おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

綾瀬駅から綾瀬市へ 後編

中編から続く


田園都市線に乗ってしまったわたしの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
頭の中を天使と悪魔が、というか色々な悪魔たちがやいやい語りかけてきた。
悪魔A「別に1日で歩ききる必要もないんだから、また日を改めて梶が谷駅から綾瀬市を目指そう。」
悪魔B「ここまでよく歩いたんだから、今日はこのまま家に帰っちゃおう。」
悪魔C「いやいやとりあえず今日綾瀬市まで行こう。このまま終点の中央林間駅まで乗っていってそこからバスに乗っちゃおう。タクシーでもいいよね!」
悪魔D「っていうかそもそも綾瀬駅から綾瀬市に行く意味なんか特にないよね?」
色々な悪魔がいたが、梶が谷駅から電車に乗ってしまったわたしを責めるものはなかった。
そうなのだ。悪魔は必ず優しくほほえみながら近づいてくるのだ。


途中の「すずかけ台駅」で電車から降りたのはそんなマイナス方向へ向かう自分の感情へのせめてもの抵抗だったのかもしれない。
すずかけ台駅梶が谷駅から13駅目で、この間およそ15kmほど電車に乗ってしまった計算になるようだ。


降りた駅が「すずかけ台駅」だったことに深い意味はなかった。ただ、暗くなっていく空を眺めながら「このまま終点までこの電車に乗っているわけにはいかない」と胸が苦しくなり、痛む足をひきすり衝動的に電車から降りたのだった。


すずかけ台駅に降り立ったわたしはあるひとつのことに気がついた。
電車に乗った梶が谷駅は神奈川県だったが、この降りたったすずかけ台駅は東京都なのだ。

東京都の町田市が神奈川県の北部をえぐるように存在していて、すずかけ台駅はそのえぐっている部分にあるのだ。


今回の目的は東京都の「綾瀬駅」から神奈川県の綾瀬市まで歩くことだった。
綾瀬駅」は東京都なのだ。
逆もまた真なり。つまり東京都は綾瀬駅なのだ。
ということは東京都にあるすずかけ台駅から綾瀬市まで歩けば、それはすなわち綾瀬駅から綾瀬市まで歩いたことになるではないか!


と、いう壮大な言い訳を思いつき、わたしはここからふたたび綾瀬市を目指すことを決意した。
日中の穏やかな陽気とはうってかわり、激しく冷たい風が吹き荒れた。
だがそんな風も、逆にわたしの決意を後押ししてくれているように感じた。


強引な詭弁なのはわかっている。
今回の「綾瀬駅」から綾瀬市へ『徒歩で』行くとうプロジェクトは不達に終わってしまった。
いまさら綾瀬市にたどり着いたところで、目的は果たせなかったことになる。
いまから綾瀬市を目指しても、本当は無意味なのだ。
だがしかし、だからこそ、行くのだ。綾瀬へ。
途中電車に乗っちゃったとか、そんなことはもはやどうでもいいのだ。
もっと恐ろしく大きいもののために、とにかくわたしは綾瀬市に行かなくてはならないのだ。


 ふたたび、神奈川県に入った。

この時点で、足は引きずるようにしか動かなくなり
靴紐を結び直すために一度しゃがんだら再び起き上がるのに難儀するほどの痛みに襲われていた。
一度でも立ち止まったら終わりなのでゆっくりでも止まらずに歩き続ける。




見える。青看板に綾瀬という文字が見える。
青看板は行き交う車のヘッドライトを浴びてキラキラ光っている。
「綾瀬」という文字を見るのは実に11時間ぶりのことである。
たしかにわたしの向かう先には綾瀬があるのだ。



 

小田急線の鶴間駅の脇を抜けた。相鉄の線路も越えた。もう駅や電車などは目に入らなかった。
そうなのだ。綾瀬市に行くのに小田急も相鉄も必要などないのだ!
綾瀬駅(と、ほんの少しの東急田園都市線)があれば綾瀬市に行くことができるのだ!


それにしても、『綾瀬駅梶が谷駅 30km』 よりも、『すずかけ台駅綾瀬市 11km』 の方が、断然長く感じる。
距離的には三分の一のはずなのだが、体感的にはむしろ3倍くらいに感じる。
ひょっとすると、これが相対性というものなのか。
綾瀬市への道の途中で、特殊相対性理論の深淵に触れることができようとは思ってもみなかった。
それともやはりタヌキか何かに化かされているのだろうか。



ボロボロになりながらすずかけ台駅をでてから約3時間、綾瀬市への市境の付近だと思われる場所が近づいてきた。
市境は住宅街のど真ん中なので、どこからが綾瀬市なのかよく分からない。


角をまがるとひとつのカーブミラーが目に入った。

そのカーブミラーを見てみると、

着いた。綾瀬市だ。綾瀬駅から綾瀬市に(途中で多少電車には乗ったが)着くことができた。
綾瀬駅綾瀬市が徒歩(と電車)でつながった。


ここは綾瀬だった。むせかえるほどに綾瀬だ。
東名高速に燦然と輝く「緑あふれるまちあやせ」
綾瀬市立北の台小学校
神奈川県立綾瀬高等学校


綾瀬市中心部に向かい最後の気力を振り絞って歩く。
すると遠くの方で輝く何かが見えてきた。


あれは・・・天竺か。



いや、綾瀬市の商業施設の雄、綾瀬タウンヒルズだ。


それにしてもなんと神々しく美しい建物であろうか。


綾瀬タウンヒルズのはす向かいに綾瀬市役所がある。そこをゴールとした。

日曜日の21時過ぎなので、あたりは静寂に包まれている。


ふたたび綾瀬タウンヒルズ前に戻った。バスがもうすぐ来るようだ。

このバスは海老名駅行きだった。海老名駅は相鉄と小田急の駅だ。
そうなのだ。海老名駅行きのバスは結構多いのだ。
他にも小田急線の長後駅藤沢市)からバスで行くこともできるし、相鉄のさがみ野駅(海老名市)へもバスが出ている。
ちょっと頑張れば歩くことだってできる。


綾瀬市に駅がなくても綾瀬市の周りは、海老名市が、大和市が、座間市が、藤沢市があるのだ。
なにも56km離れたただ名前が同じだけの駅などを頼ることなどなかったのだ。
隣人同士、手を取り合っていけばいいのだ。


そんな神奈川県の連帯に気づかせてくれた、56km(うち電車15km)の道のりだった。

綾瀬駅から綾瀬市へ 中編

前編から続く


綾瀬駅を出発したのは午前9時頃だった。
GoogleMapで調べたところ、綾瀬駅から綾瀬市は56kmほどあるようだ。
時速4.5kmで歩き続ければ13時間弱かかることになる。22時頃の到着を目標とすることにした。
決して楽な行程とは言えないが、やってやれないという長さでもなさそうだ。
平地だし重い荷物を担ぐわけでもない。その気になれば時速5km以上で歩くことはできる自信もあったし、何とかなるだろうと思っていた。


綾瀬駅周辺は、ザ・住宅街といった雰囲気である。
神奈川の綾瀬市も住宅地なので、この辺からも綾瀬はやはり綾瀬だ、ということができる。

それにしてもGoogleMapはえらく狭い路地のような道を提案してくる。



歩いて行くと大きな川にあたった。
荒川である。大河である。
 [ 
遠くにスカイツリーが見える。
川を越えると移動してる感がきっちりと感じられなかなか良い。


線路を越えて、ここからいよいよ山手線の内側に入っていく。

どうやらここは鶯谷と日暮里の間のようだ。

東京大学の間を抜けてさらに歩いていくと見覚えのある巨大建造物が見えてきた。東京ドームである。


東京ドームには何度か来たことはあったが、歩いて来たことはないので、
他のところとの位置関係を改めて知った。


中央線沿いを歩いていく。

中央線から、私が歩いている方面を眺めたことは何度もあったが、逆は初めてである。
新鮮でなかなか楽しい。



神宮球場に着いた。ものすごい人手であった。
どうやらイベントがあるらしい。

この日、ここではシティハーフマラソンなるイベントが行われているようだった。
スタートまではまだ少し時間があるようで、さわやかスポーツマン風の集団が大勢で闊歩している。
さわやかな笑顔がまぶしい。


ひとりで歩いているわたしより、グループでマラソンの方があきらかに楽しそうだし健康的である。
わたしだってこの綾瀬行きを行うにあたって何人かに「綾瀬から綾瀬に一緒にいかないか」と声はかけたのだ。
しかしみな一様に「それ、なにが面白いの?」というだけで興味すら持ってくれなかった。


そんなやりとりをふいに思い出してしまった。



賑やかな渋谷を抜けて、ここでようやく山手線の外側に出る。
歩き始めから約19km。時刻が13時30分。時速にして4.2kmくらいのペースで来ているようだ。


単調な国道246号をただただ歩く。
ここまで道のりは、谷中のあたりでお寺を中を歩いたり、やれ東京ドームだ中央線沿いだ神宮球場だ渋谷だなどと
東京の名所が満載でややもすると当初の目的を忘れがちになっていた。

しかし、わたしは東京見物に来たわけではないのだ。綾瀬から綾瀬を目指していたのだ。
観光気分が急に抜け、綾瀬市がまだまだ先でそしてそこまで歩いて行かなければならないという事実が重くのしかかり始めていた。


青看板の「厚木45km」という表示にも驚いたが(厚木市綾瀬市のとなりのとなり)、
歩いても歩いてもその青看板の数字が減っていかないのだ。
この国道246号線は、周りの風景が変化に乏しく、進んでいるという実感が得にくい。
そして青看板の「厚木〜km」という数字は遅々として減っていかない。
タヌキにでも化かされているんじゃなかろうかと、本気で思った。


見えないタヌキと戦いながらなんとかかんとか歩いていくと大きな川が見えてきた。多摩川である。
この川を越えれば神奈川県に入る。
 


多摩川を渡りきり、神奈川県に入ったあたりで体に変調が起こってきた。
最初の兆候として現れたのが、iPhoneの指紋認証が効かなくなったことだ。
何度iPhoneに指をぐりぐり押し付けてみても反応しないのだ。(今は元どおり反応する)


さらに、車道から歩道に上がる際のごく小さな段差に躓くようになった。
頭の中ののイメージと体の動きが明らかにズレがでてきているようなのである。


そしてはっきりと歩く速度が落ちてきた。
出発の直後の荒川のあたりでは、若いウォーキング風の男性をぐいぐい追い抜いていくほどの速さだったのだが
いまや買い物帰りのエコバックからネギが飛び出ているオバちゃんに追い越されるしまつである。


このままではマズい。
神奈川県に入ったとはいえ、まだ綾瀬市までは29kmもあるのだ。
綾瀬市はまだ、はるか彼方だ。綾瀬はるかだ。


ここまでの道のりが27km。全行程56kmの半分弱ということになる。
綾瀬駅を出発したのが、午前9時過ぎ。
全行程の約半分の二子玉川で16時前。約7時間弱かかったことになる。
単純に計算すれば綾瀬市に着くのは、23時頃ということになる。
ただし、これはここまでのペースを維持することが前提となる計算である。
ただ、ここで立ち止まっていても綾瀬市が近づいてこないということだけは間違いがないのでとにかく歩くことにする。


そして綾瀬駅から31km地点あたりのローソンでカルピスを飲みながら休んでいるときに、全身に変な震えを感じた。

時刻は17時過ぎ。綾瀬市まではまだ25kmほどある。
いまのペースでは綾瀬市に着く頃には日付が変わってしまうかもしれない。
綾瀬市には駅がない。そんなことになったら綾瀬市で行き場を失ってしまう。


地図によると、この近くに東急田園都市線の「梶が谷駅」がある。
田園都市線に乗れば中央林間まで行ける。
中央林間からは小田急線に乗ることができる。
小田急線に乗ればわたしの住む藤沢に帰ることができる。
しかし、ここで電車に乗ってしまえばここまでの31kmが無駄になってしまう・・・。


     

一度頭に浮かんだ「電車」という言葉に逆らえず、気がつくとわたしは田園都市線の車内にいた。


後編に続く

綾瀬駅から綾瀬市へ 前編

神奈川県の藤沢市という街に住んでいる。
もしみなさんが藤沢市に来ようと思ったら、電車に乗って藤沢駅で降りればよい。


横浜市に行くために横浜駅で降りる。当たり前のことである。
鎌倉市に行くために鎌倉駅で降りる。これも当然だ。


上記のごとく神奈川県の多くの市町が、その市町名を冠する駅を持っている。
例を挙げると茅ヶ崎市茅ヶ崎駅、寒川町に寒川駅小田原市小田原駅平塚市平塚駅、逗子市に逗子駅秦野市に秦野駅・・・等々である。


しかし、そうではない市も中には有る。


例えば、厚木市である。
厚木駅という駅は、実は厚木市ではなくお隣の海老名市にある。
これは、鉄道好きな方の中で割と有名な話らしい。


ただ、厚木市には本厚木という駅がある。
本厚木駅厚木市の中心部にある。
三浦市には三浦駅という駅はないが、三浦海岸駅という駅がある。
南足柄市にも南足柄駅という駅はないが、大雄山駅という駅がある。
神奈川県は鉄道網が発達しているので、町村は除き、ほぼ全ての「市」には電車で行くことが出来るのだ。


そんな中、鉄道の駅が存在しない市が神奈川県に一つだけある。


それが綾瀬市である。


綾瀬市は、北側を小田急小田原線が走っており、東側を小田急江ノ島線
西側をJRの相模線が、南側にはJRの東海道線が伸びてているのだが。
それらのいずれの鉄道も綾瀬市内を通ってはいない。
(唯一新幹線だけは線路が綾瀬市をかすめてはいるが、当然駅などは無い)

平成の大合併以前では、全国でも二つだけの『駅のない市』だったそうだ。
(もうひとつは東京都の武蔵村山市



しかし、実は「綾瀬駅」というは存在するのである。
綾瀬駅は、東京都の足立区にあり千代田線と常磐線が乗り入れている。


綾瀬市綾瀬駅は名前が同じだけで無関係である。


わたしの名前(小野周)で検索すると、高名な物理学者の「小野周博士」がヒットするが、
「小野周博士」は、わたしとは全くの無関係である。物理などさっぱりわからない。
当たり前である。たまたま偶然名前が同じだけで無関係なのだから。
綾瀬市と「綾瀬駅」の関係もつまりそのようなものなのだと思われる。
たまたま名前が同じというだけなのだ。



綾瀬市綾瀬駅は遠く離れている)


確かに、綾瀬市に駅はない。
しかしながら、「綾瀬駅」は間違いなく存在しているのである。
この東京都の「綾瀬駅」から歩いて神奈川県の綾瀬市にたどり着くことができれば、
それは、綾瀬市に行くのに「綾瀬駅」が使えると言えるのではないだろうか。


綾瀬市と「綾瀬駅」をつなごう。「綾瀬駅」から綾瀬市まで歩いていこう。
そして「綾瀬市の最寄駅は綾瀬駅である。なぜなら綾瀬駅から綾瀬市は歩いて行けるからである。」と言おう。
以上が今回の動機と目的である。


そんな大望を抱いたわたしは、1月末日綾瀬駅に降り立った。
季節に似つかわしくない穏やかで暖かな風の吹く日であった。


綾瀬駅」で降りるのは人生で初めてのことであった。


出発に先立って「綾瀬駅」の駅員さんに聞いてみた。

わたし 「あのう、ちょっとつかぬ事を伺いますが、神奈川の綾瀬と間違ってこの駅に来ちゃう人とかっているんですか?」
駅員さん「ハイっ!ここは綾瀬駅です!」(ニコニコ)
わたし 「いえ、そうじゃなくて神奈川の綾瀬市と・・・」
駅員さん「ハイっ!ここは綾瀬駅ですよ!」(ニコニコ)
わたし 「・・・・・。ありがとうございました。」


とても実直そうな駅員さんであった。駅員さんの仕事をじゃましてしまい、申し訳なかった。


綾瀬駅周辺は、むせかえるほどに綾瀬だった。
神奈川の綾瀬ではないという主張

世界に開かれている綾瀬

北海道だが、綾瀬

体を鍛える綾瀬。

メリーさんとあやせ


埼玉との都県境の足立区から、神奈川の中央を目指すのだ。
グーグルマップの道が示す方向に向かって歩みを進める。見渡せば青い信号機が続いていた。


ややもすると小走りになりそうな足を我慢しながら、西に向かって歩みを進める。



中編に続く

「18782+18782=37564問題」について思うこと +『64物語』

[[]] もう昨年のことですが、私の住む藤沢市内の小学校でちょっとした問題が起こりました。
神奈川新聞で記事になり、yahooのトピックにもなるなどそれなりに話題になったものです。


以下記事の引用です。

 『算数授業で「皆殺し」 18782(嫌なやつ)+18782=37564』


 藤沢市立滝の沢小学校(同市遠藤)の女性教諭(40)が4年生の算数の授業で電卓の使い方を教える際、「嫌なやつ(18782)と嫌なやつ(18782)を足すと皆殺し(37564)になる」との語呂合わせを用いていたことが19日、分かった。保護者の反発が強まっており、市教育委員会は不適切な指導内容だったとして近く保護者説明会を開き、謝罪する意向を示している。

 市教委などによると、女性教諭は10月30日、担任するクラスで「今から恐ろしい問題を出します」と切り出して語呂合わせを伝えた。市教委の調査に対し、「本かインターネットで見て記憶に残っていた。数字に興味を持ってもらうため扱ったが、反省している」と話したという。

 ある保護者は「語呂合わせを覚えてしまった子どもが面白がって『皆殺し』『皆殺し』と口にするので困惑している。きょうだいに伝えるなど悪影響も出ている」とした上で、「嫌なやつは殺してしまえとも取れる内容で、昨今のいじめ問題にも反する授業だ」と憤る。

 問題の授業は、保護者らが県教委に連絡して発覚。19日に市教委が同校に事実確認し、同教諭が認めたという。市教委は「命の大切さを伝える教育に取り組む中で、不適切な指導方法」としている。


引用はここまでです。


 このニュースに対して、コメント欄などをザッと見てみると
「授業において、皆殺しは不適切だ」というような意見もありましたが、
「これぐらいのブラックジョークは許されるべきだ」や
「算数に興味を持つきっかけになり面白い授業じゃないか」とか
「騒ぐほどのことではなく、保護者の過干渉だ!」など、この教員を擁護する意見も数多く見られました。
 正確に数を数えたわけではありませんが、授業内容に批判的なコメントよりも擁護するコメントの方が多かったように見受けられます。


 この授業に関し私の個人的な考えを申し上げると、やはり『算数の授業』としては不適切だろうと言わざるを得ません。
 その理由ですが、「皆殺し」という言葉が不適切だ!ということではなく、
18782(嫌なやつ)+18782=37564(皆殺し) ということを覚えたからといって『算数の力』には全く関係がありませんし、生徒(小学校では児童?)が面白がって「嫌なやつ、皆殺し」といくら言ったところで、それはこの教員が言っていた『数字への興味』へは関係がほとんどないからです。
 故に、私はこの授業は良い授業ではないと考えます。


 では、どうすれば良かったのか。
 これを国語の授業で扱えば良かったのではないかと、私は考えます。
例えば以下のような授業展開が考えられます。


「18782(いやなやつ)+18782(いやなやつ)=37564(みなごろし)」
なぜ、このような語呂合わせができるのでしょうか?
少し考えれば、794(鳴くよ)ウグイス平安京、や1192(いい国)作ろう鎌倉幕府など、
数字と語呂の組み合わせで知っているものはいくつかは出てくるはずです。

『123456789』←これをどのように読むか。

(1)いち.に.さん.し.ご.ろく.しち.はち.きゅう
(2)ひとつ.ふたつ.みっつ.よっつ.いつつ.むっつ.ななつ.やっつ.ここのつ

この2パターンが考えられます。(ご承知のごとく、(1)が音読みで、(2)が訓読みです)
いやなやつ(18782)も、みなごろし(37564)も音読みと訓読みが混在していることが見たらわかる。
しかも、「いやなやつ」の最後の「2」は英語(ツー)です。


ひとつの数字に対して、音読みと訓読みという二つの読み方(英語もいれたら三つの読み方)があることがわかれば、生徒の中で「国語」に対する関心が起こることが期待できます。

ここからは、音読みと訓読みという知識的な学習も出来ますし、
数字の語呂で知っているものを挙げてみるなどという展開も考えられます。
少し発展的な授業になりますが、数字の語呂を使った物語の創作などもできるかもしれません。


私自身は以下のような物語を考えてみました。





『64物語』


「お姉ちゃん!お帰り!」
家に帰るなり弟が飛びついてきた。正直、うっとおしい。私はとても疲れている。
「あのね、聞いて、お姉ちゃん!今日ね、学校の算数の授業で先生がね・・・。」
 際限なく話を続ける弟を、私は軽く64(無視)した。私は本当に疲れている。
 学校でも疲れた。そしてまた今度はこの家の中で、また疲れを溜める。
相槌も打たずに64(無視)を続ける私に構わず、弟は話を続けている。

「あ、ミナコおかえり」
母だ。私の精神的な疲労の原因はこの人によるところが大きい。
「今日の晩のおかずは64(蒸し)餃子よ。あなたも好きだったでしょ。」
 違う。私はむしろ焼き餃子の方が好きだ。
 そこに、父が二階から降りてきた。
「お!今日は64(蒸し)餃子かい? 好きなんだよね! 64(蒸し)餃子! うれしいなあ! 64(ムフォー) 64(ムフォー) ・・・・・・。まあ、64(蒸し)餃子は、イチタロウが一番好きだもんなあ・・・。」
 そうだ。この家で一番64(蒸し)餃子が好きなのは、父でもなく、母でもなく、弟でもなく、無論私でもなく、兄のイチタロウなのだ。

「イチタロウ、もう帰ってくる頃かなあ・・・。」
 父がポツリとつぶやく。
そうなのだ。数週間ほど家を空けていた兄のイチタロウが、今日、帰ってくる。
その兄に対し、どう接していいかわからず、母は64(蒸し)餃子を作り、父は64(ムフォー)などとアホなことを言って、必死に気を紛らわしているのだ。それが私には耐えられないほど苛立たしい。
「あのさ、お父さん、お母さん・・・」
と、言いかけたところで、ドアノブがガチャリと回る音がした。兄が、イチタロウが帰ってきたのだ。

「ただいま。帰ってきたよ。父さん、母さん、いろいろ迷惑かけちゃったけど・・・」
「いいのよ、イチタロウ。疲れたでしょう。ささ、とりあえずご飯でも食べて。あなたの好きな64(蒸し)餃子を作って待ってたのよ」
この白々しいやりとりがとても耐えられない。
「ミナコ、お前にも迷惑かけたな。これからはもっと64(無心)んで頑張るから。」
この男が、自分のかけた迷惑についてどれほど理解できているのだろうか。
鳥肌が立つほどの嫌悪感を感じながら、兄の発言を64(無視)する。
弟が無邪気に、64(蒸し)餃子を頬張っている。
久々の家族団欒がぎこちなく進んでいく。


「!」
兄の視線が一瞬、おかしなところで止まった。その刹那、兄が、
64(虫)が、、、、64(虫)が、、、、うわあああああああああー、64(虫)がああああああ」
と叫んで暴れ出す。
「イチタロウ!どうした!64(虫)なんてこの部屋にはいないぞ!」
父が必死で止めようとするが、恐怖で顔を歪めて両手を振り回す兄を止めることはできない。
「なんで! 父さん見えないの? 64(蒸し)餃子から、たくさんの64(虫)がウジャウジャ! うああああああああ」
兄は64(蒸し)餃子を手で掴み壁に投げ続けた。

喧騒は数分で終わった。兄は椅子の背もたれに後頭部を乗せ、魂の抜けたような顔で宙を見つめている。
母のすすり泣く声が聞こえてきた。私はそれを冷ややかに見つめる。
「なんで・・・、なんでこんなことに・・・。ってミナコ! なんであなたはこんな状況でそんなに落ち着いていられるの!」
兄にぶつけることのできない怒りが、こちらに飛んできた。母がそんなことを言うならこちらにだって言いたいことがある。


「そりゃさ、慌てたりしないよ。だって私こうなること分かってたもん。お母さんもお父さんもはっきり言ってくれてなかったけどさ、お兄ちゃんがこの数週間家にいなかったのって、警察に行ってたからだよね?」
「・・・。」
「ここまで言っても、答えてくれないんだ・・・。まあいいや、もう分かってるから。大麻取締法違反?だっけ?こないだ学校で習ったよ。マリファナとか、葉っぱとか言うんだっけ? 要は麻薬だよね。」
「・・・ミナコ、お前それをどこで・・・?」
「お父さん、本当に私が知らないとでも思ってたの? あきれた。」
「外で、わたしが何て言われてるか知ってる? 別にそれはもういいけど。わたし、こうなること分かってたよ。フラッシュバックって言うんだっけ? お兄ちゃんが、『64(虫)が・・・』って言い出した時にすぐピンときた。ああ、これがそうなんだなって。」
「お前は、こうなることがわかっていたのか・・・。」
「そりゃそうだよ。」


8×8(葉っぱ)64(虫)はつきものだもの」

昔mixiに書いた日記を振り返る 『あの時君は若かった』

かつてmixiを利用して日記を書いていた期間がありました。
いま確認してみると、2006年の2月から、2009年の9月まででした。
全20件の日記を書いていました。
毎日のように更新する人もいる中で3年半で20件とはいかにも少ないですね。
この2006年から2009年までというのは、ちょうどわたしが会社勤めをしていた時期と重なるのです。
現在わたしは『会社』には勤めていませんが、この頃会社員だったのです。


退職してからもう5年にもなります。
今の仕事の期間の方が、会社勤めをしていた期間よりも長くなりました。
当時の記憶がどんどん薄れ、なくなっていきます。
あのころわたしは何をして、何を考えていたのか振り返ってみたい。
そんな個人的すぎる記事です。


以下引用です。




『あの時君は若かった』   2008年10月22日18:03


先日知人との電話中、なぜか大西洋無着陸横断飛行の話になった。
この頃特に物覚えの悪くなっている私は、
それをはじめて成し遂げた操縦士の名前をなかなか思い出すことができなかった。

「オリエンタールだっけ?」私は言った。
なんだかそんな名前だったような気がする。
しかし違和感も拭えない。東洋的過ぎる感じがする。
電話口の相手は、
「確かそんなだったね」
などと適当に同意していた。多分どうでもよかったのだろう。


電話を切ってから気がついた。
「オリエンタール」ではなく「リリエンタール」だと。
胸のつかえが取れた気がした。

しかしその一週間程後、さらに気づいてしまった。
「リリエンタール」ではなく「リンドバーグ」が正であったことに。

リリエンタールはハンググライダーを発明した人であって、
大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した人ではなかった。


私はいろいろと間違っていた。
まるで「エスカレーター」を指差し「エベレーターに乗る!」とのたまっている子供のように。
(さらにいえば子供は階段を歩くべきである)


私は「オ」と「リ」一字の間違いを見つけたことで安心してしまい
本質的かつ重大な過失を見逃してしまっていたのだ。



今回は単に言葉の間違いであったので大勢に影響はなかった。
しかしこれは歩んでいく人生そのものにも同じようなことがあるのではないか。

そしてその犯した誤りに気づいたときは、多くの場合もう遅いのであろう。



以上引用でした。



2008年の12月に退職しているので、これは会社を退職する2ヶ月ほど前の日記になります。
この日記のテーマはおそらく「誤りを正す」だと思います。


このころ、わたしは恐らく悩んでいたんだと思います。
10月は確か営業部から現場に移された直後で、「俺の居場所は、やることはコレじゃない」とモヤモヤしていたんです。
「いや、そもそも営業か現場かという問題なのか?」
「そもそもこの会社にいることは正解なのか?」
「それは本質的な問題から目を背けているだけじゃないのか?」
「そもそも自分が本当にやりたかった仕事とはなんなんだ?」
という悶々とした悩みが、
「オリエンタールかリリエンタール、という問題ではなく正解はリンドバーグ
「エベレータかエレベータ、ではなく正解はエスカレーター」
という所に表現されていたんだと思います。


わたしはこの日記を書いた2ヶ月後に退職しました。その3ヶ月後に新しい職に就きました。
「誤りを正す」ために。


それからもう5年ほど経ちます。
今のわたしはどうでしょうか。仕事を変えたことで本質的な「生き方」にまで向き合って正解にたどりつくことができているのでしょうか。
それとも転職したことで安心しきってしまい、未だ「リリエンタール」や「エレベータ」にとどまってしまっているのでしょうか。
よくわかりません。





などと自分の書いた日記にもっともらしく解説を加えてみましたが、たぶんそんなに深い意味はなかったと思います。
ほとんどがいま考えた後付けです。
それにしてもわたしはなぜ知人(だれだったか思い出せないけど)と大西洋無着陸横断飛行の話などしていたのでしょうか。

実践 リアルけん玉(中編)

前編から続く


●6級の技『とめけん』
ここから少し難しくなる。

玉をまっすぐ上げて「けん」にさす。


リアルけん玉ではこうである。

家にあった木刀の先端に「玉」をのっける。


ほんとのけん玉の『とめけん』難易度・・・★★
(適当にやっても入ることもあるが、安定して成功するには練習が必要)
リアルけん玉の『とめけん』難易度・・・・★★
(木刀や真剣、それに準ずるものが必要)


●5級の技『飛行機』
玉を持ってかまえる。

前に振って玉にけんを入れる。


リアルけん玉ではこうである。

※オランジーナかなにかのオマケの飛行機

玉に突っ込む。
ちょっと事故っぽい。


ほんとのけん玉の『飛行機』難易度・・・★★★
(適当にやってもできることも)
リアルけん玉の『飛行機』難易度・・・・★★
(飛行機のおもちゃさえあれば簡単)


●4級の技『ふりけん』
けんにさすのは「とめけん」と一緒だが、玉を前に振る。

これは実はかなり難しい。
ポイントは玉を手前に引くタイミングである。


リアルけん玉ではこうである。

玉にむかって木刀(けん)を振り下ろす。
ほんとのけん玉は、玉を振るがこのリアルけん玉はけんを振っている。
ニュアンスが違うような気もするが、そんな細かいことにこだわる場合ではないとも思う。


ほんとのけん玉の『ふりけん』難易度・・・★★★★★
(適当にやってもまずできない。タイミングが難しい)
リアルけん玉の『ふりけん』難易度・・・・★★★
(木刀を振り下ろしつつ、写真を撮るのはタイミングが難しい)


●3級の技『日本一周』
小皿→大皿→けん
  


リアルけん玉ではこうである・・・と言いたいところで困ってしまった。
本来ならばけん玉を片手に日本一周の旅行に行くべきところなのかもしれないが、そうそうそんなことはできない。
しかたがないので簡単に済ませることにした。


玉は、わが街藤沢を出発する。

玉は、釧路に行く。(第二の故郷)

そして、大阪に行く。(生まれた場所)

最後に熊本に行く。(一度行ってみたい)


ほんとのけん玉の『日本一周』難易度・・・★★★
(ふりけんより簡単だと思う)
リアルけん玉の『日本一周』難易度・・・・★
(地図帳にのせるだけ)


●2級の技『世界一周』
小皿→大皿→中皿→けん
   
中皿にのせる時手首をかえすのがやや難しい。


リアルけん玉では・・・日本一周以上に世界に行くのは難しい。
だからこれで代用する。

幼少の頃のものなので、ドイツは東西に分かれているしロシアはソ連である。


日本を出る。

インドへ行く。(インドカレーが好きだから)

モーリタニアへ飛ぶ(バッタ博士がいる)

ドイツに行く(ドイツが好きだから)

イースター島に行く(モアイが好きだから)


ほんとのけん玉の『世界一周』難易度・・・★★★★★
(中皿→けんがそこそこ難しい)
リアルけん玉の『世界一周』難易度・・・・★★★
(丸いものにのせるのは難しいし、地球儀はまわる)



さて、残すところは1級の大技『灯台』を残すのみである。


後編に続く

実践 リアルけん玉(前編)

特技らしい特技というものをほとんどもっていない。
そんなわたしの唯一といってもいい特技が「けん玉」である。
20年くらい前にかなり熱心にやっていた。



ご存知の方はあまり多くないかもしれないが、実はけん玉には「級・段」がある。


日本けん玉協会


わたしは三段をもっている。
三段というのがどれくらいの腕前かというと、
まったくけん玉をやったことがない人からみると上手に見えるかもしれないが、
本格的にやっていた人からみると全然対したことない、ぐらいのレベルだと思う。


野球で例えたら球速110kmでるとか、
ボウリングで例えたらスコア150平均とか、
ピアノで例えたら猫ふんじゃった弾けるとか、多分その程度だと思う。
(ちなみにわたしは野球もボーリングもピアノもまったくできない)


そんな程度ではあるのだが、このところ10年ぶりくらいにけん玉をさわっている。
しかし、前述したような程度のレベルであるのであまりひとに自慢もできない。
(仮にすごくうまかったとしても自慢できるかどうかはわからないが)
そして30代になってしまった男が部屋の片隅でカツコツやっているのはあまりに生産的ではないような気がする。
小六の自分を越えることができていない。むしろいろいろ低下している。
低下しているのはけん玉の技術だけではなく、人間として前に進むことができていない。
ならば、今の自分にしかできないなにかを、けん玉を使って新たな挑戦をしてみたい。


そこで思いついたのが「リアルけん玉」である。
『世界一周』とか『宇宙遊泳』とか『地球回し』とか、
とかくおおげさな名前も多いけん玉の技を実践してみようと考えた。
何を言っているかよくわからないかもしれないが、とりあえず以下をご覧になってください。
ほんとのけん玉の「級」の審査の技に沿ってリアルけん玉を実践していく。


※参考 けん玉の各部位の名称



●10級の技 『大皿』
あまたあるけん玉の技の中で最も簡単な技である。

こう構えて

大皿の部分にのせる


リアルけん玉ではこうである。

家にあるいちばん大きいお皿に玉をのせる。


ほんとのけん玉の『大皿』難易度・・・★(一番簡単)
リアルけん玉の『大皿』難易度・・・・★(のせるだけ)



●9級の技『小皿』
大皿の次に簡単な技である。

リアルけん玉ではこうである。

小さい皿にのせる。


ほんとのけん玉の『小皿』難易度・・・★(大皿とあまりかわらない)
リアルけん玉の『小皿』難易度・・・・★(やはりのせるだけ)


●8級の技『中皿』
中皿とは、中くらいの大きさの皿という意味ではなく
大皿の小皿の中間にある皿という意味らしい。

リアルけん玉ではこうである。

皿が三枚必要である。


ほんとのけん玉の『中皿』難易度・・・★(そんなに難しくない)
リアルけん玉の『中皿』難易度・・・・★★(皿が三枚必要)


●7級の技『ろうそく』
のせる場所は中皿と同じなのだが、持つ場所が違う。
「けん」の部分をもたなければならないのでその分安定させるのが難しい。


リアルけん玉ではこうである。
まず、本物のろうそくを用意する。

そして玉をろうそくの先端にのせる。

ろうそくは何でもよい。


ほんとのけん玉の『ろうそく』難易度・・・★(やはりそんなに難しくない)
リアルけん玉の『ろうそく』難易度・・・・★★★(ろうそくが倒れやすい)



次からは6級の技である。
ほんとのけん玉はここから一気に難易度が上がる。


中編に続く