温暖化バカの記事の続きです。

温暖化ばかと呼ばれるべき
http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20100803/1280839795


前の記事では、とある架空の観測点を考えて、いかにデータの取り扱いが難しいか、を考えてみました。観測点のデータを、天気予報で使える形に加工する、それがいったいどういうことなのか、おかしな加工をするとどんなまずいことが起こるのかを考えて、そして、地球温暖化がデータに手を加えることで捏造されていると主張する人たちが、データ捏造によって生じてしかるべき問題を無視していることを指摘しました。


さて、ある一観測点のデータを解釈をするのも難しいのですが、それをまとめて地球全体の気候を再現するのもやっぱり難しいのです。今日はそのお話を。


ご存知でしたか?地表の平均気温って実はよくわかっていないんですよね。気象庁のウェブページの FAQ にこんなしつもんがあります。


世界と日本の気温、降水量の経年変化に関して、よくある質問 -- 気象庁
http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/temp/qa_temp.html


Q:なぜ、気温は平年差、降水量は平年比でしか値を求めないのですか?実際の値や平年値は何℃、何mmなのですか?

A:以下の理由から日本全体や世界全体の平均気温、降水量の実際の値や平年値は
1.正確な見積もりが困難であること
2.正確な値が求まったとしても、地球温暖化を監視する上ではその数値そのものにはあまり意味がないこと
から、算出は行わず、平年差のみを示しています。



気象庁が言うとおり、正確な見積もりは大変困難です。わかりますよね、世界の地表全部、海面全部に、たとえば 10 m おきとかに温度計を設置するわけにはいかないのですから。地球の気温を求めるのはかなり難しいことなのです。


まあ、わからない、といっても、14 度から 15 度の間ぐらいだろうな、というのはたぶん間違っていない。まさか 10 度とか 20 度みたいな温度にはなりません。


とはいえ、少なくとも小数点以下一桁程度の不定性がある。数十年で小数点以下一桁程度の温度上昇を議論するのに、そんなことで大丈夫か???


温暖化が起きているなんて信じられるか、と考えるのは私は自然だと思います。でも、なぜか温暖化懐疑論者の方は、あんまりこのあたりをつついて来ませんね。ちょっと不思議です。


まあ、気象庁の言うとおり、平均値そのものには意味がなく、一方で平年差のほうはかなり正確に議論できるため、温暖化については正しいであろうとほとんどの気候学者が同意しているわけです。懐疑論者の人たちも同意してくれているのかな?


このような事情は、でも、あんまり知られていない気がします。たぶん、そのせいで、観測結果を提示されると、多くの人はそれを信じるわけです。でも、観測データって、そんなに信じられるの?


素直に信じない方が良いんですよね。すくなくとも研究者はそんな態度を取っています。特に、最先端の観測については、出てきたデータをありがたがりながらも、心のどこかに懐疑を抱いているわけです。


じゃあ、地球が温暖化しているというのは信じて良いの?


信じる、がなにを意味するかによりますが、気候学者達はかなりの確信を持っています。


どこから確信が生み出されるのか?


それは、いろんな人が、いろんなやり方で地球の温度を見積もっても、地球が温暖化しているという結果が出てくるからです。


一つのデータだけでは当てにならないかもしれません。でも、地球上の平均気温を求めうる研究結果は複数報告されています。地表の観測ステーションの温度計、船やブイが測った海の温度、衛星で観測した温度、その他、その他。


温度以外の情報からも、温度に関する示唆が得られたりします。たとえば、降水量や雲のわき方、風の吹き方、高気圧や低気圧、海面の盛り上がりの情報などなど。これらの量は温度と深く関わっていて、そのために示唆を与えることができるのです。


観測機器も様々なら、解析方法も様々です。そうやって、いろんなデータがでてきます。


データは相互に完璧に一致するわけではありません。先ほども書いたように、地球の平均気温を推定した値にはばらつきがあるわけです。


ところが、多くの観測データが、そして、それらをいろいろな方法で解析して得られた結果が、一致して同じ事実を示す場合もあります。たとえば、地球の温暖化傾向とか。このような事実を信頼できる観測結果だとして研究者達は受け入れているのです。


研究者の多くは、同じテーマの観測データをいくつか持っている場合があります。それを比較しながら、なにをどう読み取るかを考えていきます。


地球全体の温度分布の時系列データなら、たとえばエルニーニョや地球の温暖化傾向はどのデータでもくっきりと見えるでしょうし、たとえば北極の観測が難しそうな場所ならかなり違いがあるかも知れません。解析手法やベースにした観測の違いによって、データに "くせ" のようなものが現れたりします。有能な研究者は、そのあたりを把握して、「このデータはエルニーニョには使えるな」とか、「北極のことはちょっとこれでは無理、他を当たってみよう」とか判断しながらデータを読んでいくのです。


地球の平均気温の上昇傾向をはじめとする、温暖化にまつわる様々な事実は、いろいろな観測データから、いろいろな解析手法によってえられた結果をベースに、間接的ではありますがある種の多重チェックを経たうえで得られた事実です。


そして、ベースにした多くの結果は、温暖化をしらべるためにのみ使われるわけでもありません。エルニーニョや PDO の研究をはじめ、そのほかたくさんの研究によって使われるわけです。ここでもある種のチェックが行われることになるわけですね。


まとめましょう。


個々のデータは取り扱いが難しく、それ一つだけでは確固たることを言うのが難しい。でも、データが相互比較されたり、いろんな研究に使われることによって、チェックされていく。


気候学は網の目の様な構造をしています。気候学が何か事実を述べるとき、その事実はいろいろな根拠から得られた結果であり、そしてまたその事実がいろんな気候学の結果の根拠になっていきます。


だから、一つの観測データが間違っていたからと言ってすぐにある事実が成り立たなくなるわけではないし、一方で温暖化みたいな大きな事実を否定しようとすると、非常に広範囲に影響が及ぶことになり、さまざまな矛盾が生じるでしょう。


あれ、ながくなっちゃった。もうちょっとだけ続きます。