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omoituitakamoの日記

2007-11-18 キングの時代

『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

【本書の課題】

大日本帝国メディア」MDIの分析

特に、日本発の100万部発行を達成し、野間を「雑誌王」たらしめた大衆雑誌『キング』に焦点を当てて分析する

「日本の私設文部大臣」(徳富蘇峰の評)、「わが雑誌界のムッソリーニ」(世評)「体制の強制的同化作用を内面から主体的にとらえ、天皇制国家のレトリックを『キング』に集大成した」(掛川トミ子)

「その雑誌はすべて大衆を目標としたもので、雑誌の大衆化といふ点に於いて、一新紀元を画したものといふべきである。(中略)之は野間君が大衆の要求を把握することに成功した反映だと思ふ。この意味に於いて、野間君は大衆と共に生き、大衆と共に進み、大衆と共に闘ったものといふ事が出来る。殊に野間君は、常にその経営する雑誌、新聞を通じて、大衆の道徳的標準を高め、国民としての自覚を深めることに努めてきた」(永井柳太郎)

野間清治――大衆の国民化を成し遂げる、『キング』において

【本書の目的】

大衆文化に当代随一の造詣を持つ知識人木村毅―が、『キング』を厳しく拒絶する理由は何だろうか。その「こわばり」の正体を、その時代とメディア環境に探ること、それも本書の目的である

【本書の第一のテーマ】

「ああいう雑誌―『キング』―が売れるということ」の意味をメディア史的文脈において解明することである

→〈結論〉

『キング』のメディア特性が、活字よりもむしろ放送や映画に近かったこと、すなわち「ラジオ的・トーキー的雑誌」であったことにその原因があると考える

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【本書のアプローチ】

  • メディア環境における「媒体」そのものの分析を重視
  • 「くちコミ」を「マスコミ」化した大日本雄弁界講談社の独特な雑誌文化をメディア環境全体のなかに捉え直し
  • 雑誌メディアの全工程―すなわち製紙業から流通広告業まで出来る限り目配りし、「読者の声」も取り入れることを心がけた

【本書の第二のテーマ】

戦時体制、いわゆる「日本型ファシズム」における『キング』と講談社文化の役割である

・「政治的正しさ」のアリバイ作りとなるファシズム研究=批判

→自らがファシストになる可能性を失念している

・「国民」や「物語=歴史」批判・・・『キング』を標的とする

→だが、知識人の目から見れば愚かしいだけの「物語」を、大衆が貪り読んだことも無視できない事実

・大衆の渇望する「物語」を供給した作家やメディアの弱さをあげつらう、そしてその先に国民国家批判を据える

→「一億総難民化のススメ」、強者のみを正当化する政治、ある種のファシズム

・「動員・統制は悪で、抵抗・逸脱は善」という二元論

情報化社会考古学のために、啓蒙を超えて、善悪の彼岸

『キング』の研究はマスメディア倫理学ではなく、その存在論になるだろう。

『キング』の時代(1925-1957)という枠組

→時期区分の再考:大正デモクラシー期、昭和ファシズム期、戦後民主主義

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ファシズムもまた民主政治=参加政治(→デモクラシー)の一形態であり、大正デモクラシーにおける世論形成への大衆参加に連続していた。大衆を国民化する戦時の総動員(=総参加)体制は、『キング』同様、敗戦=終戦で終わったわけではない

【各章の構成】

第?部「講談社文化と大衆的公共圏」

まず『キング』創刊のメディア環境を概観し、市民的公共圏の「植民地メディア=婦人雑誌の系譜に「国民大衆雑誌」が誕生することを明らかにする。まず、その後の出版キャンペーンのモデルとなった『キング』創刊広告を分析し、「宣伝狂」野間清治が目指した大衆獲得の意味を、大衆的公共性の成立として考察する。それは市民的公共性の中核=教養を担った「岩波文化」が、女性雑誌と大衆雑誌を生まなかった理由も説明する。最後に、大衆が世論を形成する社会空間の制覇をかけて講談社文化と理念的に対峙したプロレタリア文化運動の言説から新しい大衆ナショナリズムにおける『キング』の位置を確定する。

第?部「『キング』の二つの身体――野間清治と大日本雄弁界講談社

「九大雑誌王国」形成過程の分析を通じて『キング』に体現された野間清治の立身出世主義を検討する。特に、各倶楽部雑誌が「細分化」しつつ拡大する読者を「統合」したメディアこそ『キング』であった点に注目する。また、同時代の非左翼的な野間清治=キング批判を分析した上で、動員組織の理念型「講談社少年部」について考察する。

第?部「「ラジオ的雑誌」の同調機能 1925-1932」

雄弁と講談という「くち・コミュニケーション」の企業化という側面から、『キング』を「ラジオ的雑誌」として検討する。とくに、「ラジオ的読者」の分析から『キング』が高価なラジオの代替メディアであることを示し、『キング』の発展とラジオ普及の相関も検討する。また、『キング』が生んだ「声の出版物」キングレコードをそのメディア・イベントを中心に考察する。

第?部「「トーキー雑誌」と劇場的公共性 1933-1939」

野間の掲げた「雑誌報国」の教化メディア論が「映画国策」を志向する可能性を検討する。さらに、『キング』の「映画小説」と読者の関係を劇場的公共性として考察する。その関連から、野間が社長を兼ねて「日刊キング」と呼ばれた『報知新聞』と戦争報道グラビア化についても分析する。

第?部「『キング=富士』のファシスト的公共性 1940-1945」

『キング』が時局化=ジャーナリズム化、すなわち総合雑誌化していくプロセスにおいて、それが「読書の大衆化」と「大衆の国民化」に果たした役割を考察する。戦時期出版会をめぐる「暗黒史観」を批判的に検討した上で、『キング』における戦時宣伝の実態も分析する

結「「国民雑誌」の戦後 1946-1957」

敗戦後「戦犯雑誌」と糾弾された『キング』が生き残り、「大衆とともに」復興を遂げたプロセスに戦中−戦後の連続性を確認する。最後に、1957年『キング』廃刊の意味を、テレビ時代のメディア環境と公共性から再考する。

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