壺 

「骨壷」という歌がある。

寺尾紗穂さん。

今年、

僕の胸の中で

もっともリフレインしていた歌。

寺尾さんの、

6月にリリースされたアルバム「残照」に

おさめられている。


http://midiinc.com/cgi/contents/commodity.php?a=206


世界中に沢山の歌が

生まれては消え 

消えては生まれ を繰り返しているが

世界的に見ても

歴史的に見ても

「骨壷」という題の歌は

ないのではないか、と思う。


手帳で確認すれば

去年の暮れ、12月16日に、

僕は渋谷セブンスフロアのライブで

この歌を 生 で聞いた。

寺尾さんの声を、初めて聞いた。



痺れて、

動けなくなった。

震えて、

熱い涙にくれた。

素晴らしい、愛の歌だった。



歌は目には見えないのだけれど

歌の真ん中に

鋭く

太く

貫かれている愛の形を

僕はその時、

確かに 見た 気がした。



あの日から、ちょうど1年。

12月16日。

親父がお袋に看取られて

息をひきとった。



亡くなった日の夜、

僕は親父と狭い書斎に布団を並べて

傍で、横になった。



数日後に肉体を失う親父から

何かを読み取りたくて

朝まで顔を眺めて

語り合った。

忘れていた思い出が

たくさん蘇った。



通夜の日も

僕はほぼ一睡もせず

線香をあげ

酒を呑みながら

親父からの サイン を待った。


親父は、

とても穏やかな顔をしていて

現世のすべてから解放され

自由の荒野へ

宇宙の海へ

これから新しい旅に出て行くんだ!という

男の顔をしていた。

とても男前だった。


丸二晩、共に過ごして

いくつか、僕の中で

読み取れた感覚があり

映像のようなイメージも浮かび

生前の親父の記憶と重ねて、

それらを忘れないよう、

形にしたいと思った。

いつも詞を書くときみたいに

浮かんだ感覚や、具体的言葉を、

手帳に殴り書きにした。

殴り書きしたものを

時間をかけて、

きちんと整えた。

その一部は

出棺のときの挨拶にくみこんだ。

これらすべての作業は

僕が歌を作るときの作業、

歌を歌う時の経過と

なにも変わらなかった。



滞りなく式を終え

親父の身体は斎場で焼かれた。

白く立派な骨だけになり

煙と匂いがたちこめる中

集まった人たちでそれを拾い

白くて小さな壺に

親父の全部が納められ

僕に手渡されたとき



僕は全身で それ を感じたんだ。



木の箱に入れられた壺は

決して軽くない。

ずっしりとした重さ。


焼いたすぐ後だから

あたたかい。


落としては壊れてしまう。

片手でもったり

担いだりするようなものでもない。


両手で

バランスよく

抱きかかえないといけない。


やさしく

静やかに

包み込むように

ひと抱えにしないといけない。


走ったり

急いだりもできない。

ゆっくり、確実に、

一歩一歩、運ばなければいけない。


親父は

身をもって

僕に 愛 を教えてくれた。

僕への 愛 ではなく

愛 とは何かを

身をもって

教えてくれているような気がしたんだ。


僕は全身で

それを受け取った。

サインを読み取ったのではなく、

僕は、最後の最後に

親父から 

愛 を教えられました。




骨壷を抱きかかえて

家に帰った。

仏壇にある

おじいちゃんとおばあちゃんの位牌の前に

親父をそっと置いてやった。

赤ちゃんを置くみたいに、

そっとね。

三人が、久しぶりにまた会えて

笑っている情景が浮かんだ。

僕も笑った。



あ、そうそう。

このブログに以前登場した、

親父の両手で窒息寸前だった羊たち。


http://d.hatena.ne.jp/onbinpa/20101119/1290178664


お袋と妹と相談し、

どちらか一方を

棺の中に入れてやろうということになったが

甥っ子二人の猛反対にあい、

現世で二匹ともに生きることになりました。

命拾いした羊。

親父を守ってくれた羊。

今後は甥っ子たちに守られて

暮らしていくのだろう。


僕も時々、

羊に会いに行こう。


ジョー長岡