息するようにそれを読みつづける、読まずにいられないのは、それが生きるということだからなのだ。


わたしの中に生息しているのは人間だけじゃなかった。人間だけで八百人以上もいたが、それ以外に数十匹の意に、猫は八匹、狼は山の中に数匹隠れていて、山は見たことのない植物で満ち溢れていて、水も流れていた。

たくさんの時間、たくさんの言葉、たくさんの記憶、たくさんの歌、たくさんの物語、


体は感じるためにある、感じることは生きて死んで、死んで生きて、建設して崩壊して、崩壊して、建設して、夢を見て、書いて読んで、その繰り返しだ、反復だ、反復だ、反復に絶望するかって?  するもんか、反復に気を取られるやつはまだこの世界の初心者だ、


生きるのには、水が必要、水が必要。


労働者たちはひたすら想像する、実在しない町から手紙が届く

この世のすべての記憶は私に流れ込む。

この世のすべての時間が私の中に流れる。

私は生きている、生きている。

町はいつまでもたってもできあがらない。


人間はあらゆるものが通過していく道のような役割を果たしていた。

わたしは時計を作っている。時計は言葉でできている。

まったく新しい歩き方が必要だった。

図面はすべて完成していたが、毎日変更が知らされた。

A地区はもう30年前から建設が止まっている。

B地区は建設中。

ディオランドという名の街がある。

どうせすべては想像の世界だ。だからってそこに生きている人間たちがみな幻ってわけじゃない。そこで生きているやつはすべて本当に生きている。

ディオランドは作られた故郷だ


道化師もいる。

彼は崩壊の秘密を知っているらしい。

F域 言葉は風の音 またの名をジンラ  地面だってここに住んでいるんだ


サルトは何人もいる。

語り手は一人ではない。


声は場所なのだ、言葉は場所なのだ。開かれている場所なのだ。


声はそれぞれに違うことを言う。

建設現場は建設現場でなかったりする

でも誰も混乱していない

管理部がある  手順部がある  設計部がある 労働者がいる 職人がいる  多くは名をもたない、もしくは忘れている


二部 様々な声

この現場の醍醐味は、それぞれがそれぞれの楽しみ方を見つけること。

現場はいつも、予感を秘めている。

建設はA地区からはじまった

市場もある。

医務局もある

本もある。

謎の水、もしくは謎の食べ物グロミヌ

労働者たちの頭の中で起きている思考の交通が、建設自体に何か影響を与えているようだ。



マウという名のたぶん神のモノガタリもある。都市文明の神、それが2の最後。



声たちの場所

ただ受け入れなきゃいけないんだ。自分で気づいてなくとも、おれはいろんなものとつながっている。


建設するほどに崩壊してゆく

この記憶は誰の記憶なのか?

塔が立っている。廃墟となった塔が。夢見る者たちが再建する塔が立っている。


わたしは放浪する

その放浪を私は追いきれない。


現場のことは何一つわからない。

メモして読んでいくのに突き放される。

「今では手帳を読み返しても、まったく思い出すことができない。過ぎ去った話なのか。これから起こることを想像しているのか、わからなくなるほど、書かれてあることは混濁していた。わたしだけが取り残されていた」


ロン。 大事な命の名前のひとつ。


4−99

放浪は草の中へ、砂の中へ、水の中へ、山の中へ、


神話が語られる。川が枯れたとき人間が現われたのだと。人間は川だった水滴だった、川の記憶は至るところに、何度も流れてくる、

川はすべてを思い出し、一斉に涙を流すように溢れだした。


植物が現われる、茂みのなかに動物が現われる、


これを設計している誰かがいる。誰だ?

おまえだ。


これはロンが書いた本なのか。


森へとわたしは入ってゆく


私は植物になる、虫になる、



トラックに乗ってまた建設現場へ。

賽の河原の石積みだ 死の世界から生が生まれいずるようだ

石を積み上げていくうちに世界が生まれる、人びとが暮らしはじめる

彼らにはわたしが見えていない

人びとは歌い、踊り、祭りをする


わたしは町になる  (神)になる



世界を書く  世界を観る  世界を生きる

けものにもなる

(表現する意志より遙か以前にすでにこの世界はリズムに充ち満ちている)


書きつづけたとしても、どうせまたわたしは繰り返すのだ。


しかし、今日はただ喜びを書けばいいのではないかと思う。

2018-12-26 『新版 野の道 宮沢賢治という夢を歩く』(山尾三省 野草社)メモ

山尾三省の言葉を読むうちに、わけもなくざわめく心がだんだんと鎮まってゆく。


ここに書かれているのは、自我の外部へと出てゆくということ。


【問い】 いかにして「野の道」をゆくのか?

「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思う」(山尾三省)

祀られざるも神には神の身土がある。

これは宮沢賢治春と修羅 第2集』 「産業組合青年会」からの言葉だ。

同じ言葉が、「作品三一二番」にも現われる。

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作品三一二番


 正しく強く生きるといふことは

 みんなが銀河全体を

 めいめいとして感ずることだ

   ……蜜蜂のふるひのなかに

     滝の青い霧を降らせ

     小さな虹をひらめかす

     いつともしらぬすもものころの

     まなこあかるいひとびとよ

 並木の松の向ふの方で

 いきなり白くひるがへるのは

 どれか東の山地の尾根だ

        (祀られざるも

         神には神の身土がある)

    ぎざぎざの灰いろの線

        (まことの道は

         誰が考へ誰が踏んだといふものでない

         おのづからなる一つの道があるだけだ)

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これを山尾三省はこう読み解く。

最初の光は銀河からやってくる。

次の光は神からやってくる。

三つ目の光は道から来る。


それは一つの真理を三つの側面から呼び上げたのだと。


二番目の「神」について、山尾三省の言葉。

「私達一人一人の本質は神である。私達一人一人は一個の神である。祀られる神もあるだろうが、祀られざる神もある。祀られようと祀られまいと、私達の本質は神であり、神はその身土を持つ。身土とは場のことである。土の上に立った人間の姿を身土と呼ぶのであるから、それこそはまさしく野であり、場である。絶対性を内蔵する絶対相対性原理である。すでに神で在る以上、祀られる必要はない」




この感覚を初めて私に教えてくれたのは、石垣島の、自称アキメクラの、三線おばあナミイだった。まるであたりまえのように、ナミイは、ひとりひとりの頭の上の神を語り、鳥獣虫魚草木に宿る神を語り、そのうえに、「あんたの頭の上には神がない」と言い放ったのだった。


それが16年前のことで、それから私はわれしらず神探しの旅に出て、そしていまこの山尾三省の言葉が水のように空気のように私の中に入ってくる。



そして、今福龍太さんがあとがきに引いている山尾三省の詩のこの言葉。これは風の言葉だ。


  ぼくはね

  かつて生まれたこともない存在だから

  死ぬこともない


これを今福さんは不生(生じることも滅ぶこともなくつねにそこにあること)の風と言う。

そして、不生の土に生きる、不生の夢を抱く者として、人は在る。

そのような人として、私も在る。

ただ「いま」「ここ」をかけがえなき永遠として生きる一個の祀られざる神であることを

夢みる者として、

その夢に届かぬ距離を修羅として彷徨う者として、

人は在る。

そのような人としての私が在る。


そんなことを静かな心で思う夕べ。

今夜はクリスマスだったな。

『野の道』の最後はこう締めくくられる。


野にあるものは野でしかない。それで充分である。ここには太陽があり土がある。水があり森がある。風が流れている。大きそうな幸福と小さそうな幸福とを比較して、それが同じ幸福であるからには小さな幸福を肯しとする、慎ましい意識がここにはある。宮沢賢治が、「都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ」と言ったのは、このような場からにほかならない。

2018-12-13 シャマン・ラポガン『大海に生きる夢』 日本の読者宛の序文から

シャマン・ラポガンは、文学におけるタオのことばと中国語の文字の関係を語る。これはとても大事なこと。




 親愛なる日本の読者のみなさん、私は小説や散文を書きますが、私が文を書く“母体”はタオ語で、文字は漢字です。漢人漢民族)の読者は、最初、私の作品を読むと、みんな私が書く漢字は“可笑しい”と感じるようです。その後、友人が私の作品の漢字や文法を直してくれましたが、あとで読んでみると、私の文学ではなくなっています。植民者と被植民者のあいだの微妙な関係について、ほかのことはともかく、文学作品についてだけ話しましょう。植民者は、順化させる者であり、同化させる者です。被植民者はことばと文字で順化され、価値観で同質化されるコロニー(生物集団)です。

 要するに、私は中国語の漢字によって順化されることを拒否しつづける海洋民族作家ではないということです。私が強調したいのは、私の体内に流れている血は“海の民の遺伝子”であり、多くの“ことば”は、民族固有のことばを中国語に翻訳してはじめて、その表現には感覚があるということです。このような感覚は中国語や日本語、あるいはその他の言語が英語に翻訳されたとき、訳語ではそれを完全に表現することができません。そうして、私は順化された“都市遺伝子”の原住民族ではなく、“海流遺伝子”の原住民族なのです。

 

2018-12-12 シャマン・ラポガン『大海に生きる夢』 日本の読者宛の序文から

2018-12-11 シャマン・ラポガンを読む。

海の民タオの祈り。タオの作家シャマン・ラポガンの文学それ自体が祈りなのだ。歌なのだ。


亡くなった子のための祈り

子どもよ、気を付けておまえの道を歩いて行くのだよ」

「願わくば我らの膝から生まれた長女をお受け取りください

 この娘のお蔭で我らは祖父母となりました

 娘を導いて白い島へお連れください

 願わくば我らをシロカモメのような善霊にしてください」


●タタラ(舟)をつくるために木を伐る斧にかける言葉

「おまえはわしじゃ わしはおまえじゃ」


●タタラとなるパンノキに向けて

「わが親愛なる木の魂よ、わしはおまえを舟板に迎える。おまえはわしといっしょに海で漁をするために働くのじゃ。風や波浪に乗って進む練習を重ね、海洋民族のトビウオ漁文化を実践し、大型魚が泳ぐ海域を追い、こうして我々は先祖伝来の黄金財産の祝福のもとに一体となるのだ」



●海の魚に向けて

力いっぱいのみ込むのだ! わが敬愛する大きな魚たちよ

わしはおまえたち霊魂の友だ

飛んできてわが家の客となれ

黄金の霊魂がおまえたちを迎えよう

わが敬愛する大きな魚たちよ


トビウオの民であるタオにとって特別な魚であるロウニンアジに向けて、海の民は即興で歌詞を創り、歌をうたう。

エイ〜 アニトの貪欲な舌は 大きな魚が泳ぐ道だ

サア〜 おまえたちが泳ぐ道で 霊魂のあるわが舟をみつけよ

オオ〜 わしはもう人の祖父となった……老人だ

アア〜 わしと同じような歳の大きな魚よ わしはおまえたちのために歌う


そうだ、歌は、このようにして歌われるのだ。

わしはおまえたちのために歌う

『冷海深情』。新たな世界のための神話としての海洋文学はここからはじまる。

●「冷海深情」より

「海は、歌い終わらない詩だ」と、シャマン・ラポガンの父は言う。


父と伯父は、詩で語りかけ、詩でこたえる。


●「海の神霊を畏敬する」より。

 「伯父が言うように、潜水漁の名手になるほど、漁獲は少なくなる。なぜなら、ほしい魚だけを選んで捕り、乱獲をしないからだ。老人たちのこだわりの理解が深まるほど、大自然のすべての神霊への畏敬も深まり、山林の樹木のために祈るようになる。おまえが勉強した本は、漢人がおまえたちに書き与えたものだが、おまえが書く本は、島のすべてのものがおまえに贈ったものだ。おまえも祖先生活の知恵を後代のヤミ人に残した。労働の価値のすべては、自分で生きていこうと働く人のためのものであり、そのような人こそ尊敬するべき人なのだ。そしてまた、おまえの創作の泉源でもあるのだ」


「月がヤミ人の幻想の宇宙にかかっていた。父たちは、文字でヤミ人の歴史を書こうとしたことはない。彼らはただ、見たり聞いたりしたものを、頭に刻みつけただけなのだ」


「わたしの唯一の道は、努力して創作することだ。そうしてこそ、海のにおいのする作品を記録することができるのだ」

みずからの人間再生のための文学、消費者ではなく生産者であり、みずから生きると同時に生かされえている命としての人間であるための文学。

シャマン・ラポガンの描くタオ族の美しいシイラ漁の情景を読む。

それはシャマンがシイラを釣り上げたあとのこの描写

わたしはシイラの、閉じたり開いたりするえらをずっと見ていた。櫂を漕ぐ手は止めていた。はるか遠くからの歌声が鼓膜を打った。歌声はこのうえもなく美しかった。波しぶきの、サッ、サッという音は、ヤミ(=タオ)の人々にとって最高の和音だった。上がったり下がったり、途切れたりつづいたりする波のリズムだった。

 わたしは舟を漕ぎながら、台湾原住民の歌を口ずさんだ。もういちど、シイラを誘い出そうと思ったのだが、シイラには歌詞の意味がわからなかったらしく、二匹目には逃げられてしまった。わたしは笑ったり怒ったりしながら、舟を漕いで、浜へ戻った。岸から百メートルほどの所まで来ると、力を入れて舟を漕ぎはじめ、海面に波しぶきをたてた。村人たちは、これを見ると、シイラを釣りあげた舟だとわかるのだ。



タオ(人間)の男として生きるということ。

労働(伝統的な仕事)で自分の社会的地位を積み上げ、労働によって自分の文化の過程に深く分け入り、大自然からの食べ物を人々と分かち合い、自分に着せられた漢化の汚名をそそぎ、抑圧されてきた誇りを再生すること。

タオの勇士の条件は極めてシンプルだ、しかし、きわめて難しい。近代によって牙を抜かれ、本能を殺された者たちにとっては。

ヤミ族の勇士の基準は、舟を造り、家を建て、トビウオを捕り、シイラを釣り、物語を上手に話し、詩を吟じる、これらのことがすべてできる、ということだ。

2018-12-10 『苦海浄土』第二部 神々の村  メモ

石牟礼道子にとってアニミズム神は呪術神でもあるということ。


鳥獣虫魚草木石水風 アニミズムの神々を単に素朴な善良な神々なのだとは、石牟礼道子は思っていない。


『神々の村』P279

 日々の暮らしとともにどこにでもいたあの在野の神々は、もとをただせば、人びとの災いを身に負うていた身替り仏であったり、災厄の神などと相討ちなどになって果てたりして、村の守護神となったうつつのヒトでもあったから、そもそも、はじめから神格などをそなえていたわけではなく、むしろ生きていたときの姿というものは、なまなまとした人格であったにちがいない。そのような神々は、岩の中から生まれたり、人びとが野尿を放つとき、草の穂の先に宿っていて、飛び出て来たり、祭りの野宴のにぎわいの中に、にぎわい神といわれる年とった女房たちの中などにもついていたりするのであった。

 

(中略)

 のちのち人びとが気付いて信じられる神というものは、人神一如でなければならず、それはひとや生きものの気息の中につねにひそんでいて、ただちに対者に乗りうつって来ねばならなかった。ほとんどのアニミズム神たちはまた呪術神でもあり、呪術神と災厄はつねに結びついてもいたのだった。



苦海浄土第一部「死旗」P74 〜75

私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合して、近代の呪術師とならねばならぬ。

2018-12-06 『南島イデオロギーの発生』(村井紀 福武書店)再読 その2

関東大震災で虐殺された朝鮮人は「コメ難民」なのである。


1910〜1918 「土地調査事業」(これは台湾でも)

1920      「産米増殖計画」(もちろんこれも台湾でも)。


P69

一九一〇年の「併合」の「土地調査事業」以降、土地を追い出された小農民層は満州・シベリア・日本へと流れていたが、一九二〇年のコメの強制作付けはそれに一層の拍車をかけたのである。


<朝鮮人の日本流入・居住人口>

1909  790人

1911  2527人

1917  14501人

1918  22262人

1920  30175人

1923  80617人

1926  148503人

2018-12-05 『南島イデオロギーの発生』(村井紀 福武書店)再読

植民地朝鮮の土地調査事業に関わった農政官僚としての柳田国男。その山人論はどこから来たのか。『遠野物語』、『石神問答』はいかにして生まれたのか、それを「植民地政策から切り離すことはできない。

と、村井さんは言うわけです。

『後狩詞記』『石神問答』『遠野物語』三部作は、1909年1910年著作

この時期柳田は法制局参事官、内閣書記官記録課長として「日韓併合」に関与。

植民地統治、その嚆矢としての「土地調査事業」に農政官僚として関わった柳田にとって、「山人」とはそもそもいかなる存在だったのか、それは台湾の「高砂族」であり、北海道のアイヌであり、朝鮮ならば「火田民」となる。つまり土地を持たぬ焼畑生活者、「山人」「山民」である。

「石神」=土地の境界神に関心を持ったのも、「古代民生」を見るため。つまり「古代」日本の”植民地政策”を見ようとしたから。(『石神問答』)


以下、本文抜き書き。


P24〜25

この「山人」への彼の眼差しは、農政官僚柳田が国内の小農民(小作民)政策に力を注いだこととパラレルなのである。つまり韓国に“近代的”な土地所有制度(日本側の「土地調査事業」の目的はここにある)を確立するにあたり、まず土地をもたない焼畑生活者、「山民」・「山人」の存在であり、柳田はそれを北海道から九州まで、また飛騨の山間まで跋渉し、また「古代」日本の歴史にあたることで、もとより台湾総督府の調査報告書を読み、江戸の地誌・民俗誌を読むことで、国内における異民族の実在を確信し(またぎや被差別部落民を異民族の末裔として)、その政策に反映させようとしたのである。


彼は「山人」(異民族)問題を提示し、その資料(情報)収集のために書簡で討論し、その生活文化を物語ったのである。


「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。此書の如きは陳勝呉広のみ」(『遠野物語』序文より)

これは「山上山人」のいわば“謀反論”である。つまり「陳勝呉広」(秦帝国末期の農民反乱のふたりのリーダーを言う)という言葉から言っても、「山人」の“謀反論”なのである。

柳田の“南島イデオロギー"は、アイヌ民族問題と「日韓併合」問題とを排除し、消去することで成り立っているのだと、村井紀は言う




P36

一九一九年の三一独立運動は都市部よりも農村部で盛んであったことはよく知られている。零細な小農民たちは役場を襲い土地の登記簿や強制的な作付け台帳を焼き払い、抵抗したのである。さらに関東大震災の犠牲になった朝鮮人たちとは、そのような小農民たちが土地を追い出され、日本に難民化して流入し、難に遭った人々であったのである。

 つまりこれらは柳田が策定した「土地調査事業」によって土地を追い出された小農民たちの「事件」であり、例えば農村部の三一独立運動こそは、『遠野物語』序文に言う。「山人」の"謀反”、まぎれない「陳勝呉広」の反乱だったのであり、さらには関東大震災の虐殺は、そうした「山人(朝鮮人難民)」の「反乱」を恐れた、「大衆」・「庶民」が、つまるところ柳田の説く「常民」たちが、「自警団」を組織し、被害妄想の上に引き起こした、われわれのスキャンダルだったのである。


P29

要するに彼は「日韓併合」に関与することで、自らが見いだし、また提出した、近代日本の植民地主義がもたらした異民族問題(なお、柳田は被差別部落民を古代異民族の末裔だとしている)を、なんとかこの島々(南島)で自ら隠蔽しようとしたのである。

では、少数者、沖縄の人々の現存はどうであったか。(中略)柳田にとり「原日本人」だけが重要であって、実際には彼らはやはり切り捨てられるのである。


P30

つまり「南島」はなにより「山人」(植民地問題=異民族問題、直接的には「日韓併合」を)消去し、同質な「日本」及び「日本人」を追求する柳田が、いわば「政治」的に作為した場所なのである。

2018-12-02 ”まぼろしの舟のために“(『苦海浄土第三部 天の魚』)より。

シャマン・ラポガン『空の目』を読みつつ想い起こした石牟礼道子の文章を書き写してみる。



 朝はたとえば、なまことりの話から始まるのです。

 ひとりの漁師が、まださめやらぬ夢の中からいうように語りはじめます。

「いや、よんべは、えらいしこ、なまこのとれた。ああいうことは、近年になかったばい」

 チッソ社長室に近い応接室の床にごろ寝をつづけ、髪もひげも珍妙にほこりをかむって、もこもこと動いている若いひとたちは、もうそれだけ聞いたとたん、おきぬけのまなこにちろちろと、あの、不知火を明滅させる。

「へえっ、どこらあたりに、そげんたくさん、なまこの居りましたか」

「いや、たしか、ありゃ、どうも明神の鼻の崎の方の海じゃったな。

 箱眼鏡でな、のぞくでっしょ。いやもう、のぞく先々に、ぼろぼろ、居るもんなあ。うれしさまかせにかたっぱしからとりよったですけれども、全部とってしもうては、罰の当るけん、半分は戻しとこ、とおもうて、戻して来ました。

 黒なまこのなあ、しこしこして、うまかったろうて。いや、あれだけのなまこじゃれば、つるつるすすりんこんで、腹の冷ゆるまで食うてよかったぞ。いや惜しいことをした、夢じゃった……」

 どんなにみんなが、とれたなまこと、海に戻してきたなあこのことをなつかしがっていることか。夢も、漁師たちにとっては、なりわいの一部です。

 もと漁師であるゆえに、未来永劫漁師であるひとたち。

 

(以下、略)