引用発明の適格性

 本願発明の進歩性を判断する際、まず、引用発明を決め、その引用発明から本願発明に至ることが容易であったか否か(つまり、本願発明と当該引用発明との相違点を解消することが容易であったか否か)を検討します。この引用発明は、主引用発明とよばれます。

 現在、主引用発明の選択について、特に制約は設けられていません。したがって、進歩性を否定する立場の者は、自由に主引用発明を選択することができます。
 もっとも、主引用発明の構成が本願発明と類似していても、発想が大きく異なっている場合には、結果として、主引用発明から出発して本願発明に至る動機づけが否定されてしまいます。このような場合、主引用発明(又は主引例)が適切ではなかったという趣旨で、主引用発明の適格性という言葉が用いられることがあります。
別の観点からすると、そのような発想の異なる発明を主引用発明にせざるを得ないほど、本願発明の発想が優れていたともいえます。
 

 主引用発明として適格であるか否かは、相対的な問題です。進歩性の判断にあたり、いずれかの先行発明を出発点として検討せざるを得ません。適格な引用発明がないからといって、それだけで進歩性が肯定されるわけではありません(そもそも、「適格」か否かの判断基準がありません)。

 適格でない発明を主引用発明として設定すると、結果として、進歩性が否定されます。進歩性を否定する側(無効審判の請求人、侵害訴訟の被告、権利付与の段階での審査官・審判官)は、そのような事態の起きないよう、自らの責任で、最善と考える主引用発明を選択します。つまり、そのようにして設定された主引用発明は、数ある先行発明の中では最も適格な引用発明です。
 
 
 引用発明の適格性の基準を設けることには、どのような意味があるのでしょうか。
 特許権者又は出願人側からすると、主引用発明を本件(本願)発明と構成の点でより遠い発明に設定させることができると、進歩性は肯定されやすくなります。そこで、引用発明の適格性の基準を設けることにより、構成の点ではより近い発明であっても、発想が異なる発明を主引用発明から排除するという方式は、意味がありそうです。

 しかし、本件(本願)発明と主引用発明との発想の違いを進歩性の判断枠組みに取り込むのであれば、あえて「主引用発明の適格性」を問う必要はありません。
 そして、日本の判断枠組みでは、本件(本願)発明と主引用発明との発想の違いは、主引用例中の示唆や、引用発明間の課題の共通性という要素により、考慮に入れることができます。したがって、「主引用発明の適格性」という要素を新たに設けなくても済みます。

 その一方、EPOのProblem-Solution Approachを貫徹するのであれば、本件(本願)発明と主引用発明との発想の違いを考慮要素にできないため、「主引用発明の適格性」を問う意味があります。実際、EPOの審査基準は、Problem-Solution Approachの前のステップに、最近接発明の選択基準が置かれています。


 知財高判平成23年3月17日(判タ1383号357頁)のコメント欄には、「事後析的な後知恵の判断を回避するためには、対象となる発明を認識しないという想定のもとで引用例の選択が容易であったことを論証する必要がある」(高橋先生及の論文の引用として;塚原先生の論文を引用して同趣旨を繰り返した箇所もあります。)、(この判決は)「主引用例適格性の問題を指摘したものといえよう」との記載があります。

 しかし、日本の判断枠組みの下では、主引用例適格性を改めて持ち出す必要はないように思います。不適切な(つまり、発想の方向が異なる)主引用発明しか見つけられなかったのであれば、たとえ構成が本願発明と近接していても、通常、動機づけは否定できます。
 さらに、新規性の判断では、いくら用途や目的が異なっても、同一の物が公知である場合、新規性は欠如します(物の用途を限定したり方法の発明としてクレームすると、公知発明とは相違点が生じるため、新規性は生じます。)。

 多数の公知の物のうち、クレームされた物の選択が容易であったか否かなどは、考慮されません。クレームされた物が既に公知である以上、その他にも多数の公知発明があることを主張したところで、新規性が無いことに変わりありません。なぜ、進歩性に限って、出発点の選択を問題にする必要があるのでしょうか。
 
 確かに、特定の発明を出発点にしてしまうと、本願発明にたどり着くことは容易であったが、出発点を決めることが難しかったということはあります。例えば、多数のリード化合物候補がある場合に、特定のリード化合物から出発すると、本願発明には容易にたどり着くが、他のリード化合物から出発すると、本願発明のような優れた効果は得られないということはあります。

 しかし、このような場合、当該特定のリード化合物に限って優れた性質を示すということ自体が予想外なのです。したがって、予想外で顕著な効果があることを理由に進歩性を肯定すればよいのです。アメリカでは、出発点を複数の候補から特定する動機づけを問題にした例がありますが、論理的には、特段の差がないと思われていた先行発明候補群のうち、特定の先行発明が優れていたということに予想外の効果を認めれば足ります。