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2018-09-19 『田中正造 未来を紡ぐ思想人』小松裕  メモ

「治水は造るものにあらず」と正造は言った。そこには渡良瀬川をはじめとする利根川水系全体を歩きたおして体得した「水と自然の思想」がある。日本の近代はこれを否定することからはじまったのだ。


正造の治水行脚。

齢70にして、1910年8月10日から1911年1月30日までに、少なくとも1800キロ以上歩いている。

それは本州縦断の距離に等しい。

これは、明治政府の治水政策の誤りを実証するための行脚だった。この情熱、執念。生きとし生ける命のための。



「水ヲ清メヨ」と正造は言う。


1902年7月29日付「足尾銅山鉱業停止請願書」には10項目の「天産公共ノ利益」が挙げられている。

「その第二、水質ニ付」

「古来ハ水質佳良ニシテ飲料及ビ染色織物等多大ノ公益ヲ享有セシモノ悉ク害サレテ結局其用ヲ供スルヲ得ズ」


「すなわち、鉱毒問題とは、こうした昔からの川と人間の関係そのものを断ち切ることでもあった」(小松裕)


明治政府は、鉱毒問題を治水問題にすり替えようとする。

(この時点で、既に、渡良瀬川氾濫の根本原因である上流の山々の「死」は、その山の恵みで生きていた松木村等の村々の滅亡によって、訴える者もない。もちろん山と共に死んでいった鳥獣虫魚草木も訴える声を持たない)


山が死んだ以上、そして、それを蘇生させる意志がない以上、吐き出されつづける鉱毒の被害を広げないために、洪水防止の遊水池を造る。そのために渡良瀬川下流の谷中村には犠牲になってもらう。

なぜ谷中村なのか? そこが二つの川の合流地点であるから。

合流地点では、氾濫時に、溢れ出る水は逆流し、中流域の村々に甚大な被害を及ぼすから。



ここに遊水池=ダムを造れば、東京に鉱毒が流れ込むことも防げる。


しかし、おかしいではないか。


元(足尾銅山)を断たずに、無辜の民が生きる村を潰すのか?

(思い起こすこと。チッソの操業を停止させずに、国家は無辜の漁民を見殺しにしていく。それどころか、暴力で封じ込める)


正造の言葉を書き写していってみよう。


田中正造 日記 1911年8月30日

「古への治水ハ地勢二よる、……然るに今の治水ハ之に反し、恰も条木(定規)を以経の筋を引く如し。山二岡二も頓着なく、地勢も天然も度外視して、真直二直角二造る。之れ造るなり、即ち治水を造るなり。/治水ハ造るもの二あらず」


「治水とは流水を治むると云ふにはあらず、水理を治むるを云える也」


「水ハ気車道ノ如ク無利ニ山ヲキリ川ヲ移動シテ妄リニ直経直行ヲ好ムモノニアラザルハ断々乎トシテ明カナリ。川ト道トハ全ク同ジカラズ。(中略)水ハ誠ニ天地ノ如シ。天地ノ大ヘナルハ法律ノ制裁ナシ。即水ノ心ナリ。水ハ尚神ノ如し。自由ニ自在の自然力ヲ有シ又物ヲ害サズ偽ラズ、故障アレバ避ケテ通ルハ水ノ性ナリ」


正造の言葉をさらにどんどん書き写していってみよう。



「古人モ云ヒリ、水ノ流レを見レバ人ノ行ク末ガ見ヘルト」


確かにそうだ、断ち切られた水の流れを見れば、断ち切られた命の明日の姿が見えてくる。


又曰く、治水ハ天の道ちなり。我々の得てよくする処にあらず。只謹みて他を害さゞらんとするのみ。流水の妨害をなさゞらんと欲するのみ。苟くも流水を汚さゞらんちするのみ。清浄ニ流さんとするのみ。村々国々郡々互ニ此心にて水ニ従ハゞ、水ハ喜んで海ニ行くのみ。我々ハ只山を愛し、川を愛するのみ、況んや人類をや。之れ治水の大要なり。


私はここで、たとえば、石牟礼文学の「原風景」を足尾鉱毒事件とそのなかで語られた言葉の中に観ている。ここからはじまった近代、もうひとつの明治150年のはじまりの風景を観ている。


田中正造 1909年12月5日の弁。

「山や川の寿命は万億年の寿命である。三十年や五十年の昔は彼れの一瞬間である。人の短へ寿命や短へ智識で考るから三十年とか五十年を昔の予府に感ずるのである。山派天地と共に並び立つ寿命である。又尊へものである。神ならぬ人間の干渉なぞは許さぬのです」


この言葉 ↑ は、庭田源八翁の『鉱毒地鳥獣虫魚被害実記』の言葉へと反転してつながってゆく。たった20年かそこらで万億年の命の記憶を忘れ果てる人間への嘆き。



http://omma.hatenablog.com/entry/20171223/1514023209



「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」



人ハ万事の霊なくもよろし、万物の奴隷でもよし、万物の奉公人でもよし、小使でよし。人ハ只万事万物の中に居るものニて、人の尊きハ万事万物二反きそこなわず、元気正しく孤立せざるにあり。之れ今日の考なり。尚考へてよき事を以てせん。


考えよ、考えつづけよと、正造は言う。

それは半世紀後に、目には見えない水脈をもって石牟礼道子に受け継がれ、そして、その水脈はいま誰が受け継ぐのか、

いったい誰が受け継ぐのか……。



人ハ天地ニ生れ天地とともにす、些の誤りなし。安心も立命も皆此天地の間ニ充てり。よろこびたのしみ又限りなし」

「日本死しても天地は死せず、天地と共ニ生きたる言動を以てせよ。天地と共ニ久しき二答へよ」


思うに、

水をとおして山を想い、川を想い、海を想い、人を想い、万事万物の霊を想うならば、想いぬくならば、それは必然的にアニミズムとなり、アナキズムとなることを正造は身を以て示す。それは大仰な造り物の思想ではなく、風土が育む命本来のありようを語るものであるということ、水に象徴される「風土と命」、風土が生み育てる万事万物の霊、それをここではアニミズムと呼ぼう、それは濁流のように押し寄せた近代によって明治初年にあっという間に消し去られようとしたものであり、近代の濁流を経て、あらためて思い起こされることにより、必然的にアニミズムはその胎になかでアナキズムを育みそだててゆく。石牟礼道子がそうであったように。

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