音瓶波ラヂオ

2016-12-20 ヘブンズ・ミュージック


《枕》


ラジオと幼少期の自分との関係

父からもらったラジオ

多感な時代

部屋で1人聞いた音楽や朗読、ラジオ

今の自分との関連

インターネットラジオの仕事




…今からお届けするお話は

自分の担当する架空のラジオ番組に

不思議な便りとリクエストが

舞い込んでくるってお話です。



便りの主は、

僕の父方の祖父

長岡よしおからでした。



タイトルは

『ヘブンズミュージック』



じゃあ本番いきます。

(収録風景の佇まい)



(照明変わる)

リバーブon)







こちらはラジオソロモン

ラジオソロモン

番組名は

ヘブンズミュージック


周波数は

スギナミ スタックスフレッド

ゴーゴー! ヘルツ

こちらはラジオソロモン

ヘブンズミュージック

遠い地平線は消えて

深々とした夜の闇に心休める時

はるか雲海の上を

音もなく流れ去る気流は

たゆみない宇宙の営みを

告げています

(jet stream口上引用)


こちらはラジオソロモン

番組名は

ヘブンズミュージック


距離を超えて

時間を超えて

あなたの大切な人から人へ

素敵な音楽と

メッセージを手渡します

さあ

心のアンテナを高く掲げて


ただそこにある

愛しい想いに

チューニングを合わせてみませんか。


ナビゲーターは

ジョー長岡です




こちらは

ラジオソロモン

ヘブンズミュージック








拝啓

ジョー長岡さま

はじめてお便りします。

わたしは長岡よしおと申します。


南太平洋はソロモン諸島にあります、

レンドバ島という小さな島に今、おります。

私は帝国海軍軍属であります。


国家の為、

ふるさとの為、

両親や妻、

幼い子供の為に

ニッポンからおよそ一万キロ南方のこの地で

任を全うしております。


一年の平均気温は25度

島全体が熱帯雨林に覆われ

赴任してすぐに肌は黒く焼け

暑さと飢えの闘いを日々強いられております。


我が帝国陸海軍

1941年12月8日

山本五十六総司令官の命を受けた精鋭達が

ハワイ真珠湾を奇襲攻撃

アメリカ連合軍との全面戦争に突入。


大東亜帝国の建立と

石油資源確保を理由に

南太平洋の島々を次々と制圧、

故に我々は

本土から遠く離れたこの南方の島にいるわけです。


最前線にて敵国の侵攻を防ぎ、

ニッポンの平和と繁栄を

体を張って守っております。



私は

山口県は光という小さな港町で産まれました。

光市、室積。

かつては瀬戸内海航路の交易の要所として栄華を極め


全国からの物資が行き来する、

それは賑やかな港町だったそうです。


今は小さな漁港ですが、

木造の立派な灯台をはじめ、

当時の面影は街のあちこちに色濃く残っております。


私は

パン屋を営む両親の元に6男として生を受け

地元の女性と巡り会い結婚、

子供も2人授かりました。

1人はまだ母親のお腹の中であります。


そんな折りの

大本営からの

召集令状でした。



山口県はご存知の通り

かつて長州と名乗っておりました。


長州藩関ヶ原での敗戦以降、

この国の覇権から除け者にされた『外様』であり

その屈辱に長きに渡り耐え忍び

明治維新の際は

長州藩精鋭の若武者達が

徳川幕府を打倒。


松下村塾奇兵隊

卓越した知性と行動力で

この国の近代化の基礎を築き上げ

現在に至るまで政財界の中枢に

多くの人材を供給する県に成長したのであります。


国を護る為なら命も厭わず(いとわず)

これが長州の 男達の気概であり、誇りでもあります。


私も長州男のはしくれとして

帝国海軍従軍する際は

家族や地元の方々の熱い声援を受けて、

気持ちは高ぶり、

大きな誇りを胸に

ふるさとを離れるに至りました。


若い妻や幼い子供たちを残すことに

なんの未練もないと言えば

嘘になります。

なりますが、

国家繁栄の為に

天皇陛下の為に

粉骨砕身(ふんこつさいしん)

この命捧げる思いに

悔いは微塵もありません。


リクエストは

長州民謡

「男なら」をお願いします。





こちらはラジオソロモン

ラジオソロモン

番組名は

ヘブンズミュージック


今日も

長岡よしおさんから

お手数を頂きました。



前略

ジョー長岡さま


今日もソロモン諸島レンドバ島より

お便りします。


暑いです。

紙が残り少なくなってきました。

使い古しのボロ紙で失礼します。


手紙が本土へ届きにくくなっていると噂で聞きました。

これがジョーさんの元へ

正確に届いてればいいのですが。


戦線は厳しい局面もありますが、

隊一同、志をひとつにして

国家に忠義を尽くすべく

粉骨砕身(ふんこつさいしん)の日々。



私達の駐留するキャンプ近くに

細く綺麗な小川が流れています。


1日のうちに何度か、

水を汲みに行くのですが


その川へ向かう小道が

ふるさと室積の路地の坂道によく似ており


いやあれは似ているというか

その坂道そのものでありまして


毎日通るたびに

思い出しております。


子供の頃

あの坂道

近所の遊び仲間と

歌いながら走りながら

潮風の心地よかったことを

思い出しております。



(独り言のように)

ソロモンの海は

瀬戸内の海によく似ている。


波が穏やかで

深い青はどこまでも美しく

澄んでいる。


晴れた日は

海と空の境目が消えます。

まるで自分が

真っ青な宇宙の円の中心に

ひとりぽつんと突っ立っているような気さえする。



子供の頃、皆でよく歌った

野口雨情

『あの街この街』をリクエストします。



最近

替え歌を作りました。

よかったら聞いてください。


あの街この街日が暮れる

日が暮れる

今きたこの道帰りゃんせ


おうちがだんだん遠くなる

遠くなる

今きたこの道帰りゃんせ


お空に夕べの星が出る

星が出る

今きたこの道帰りゃんせ


レンドバにふるさとの路地あらわる

ふるさとの坂あらわる


レンドバにふるさとの海あらわる

ふるさとの風立つ


今きたこの道帰りゃんせ

帰りゃんせ

帰りゃんせ






こちらはラジオソロモン

番組名はヘブンズミュージック



1943年

昭和18年7月24日


今日

私の身体から

重力が抜けていくのを感じました。

はっきりと感じました。

初めての感覚でした。


身体がふっと軽くなって

地に足が付かなくなって

そのうち

隊の仲間たちを上空から眺めていました。


私の視界に

ジャングルに倒れる私自身がいました。



ジョーさん

聞いてください。


何度も言いますが

私の命など

この国の

この世界の悠久の歴史の中に

何度でもくれてやります。

悔いも未練もありません。


ただ

ひとつだけ。


妻のお腹にいる

新しい命にだけ

一目会いたかった。


一目会って

ぎゅっとこの腕で

抱きしめてやりたかった。


今4歳になる私の長男と

新しい命とが


青年になり

大人になり

誰かを愛し愛されるまで


神様

どうか私に代わって

お守りください。


お守りいただけないのなら

私はあなたを殺しにいきます。

今、私の傍にあるこの錆びた銃剣で

あなたの左胸を迷いなく

一突きにします。

その時は覚悟してください。



ジョーさんにこのようなことを吐露しても

仕方ありませんが

他の術をしりませんでした。

お許しください。


どうか私の想い、

この使い古したボロの紙で

受け止めてください。



長岡よしお







こちらはラジオソロモン

ヘブンズミュージック


2010年12月24日

前略

ジョー長岡さま

お元気ですか。

久しぶりにお便りします。


先日、私の息子が私の傍にやってきました。

長男の方です。

私はしっかりと彼を抱いてやりました。

彼は生前、私の姿を記憶していない為か、

はにかんでいました。

が、71年の生涯を全うしたと、

満足そうな顔で、そう言ってました。


私は神に感謝しました。

錆びた銃剣はもう必要ないでしょう。





雲の切れ間から

ニッポンが見えます。

山口の室積の海が見えます。

子供の頃駆けずり回ったあの坂道もはっきりと見えます。


周辺の国と比べても

ニッポンの放つ光は

美しさも強さも格別です。

まるでこの国には

闇がないみたいだ。



ただ

わたしには見えないものが

ひとつある。

それは


そこに住む人たちの心模様。



(淡々と)


ジョーさん、

ニッポンは

どんな国になりましたか。

食べるものはありますか。

着るものは間に合っていますか。

暑さ寒さを凌げていますか。

ゆっくり眠れますか。

お金は足りてますか。

誰かを愛してますか。

愛されてますか。

まだ戦争は続いてますか。

平和ですか。

ニッポンは幸せですか。


ジョーさんに

いつかお会いできるような予感があります。

その時を楽しみにしています。


長岡よしお





よしおさん

お便りありがとうございました。


12/24ってことは

ちょうどクリスマスイブの夜、

全国各地のイルミネーションが

瞬いていたんですね。


上空からの夜景、実に羨ましい。

いつか見てみたいな。


よしおさんのお便りを受けて

今日は最後にこの曲を流して

番組を終わりにします。


あなたが戦った敵国の港町で

1940年に1人の男の子が生まれました。

名はジョンレノン


彼の2度目の結婚相手は

日本人の才気溢れる芸術家だったんですよ。


魔女呼ばわりされて

最初は大変だったみたいです。


この曲でもサビで醜い奇声を張り上げてます。

素敵な人です。


そう、

ジョンは1980年の12/8に

亡くなりました。

日本が連合国相手に戦線布告したのと同じ日です。


僕もよしおさんと

いつかお会いできる気がしてます。

よしおさんの問いにどう答えるかは

その時まで取っておきます、

とにかく会ったら

ぎゅっと抱きしめてくださいね。


よしおさんと

リスナーのみなさんに

この曲が届きますように。




Happy X'mas

War is over

John Lennon


ラジオソロモン

ヘブンズミュージック

周波数は

スギナ

スタックスフレッドゴーゴーヘルツ


ナビゲーターはジョー長岡でした。

この曲を聴きながら

お別れしましょう。

次回もお楽しみに。

ご機嫌よう!


(一礼)



(照明変わる)

リバーブoff)



『ヘブンズミュージック』


作、朗読は

ジョー長岡でした。


ご静聴、

ありがとうございました。


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2016-05-10 一月三舟

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先月の23日に開催した「一月三舟(いちげつさんしゅう)」。

大阪から、いおかゆうみと

たけだあすか、上京。


企画タイトル「一月三舟」は

ゆうみに数ヶ月前、

「何か相応しい名前を考えて」とメールしたら

すぐに返信が来た。

一発採用。

ゆうみは、この辺の感度がとてもいい。



せっかく素晴らしいタイトルができたので

ちなんで遊びたいなと思い、提案したのが

「Moon River」に三者三様で日本語歌詞を乗せて

当日披露すること。

舟と月、会場もMoon Stompということで

我ながらバッチリな選曲

二人も即答でOK。



当日、ご飯食べながら打ち合わせ、

会場に入って、ムーンリバーのアレンジ、構成を考える。

本番では想像以上の素敵な時間になったと

自負がある。

二人がよく頑張った。


ここでは三人のムーンリバー歌詞を紹介します。





明日晴れたらさ

あの海辺のまちへ

出かけよう

なにも持たず

ただ空を眺めていよう


風の匂いとか

波間のきらめき

なによりも

素敵だと

思うだろう

ほら今夜

月が笑ってる


(たけだあすか)





ムーンリバー

川に沿って

静やかに立つ風

音もなく

光もなく

君の気配がすべてさ

いつか

小さな舟

水面に浮かべてみたい

時の流れ

風が強くても

越えていくだろう

ムーンリバー

君と


ジョー長岡




昔の

私がいる

あの川のほとり

夢をみていた

恋をしていた

大人のように

不満げな顔で

月を眺めていた

どこにも行けずに

ひとりきり

ブレザーの内側で

愛を探す

子どものように


(いおかゆうみ)




本番は

この順に歌い、

最後は英語歌詞を三人で。

伴奏は、ジョーピアノ、あすかギター。


それぞれの個性がぎゅっと詰まったムーンリバー。

二人とも自分のライブで

アレンジして歌っているらしい。

おじさんも負けずに、歌いますとも。



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ゆうみと

あすか。

二人といると

少し格好つけてる自分がいて

まだまだやのう…と思うのです。笑



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お運びいただいたお客様、

ありがとうございました。


ジョー長岡

sugasuga 2016/05/14 21:33 ジョーさん、お久しぶり。
ジョーさんは、いおかゆうみさんと、たけだあすかさんのこと、可愛くて仕方ないのね。
そうでしょ?
ムーンリバー三者三様、聞きたかったな。

ジョージョー 2016/05/15 12:04 sugaさん
お久しぶり、お元気でしたか。

はい。
ゆうみも、あすかも、
可愛くて仕方ないです。笑

けれど、それだけじゃない。
2人とも、才気あふれる音楽家です。
僕はたっぷりと刺激をもらってます。

是非一度、
ゆうみとあすかのライブ、
体感してください。

あ、僕のライブにも
たまには!

2016-05-05

ゴミ



5月3日に朗読オブザリングという企画に出演し、

朗読時間10分前後のオリジナル作品を書き上げました。

終演後、僕の大切なお客様の一人から、

ジョーさん、是非作品をテキストにしてアップして欲しい…とお願いされた。

本来、朗読用に書き上げたものなので、どうしようか迷ったのですが、

ほぼ凍りついてる音瓶波ラヂオにアップする事を決めました。

リスナーの皆さん、よければこのテキストを音読してみませんか。

企画のシサンさんがお楽しみ抽選会で言ってたこと、

僕も以前から強く感じていたことですが、

文章を実際に声に出して読んでみる事で、

言葉に響きやリズムを与える事で、

その意味合いやニュアンスは少なからず変化します。

是非お試しあれ。












僕にとって絶対的な「ゴミ」の話をひとつ。


8歳。

小学校3年生の時の話です。

ゴミってあだ名のクラスメイトがいてね。

背が低く、痩せっぽっちなゴミ。

身なりは汚く、いつも肌着の白いランニングシャツを着ていた。

白いって言ったって、もともと白かっただけで、

黄ばみを通り越して、肌に近い茶褐色のような色をしてた。

きっと着替えなんかなくて、毎日同じシャツを着ていたからに違いない。

髪はボサボサで、靴もボロ。

穴が空き放題で、足の指が何本か常に露出していた。

靴下を履いた姿なんて一度も見たことなかった。

ゴミは鼻を垂らし、それをいつも腕でぬぐうから、

腕の辺りが鼻汁でピカピカ光ってた。

家に風呂がなかったのだろう。いつも獣みたいな匂いがした。



僕はゴミんちに何度か行ったことがあるんだが、

バラック小屋みたいなオンボロの家で、

雨が降れば、ポ〜タポタ、雨漏りするし、

風が吹けば、ゆ〜らゆら、壁や天井が音を立てて揺れた。

ごみんちの前には、大量の粗大ゴミが山のように積まれていた。

ゴミの父親廃品回収の仕事をしていて、

いつのまにか家の前にゴミの山ができた。

ゴミは更にゴミを呼び、街中の人粗大ゴミを勝手に置き始め、

瞬く間にゴミんちの前には、ゴミの大山ができた。

ここまで聞いてる人は、もうわかったと思うが、

ゴミのあだ名の由来は、家の前のゴミの山にある。

ゴミの父親は、毎晩酒を飲んで酔っ払っては、

ゴミにこんなことをわめいてたと言う。

「いいか、近所の奴らは全員、この山をゴミの山と呼んでるらしい。

ゴミの山? そりゃ違うぞ。

これはな、宝の山だ。誰がなんと言おうと、宝の山だ!わかるかー!」



ゴミは、父親が言う言葉を信じた。

実際、ごみんちの前のゴミの山は、

こう言うと誤解を与えるかもしれんが、思いきって言うと、

なんだか格好いいんだ。



無造作に積まれた大きな電化製品や家具、壊れた機械の部品などは、

まるで何かの秘密基地か、要塞のような佇まいだった。

「父ちゃんの言ってることはさ、本当さ。

街の奴らが何言ってたって、気になんかしないやい。」

これはゴミの口癖。


そんな矢先、ゴミの父親は家に帰ってこなくなった。ゴミの母親は、

「あの馬鹿、もう二度と帰って来やしないよ!」

とゴミに言ったらしいが、ゴミにはその意味が、まだよくわからなかった。



ゴミというあだ名について、担任の先生や親たちは、

「そんな酷い、醜いあだ名で呼ぶのはやめなさい」

と、いつも言ってた。

「まあそうかもなー」

とは思っていたが、あまりピンときてなかった。

ひどいとか醜いは、先生や親たちが、

勝手にそう考えているからだろう、と思ってた。

少なくとも僕にとってゴミは、

あの秘密基地の風景、要塞そのものなんだ。

秘密基地に住むゴミは、

僕らの知らない、何か特別な任務を担っているのかもしれない。

あの汚い格好にも、鼻汁にも、

何か特別な理由があるかもしれない。そう考えたりしてた。

憧れ、とは少し違う、

ゴミを近いような遠いような、うまく言えない距離感で眺めていた。











夏休みに入ってすぐの真夜中、

僕とゴミが暮らす街に大きな地震が起きた。


そりゃあ大きく揺れて、

しかも何度か連続して起きたもんだから、

近所のほとんどの家が崩れ、寝ていた人達は家の下敷きになり、

沢山の人が亡くなった。

クラスメートの何人かも亡くなった。


僕んちの家は大きく傾いたが、崩れることはなかった。

道路や田畑の地面には巨大な亀裂が走り、

電柱は倒れ、街中が瓦礫だらけとなり、

生き残った人達が小学校に避難してきた。

国や県からの援助は来てはいたが、

細々と最低限、生き延びる為だけの援助。

電気、ガス、水道が止まり、食事もままならない。

トイレは排泄物で溢れ、臭いを周囲に撒き散らした。

風呂にももちろん入れない。

余震は長く続き、避難所の人達は疲弊していった。




僕らのような子供たちは、こんな状況でも、

次第に子供同士で集まるようになり、時間を共有した。

避難所の体育館の裏の小さな空き地でドッチボール。

その最中に、誰かが言った。

「なぁ、ゴミんちはどうなったかな。あいつ生きてるかな。」


言ったとほぼ同時に、全員がドッチボールをやめて、

ゴミんちの方向に走り出していた。

西の空が夕焼けで真っっ赤に燃えあがる中、

5〜6人の子供達が、瓦礫だらけの街を、ひたすら走った。

まるでつむじ風のように、すごいスピードで。



ゴミんちの前に着いた時は息も絶え絶えで、

肩で息をしていた奴もいる。

ゴミんちのゴミの山は!ん?以前より少し低くなった気がする。

山の裏にあるゴミんちは、、、、変わらぬ佇まい、

いや少し変わったかもしれないが、

汚いバラック小屋みたいなボロ屋は、そのままそこにあった。


「ゴミ、生きてるんか。ゴミ!」

僕が声をかける。




しばらくして、気だるそうに出てきたのは、ゴミ。

いつもの汚い格好で、グー。。。鼻を鳴らした。

ピカピカした腕はそのままに。




僕らは日が落ちかけた夕闇の中、

瓦礫の街のど真ん中で、ドッチボールをした。

ドッチボールの最中に気がついたんだが、

長い避難生活のせいで、

ゴミも僕らもあまり変わらぬ小汚さだった。

匂いもなんだか似ていた。

違うのはピカピカした腕くらいなもんで、

ゴミの腕の年季が入った光具合は、誰にも似ていなかった。

夕闇の中でその腕はいつもよりキラキラと輝いていた。

僕はそのキラキラめがけて、思いきりボールを投げた。

思いっきり!











時は流れ、

僕らは大人になり、

街は地震の被害から立ち直って、ずいぶん時間が経つ。

僕はとっくの昔に生まれた街を離れ、異国の都会で暮らしている。

ゴミひとつ落ちていない街で、小綺麗な服を着て、

時折、靴にブラシをかけたりして。

ゴミとも、その頃の友達とも、もう長い間会っていない。

思い出せない記憶の欠片は、僕の中に年々、

ミルフィーユのように積み重なっていく。





けどね。時々。

本当に時々。思い出すんだ、あの頃のこと、ゴミのこと。

懐かしいとか、戻りたいとか、そんなんじゃない。



あの頃、僕の手の届くところに、確かにあった、

明け透けな、剥き出しの人のぬくもり。


善悪の価値や、柔な感情など、入る隙もなかった、

生々しい人の匂い


他人からどう思われるとか、

女子から嫌われるとか、

内緒の話をしたとかしないとか、

どうでもよかったあの頃。



ボールを思いきり投げ、

ぶつけ合い、

ザラザラした手触りで、

穴だらけの靴で、

瓦礫の世界を駆け回っていた僕ら。

そしてゴミ。



高層ビルのベランダに立ち、

整然と並ぶ摩天楼を見下ろしながら、

僕は今思ったことを、そのまま声に出してみた。


「おい、ゴミ。生きてるんか、なぁ、ゴミ、 ゴミ!」







作、朗読  ジョー長岡







★memo


作品の狙い。

絶対的な概念ではない、

あくまでも相対的な概念である「ゴミ」という言葉に、

絶対的な意味と、ポジティブな響きを与えたい。

母親から解放され、女性の支配を受ける前の、

ちょうど8歳頃の男の子の貴重な時期、

地震で荒れ果てた瓦礫世界を使って。


朗読は、悲しいトーンにせずに、ハツラツ、淡々と読み聞かせること。

枕の最後には、「僕にとって絶対的な ゴミ の話をひとつ」を必ず入れること。









当日、お客様にお配りしたパンフの中に、

今回の企画に臨むにあたり、

7名の出演者の意気込みが短い言葉で紹介されています。

僕はこんなことを書きました。





友人の絵本作家が以前、こんなことを言ってた。

「絵本は声に出して読まれることを待ってる」と。

沢山の絵本作品に影響を受けて、歌を作り始めた僕にとって、

朗読と歌唱は限りなく同じ行為なのだ。

今回の縛りの中で、聞いていただく皆様に、

いかに「音楽」を感じてもらうか。

今回の僕の最大のテーマです。





この場を借りて、

企画に誘ってくれたシサン嬢、

茶友であり、リスペクトする絵本作家きたがわめぐみ、

テキスト化を勧めてくれた、岩見夏子に

感謝を捧げます。

ありがとうございました!

愛してます。




ジョー長岡

2015-08-25

白い毛


この夏から働き始めた新しい製本屋には

老若男女いろんな人が働いてる。

誤解を恐れずに

ひとくくりにこの言葉を使うが

所謂「知的障害」と思われる症状を背負いながら

働いている人達を、数名見かける。


工程が複雑な作業、

細かな判断が瞬時に必要な作業ができなかったり、

喋る時に吃りがちだったり

集中するのが苦手だったり。


そういう彼らと

同じ工程でチームとなって一緒に仕事をしていて

作業が滞ったり困ったりしたことは

ほとんどない。

おそらく

仕事の段取りをする人たちの

細かな心遣いで

適材適所、きちんと役割が割り振られているからだろう。


逆に、

慣れていない僕が困らせることは結構ある。

けど、彼らは嫌な顔ひとつせず

協力しながら仕事を進めてくれる。




その日は、ある女性と二人で

同じ工程で作業していた。

その女性は、一見すると

自分の中に引き篭もってるような印象で

初め、僕とのコミュニケーションを避けているような気がした。

だからあえて、僕から言葉を投げかけることはしなかった。

けど、そういうのはたいてい

こちらの勝手な思い込み

僕らは少しずつ、馴染んでいった。

彼女は、喋る速度が極端に遅くて

けれど手作業は迅速、小慣れた感じで

僕にも仕事のコツを少しずつ教えてくれた。

そんな風にしながら時間が流れた。



ある時、その女性が僕の方をはっきり見ながら

とてもゆっくりと、こう言ったんだ。

長岡さんは、猫と暮らしてるの?」

僕は驚いて、彼女をまっすぐに見て

「なぜそう思ったの?」

と逆に聞いた。

彼女は僕の肩口を指差して

「白い毛がついてるから」

と答えたのだ。



そう、それは確かにまあまの白い毛だった。

僕がその日着ていたTシャツは

長いこと着ていなかったTシャツを

引き出しの奥からわざわざ引っ張り出した

黒い無地のやつ。

まあまの毛が付いていても不思議のないTシャツ。

けどね、

本当によく見ないと

その毛に気づくことなどほぼ不可能と言い切れるくらい

小さな短い毛だった。

彼女は、それを猫の毛だと言い切ったのだ。



想像して欲しいのだが、

製本の作業場は

常時機械がけたたましい音を立てている場合がほとんどで

仕事は流れ作業、騒々しく慌ただしい環境の中で

自分の仕事に没頭するので精一杯。

誰かの服に付いてる小さな猫の毛を発見するなんて

いくら猫好きだって無理、という話なのです。


こうした障害を負った人が

ある特定の分野で優れた感覚の持ち主であることは

よく言われる話だし

実際にそういう方に会ったことがあるけど、

僕は彼女の観察眼に心底驚いた。

そして気がつけば、

彼女が醸し出す不思議なオーラを感じていた。

いつどんな時も、

周囲の環境に影響されることなく

自分の感性や感覚にコンスタントに集中できる、

強い、不思議なオーラ。

そして、優しいオーラ。




「そう、僕は猫と暮らしているよ」

と答えてすぐに

「猫と暮らしていた」

と言い換えた。



彼女に、まあまと2ヶ月前にお別れしたことを、

手短に話した。

すると彼女はしばらく黙ってた。

黙った後で、自分が幼い時から猫が好きで

沢山の猫と暮らし、死に別れてきたことを

ゆっくりと話してくれた。

どの話も不思議な臨場感があって

生々しくて

彼女がどれくらい猫を愛していたかが

手に取るように理解できた気がした。


死別を繰り返してるのに

いや、繰り返しているからこそ

彼女は愛猫との思い出を

まるで大好きな映画みたいに

記憶しているのかもしれない。

いやそれもまた彼女の独特な才能なのかもしれないと

思ったりした。




「名前はなんて言うの」

「まあま」

そしたら彼女は驚いた表情で

「お母さんなの!」

と言った。

お母さんって言い方がとても面白くて

僕は声をあげて笑った。

彼女も笑った。


笑いながら

体の中からズドーンと音がして

熱い塊がむくむくと湧いてくるのがわかった。

その塊は体の下の方から

上方へ向かっていき

目から溢れそうになった。

必死で堪えた。


長岡さん、お母さんが死んだのね、可哀想

彼女はそう言いながら

もう僕の方を見ようとはしなかった。

僕が取り乱しているのを察知したから

そうしたのかもしれない。

僕との話で

彼女の中の悲しみを

思い出させてしまったのかもしれない。

とにかく

僕と彼女の会話はそこでピタッと終わった。


二人とも

正気を保つ為に

何かを忘れる為に

目の前の仕事に没頭してた。

少なくとも僕は

終業のベルが鳴るまでそうした。



いつのまにか

まあまの白い毛は

どこかへ飛んで行ってしまっていた。



今年の夏が終わろうとしている。

暑かった夏、

まあまが旅立った夏が終わろうとしている。


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【ジョー長岡ライブ情報】

8月30日 日曜日

新高円寺STAXFRED

http://staxfred.com

18時半開場/19時開演

2000円(+1ドリンクオーダー)

出演

スエヒロカズヒロ

あべたかしGOLD&キラキラみさこ

ジョー長岡

nobo



9月23日 祝日

「ノラとジョー」

高円寺 BAR IMPRONTA

http://bar-impronta.com

18時開場/19時開演

1500円(+1ドリンクオーダー)

出演

ノラオンナ

ジョー長岡



ライブ会場でお逢いしましょう。

2015-07-27

いきさつ

先々月だったか。

STAXFREDの客席で

壁に貼られた、かつてのフライヤーなんかを

何気なく眺めていたら

こんなのを見つけた。


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2009年の7月だから

ちょうど6年前の夏。

神輿に乗ることを頑なに拒んでいた本人を

僕と中村久景とで説得し

ようやく実現にこぎつけた阪本正義の独演会。

もちろんライブは大成功で終わり

僕と阪本の関係がさらに深くなった出来事。


このフライヤー

僕の短い言葉が載っていた。


「阪本さんの歌には

研ぎ澄まされた言葉と

美しいメロディと

阪本さんの50年の人生が詰まってる。

つま弾くように奏でるギターの

音と音の隙間に

僕は僕の人生をいつも重ねてしまう。

懐が深くて

あたたかくて

お洒落で

一緒に演奏してたって

僕の身体はいつも潤んでしまう。」



あれから6年の歳月が過ぎ

様々な場所で一緒に演奏し

もう嫌になるくらい,

想いや盃を交わしてきたけど(笑)。


阪本正義の歌への僕の想いは

ほとんど何も変わっていない、

そう思った。


そういえば今年で

阪本さんと出会って10年になる。


きっと僕らの音の重なりにも

樹木の年輪のような何かが

刻まれ始めたか。

いやいや、まだまだこれからだと

あの人やこの人の顔が浮かぶ。(笑)


阪本正義との2マン「八月のピクニック」。

日曜日の夜に

高円寺MOONSTOMPに小舟を浮かべて

のんびりとやります。

是非聞きに来てください。

予約不要、ふらっとお越しくださいね。


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♪♪


8月9日、日曜日は

今年2回目の都電ライブ。

その名も「東京どですかでん」。

14時早稲田発、三ノ輪橋行き。

今回は音璃とUをゲストに迎えて

音のなる電車、走ります。

25名限定、乗車券1000円。

美女二人を迎えて、

ますます歌もギターも走りに走る、ジョー長岡


二人とも麗しいだけじゃなくて

大好きなミュージシャンなの。

きっと素敵な演奏会になります。

東京どですかでん」は、完全予約制。

こちらで受け付けています。↓

namazu00@i.softbank.jp(ジョー長岡



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音璃

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U



♪♪♪



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とある「いきさつ」があって

女性から直筆の手紙をいただいた。

女性はまだ幼くて

無垢な存在ではあるが

その筆圧や文字の大きさ、文章は

力強く感じられ、

とても愛しく思った。


僕は手紙の持つ気配、

封筒や便せんや文字から漂う

その人独特の佇まいを愛してます。


手紙を

いつどんな時も

さらっと書き、

さっと切手を貼って

送る人になりたい。





♪♪♪



まあまが旅立って一月になります。

日々の暮らし、先々の予定に追われて

ゆっくり悲しんでる暇がないくらいです。


それでも毎朝、

線香をあげて

お水をやって

仕事の帰りに

花を少し買って骨壷の前に飾るのは

日課となった。


そうやって存在がなくなったことを

自分の身体に認識させているのに

瞬間的に、

亡くなったことを忘れている時がある。


例えば、

風呂に入ると必ず風呂場にやってくるから

扉を少し開けておくのは、決まり事。

風呂に浸かり、しばらくして

ん?今日は来ないのかなって

毎日同じように思い、

ああそうか、となってしまう。



閉店間際のスーパーに行って

急ぎ足でペット用品のコーナーへ。

いつもの缶詰を5〜6個カゴに投げ入れる。

レジを終えて

帰宅して初めて

ああ、やってしまった…は二度経験。



掃除機をかけると

必ず遊びにくるから

掃除しながら待っている。

しばらくしても来ないから

ん?って感じ、毎度のこと。



畳の部屋で

冷房をかけて

ごろんと横になると

冷たい風が当たるところに

同じようにごろんとお腹を上にして横になるまあま。


そうやって川の字になって(一本足らないが)

うたた寝するのが好きだった。

まあまとの時間で一番好きやった。


いつも手を伸ばせば

そこに毛むくじゃらの生き物がいて

優しい眼差しをこちらに向けてくれた。

僕の手のひらに猫球を重ねて

このまま時間が止まったとしても

なんの悔いもない、と思ってた。


何もいない場所に手を伸ばし

冷たい風を受けながら

まあまの残像をつかまえている。

まだその残像は僕の中ではっきりとしていて

消えそうにない。

死んでなお生きているというのは

こういうことかもしれないなと

思ったりしています。



死を想うことは

決して後ろ向きではなく

僕の小さな暮らしの中で

ごく当たり前の日常になりつつある。


宗教のことはよくわからないけど

僕にとっての宗教

自分なりに構築しているような感覚。


誰に何を言われようと

自分で見つけたい、確かめたい、

命のこと、

今生きているということ。



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ライブの会場でお会いしましょう。


ジョー長岡

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