アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

Light Mellow 鄧麗君 ~テレサ・テン AOR mix~

先日『obscure city pop cd's 1986-2006』っていうCDガイド本を買いまして。

この本、tumblrで流れてきて知ったっていうザ・インターネット的出会いで、「うわ、これ買わなきゃ!」で即amazonでポチったんですが、これがもう、たいへん刺激を受けまして。

オブスキュア・シティポップ・ディスクガイド (J-POP、ドラマサントラ、アニメ・声優…“CDでしか聴けない

どういう本か、すっごくおおざっぱに言うと「CDバブルの影に埋もれた90年代を中心に、CITYPOP感のある音楽をDIGろう」的なアレです。書いているのは謎のDIG集団・lightmellowbu!

実際自分も何度かブックオフに赴いて290円~510円棚をなめるように眺めたりもしたんですが(←わりと以前からやってはいる)、そもそも自分が「CITYPOP」や「AOR」、「Light Mellow」のなんたるかをわかっているんだろうか?っていう根源的な問いがアタマをもたげたりして。

アラフィフぶっこいたおっさんがナニ青臭えこと言っちゃってるんだよと我ながら思ったりはするんですけど、ふと、むしろ手持ちの音源で答え合わせ的なの作ったほうが早くね?と思って作ったのがこのMIXです。

いや、ここで取り上げた音源がすべて「CITYPOP」で「AOR」で「Light Mellow」や!ってことはもちろんないんですけど、「だいたいこういう方向性でまちがってないよね?合ってるよね?」っていうヤツです、ハイ。

いやあ、誰も言ってくれないから自分で言うけど、「Light Mellow 鄧麗君」「CITYPOP テレサ・テン」っていうの、充分パワーワードだと思うんだけど、でもこれがパワーワードに感じるのって、「テレサ・テン=演歌」って思っちゃってる人だけだしなー。それってわりと高齢の日本人ってことになるんだよな。

でも違うんだよ、「テレサ・テン=演歌」ってだけじゃないんだよ、これ聴いてもらえば一発でわかるよね?っていうのが作りたかったんですよね。

日本語の曲だと演歌率が高いし、演歌じゃない曲も楽器の鳴りが演歌調だったりして、なかなかにDIGは難航したんですけど、できあがってめっちゃ気に入ってます。自分でめっちゃリピートして聴いてる。

 

以下余談。

最初は2曲目に入れてる「風從那裡來」のフィリーソウルアレンジめっちゃ気持ちイイなって思って、これを1曲目にするつもりだったんですよねー。『Greatest Hits Vol. 2』(1978)に収録。この曲は樂風?麗風?ライフレコード時代の歌で、オリジナルとはアレンジが全然違ってるんですよー。オリジナルは同名のTVドラマの主題歌だったみたいですね。

とりあえず、こういう気持ちイイ曲をたくさんDIGって、最終的にBPM的に気持ちよく聴けるように並べてみよう、みたいに作っていきました。

1曲目にもってきたのは出だしのベースラインがめっちゃカッコイイ「愛的開始」で、曲タイトル的にもこの曲から始めたいなって。

ホントは全曲中国語の、普通話(北京語)の曲にしようかと思ってたんですけど、さすがにDIGが難航してしまいまして…。テレサの音源は膨大ですが、手持ちの音源には限りってもんがありますからね…。

日本語の曲を2曲ほど、1985年のNHKホールでのLIVE音源を入れました。10曲目「乱されて」と11曲目「ミッドナイト・レクイエム」ね。これ、演奏のおかげで全然演歌っぽく聴こえないでしょ。むしろR&Bっぽい。あと、英語でカバーしてる5曲目も同じ盤のもの。

同じく日本盤としては、4曲目の「Killing Me Softly with His Song」と14曲目の「Jambalaya (On The Bayou)」。こっちはNHKホールLIVEと較べると、ちょっと演奏が弱いんですよねー。ルイードのLIVE盤に入ってる「Jambalaya (On The Bayou)」が最高なんですけど、音がちょっと悪いので使わなかったんです。かんべんな?

LIVE音源のほうがテレサのすごさがよくわかるんじゃないかな? 「愛の世界」は名盤だと思うんだけど、演奏も、テレサの歌い方も、ちょっと抑えが利きすぎてるというか、おとなしい。リハーサル感がある、というか。音はちょっと悪いけど演奏や歌い方で最高なのはルイードLIVEの音源だと思うなー(録音マイク位置のモンダイというか演奏が聴こえにくい)。テレサの死後に、彼女の自室から「発見」されたカセットテープ音源なんだそうです…。

あと、LIVE音源のほうがDIGがはかどる。こんなアレンジやってる!みたいのがあるから。そんなひとつ、1984年の香港でのLIVE音源から、テレサの代表曲「甜蜜蜜」を9曲目にぶっこみました。こんなアレンジの「甜蜜蜜」初めて聴いた!これカッコイイ!(語彙力

粤語(広東語)曲からも1曲、13曲目の「漫步人生路」。中華圏ではみんな知ってるテレサの代表曲の一つですけど、元曲は中島みゆき「ひとり上手」。でも中華圏ではみんなテレサの曲としてカバーしてて、近年だとジョアンナ・ワンがカバーしてますね。

ギリギリ日本人が知ってそうなテレサの曲として12曲目「ジャスミン慕情」の中国語版「像故事般温柔」を入れてますけど、これもう演歌じゃねえだろCITYPOPだろって曲になってるでしょ。日本盤だとアルバム『時の流れに身をまかせ』(1986)収録。このあたりDIGっていこうな!テレサの音源は年々高騰してるけどな!

16曲目の「海風」は、日本盤だとアルバム『ジェルソミーナの歩いた道』(1981)収録の「西海岸から」って曲で、これアレンジが実にフュージョンっぽい。編曲は故・羽田健太郎氏。

実は今回のMIX、YOUTUBEに真っ先にあげたんですけど、いきなり著作権ブロックがかかり、日本でのみ公開制限がかかっちゃった。どうやらこの曲が原因っぽいです。申立人は「UMG(Universal Music Ltd. の代理)」。代理ねえ…。
「海風」としてあげてるのに、「著作権で保護されたコンテンツ: Nishikaigan Kara」だってさ。ちなみに「西海岸から」の作曲は川口真氏。

ラスト17曲目に「再見!我的愛人」こと「グッバイマイラブ」を入れたのは、オレがこの曲をめちゃめちゃ好きだからです。確かにこれあんまり「CITYPOP」ではないですよね。原曲はアン・ルイスのアイドル時代の曲ですし。まあでもこの曲か、「何日君再來」がラストのシメになりますよね、テレサのMIXだったら! いやベタですけど、やりたいやん。

ってながながと書きましたけど、まあアレですよ。きらびやかなシティライツの似合うおしゃれなバー的なところでカクテルグラスをかたむけつつ聴いたりしてほしいなー。よろしくお願いします!

あ、もし知り合いの方に中華圏の方がいらっしゃいましたら、このMIXをおすすめいただくと共に、ぜひbilibiliに転載いただきたく存じます。厚かましいお願いで申し訳ありませんが、当方bilibiliのアカウントがとれなかったので、何卒よろしくお願いいたします。

ヤルキスト・ミュージックのこと。

最近は、ほぼほぼヤルキストのビデオ撮影係として一部で著名なワンワンです。どうもどうも。ピースピース。

ヤルキストっていうのは、主に広島で活躍しているおっさん3人組なんですよ。ラップミュージックがメインだけど、ローカルTVタレント的な仕事もこなしている。
リーダーで、主に楽曲を作っているみるきー
シンガーでありラップも得意な仮トン。
ライブでのサポート的なメンバーであるタカP。
この3人がヤルキストなんですよね。タカP以外は若者でも通りそうだけど、でもまあおっさんですよ。
夢見るおっさんたち、それがヤルキスト。

 

もともと自分はニコラップのリスナーなんですよね。
ネットラップっていうよりニコラップです、ハイ。

ニコラップっていうのは、ニコニコ動画でオリジナルのラップミュージックを投稿している人たちで、先駆けとしてのらっぷびと、今は超メジャーにいるDAOKO、それからjinmennusagiやdisryなんかがかつてはいました。個人的には電波少女が早く100万枚くらい売れないかなあって思ってます。

ネットラップっていうのは、もうちょっと歴史が古くてですね、ざっと言って火星やアンダーグランドシアターや2ちゃんクルーのことです。わからなければググれ。
ちなみにヤルキストのみるきーは、ネットラップの最古参の一人です。
中学生の時から、この界隈で曲の投稿をしていたそうです。ワーオ!

いろいろ縁があって、彼らと親しくなり、もう10年以上になります。
いやあ、マジいろいろあったんですが、それはまたの機会に話すとして、今回は、ヤルキストの音楽性について、ちょっと私見を述べさせていただきたいと、このように思っております。しばらくおつきあいいただければ幸いであります。


さっそくですが、ヤルキストの曲って、大雑把に分けて3種類あると思っているんですよねー。
これについて、先日まで彼らが展開していた「毎日YOUTUBEにライブ映像をアップする、毎日ヤルキスト」に即して解説させていただこうかと思います。

 

まずひとつめ、男臭い、熱~いヤツ。
これは彼らの出発点的な曲である「ファーストバイト」が代表的ですかね。

この曲はヤルキスト以前にミルキーがソロでやってた時の曲で、この曲を聴いた仮トンが感動してヤルキスト結成につながったという、まさにヤルキストなエピソードがあるわけですが、彼らにしてみればこれこそヤルキストのメイン、本道、これがあるからオレたちはヤルキストなんだっていう、そういうアレなんですよね。

足を広げて低い重心でマイクに叫ぶように歌っている仮トンを見ると、バッキバキのパンクバンド、例えばThe Clash「London Calling」のジャケットを連想しちゃうんですよね。あのギターぶっこわしてるアレね。男気ってヤツです。

ヤルキストのライブに行くと、オッシャレーなおじさまがいらしてたりするんですが、きっとこのあたりの曲に心鷲掴みにされちゃってるんじゃないかなって思っています。

「三本の矢」とかもそうですよね。

タカPがハーモニカを吹くとこで、仮トンが盛り上げるとことかモロそれだと個人的には思っているワケですが、ただこの路線だけだと逆にヤルキストではなくなってしまうんですよね~。

 

ふたつめ、ノベルティーソング路線のヤツ。
実はこれが一番(大衆的に)わかりやすいヤルキストのアピールポイントなんじゃないかと個人的には思うんです。

この曲↓「物欲Loven」とか顕著ですよねー。

例えばですね、この曲のテーマだと、資本主義批判だの、商業主義批判だのに持っていこうと思えば持っていけるんですよね。でもそんなクサいことヤルキストはしません。
ただただ素直に、自分の欲深さを苦笑しつつも、今を全力で楽しむ、それだけなんです。逆にこういう気取らないスタンスの曲って、なかなか作れないと思うんですよねー。エンターテイメントとして彼らが一流だと思う所以です。

そんな彼らだからこそ、今年のカープのテーマである「ドッテンカープ」の楽曲を作れたのではないかと思うんですよー。

初期には「レッツドリンク」とかもありましたよね。

この曲は実はヤルキスト結成以前に作った曲で、ヤルキスト結成当時に曲が足りないから演ってたらめっちゃ受けたっていうアレなんですけど、こういうノベルティー的な曲が大好きなオレも当時からホント大喜びだったですよー。

最近だと福山リムっていう商業施設でライブする時のみ演ってる「リムのうた」ですかねー。ええ、ナゾなみるきーのダンスが堪能できるとウワサのあの曲ですよ。

おおっと、「毎日YOUTUBEにライブ映像をアップする、毎日ヤルキスト」から逸脱しちゃって、ついには自分のチャンネルの曲まで紹介し始めたぞー、こらワンワン!

 

みっつめは、ほっこりあったか~い路線。
この路線の代表曲は、いわずもがな彼らの代表曲であり、テレビ新広島で放送している「ひろしま満点ママ!!」のエンディング曲でもある「明日へ」ですかねー。

最近のライブだと1曲目に演ることが多いですね。いわば彼らの名刺代わりの1曲。

この路線の源流は、最近YOUTUBEでPVが一万再生を超えた『サンキュー』ですかねー。

PV版↓Twitterでも言ったけど、撮影はわたくしワンワンでございます。

あと「HOME」ね。これぞほっこり!っていうアレね。

それからRAPウェディングソング「最愛の人」。これ初めて聴いた時、オザケンくらい作詞の才能あるなって思いました、リリックがとても深い。しみる。

 

おい、じゃあの曲やこの曲はどうなんだ!っていう方もいらっしゃるかもしれないですが、まああくまでわたくしワンワンの主観的で恣意的な分別分類ですので、あくまで目安的に思っておめこぼしいただければ幸いでござる。おサルのケツは真っ赤でござる。

「アステール」は実は男気的な路線をノベルティー的に作った曲なんじゃないか、と個人的には思っていたり、

それとは逆に、ノベルティー的な手法で男気を歌ったのが「オレはミュージシャン」なんじゃないかとか、

「コンクリートダンス」って実はコテコテのノベルティータイプの曲だよねーとか、

いろいろ思ったりしてしまうワケですが、まあアレっすよ。ヤルキスト・ミュージックは素晴らしいなあーって。(強引なまとめwww)

 


余談。

仮トンソロ曲である「Don't stop」が今回紹介されてるけどさー、

いや、ライブでこの曲↓やってよー、この仮トン最高にかっこいい!

鄧麗君之歌第一集「鳳陽花鼓」

(なかなかうまくまとめられなかったネタとして、テレサ・テンのデビューアルバムの件があったんですが、ひょっとしてライナーノーツ形式ならうまくまとめられるんじゃないか、と思いついたのでやってみることにしました)

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鄧麗君之歌第一集「鳳陽花鼓」1stプレス ジャケ

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鄧麗君之歌第一集「鳳陽花鼓」2ndプレス ジャケ

1967年(民國56年)に台湾で発売された、後のテレサ・テンこと鄧麗君(デン・リーチュン)のファースト・アルバムです。

内容はカバー曲集です。ジャケットにある「The Modern Popular Songs Of China」という文言のとおり、姚莉(ヤオ・リー)、劉韻(リウ・イン)、周璇(チョウ・シュアン)といった上海~香港歌手の有名曲がメインで、おそらくこのあたりがデビュー当時の彼女のレパートリーの中心だったのでしょう。

鄧麗君之歌第一集「鳳陽花鼓」

鄧麗君之歌第一集「鳳陽花鼓」原曲集

後述の曲目紹介欄にてくわしくご紹介いたしますが、各曲目の背後には上海・香港映画──とりわけ國語=普通話=北京語の歌曲をメインとした多くのミュージカル映画があります。当時の鄧麗君にとって、また、彼女の歌声を支持した華人社会──「華語圏」(©貴志俊彦)の大衆たちにとって、これらの映画こそ文化の中心だったはずです。*1

当時の鄧麗君はまだ14歳ですが、前年にはすでに台湾電視公司(地上波テレビ放送局:台湾テレビ)の専属歌手となっていました。ジャケに「電視紅歌星」と入っているのは、そのことに由来しています。当時、すでにテレビのスターだったんですね。

歌手活動の多忙により、学校側から学業専念か歌手活動かをせまられ、これに反発した彼女の父親と学校側が揉め、結局中退することになってしまったのがこの年──1967年です。台北の高級クラブ「夜巴黎(イエパリ)」での70日間公演のロングラン記録を作ったのもこの年です。*2

このアルバムには二つのバージョンがあり、A面4曲目がそれぞれ違っています。ひとつは「女兒圈」という曲のもの。もう一つは、彼女の生涯をとおして歌われた「何日君再來」──それを改題した「幾時你回來」のものです。
当時の台湾では「何日君再來」は文化統制の名のもと「禁歌」とされていたため、検閲を通すために、まず「女兒圈」収録のファーストプレスが発売され、その後「幾時你回來」収録のセカンドプレスが発売されたのだそうです。*3 

ちなみにファーストプレスのレコードレーベルでの表記では「民國56.9出版」となっており、おそらく八月頃の発売ではないかと考えられます。日本でも雑誌などが表記より1ヶ月くらい前に出るのと同様です。

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鄧麗君之歌第一集「鳳陽花鼓」裏ジャケ

ジャケット裏の表記によると、編曲・指揮として怯天林という方の名前がありますが、詳細はよくわかっていません。ですが、オークションサイトにてこんなアルバムを見つけました。

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時代國學演奏集ジャケ

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時代國学演奏集 裏ジャケ

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時代國學演奏集 レーベル面

「民國60年10月出版」とありますから、鄧麗君之歌第一集「鳳陽花鼓」発売から4年後の1971年ですね。内容は聴いてないですが、ジャケットから想像するに、当時の土産物アルバムではないかと推察されます。


■A面

01 - 歡樂今宵 [曲:葛士培 / 詞:葉綠]
オリジナルバージョンを歌っている蓓蕾(ベイ・レイ)は香港の歌手です。『歡樂青春 (The Joy of Spring)』(1966年)という映画で姚莉・靜婷(シン・ティン)とともに主題歌を歌っており、この曲も挿入歌としてパーティシーンに使われています。
50~60年代の香港映画は出演者とは別に専属歌手が歌うという、いわゆる『アイカツ!』と同じスタイルで作られていますので、映画に出演しているわけではありません。
原曲はキレのいいツイスト曲──作曲の葛士培とはフィリピン人ヴィック・クリストバル──なんですけど、鄧麗君のバージョンでは少々もっさりしたアレンジと演奏で、このあたりが「中国伝統音楽バンドが無理して」*4 演奏してる感をかもし出しているゆえんと言えるのではないかと。

02 - 姑娘十八一朵花 [曲:鄧雨賢(唐崎夜雨) / 詞:莊奴]
1958年頃に南京出身の台湾の歌手・紫薇(スー・ウェイ)が歌ったのが國語版オリジナルバージョンなのだそうです。しかし、紫薇はレコーディングの機会に恵まれていなかったため音源は存在せず、ほぼ同時期に歌いレコードになっている劉韻がオリジナルだと思っている方が多いようです。
鄧麗君のバージョンは、紫薇、劉韻、どちらをお手本に歌っているのでしょうね?
「♪娘十八花盛り」というわかりやすいテーマや歌詞の現代的なユーモラスも相まって中華圏ではスタンダード曲となっているほどの人気の曲で、他にも台湾語版や客家語版、広東語版(香港)、潮州語版(マレーシア)があるようです。1966年には同名の香港映画が作られています。
もともとの原曲は1936年(昭和11年)に鄧雨賢が作曲し周添旺が台湾語の歌詞をつけた「黃昏愁」なんだそうです。その後1939年(昭和14年)に「蕃社の娘」という日本語曲として、コロンビアレコードから日本発売されます。歌っているのは佐塚佐和子(サワ・サツカ)、なんと霧社事件(台湾先住民による抗日蜂起事件)で殺害された警部の娘さんなのだそうです。

03 - 知道不知道 [曲:姚敏 / 詞:樂韻]
1966年の香港映画『落馬湖 (Gun Fight at Lo Ma Lake)』の挿入歌で、劉韻が歌っているのがオリジナルバージョンです。そちらは、うっとりするような中華っぽさあふれる美しいアレンジなんです、まるで天女が舞うような。鄧麗君のバージョンは、もう少しスピードを早めたような、チャカチャカしたアレンジになって いますね。
作曲の姚敏(ヤオ・ミン)は姚莉の実兄で、服部良一と親交のあった上海~香港の音楽家です。残念ながら、このアルバムの発売前である1967年3月に亡くなっています。

04 - 女兒圈 [曲:王福齡 / 詞:狄薏(陳蝶衣)]
オリジナルバージョンは1962年に潘秀瓊(ハン・ショウチョン)が歌いました。原曲は典型的な中華っぽいアレンジなのに対して、鄧麗君のバージョンは日本の歌謡曲、それもエレキ歌謡っぽさがありますよね、いわゆる「一人GS」(©黒沢進)。ちなみに一人GSの代表曲である美空ひばりの「真赤な太陽」が1967年(昭和42年)5月発売。当時最先端のアレンジだったんですね。
どうしても「幾時你回來 (何日君再來)」の差し替え用の曲みたいなイメージで見られがちですが、自分はアレンジからして重要曲だと思います。

04 - 幾時你回來 (何日君再來)  [曲:劉雪庵(晏如) / 詞:黃嘉謨(貝林)]
いわずと知れた中華圏最大のヒット曲にして、テレサ・テンという歌手にとってなくてはならない最重要曲と言えるでしょう。テレサって、デビュー当時から「何日君再來」を歌ってたんだなーって、ファンなら思わす興奮してしまうでしょう。
もともとは作曲者の劉雪庵(リュウ・シュエアン)が、1936年7月に上海の音楽学校の歓送パーティにおいて即興的にタンゴのダンス曲を創作したものが原曲なのだそうです。*5

1937年に上海映画『三星伴月』の挿入歌として、映画の脚本を担当した黃嘉謨(ホワン・ジアモ)が作詞をし、周璇が歌い大ヒット。
1939年に黎莉莉(リー・リリ)が香港映画『孤島天堂』(上海を舞台にした抗日映画)の主題歌として歌い、これもヒット。日本では夏目芙美子(羅仙嬌)、渡辺はま子が同じく1939年にレコードに吹き込んでいますね。
以下は自分の憶測であることをご了承いただきたいのですが、もともとこの「幾時你回來 (何日君再來)」が4曲目として用意されていたのではないでしょうか? だって、「女兒圈」の一人GSアレンジって「The Modern Popular Songs Of China」をうたうこのアルバムで、あまりにも異色ではないかと思うんですよね… 。
おそらく先にレコーディングされていた「幾時你回來 (何日君再來)」が、検閲に引っかかりそうになり、急遽「女兒圈」が用意され、差し替えられた…のではないかと思うんですが、どうでしょう?
この仮説なら、ファーストプレスの混乱ぶり──裏ジャケに「女兒圈」と表記があるにも関わらず、実際に収録されているのは「幾時你回來 (何日君再來)」というバージョンが存在すること──も、説明がつくのではないかと。
ただ、これは全く裏が取れていない、個人的な妄想レベルの仮説にすぎないことを強調しておきます。

05 - 只有一個你 [曲:佚名 / 詞:狄薏(陳蝶衣)]
オリジナルバージョンは女優の張仲文(チャン・ジョンウェン)が歌っています。1958年の映画『地下火花 (Flame in Ashes)』の挿入歌になっています。この映画はタイと香港の共同制作です。
張仲文は「噴火女郎 (火を吐く少女)」「最美麗的動物 (最も美しい動物)」とあだ名されるセクシーな女優として知られていました。河北省出身で軍人一家に育ち、自身も15歳の時に空軍兵士と結婚、2児をもうけます。1949年頃に台湾に移住。生活が苦しかったのでしょう、ほどなく離婚して舞台女優となり、その後映画界へ。1957年からは香港映画界へ進出し活躍しています。
台湾から香港へ──それは後の鄧麗君=テレサ・テンもたどった道筋ですね。

06 - 月夜相思 (明月千里寄相思)  [曲:金流(劉如曾) / 詞:金流(劉如曾)]
オリジナルバージョンは吳鶯音(ウ・インイン)が1948年に歌っています。吳鶯音は戦後に歌手デビューした方ですが、40年代の上海七大歌后の一人に数えられています。あだ名は「鼻音歌后」。
1922年寧波で生まれ、上海で育ちました。子供の頃から歌うのが好きだったのですが、両親は彼女に医学の道に進むよう望んでいました。このため、彼女は家族に内緒でラジオ局で歌うようになりました。その後、ナイトクラブなどで歌い、1946年に百代レコードと契約、レコードデビュー曲は「我想忘了你 (私はあなたを忘れたい)」でした。中華人民共和国成立後もしばらく上海にいましたが、1957年に香港に引っ越しました。
この曲「明月千里寄相思 (輝く月が千マイルを越えて私の想いを送る)」も彼女の代表曲の一つで、現代でも歌い継がれている中華圏でのスタンダード曲となっています。

■B面

01 - 鳳陽花鼓 [曲:佚名 / 詞:黎錦暉]
作詞の黎錦暉は「中国ポピュラー音楽の父」と呼ばれています。中国最初の流行歌「毛毛雨(マオマオユー)」の作詞・作曲者であり、上海で「中華歌舞専門学校」~「明月歌劇社」を設立させ、多くのエンターティナーを育成しました。この曲のオリジナルバージョンを歌っている周璇もその一人です。レコーディングは1934年8月、周璇が映画スターになる以前の14歳の時です。そう、このアルバムが発売された時の鄧麗君と同い年なんです。
曲自体は中国・安徽省の民謡で、明や清の時代に流行し、後に京劇や昆劇などの演目にもなりました。現在でも歌い継がれおり、旧正月には欠かせない曲なのだそうです。
ちょうどこのアルバムが発売された頃、台湾製作の同タイトルの映画が公開されており、翌年には香港でも公開されています。この映画、姚敏も音楽監督として関わっており、歌っているのは劉韻です。

02 - 搖搖搖 [曲:顧嘉煇 / 詞:林以亮]
オリジナルバージョンは1966年に靜婷(シンティン)が歌っています。1966年の香港映画『何日君再來(Till the End of Time)』の挿入歌です。胡燕妮(ホー・イェンニー)という方が主演女優で、この方は台湾出身なんです。
前述のとおり、当時の香港映画は『アイカツ!』方式なので、主演女優とは別に、歌っているのは専属の歌手です。映画の中で主演・胡燕妮の役どころは歌手なのですが、歌っているのはすべて靜婷です。
ちなみに映画の中で「何日君再來」という曲は流れません。いや、そのタイトルの曲はあるのですが、別の曲なのです。
中国のウィキペディアにこんな記述がありました。

1966年、香港のショウブラザーズは『何日君再來』という映画を撮影しましたが 、その歌が台湾で禁止されていることをショウの会社が知ったことは一度もありませんでした。興味深いことに、台湾行政院新聞局は香港映画を禁止していません。

1966年,香港邵氏公司拍了一部名叫「何日君再來」的電影,同名歌曲也出現在影片中,其中有趣的是,邵氏公司一直都不知道這首歌曲在台灣有禁令,而更有意思的是,台灣行政院新聞局也並未禁播這部香港電影。

曲自体はツイスト曲で、原曲では男性コーラスが入っていてとてもいい感じなんですが、なんのなんの鄧麗君バージョンの歌いっぷりも負けていません。最初の「ウーヤ♪」から最後の「ヤーヤ♪ヤーヤ♪ヤー♪」まで、終始ノリノリで、聴いてるだけでウキウキしますね。

03 - 桃花江 [曲:姚敏 / 詞:司徒明]
オリジナルバージョンは姚莉が歌っています。1956年の香港映画『桃花江』の主題歌です。
この映画は黎錦暉の作詞・作曲による同名曲──こちらのオリジナルバージョンは周璇とその最初の夫・嚴華の合唱で1934年7月録音、ちなみにそのレコードのB面曲が「鳳陽花鼓」──をもとに作られているのですが、前述の映画『何日君再來』と同様に、その元曲は使われず、新たに作られた曲が使われているわけです。この方式の元祖的な映画がこの『桃花江』のようです。
以下、貴志俊彦先生の『東アジア流行歌アワー』より引用。

香港に移ってきた「国語」映画人たちは、四九年に「広東語映画清潔運動宣言」を発表し、暴力や性的描写満載の現代劇作品からの離脱を唱え、五六年から五九年にかけてミュージカル映画の黄金時代を築いた。映画のなかの歌は、役者ではなく、有名な歌手が吹き替えをしていたので、映画のヒットは同時にレコードの販売に直結した。流行のきっかけとなったのは、黎錦暉が作曲した「桃花江」をもとに、新華が五六年に製作した映画「桃花江」だった。監督は張善琨、王天林、音楽監督は姚敏が担当した。姚敏は主題歌の「桃花江」をはじめ、挿入歌の「月下対口(月下の掛合)」「採花歌」「花児比姐児(花は女性よりも)」「春天不見了(まだ見ぬ春よ)」「擦鞋歌(くつみがきの歌)」「我睡在雲霧裡(霧の中で眠る)」「龍燈與風箏(灯火と凧)」「我說東來你說西(私は東、君は西)」「為甚麼(どうして)」など全一二曲の作曲を担当した。映画の主題歌(作詞司徒明、作曲姚敏)を歌ったのが、上海から香港に移ってきた姚莉だった。こうして、姚敏は、香港の「国語」流行歌を主導していくことになった。
(P222-223)

 04 - 黃昏小唱 [曲:江風(李厚襄) / 詞:方忭(陳蝶衣)]
オリジナルバージョンは1963年に劉韻が歌っています。
劉韻は、いわゆる黄梅調に長けた歌い手で、当時の鄧麗君にとっての憧れであり目標の一人でもあったのは間違いないと思われます。歌い方もちょっと似てませんか?
劉韻は1941年生まれで出身地は北京です。1958年に姚敏の推薦で香港百代レコードにて歌ったのがデビューのきっかけと言われています。小調(マイナー調)の曲が得意なことから「小調歌后」と呼ばれています。

05 - 一年又一年 [曲:姚敏 / 詞:陳蝶衣]
オリジナルバージョンは1961年に姚莉が歌っています。
姚莉も、当時の鄧麗君にとっての憧れであり目標の一人でもあったのは間違いないでしょう。周璇が「金嗓子(チンサンズ)」──黄金の喉声と呼ばれていたのに対して、姚莉は「銀嗓子(インサンズ)」と呼ばれていました。
姚莉は1922年生まれ、上海出身です。13歳で百代レコードからデビュー、大人気ではありましたが、当時の彼女は周璇のフォロワー的な立ち位置であり、それがこのニックネームに表れていると言えます。
その後姚莉は歌い方を模索し、1947年の「帶著眼淚唱 (涙を浮かべて歌う)」あたりから黒人のブルース的な唱法を取り入れ、成熟した歌い手として成長していきます。そう、まるでいぶし銀のごとく。
1950年に香港に移り、そこからは香港の代表的な歌手になったといっても過言ではない大スターとなりました。
前述のとおり、姚莉の5歳年長の兄である姚敏が1967年3月に急逝してしまいます。姚莉はこのことで大変なショックを受け、歌手活動をやめてしまいます。
姚莉は、2019年7月19日の朝亡くなったそうです。96歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

06 - 做針線 [曲:姚敏 / 詞:陳蝶衣]
この曲は1960年の香港映画『多情的野貓 (The Amorous Pussy-cat)』の挿入歌です。映画のほうでは姚莉が「幕後代唱」していますが、レコードのほうでは于飛(イーセイ)が歌っています。ややこしいですが、おそらくレコード会社の契約関係でそうなっているのではないかと。
どちらがオリジナルバージョンにあたるのかは正直よくわかりませんが、鄧麗君之歌第二集「心疼的小寶寶」──すなわちセカンドアルバムの1曲目に姚莉がオリジナルバージョンの曲「人生就是戲」をもってきてることを考えると、鄧麗君的には姚莉リスペクトだったのではないでしょうか。

 

*1:*1 日本ではおしなべて未公開ですが、字幕・翻訳にこだわらなければインターネット上で観ることは、さほどむずかしいことではありません。

*2:*2 平野久美子『テレサ・テンが見た夢』(ちくま文庫 2015)

*3:*3 after you 「宇宙時代の鄧麗君」

*4:*4 EL SUR RECORDS 「鄧麗君 TERESA TENG / 〜宇宙唱片 ORIGINAL 復刻 CD」

*5:*5 中薗栄助『何日君再来物語』エピローグ(河出文庫版 P318)

夏目芙美子ソングブック

支那夜曲‐君何日再来 1939年(昭和14年)8月

いろいろと検索して戦前の流行歌を聴いている時に、これ↑を見つけて驚いたんですよね。

オレが知ってるのと歌詞が違うじゃん!全部日本語じゃん!って。

俄然興味が湧いたんすよ。

ところがところが、夏目芙美子さんについてネットで調べてみても断片的な情報しかない。それこそ、上の動画中の説明文くらいしか出てこない…。

夏目は朝鮮出身、和歌山に住んでいたようですが、終戦とともに帰国したやに聞いております。
この歌は多くの歌手が吹き込みしていますが、当時はこの盤が最も好まれたように思います。

 

こりゃモノの本に当たるしかないなーってところで、貴志俊彦先生の『東アジア流行歌アワー』にたどりついたんです。以下引用(P135-136)

「大陸歌謡」の異色の歌手のひとりとして、羅仙嬌(ナ・ソンギョ、日本での芸名は夏目芙美子)を忘れてはならない。周璇の大ヒット曲「何日君再来」のレコードを渡辺はま子に先んじてキングから発売していたことは先に述べたとおりである。羅仙嬌は、三三年に朝鮮のレコード会社シエロンで「新民謡」歌手としてデビューした。シエロン時代に文芸部長李瑞永に朴是春(パク・シチュン 一九一三-一九九六)を紹介し、それがきっかけで朴は作曲家の道を歩み始め、戦前から戦後にかけて韓国流行歌を主導するひとりになった。そのため、朴は羅仙嬌にたいそう感謝している。羅仙嬌は、その後朝鮮少女歌劇の娘々座のスターとして来日した。神戸での歌手活動をしているときに、キングにスカウトされて、三八年頃からキング専属歌手夏目芙美子として活動を始めることになった。「支那夜曲(何日君再来)」*1のレーベルにも夏目芙美子の名が印字されている。このほかの「大陸歌謡」としては、三九年に「娘々(ニャンニャン)祭」(作詞島田芳文、作曲島村菊夫)、「広東夜曲」(作詞佐藤惣之助、作曲杉井幸一)、四〇年に「蘇州の娘」(作詞佐藤惣之助、作曲陸奥明)、「満州祭り」(作詞佐藤惣之助、作曲上原げんと)を出している。朝鮮風の「長鼓(チャング)叩いて」(作詞小沼宏、作曲上原げんと)も四〇年三月にキングに吹き込んでいる。
 四一年一月新譜の「機織る少女」のレーベルから羅仙嬌という本名が印刷されるようになり、「黄河の夢唄」(作詞坂本修三郎、作曲三界稔)などのレコードも本名で出している。羅仙嬌の戦中、戦後直後の活動の軌跡ははっきりしないが、六〇年の第六次帰国船団とともに北朝鮮に戻る道を選択したという記録が残っている*2。羅仙嬌は、戦前に「倭色(否定的な意味での日本流)歌謡」を歌い、戦後北朝鮮に渡った、いわゆる「越北者」のひとりであったために、韓国では歌手としてほとんど評価されてはいない。

 なるほど、そういう方なのね…。

当時の韓国での「新民謡」を含めた状況についてもいろいろと記載があり、いやあおもしろい本です『東アジア流行歌アワー』。

 

また、こちら↓のブログエントリーにて興味深い記述がありました。

モミジガサの探し方「戦前の歌謡その867 夜のランプは暗くとも」

羅 仙嬌 夜のランプは暗くとも  昭和16年
戦前に活躍した朝鮮出身の歌い手で十五年の「満州祭り」まで夏目芙美子の名でしたが、­十六年一月の「機織る少女」から羅仙嬌で歌っています。豊かな感情のこもったアルトで、発音のハッキリした歌唱です。キングにスカウトされる前は弟を日本の大学に上げたいと願って、その学費を稼ぐため神戸のクラブで働いていたそうです。

弟さん、日本の大学に行けたのかしら?

 

さらに、こちら↓も発見しました。キング以前にこんな音源が!

戦前の朝鮮流行歌レコード『살짝돌여요』(直訳:少し廻します。)(コーライ824/羅仙嬌)

  戦前に活躍した朝鮮の女性歌手、羅仙嬌(夏目芙美子)による朝鮮譜の一枚です。
この流行歌盤を聴いて気づくのは、東京・葭町の芸者だった勝太郎(小唄勝太郎) が、昭和8年にビクターで吹き込み大ヒットした『島の娘』(長田幹彦作詞、佐々木 俊一作曲)と曲が大変似ていることです。多少マーチング調になっています。 メロディといい、高音での「ハァー」という歌い出しといい勝太郎とそっくり です。

作曲者は李春風、作詞者は白雲となっています。裏面は羅仙嬌の新民謡で、こちらが A面扱いで曲・詞の担当者名も同じです。 コーライ(高麗)レーベルは、大阪のマイナーレーベルのコッカレコードがプレスし た朝鮮市場向けのレーベルと思われます(詳しい方、ご教示下さい)。

コッカは国歌 レコード製作所として昭和4年頃設立、のちにコッカレコードに改称し、同14年頃ま で存続していた会社と推定されています。

この曲は、『島の娘』と作曲者、レコード会社がまったく異なるので、カバー曲では ありません。コッカは、他のレコード会社でヒットした流行歌と類似した曲名や内容 の歌を制作し、廉価で発売していた後追い商法の会社としての側面があり、『島の娘』との類似点を考えると、この盤もさも有りなんと思われます。

羅仙嬌は高音の美声歌手で、キングレコードで日本語の流行歌を昭和13年から15年ま で「夏目芙美子」名義で、同16年に「羅仙嬌」名義で十数曲を吹き込み、内地の歌謡界でも活躍しています。

ふろあ

このレコード、1933年(昭和8年)のシエロンでのデビューよりも前か後か?
そもそもシエロンとは専属契約だったのか?
来日したのはいつ頃だったのか?
朝鮮少女歌劇の娘々座とはどういったものだったのか? 


故郷のあの唄 1938年(昭和13年)6月

神戸のクラブで歌っていてキングにスカウトされたのは1937年(昭和12年)?それとも翌年の1938年(昭和13年)?
たぶん、日本でのデビュー盤であるこのレコードのリリースが1938年(昭和13年)6月であるから、その少し前くらいではないかと推察される。


城ケ島夜曲 (3:37~) 1938年(昭和13年)8月


朝日映画「出征兵士を送る歌」 1939年(昭和14年)


支那夜曲‐君何日再来 非売品 ナレーション入り 1939年(昭和14年)


歎きの姉妹鳥(井口小夜子・夏目芙美子) 1940年(昭和15年)4月

こちら↓のブログエントリーによれば、映画主題歌で、夏目芙美子の代表曲とのこと。

昭和初期の映画主題歌あれこれ「昭和13年(その7)」

更に翌15年には

☆「松竹 涙の責任」(監督;蛭川伊勢夫)  15/2月封切   現代悲劇

主題歌「嘆きの姉妹鳥・井口小夜子、夏目芙美子」(西条八十・細川潤一)キング 15/3月
「昔恋しい姉妹 摘んだ四葉のクローバの・・・・」で始まるこの主題歌は、夏目芙美子の代表曲として知られている。

 
蘇州の娘 1940年(昭和15年)2月

この曲と、前年7月リリースの「娘々祭」は同じメロディなんだそうです。でもYoutubeに夏目芙美子の「娘々祭」上がってないので確認できず…。

詳細は以下のブログ参照。

ぶろぐろじん「異名同曲」 

先日熊さんから「これってそうじゃない?」と報告を受けた曲がキングレコードから発売された夏目芙美子の「娘々祭」と「蘇州の娘」、聴いて見るとまさしく同じメロディ、但し作曲者が違う名前、この場合「変名」を使用する場合が多いのだが。
            カッブリング曲
娘々祭  島村菊夫作曲 海南島から(筑波高)  30075 S14.7
蘇州の娘 陸奥 明作曲 李さん王さん(岡晴夫) 40028 S15.2

陸奥 明はタイヘイ、ポリドールでの制作がほとんどで、キングで発売したのが疑問点の一つ、二つ目は昭和14年の「娘々祭」では島村菊夫で、翌年の「蘇州の娘」でなぜ陸奥明になっているのか。
レコード盤を見たことが無いので判らないが、よくあるレコード会社での誤記も有り得る。
はたして島村菊夫は陸奥明の変名か?

 

満洲祭り1940年(昭和15年)7月

 

娘娘祭 - にゃんにゃんまつり

歌はどなたが歌っているのか説明がないのでわかりません(たぶん夏目芙美子ではないと思います)が、映像はたいへん貴重なものなので紹介しておきます。

満州国の大石橋にて行われた娘娘祭こと娘娘廟会の貴重な映像。
1947年中国共産党によって寺は焼却爆破され、祭りも途絶えた。1992年以降共産党地方政府が文化遺産修復政策によってこれを復元復興するも、かつての賑わいはない。


黄河の夢唄 1941年(昭和16年)10月

 本名の羅仙嬬名義で3曲を、1941年(昭和16年)に吹き込んでいるのだそうで、そのうちの1曲がこれ。いわゆる典型的な「大陸歌謡」ですね。

 

韓国・朝鮮の歌手が、日本に来て中国っぽい歌曲を歌う…というこのアレげな感じに胸がざわついてしまう。と同時に、調べれば調べるほどに、当時の日本のダメな感じに落胆っすよ。なんだかんだ言ったって、当時の日本はダメだよそりゃ。謀略による侵略行為だもんな…って、中学生の感想文みたいな雑なまとめ方ですみません…。

*1:*1 これ、ホントにちょっとしたまちがいなんですけど、レコードのレーベルでは「支那夜曲-君何日再来-」ってなってるんですよねー。Youtubeに上がってるどの動画を確認してもそうなってます。

*2:*2 いろいろ事情があるのかもしれないですが、その記録ってどういうものなのかをちゃんと記述しておいてほしかったですよ貴志先生…。

『何日君再来物語』と香港デモのこと

正月に「今年はちゃんと更新するぞ」と言ったにも関わらず、半年以上放置しているワンワンです。すみません…。

この半年の間だけで、令和になるわー著名人は死にまくるわー香港でデモが起きてあわや天安門の再現?みたいな事態になるわーで、まるで89年がもう一度やってきたかのような錯覚に陥るわけですが、まあ錯覚でしょ。

平成は平成、令和は令和。せっかくですし、わけて考えましょ(自己暗示)

でまあ、この半年の間も、自分はテレサ・テンこと鄧麗君(デン・リーチュン)の音源に夢中だったわけなんですが、香港デビュー頃の彼女の音源まで進みまして、最近はぼちぼちポリドール音源も聴いております。

あいかわらず演歌っぽい音源は苦手だったりはするんですけど、だんだん聴けるようになってきました。我ながら慣れのモンダイな気がします。

でまあ、それと並行する読書テーマとして、先日中薗英助・著『何日君再来(ホーリイチュンツァイライ)物語』を読んだワケなんですけれども、これが予想以上に良い本でした。

70年代末に横浜中華街でテレサ・テンの歌う「何日君再来」に出会うところから始まり、その歌の謎を追って渡辺はま子山口淑子李香蘭)へのインタビューを経て、1930年代の中国、とりわけ「何日君再来」を最初に歌った周璇(チョウ・シュアン)にスポットを当てて語られる当時の上海や香港の様子は、歴史の緊迫した面持ちがわっと迫ってくるかのようです。

さらに、その作曲者の壮絶な晩年と、検閲でズタズタにされた抗日映画の、とんでもないディストピアっぷり…。

解説の岡庭昇さんが書いていらっしゃるとおり「二年後にひき起こされた天安門事件の虐殺を幻視していた」、ということなのだろう。読後感のズシリとした重さは、それが現在でも全くちっとも解決していないってことにあるわけで。

そのことの証明が、先日から起こっている香港のデモなんでしょ。

正直言って自分は、心の底から香港のデモを応援できない。それは、数にまかせて為政者を煽るっていう方法論に疑問があるからだ。

天安門の時もそうだった。たしか天安門の時の運動指導者たちが、軍が鎮圧に乗り出す事態になれば国際世論を味方につけられる的なことを言っていて、人民解放軍の「虐殺」はむしろ「想定内」だった的な話をきいた。

今回だって、本当は軍の鎮圧、すなわち「虐殺」をこそ想定しての煽りだったんじゃないの?

それを「勇気ある」とか持ち上げる日本の「民主主義者」がたくさんいるわけですが、いやあキツイっす。それ、戦前の特攻兵を「軍神」って呼ぶメンタリティとどんだけ違うの?? ちょっと考え方が違えば同じ日本人同士にも関わらずののしりあう、ヘンな派閥争い。「売国奴」「非国民」と考え方の違う者を排斥してきたメンタリティとどんだけ違うの??

そんなんで本当に「中国人」とつきあえるの?って自分は思う。

自分は、テレサ・テン、鄧麗君のことを話し合える「中国人」の友達が、心から
ほしいと今思っているが、「民主主義者」たちはその定義のあいまいな「民主主義」の話でもするんだろうかね? デモで権力を煽るのが楽しい!とかそういう話? 心の底からゲスだなって思う。軽蔑する。

だから、とりあえず自分はもっと勉強しなきゃなーって思って、アマゾンで貴志俊彦『東アジア流行歌アワー――越境する音 交錯する音楽人』 (岩波現代全書)をポチったわけなんですね。いや、何が「だから」なのか全くつながりがわからない文章ですみませんけど。

先日日曜に発送しましたと先方から連絡がきたので、今日あたり届くかなって思ってたのに届かず。きっと明日来るはず。もうネットで書評をいくつか漁ったし、頭の中できっとこうだろ的な予想も立てたし(高度経済成長が「流行歌の衰退」ないしは「歌謡曲の次のフェーズへの移行」とか?)、あとは読むだけなんだよなー。早く読みたいっす!

鄧麗君に夢中

あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくおねがいいたします。

 

今年はもうちょっとちゃんと更新するぞ。と思ったのでとりあえず元旦からがんばってみる。

 

 もう去年になりますが、そういえばテレサ・テンってあんまり聴いてないな…ちょっと聴いてみよう!と何気なく思って音源を調べたら、あんまりにも膨大でこりゃすげえってなったんですよねー。

 

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%84%A7%E9%BA%97%E5%90%9B%E9%9F%B3%E6%A8%82%E4%BD%9C%E5%93%81%E5%88%97%E8%A1%A8

 

↑台湾のウィキペディア(たぶん)なんですけど、いやあ、ちゃんとまとめてくれていてありがたい。

 

契約してるレコード会社のレーベル名と年代、アルバムタイトルがばっちり載ってるんですよね。あとは曲名を載せてくれてたらなーって思ってさがしてみたら↓こんなファンサイトもありました。

 

http://teresa-teng.weebly.com/ ※ 開くと音楽なります注意!

 

上の60年代タブをクリックしていただくと、ほらね。ジャケがズラっと出てきたでしょ。そんで今度はジャケをクリックすると、曲名も発行年月日も! さらに曲名をクリックすると、今度は歌詞まで! 至れり尽くせりですよねー。気が利いてるすぎる。

 

さて、70年代頃になるとだいぶ「演歌」っぽいアレンジ曲が多くなってくるんですけど、60年代音源ではほぼ「ノー演歌」です。って言い切っちゃっていいのかな?いいよねー。

 

まあ「演歌」の定義やらなんやらメンドクサイ話はとりあえず置いといて、耳で聴いた時の「これって演歌じゃん…」というガッカリ感というか…ああ、このあたりの説明一番ムズカシイな…。

 

"なお、音楽理論的には、演歌の定義はない。楽曲のほとんどのリズムは、ロックである。"
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E6%AD%8C より

 

ウィキペディア先生によれば、「演歌」もロックなんだそうで、まあそりゃそうなんだけどさ、こう、聴いた時の感じ方のモンダイっていうか。うーん、そもそも音楽的な説明ってなると、コード進行すらまともにわかってないオレみたいな音痴マンにはそもそも説明できるわけなくね?みたいな。お手上げじゃん。さらに言えば「感じ方のモンダイ」とか言っちゃうのは我ながらバカの極み的なモノ言いだなーって思うます…。

 

でもその、定義なんてとてもムズカシくてできゃしませんが、聴いてて一発で「これって演歌じゃん…」っていうガッカリ感って、あるんだよなー。わかんねえかなー。できればわかってほしい! そのガッカリ感があったから、逆に今までぜんぜんまともにテレサ・テン音源を聴いてこなかったんですよね、自分の場合。

 

まあそのガッカリ感っていうのは、ウィキペディア先生ご指摘の「進歩的文化人」的価値観みたいなヤツがオレの中に無意識に蓄積した結果のアレなのかもしれないけれどもさあ、だからってとりあえずそう思っちゃうのはしょうがないじゃん。(と言いつつ『はだしのゲン』大好きっ子のオレ氏、わりと浪曲は聴くんだよなこれが)

 

そんなわけでテレサ・テン音源、70年代のはまだあんまり聴いてなくて、とりあえず60年代のをよく聴いています。いわゆる宇宙時代の鄧麗君(デン・リーチュン)。いやあ十代の頃のキラキラした声がホントにかわいい。当時のPOPSカバーや、マンボっぽい曲とかチャチャチャっぽい曲とかが大好き。バックバンドのちょっとヘタっぽい演奏も含めてとても素晴らしい。そう、ガレージロックってのに近い気がする。たぶん。

 

彼女の経歴をかんたんにまとめると、

・67年に台湾でレコードデビュー(14歳)

・71年頃に香港進出、主演映画『歌迷小姐』

・74年日本デビューするもデビュー盤はヒットせず
 2曲目の演歌路線が当たったからその路線でいくことになっちゃった…

っていうものになるんですが、この『歌迷小姐』っていう映画がまたイイんですよ。歌手になるため都会にやってきた女の子が当時の人気イケメン男性歌手と知り合って…っていう少女マンガストーリーにMVをくっつけたっていう『プリパラ』映画並みの雑なアレなんですけど(『プリパリ』ははぶく)、だからこそイイんですよねー。

 

冒頭の、香港の街並み(たぶん)を背景にして朝日の中を歌いながら踊る彼女のなんともキラキラした煌きを魅せられると「これは…スタア…!!」としか言いようがなくなるっていうか、これが当時のアイカツかよ!っていうか。

 


鄧麗君主演映画

 


邓丽君 - 歌迷小姐 1970

まあそんなカンジでドハマりしてるオレ氏なんですが、これは何か評伝?伝記?みたいの読みたいと思って、アマゾンさんで古本じゃなく新刊を正規購入したのが、平野久美子さんの『テレサ・テンが見た夢』なんですよね。文庫版のほうです。そう、新しいほう。

テレサ・テンが見た夢: 華人歌星伝説 (ちくま文庫)

テレサ・テンが見た夢: 華人歌星伝説 (ちくま文庫)

 

96年版のハードカバーとどっちにしようか迷ったけど、とりあえず新しいほうを買ってみた。自分にはとても良い本だった。なんとか日本人に「華人社会とその中でのテレサ・テン」を説明しようと試みた本だと思うんだけど、自分的にはすうっと入ってきた。

 

アマゾンさんのレビューでは「とっちらかってる」だの、「ここはいらないんじゃないの」だの、いろいろ書かれていたのでそこがちょっと不安だったんだけど、読んだ後だとはっきりわかる。その悪評書いてる人たちって著者の想定する「華人社会を知らない日本人」をわかってないんだよなーって。そもそも華人社会自体が「とっちらかってる」のだから、それをそのまま書いてるこの本は逆説的に素晴らしいとも言える。

 

あと、ちょっと本筋から外れるけど、この本読んでてビックリしたのは70年代後半から80年代初頭の香港で日本ブームがあったって記述(P152)。日本資本のデパートが進出したことに起因するらしいのだけど、当時のファッションブティックでのBGMとしてユーミンオフコースなどのニューミュージックが使われていたという。

 

となると今の世界的なCITYPOPリバイバルって、華人社会のそういう側面からのリバイバルっていう可能性もあるかもね。みたいなことをちょっと思いました。

 

彼女が最終的に作りたかったアルバム、世評では名盤『淡淡幽情』の続編みたいなものと言われているけど、ホントはワールドミュージック路線だったのでは?という指摘(P368)はとてもよくわかる。

 

誰か彼女のアカペラ抜いてワールドミュージック的なトラックと融合させたリミックスアルバムを作ってくれないかなーって期待してる。彼女の声はアンビエント・ハウスっぽいのと相性いいんじゃないかなーって個人的には思ってるので、そういう路線でも作ってもらえるとオレ得なのです。もちろんダブステップとかもおもしろいと思う。いろんなテレサ・テンが聴きたいのに、サウンドクラウドとかにあんまりないのホント残念。