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ミルクたっぷりの酒・濃縮版

2017-01-26

天皇の退位問題 −より根本的なことから考える

 *ねぎま軟骨のブログ(「ミルクたっぷりの酒」新訂版)に2017年1月26日に公開


天皇の退位 −4つのありかた

天皇の退位に関しては4つの制度が考えられる。

1 天皇本人が退位を望んでも退位できない。

  国民、政治家天皇をやめさせることもできない。


2 天皇本人が退位を望んでも退位できない。

  国民、政治家天皇をやめさせることができる。


3 天皇が退位を望めば退位できる。

  国民、政治家天皇をやめさせることはできない。


4 天皇が退位を望めば退位できる。

  国民、政治家天皇をやめさせることができる。


天皇を政治利用して徳川幕府を倒して権力を手にいれた倒幕派が、明治時代に1の制度をつくりあげ、その後、百数十年間、1の制度が継続してきたわけだが...。


天皇の退位に関する現在の制度の問題点

天皇本人が退位を望んでもそれができない1と2の制度の最大の問題点は、それが天皇人間性自由や意志、権利を一切無視している点にある。

天皇陛下皇室尊崇している、皇室(あるいは天皇制)は守るべき日本の伝統だと称している右派保守派の多くが、天皇皇位継承者たちの人間性や権利・自由が無視されている状況を当然だと考えていて、天皇本人や皇位継承者たちを皇室女系天皇反対論者たちにとっては男系の皇室)を存続させるためのただの道具扱いしていることに胸の痛みを感じていないというのがなんとも皮肉な話である。>


国民・政治家たちが天皇をやめさせることができない1と3の制度は、現在までは特に問題は生じていない。

だが、将来、天皇にふさわしくない人物天皇即位して、国民・政治家官僚の多くが天皇をやめてほしい、別の人物天皇になってほしいと望んでも、当該天皇が死亡するまでそれがかなわない事態が生じたときには問題化するかもしれない。

もっとも、現在の制度では、国会議員の半分以上が賛成すれば制度を変えることが可能なので、実際に多くの国民や政治家たちが天皇にやめてほしいと思うような事態が生じたときには制度が変更される可能性はある。


また、天皇本人が退位を望んでも退位できない現在の制度は、当の天皇自身が天皇をやめたといって一切の職務を放棄してしまえば、実質的に退位したのと同じ状態になるのだから、現実にそのような事態が生じる前に3か4の制度に移行するほうが賢明だろう。


天皇の退位をめぐる昨今の情勢

天皇本人が退位の意向を表明した昨年の出来事は、天皇皇位継承者たちの人間性を無視した現在の制度、そしてそのような制度をそれでよしとしている政治家や国民たちへの異義申し立てと言えるだろう。

だが、安倍政権の閣僚や自民党政治家たちは、この期に及んでも1の制度を変えたくはないのだろう。

今回の出来事の根本的な検討点は、天皇本人が退位を望んでも退位できない現在の制度を継続するのか、それとも天皇の意志で退位が可能となる制度へと変更するのかという点にある。

だが、マスコミ報道をみる限りでは、今回の問題を天皇陛下の公務軽減問題へとすり替えているようにみえる。

現在、天皇が行っている公務の多くは、天皇自身が自らの意志で行っていることだから、体がきつくて公務を減らしたいのなら天皇自身の判断で公務を減らせばいいだけの話である。

わざわざ有識者と言われる人たちが集まって、天皇陛下の公務を減らすにはどうすべきかなどということを話し合う必要はない。

あくまでも検討しなくてはいけないのは、天皇本人が退位を望んでも退位ができない現在の制度をそれで良しとするかの問題である。

おそらく安倍首相自身は1の制度を3か4の制度に変えたくはないのだろう。

だが、天皇本人が退位の意向があることを自ら表明し、国民の多数派がそれを支持している状況では、政権支持率低下をさけるためにも天皇の退位を認めざるをえない。

そこで、1の制度自体は変更せず、特例法あるいは特別措置法によって、現在の天皇陛下一代に限って退位を可能にするなどという中途半端な政策を実施しようとしているのだろう。

現在の天皇陛下一代に限って退位を可能にするということは、皇太子秋篠宮など将来の天皇候補者に対して、「あなたたちが天皇即位しても自ら退位する自由や権利は認めませんよ」と言っているのと同じだから、天皇皇位継承者を蔑ろにしたこんなふざけた対応はない。

一部から憲法違反だという非難を受けながら、あえて自身の考えを表明した現天皇の気持ちは現政権の指導者たちにはまったく届かなかったと言える。

天皇皇族たちは、憲法が国民に保障している基本的人権さえなく(法哲学者井上達夫の言葉を借りれば、天皇皇族一種奴隷のような状態においておきながら)、その上、天皇が自ら退位する自由や権利さえもこれからも認めないというのであれば、安倍政権に対して心の底から怒りをもった現天皇が、現政権のもとでは一切の国事行為を行わないという行動にでる可能性だってまったくないとは言い切れない。(もちろん、実際にそんなことがおきたら政治的に大混乱の状況におちいるだろうけど。)

それに、一度天皇即位したら退位することもできないとなると、皇位継承者たちがみな天皇即位するのを拒否し、天皇即位する人が誰もいなくなる可能性だってある。

皇室を守るべき日本の文化・伝統と口にしている保守右派政治家たちが、天皇制の存続があやうくなる制度をこれからも続けようとしているのだから、頭大丈夫か?


天皇の退位 −これからのありかた

もし、報道されているように、特例法によって現在の天皇陛下一代に限り退位が認められるとなれば、それは天皇の退位に関する制度が1から2のありかた(天皇本人が退位を望んでも退位できない。国民、政治家天皇をやめさせることができる。)に変更することを意味する。

今回は天皇陛下自身が退位を望んだので問題ないが、天皇本人に退位の意志がなくても、国会議員過半数天皇の退位に賛成すれば退位させることができる、強制退位、恣意的な退位が将来おこりうる可能性もある。

(ただし、天皇にふさわしくない人物天皇即位して、国民・政治家官僚の多くが天皇の退位を望んだときにはそれが可能になるので、そのことを一概に悪いこととはいいきれない。また、天皇本人、国民の多数派が天皇の退位を望んでいないのに、天皇や多数の国民の意向を無視して天皇を退位させたなら、政治家政権に対しての信頼が一気になくなるから、政治が安定した情勢下ではおこりえない出来事ではある。

ただ、幕末のように政治が混乱期・動乱期に突入したら、天皇皇族たちが本人の意向とは無関係に激しい政争に巻き込まれることになるだろう。)


もし天皇自身は退位を望んでいないのに、政治家や国民たちに退位させられることを防ぎたいのなら3の制度(天皇が退位を望めば退位できる。国民、政治家天皇をやめさせることはできない。)に移行すべきだろう。

その場合、天皇にふさわしくない人物天皇即位して、国民・政治家官僚の多くが天皇をやめてほしいと望んでも、天皇本人が退位の意志をしめすか、死亡するまではあたらしい天皇即位することはできないけれども。

(もっとも、既に述べたように現在の制度のもとでは、国会議員過半数が賛成すれば制度を変更することができる=天皇をやめさせることができるわけだから、実際にそのような事態が生じたときに制度を変更すればいいともいえる。)


天皇生前退位が1度でも実現すれば、それが先例となって天皇が退位の意志をしめしたときは、国会で議決をとり賛成が過半数となれば退位できることになるだろうから、退位に関する制度を3か4のありかたに変えたほうがいいと思うけれども。


天皇が自らの意志で退位できる制度に反対している人は、それを認めてしまうと天皇がみな自分の意志で退位してしまい、天皇になる人が誰もいなくなってしまうことを心配しているのかもしれない。

だが、天皇が自らの意志で退位できない現在の制度を続けても、一度天皇即位したら退位することもできないとなると、皇位継承者たちがみな天皇即位するのを拒否し、天皇即位する人が誰もいなくなる状況だっておこりうる。

天皇の退位に関する制度をどのようなものにしても、天皇制を現在の形で続けた場合、将来、皇位継承者がいなくなる可能性はある。


天皇の政治行為、政治家官僚による天皇の政治利用の問題は、憲法の問題もあわせて検討しなければいけない点が数多くある。

憲法に規定されている国事行為以外の天皇の政治行為−皇室外交など−を公務と名付けて憲法違反ではないとしている問題。皇室宗教儀式を公務とすると、憲法政教分離規定に抵触するので、天皇宗教行為は天皇家私的な行為だとしている問題、など。)


最後に

天皇制の問題は左右のイデオロギー対立の問題でもあるので、筆者の政治的スタンスを表明しておく。


天皇制のありかたに対しては、大別すると4つのタイプにわかれる。

1 天皇が政治権力を行使できる。

  ただの世俗権力ではなく、宗教的権威(宮台真司用語を借りれば「聖なるもの」)でもある天皇に権力を集中させた祭政一致神権政治(神権国家)。


2 天皇が直接政治権力を行使はできないが、儀礼的・形式的な政治行為をおこなう制度。

  (戦後日本の象徴天皇制


3 天皇宗教的権威(「聖なるもの」)とみなして、政教分離の考えにもとづき、国家の統治機構・統治機関とは独立した存在とする。

  イメージとしては、天皇皇室を西ヨーロッパのローマ教皇ローマ教会のような存在とみなしたもの。

  (「天皇京都に帰って、世俗的な政治とは離れて宮中祭祀をおこなえばいい」という主張がこの立場の代表的なもの)


4 皇室は廃止する。


筆者の立場は3のものである。

ただし、天皇皇室日本の歴史の中で特別な位置をしめてきたし、多くの国民が天皇皇室に対して特別な感情をもっているから、主権者である国民が同意するのなら、皇室を完全な民間団体ではなく、準国教的な存在とすることには反対しない。

皇室の運営費用に税金を投入する、など。(その場合、現行憲法政教分離規定をどうするのかが大きな検討点となるが。)

2016-09-25

靖国問題の争点

   (初出・ブログ「ミルクたっぷりの酒」2014年4月23日)


本文章は、三土修平氏の『靖国問題の原点』(日本評論社)に影響を受け、三土氏の問題提起を継承する形で執筆しています。

はじめに − 戦死者の弔い方について

靖国神社の問題を議論するさいは、「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」というより大きな問題を考察したうえで論じる必要がある。

「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」については、大きくわけて3つの立場がある。


1 「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに反対する立場。

2 「英霊として顕彰すること」には反対するが、「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」には賛成する立場。

3 「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに賛成する立場。


戦後の日本は、1の「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに行わない方針をとっている。


(3の「英霊として顕彰すること」を支持し、国家神道の復活を唱える人の中には、政教分離を規定した戦後の憲法占領軍に押し付けられたものであり、日本人自身が望んで国家神道を否定したわけではないと考えているかもしれない。

アメリカに占領されなかったら、国家神道がそのまま継続した可能性が高く、国民の多数派が国家神道の廃止を選択するということはなかったかもしれない。

だが、戦後のある時期から(いつ頃からか正確なことはわからないが)、政教分離を規定した憲法は国民の多数派に支持されるようになり、国家神道を復活すべきと考える人は少数派になったといえる。)


1の方針を続ける場合は、現行憲法の下で靖国神社をどう位置付けるか、総理大臣靖国神社公式参拝をどう考えるかといった点が論点となる。

2の方針をとったときは、靖国神社からその宗教性(「国のため、天皇のために命を投げ出して戦死した人を、神・英霊として祀り顕彰する」という宗教性。以下、このような宗教性を「靖国イデオロギー」と表記する。)を剥奪し、靖国神社を海外の「無名戦士の墓」のような施設へと改変したうえで、そこを戦死者を慰霊・追悼する国家機関(公的機関)とするという案。

靖国神社とは別に、戦死者を慰霊・追悼するあらたな国家施設を設立するという案などが考えられる。

3の方針をとった場合、靖国神社とは別の施設で顕彰するという考え方もあるが、そのような主張をする人は極少数であり、この方針がとられた場合は政教分離を規定した憲法が改正され、国家神道が復活し、靖国神社で戦死者を神・英霊として祀ることになるだろう。


ここ十数年の間は、総理大臣靖国公式参拝に賛成か反対かといった点のみがメディア上で議論されているようにみえる。

だが、総理大臣靖国参拝をどう考えるかという問題は、「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」という論点もあわせて考えないと実りのある成果は望めないだろう。


靖国問題の争点

靖国問題の争点には、次の3つのものがある。

1 国家神道の復活に賛成か反対か。

2 靖国神社を国家機関(公的機関)とするべきか。

3 総理大臣靖国神社公式参拝を合憲とすべきか違憲とすべきか。


靖国神社の問題は、上記3つの論点を個別に論じるよりも、3つの論点に対してどのようなスタンスをとるかを表明したうえで論じたほうが争点が明確になる。

以下、いくつかのタイプを提示し、それぞれどのような問題点があるかを論じていく。


<タイプA>国家神道復活派

国家神道の復活に賛成

靖国神社を国家機関(公的機関)とする

総理大臣靖国神社公式参拝を合憲とする


完全な戦前回帰路線。右派保守派の中でも極右的な立場の人々の考え。

この路線をとる場合は、政教分離を規定した憲法を改正する必要がある。

現時点ではこの路線を支持する人は少数派であり、実現するのは困難であろう。ただ、これから十年、二十年後にはこの路線を支持する人たちが多数派となる可能性もある。


なお、完全に戦前回帰した場合は、本人が、死後靖国神社に祀られること望まない場合、遺族が、戦死した自分の家族が靖国神社に祀られることを望まない場合も、本人や遺族の意向を無視して強制的に靖国神社に祀られることになるが、本人や遺族が靖国神社に祀られることを望まない場合は、その意向を尊重し、本人や遺族が望んだ場合のみ靖国神社合祀するという、自由主義的な方針をとりいれるケースも考えられる。


<タイプB>靖国神社の根本変革派

国家神道の復活には反対

靖国神社を国家機関(公的機関)とする

総理大臣靖国神社公式参拝を合憲とする


靖国神社からその宗教性(「靖国イデオロギー」)を剥奪し、戦死者を慰霊・追悼する施設へと根本的に変革したうえで国家機関(公的機関)とする考え。

靖国神社からその宗教性剥奪した場合でも、これを国家機関にすることが憲法違反になるのなら、憲法改正の手続きが必要となる。


<タイプC>面従腹背路線

・(将来)国家神道を復活すべきと考えている

憲法改正が困難な間は、民間の一宗教法人の地位に甘んじる

総理大臣靖国神社公式参拝を合憲とする


タイプAの国家神道復活派が、憲法改正が困難な状況のなかでやむを得ずとっている立場。

国家神道を復活すべきと考える国民が多数派となり、憲法改正が可能となったときには、当然タイプAの国家神道復活派となるだろう。

三土修平氏の著作の中で論じられているように、国家神道が復活できなくなるのをおそれて、タイプBの「靖国神社の根本変革路線」に反対し、また、靖国神社以外の国立追悼施設の設立にも反対する立場だろう。


<タイプD>現状維持派

国家神道の復活に反対

靖国神社は民間の宗教法人のままでいい


この立場は、総理大臣靖国神社公式参拝の是非をめぐって2つに分かれる。


○タイプDの1 総理大臣靖国神社公式参拝合憲派


慰霊・追悼行為として総理大臣公式参拝することは合憲とすべき、と考える立場。

現行憲法でも「総理大臣靖国公式参拝は合憲である」と考える人と、「現行憲法では違憲である」、あるいは「裁判違憲判決のでる可能性がある」ので、憲法改正を行い、違憲判決のでないようにすべき、と考える人にわかれるだろう。


○タイプDの2 総理大臣靖国神社公式参拝違憲


靖国神社からその宗教性(「靖国イデオロギー」)を剥奪した後であっても、総理大臣靖国公式参拝違憲とすべき、と考える立場。

戦後憲法政教分離の規定を厳格に守るべき、とする立場だろう。

この立場の人が、タイプBの「靖国神社の根本変革」案や、あらたな国立追悼施設の設立案にどのような考えをもっているのかはわからない。


<タイプE>靖国神社廃止派

国家神道の復活に反対

靖国神社は廃止すべき


この立場の場合、現に靖国神社に祀られている存在をどうすべきかをめぐって2つの立場にわかれるだろう。

1つは、あらたな追悼施設を設立し、そこに移行するという考え。

もう1つは、あらたな追悼施設は設立せず、現在祀られている存在は宙ぶらりんのままにするという考え。

ただ、この立場の人は、タイプAの「国家神道復活派」よりも数が少ないだろうから、武力クーデターでもおこらない限りこの路線が実現することはないような気がする。


状況分析

データ・資料等をもっていないので推測でしかないのだが、タイプDの現状維持派が多数派であり、その中で総理大臣靖国公式参拝の是非をめぐって意見がわかれているというのが現状かもしれない。

タイプAの国家神道の復活を支持する人たちは、数の上では少数派だが、一定の政治的影響力をもっているために、タイプBの靖国神社の根本変革路線は実現困難となっている(ただし、靖国神社の根本変革路線に反対している人たちは、タイプAの国家神道復活派だけではないかもしれない)。

また、国家神道の復活に賛成している人は現時点では少数派と思われるので(ただし、この10年位のあいだに数は急増している可能性もある)、国家神道の復活も今すぐには実現しないだろう。(ただし、これから数年後には実現されるかもしれない。私自身は国家神道の復活には反対の立場だが。)

マスメディアにおいては、3つの争点を総合的に踏まえたうえで靖国問題議論するということは行われていないので、結局、タイプDの現状維持路線の中で、総理大臣靖国参拝したときのみ(そして、それに対して外国から非難や抗議がおこったときのみ)、総理大臣靖国参拝の是非をめぐって賛成派・反対派のやりとりがおこなわれているというのが、ここ数十年間の状況であるように思える。


国家神道復活派の戦略

国家神道復活派は、「国家神道を復活すべき」という主張は前面にださず(現時点でそのような主張を前面に押し出すと多くの国民から反発を受けるおそれがあるので。もっとも、右派保守系の論壇誌やネット上ではそのような主張を積極的にしているのかもしれないが)、「お国のために命を投げ出して戦死した人たちを総理大臣公的に慰霊・追悼できないのはおかしい。」という主張を前面に押し出して、総理大臣靖国参拝賛成派を増やす戦略をとっているといえる。

もちろん、タイプBの「靖国神社の根本変革路線」をとれば、総理大臣靖国公式参拝は実現しやすくなるだろうが、国家神道の復活をめざす人たちは、靖国神社宗教性(「靖国イデオロギー」)を放棄するつもりはないだろう。

また、総理大臣靖国参拝批判している左派の人たちは、タイプBの路線をとった場合でも、総理大臣公式参拝に反対する可能性もある。

左派のこうした態度は、若い世代左派嫌い・右派保守派好きを増やしているだけで、将来の国家神道復活を後押ししているようにしかみえず、国家神道の復活だけはなんとしても阻止したいと考えている私のような立場の人間には歯がゆい思いがある。)


国家神道の復活を阻止するためには

国家神道の復活を阻止するには次の2つの方法が有効だと思える。


・1つめの方法

現行の政教分離を規定した憲法を守るだけではなく、憲法の条文に「国家神道は復活させない」という条文を付け加える。国政選挙の際、「国家神道の復活」に賛成か反対かを争点の1つにし、右派保守派政治家たちの考えを明確にさせる。

国民の多数派が国家神道の復活に反対であった場合、この方針が実現すれば済し崩しに国家神道が復活するという事態は避けられるだろう。もっとも、国民の多数派は実は国家神道の復活に賛成しているというのが実情だったのなら、私の目論見とは逆の結果になるが。

(国民の多数派が国家神道の復活に賛成しているのだったら、おそかれはやかれ国家神道は復活するだろうから、私1人がそれに反対しても無駄だろう。)


なお、国家神道の復活に反対する国民が多数派であり、かつ憲法に「国家神道は復活させない」という条文を追加することが成功した場合、次は総理大臣が慰霊・追悼行為として靖国神社公式参拝することを合憲とすべきか違憲とすべきかという論点が争点となる。

個人は、慰霊・追悼行為としてだけなら、合憲にしてもかまわないと思うが、国民投票で多数派の意見を決めるべきだろう。


・2つめの方法

今後、戦死者がでる場合に備えて、靖国神社という特定の宗教と関連した施設ではなく、どのような宗教の信者でもこだわりなく訪問できるあらたな追悼施設を設立すべきである。

(私の考えでは、国家神道の復活を阻止するのが目的なので、新しい施設は国立の施設でも民間の施設でもどちらでもいい。)

あらたな追悼施設を設立する行為は、「日本を戦争のできる国にすることになる」という、護憲平和主義的な立場からこの方針に反対する人たちはかなり多いかもしれない。

ただ、憲法9条を改正せず、集団的自衛権行使しないという現在の方針を続けた場合でも、外国が日本に武力攻撃を仕掛けてきて、それに応戦した自衛隊員が何人も戦死するという事態もおこりえる。

靖国神社以外に戦死者を慰霊・追悼する施設がないという現在のような状態でそのような事態がおきれば、「戦死した自衛隊員靖国神社に祀るべきだ」「靖国神社に祀るのなら、戦前同様、神・英霊として祀るべきだ」という意見が多数派となり、一気に国家神道が復活してしまうかもしれない。

もっとも、あらたな追悼施設の設立に反対している人たちにとっては、あらたな追悼施設を設立することも、国家神道の復活と同様に容認できないと考えているのかもしれない。だとしたら、目的が国家神道の復活を阻止するためだとしても、あらたな追悼施設の設立に反対するのは当然かもしれない。


国家神道復活に反対する勢力が、あらたな追悼施設設立に賛成する立場と反対する立場に2分している状況では、近い将来の国家神道復活はますます現実味をおびてくるだろう。


靖国問題の論じ方

靖国問題で一番重要な争点は(賛成派であれ反対派であれ)「国家神道の復活に賛成か反対か」という論点だろう。

靖国神社を国家機関(公的機関)とするべきか」「総理大臣靖国神社公式参拝を合憲とすべきか違憲とすべきか」という論点での意見も、「国家神道の復活に賛成か反対か」という点をあきらかにしてからでないと主旨が伝わりにくい。

実際、靖国神社を国家機関にすることに反対している人、総理大臣靖国公式参拝に反対している人の中には、それらが将来の国家神道の復活につながることを危惧して反対している人もいるだろう(そのような人が少数派か多数派かはわからないが)。

国家神道の復活に賛成か反対か」という論点を曖昧にしたまま、総理大臣靖国参拝に賛成か反対かということを論じた場合、参拝に反対する人が戦死者やその遺族をないがしろにしているとみなされがちになる。

靖国神社を国家機関にしたいのなら、「靖国イデオロギー」を放棄して憲法政教分離規定と抵触しない形での国家機関化という方法もある。

また、総理大臣靖国公式参拝違憲とすべき主張も、その眼目は国家神道の否定にある。

国家神道と戦後憲法政教分離規定はあきらかに矛盾した関係にある(現行憲法政教分離規定自体が、国家神道を否定すること、国家神道の復活を阻止することを主要な目的としてつくられたはずだから)。

渋々としてではあれ、戦後憲法を受け入れ、民間の一宗教法人として靖国神社は生き残ってきたのだから、現行憲法の下で、総理大臣違憲の疑いなく靖国神社公式参拝できるようにしたいのなら、「お国のため天皇陛下のために命を捧げた人を、神・英霊として祀り顕彰する」という価値観はあくまでも戦前の価値観であり、戦後の日本はそのような価値観(「靖国イデオロギー」)を否定・放棄して出発したという現実を受け入れ、国家神道の復活などは諦め、靖国神社は「幕末から大東亜戦争期までの死者を慰霊・追悼するための歴史的遺産」としたうえで、宗教とはかかわりなく総理大臣靖国神社に参拝できるようにすべきだろう。


最後に − 再び戦死者の弔い方ならびに靖国神社のありかたについて

最後に、個人的な考えも述べながら、戦死者の弔い方、靖国神社の今後のありかたについて考えてみたい。

個人は、何度も述べてきたように国家神道の復活には絶対反対である。だが、これから数年間のうちには、国家神道復活派と反対派の間で政治闘争イデオロギー闘争がおきる可能性もある。(私自身は、残念ながら、国家神道復活派が勝利するだろうと悲観している。)

「戦死者の弔い方」については、当然、戦死者を「英霊として顕彰する」3の方針には反対している。

国民の多数派が、戦死者を「英霊として顕彰すること」にも「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」にも反対する1の方針を選ぶのであれば、その方針に反対はしない。

だが、戦死者を「英霊として顕彰すること」には反対するが、「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」には賛成する2の方針の方が実現可能性も高く、より良い選択であると思う。


2の方針をとった場合、どの施設で慰霊・追悼するかということが問題となる。

これについては3つの考え方がある。


1 靖国神社を慰霊・追悼施設とする

ただし、「英霊として顕彰すること」=国家神道の復活は否定する方針の下で慰霊・追悼施設とするので、この場合は「靖国問題の争点」の節で示した<タイプB・靖国神社の根本変革路線>の形で慰霊・追悼することとなる。


2 あらたな追悼施設を設立

なお、この方針をとったときも、本人や遺族が国家・政府に慰霊・追悼されることを拒否した場合は、その意志を尊重すべきである。

あらたな追悼施設を設立した場合、靖国神社をどう位置付けるかが問題となる。私自身の考えは、前節で述べたように「幕末から大東亜戦争期までの死者を慰霊・追悼するための歴史的遺産」として、あらたに戦死者がでても靖国神社に祀るべきではないというものである。

また、このケース(今後、戦死者が出たときはあらたな追悼施設で慰霊・追悼し、靖国神社には祀らない場合)でも総理大臣靖国公式参拝違憲とすべきかという論点だが、私自身は合憲にしてかまわないと考えている。ただ、現行憲法下では違憲であるのなら憲法改正をしてからということになる。もちろん、総理大臣靖国公式参拝はあくまでも違憲とすべきという意見が多数派であるのなら、その意見を尊重すべきである。(総理大臣靖国公式参拝違憲とすべきという意見は、現時点では少数派かもしれないが。)


3 靖国神社・あらたな追悼施設併用説

靖国神社で慰霊・追悼されることを望んだ場合は靖国神社で、あらたな追悼施設で慰霊・追悼されることを望んだ場合はそちらで、本人・遺族の意向を尊重する方針(本人の意志は、事前に確認しておく必要があるが)。

両方の施設で慰霊・追悼することが可能なら、それを認める場合も想定できる。


私自身は、2のあらたな追悼施設を設立する方針を支持するし、靖国神社は、あらたな死者は祀らず、過去の歴史的遺産とすべきと考えるが。

ただし、<タイプB・靖国神社の根本変革路線>に対しては、靖国神社を支持する勢力からの頑迷な抵抗が予想され、実現できるかはわからないだろう。

現実には、私個人の願望に反して、今後10年位の間に国家神道が復活され、戦死者を「英霊として顕彰する」3の方針がとられる可能性が一番高いような気もするが。


靖国問題の原点

靖国問題の原点

靖国問題の原点 増訂版

靖国問題の原点 増訂版

頭を冷やすための靖国論 (ちくま新書)

頭を冷やすための靖国論 (ちくま新書)

2016-09-24

天皇制の存続と廃止に関して

天皇制は、主権者である国民と当事者である皇室天皇家、双方が存続の意思をしめした場合はこれを継続する。

主権者である国民、当事者である皇室天皇家、どちらか一方が廃止の意思をしめしたときは、これを廃止する。


現行憲法では、皇室天皇家側が廃止の意思をしめしても、主権者である国民が存続の意思をしめした場合は、皇室天皇家意向を無視して継続することになる。

だが、これは天皇自身が退位の意思をしめしても、本人の意向を無視して死ぬまで天皇でいさせようとするのと同様の、天皇皇族人間性を無視した制度にすぎない。

天皇制を継続させる場合は、天皇皇族人間性を尊重するかたちの制度に改変したうえで存続させるべきである。

2016-09-23

女性天皇・女系天皇問題に関連して − 皇位継承問題

タイトルは「女性天皇女系天皇問題に関連して」となっているが、あくまでも関連して、女性天皇女系天皇に賛成か反対かといった個人的な考えを述べるのが目的ではない。

女性天皇を認めるか、女系天皇制に大きく舵をきるかどうかは、皇室ないしは天皇家内部の問題だから、皇室内部(あるいは天皇家内部)で決めればよいというのが、この記事の主旨である。

天皇制に関しては、主権者である国民が決めるべきことと、皇室あるいは天皇家内部で決めるべきことを事前に明確化しておくべきである。

そして、皇位継承に関する問題(女性天皇を認めるか、女系天皇制に移行するかも含め)は、皇室天皇家内部で決めるべき問題であり、主権者である国民や、その代表である政治家が意見を申し立てることはできても、最終決定権は皇室天皇家に属するべきだ、というのが筆者の主張である。

(この場合、皇室典範の廃止ないしは大幅な改正が必要となるが......。)


皇位継承の問題を皇室天皇家の決定事項にした場合でも、憲法に規定されている象徴天皇は男性に限定すべきだという考えを主権者である国民がもつのであれば、憲法法律にそのことを明記しておけばいい。ただ、その場合、皇室天皇家が女性を天皇にした場合、憲法に規定されている象徴天皇は空位となる。

皇室天皇家側が、憲法で規定されている象徴天皇が空位となる事態を避けるために、男性のみに皇位継承するかは、皇室天皇家自身で決めるべきである。

一方、主権者である国民側は、皇室天皇家が女性を天皇にした場合には、憲法に規定されている象徴天皇が空位になることも覚悟したうえで、象徴天皇は男性のみに限定するのか、それとも女性天皇も認める方針に転換するかを決めればいい。

ただし、皇位継承の問題は、皇室天皇家内部の決定事項にすべきと主張したが、皇位継承に関連した諸問題(側室制度の復活・旧宮家の復活・女性宮家の創設など)は、皇室天皇家だけで決められることでも、決めるべきことでもないだろう。

だから、これらの問題に関しては皇室天皇家側の意向もふまえた上で、最終的には国会で決定することになるだろう。

2016-09-22

天皇生前退位問題に関連して

 (ブログ「ミルクたっぷりの酒」に2016年7月16日公開したものを転載)


天皇自ら退位を望むことも考えられるのだから、今回のようなケースを想定していなかった政治家たちの怠慢と思考停止以外のなにものでもない。


天皇制を現在のようなかたちで存続させた場合、将来、天皇総理大臣の任命を拒否するなんていうケースも可能性としてはおこりうる話である。(このような発言を不謹慎だとかいって非難する輩は思考停止した馬鹿だから、政治についても天皇制についても発言しないほうが社会のためではある。まあ、言論の自由が保障されているんだから、「発言するな。」とは言えないけれどね。)


憲法解釈としては、国会総理大臣が選ばれた段階で総理の資格を得るのだろうから、天皇による任命が行われなかったからといって、総理の資格を失うわけではないのだろう。

ただ、憲法解釈があてにならないのは、憲法解釈の変更という名目で集団的自衛権行使が既成事実化されようとしていることによってあきらかだと思うが......。

日本の政治混乱状態におちいったとき、「政敵が総理に就任するのを阻止するために、天皇に働きかけて総理の任命式を中止させる」だとか、「ヒットラーのような危険人物総理に選ばれて、天皇自身が、そのような人物総理に任命することはできない、と任命を拒否する」ケースも、まったくないとはいいきれない。

天皇による総理の任命は形式的・儀礼的行為であって、総理の就任に実質的には影響を及ぼさないことを、憲法解釈ではなく成文化しておいたほうが、将来おこりうる混乱を未然に防ぐためにもいいと思うけれども。

そもそも、天皇総理の任命を拒否したら、憲法遵守義務を守らなかったことになるのか、天皇憲法遵守義務を守らなかったらどうなるのかについて、政治家官僚たち、そして主権者である国民たちはきちんと考えているのだろうか?

天皇に関する問題はタブーとして、思考すること、議論することを放棄してはいないだろうか?

昭和天皇戦争責任問題が、非常に大きな政治問題として議論されてきたのだから、「天皇拒否権」を制度として確立し、天皇拒否権行使したらどうなるのか、どうするのかを事前に制度設計しておくべきだと思うが......。

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