斧屋のアイドル領域 このページをアンテナに追加

2017-03-18 3/18 OTODAMA×POP PARADE

[]3/18 TSUTAYA O-EASTOTODAMA×POP PARADE」

わーすたが見たくて行ってきました。

ほとんど情報を仕入れず、14組出ることも、長丁場のイベントであることも知らないまま。

オールスタンディングで6時間超えのイベントは見る方も大変で、途中離脱しつつ、わーすた終わりで抜けてきてしまいました。

ほとんどが初見のグループなので、予備知識ない状態で、思うところを。


まねきケチャ

属性中川さんが、とても空虚な感じがしていい。意志なく機械仕掛けで動いているように見える。あるいは、日本人形の闇を感じたりもする。


●Party Rockets GT

HIMEKAさんをほぼずっと見ていました。

前も書いたことですが、決まった振付をアイドルが踊る時、決まったものをなぞるという意味では不自由なはずなのですが、自らのうちにうまく消化して、主体的に、楽しそうに踊る時、とても自由なのですね。


●LADYBABY

今調べていて、いまさら黒宮れいユニットと知る。なんという情弱

新曲は「Pelo」というらしいんですが、ペロって、あらためてエロい言葉ですね。


●drop

表情もまた、振付のひとつと知る。

なるほど無表情から笑顔への転換とか、メリハリがつくととても面白い


つりビット

あれ、こんなに大人びた感じだったっけ、と。

釣りたい魚」と「蹴りたい背中」って似てるな。どうでもいい。


大阪☆春夏秋冬

圧倒的に強く、支配力があるグループで、トップダウン型、と言いたくなる。

公式にも一応アイドルとされているようだが、その音楽、そしてそれに呼応するファンの応援方法アイドルファン文化とは異なる。手の上げ方ひとつとっても違う。

面白いもので、ステージパフォーマンスによって、ファンの振る舞いも全く変わってくる。そういう流動性みたいなものに、自分は興味がある。


PassCode

これまた全く異なる応援を呼び込むグループ。

リフトモッシュクラウドサーフ、と言うんでしょうか、会場後方から見ると、泥の海からゾンビが現れては消えるといった感じで、激しい音楽に合わせてドロドロしたものがぼこぼこ湧き出していました。そしてサイリウムやら水やら靴やらが空を舞っていました。

これ、止めないんだ、と思いながら見てました。この前のどれかのグループの時にリフトを係員が制する光景があったのですが、このグループの場合OKなのか?グループによってルールを変えて運営をしているイベントなのか?謎です。いや別に、これはこれで同意のもとなら、いいんでしょう。


●神宿

PassCodeの後で、どうなるかと思ったら、ちゃんと「神宿の応援」になるんですね。本当に面白い。ちゃんと演者に対応するふさわしい応援になるわけです。


わーすた

わーすたは、曲が、特に歌詞が好きなのです。

みんなで倒すのが、トリケラトップスでよかった。

みんなで何かを倒す、その相手が、ほとんど意味をなさないトリケラトップスでよかった。ファンもわーすたメンバーもみんなが団結して倒す、その団結だけがほしい。正直、倒す敵はどうでもいいから、一体感けがほしい。だから、トリケラトップスを倒すのが、ちょうどいい。

「犬派ですか?猫派ですか?」、「アイスクリーム それかシュークリーム?」、…どうでもいい。どうでもいいことを歌ってくれて、救われる。そういうことがある。

うるとら みらくるくる ふぁいなる アルティメット サンダー すぺしゃる すーぱー…あれ、なんだっけ。

小学生の時に考えた必殺技、どうでもいい大げさな名前をつけて、よくわからない敵を倒したよ。それが、楽しかった。



あらためて、ダンスする、踊る、体を動かすという意味を考える。アイドルイベントふつう生演奏をしない。その代わり、演者が踊る。最近は、歌を歌うことよりも、ダンスをすることの方がアイドルにとって重要ではないかと思っている。なぜなら、ファンが呼応しやすいのは、歌よりもダンスの方だからだ。「恋ダンス」でも「PPAP」でも、「反復しやすいパターン」が重要である。それは歌詞でもいいが、体の動きの方が、より重要であるという気がしている(根拠はない印象論である)。

振りマネをする、つまりアイドルの動きと同じ動きをする、ということもあるし、ある一定リズムに対して独自応援文化が起こることもある。そういう対応関係を見るのが、面白いである

雑誌『装苑』4月号「アイドルとファンをつなぐ色」

装苑 2017年 4月号 (雑誌)

装苑 2017年 4月号 (雑誌)

先月末に発売された雑誌『装苑』にコラムを載せています。今日イベントの出演者についても、掲載しているグループもいるので、いろいろと書いておきたいと思います。このコラムの要旨は、色はアイドル現場におけるファンとアイドルをつなぐコミュニケーションツールなのだ、ということでした。

今回のイベントでも、まねきケチャ、drop、神宿、わーすたが衣装を色分けしていましたね。これは見分けがつきやすいようにということでもあり、キャラ付け意味もあり、ファンの方でも誰のファンかをキンブレなどによってアピールできるという意味があるわけです。

まねきケチャとdropは属性に合わせたメンバーカラーが設定されています。神宿はおそらく動物に合わせた色設定ですが、イメージキャラクターが象のメンバーの色が青なのは、そうしないとキンブレやらグッズ展開にも支障があるせいでしょう。一方で、青の動物ってなんだと言われると適切なものがなかなか出てきませんし。

キンブレはいまやアイドル現場に欠かせないツールになっていますが、大阪☆春夏秋冬の時には誰も使ってなかったのが印象的でした。繰り返しになりますが、ステージ上の演者によって、また音楽パフォーマンスによって、ファンの応援文化使用ツール)が如実に影響を受ける、というのは現場で見ていてとても興味深いものでした。

2017-01-10

歌詞における「前髪」について

先日のハロプロライブで聞いたこぶしファクトリーの曲で、「前髪が決まんなくて」という歌詞があって、そういえばハロプロ歌詞世界で前髪って全然決まってないなあ、というイメージがあったので、実際に調べてみることにした。

結論から言うと、別に前髪がそんなに決まってないわけでもない。ただそこから歌詞における前髪とは何かということを考えたので、ちょいと記録として残しておきます

以下は、ハロプロ楽曲の中で歌詞に「前髪」が出てくる主な曲である。前髪がどういう意味で登場するのか、いまひとつからなかった曲は省いております。なお、並び順は歌ネットhttp://www.uta-net.com/)の検索で登場した順なので、特に年代順になっておりません。(あと、歌詞の改行は気にしてません。)


前髪が決まんなくて 悪戦苦闘 正解探求の 努力が実を結ぶのさ

GO TO THE TOP!!」(こぶしファクトリー


前髪後ろ髪引かれまくる 片道切符

次々続々」(アンジュルム


目を見られると心まで 見られるようで 知らない間に前髪がね 長くなっていった

冷たい風と片思い」(モーニング娘。'15)


切りすぎた前髪 ほつれたワンピース 欠けた爪 断線してるイヤホン

「汗かいカルナバル」(アンジュルム


前髪少し切ったのよ? “彼氏”なら みんな 気づいてくれるんだよ?

わかっているのにごめんね」(カントリー・ガールズ


前髪の隙間からね 見つめてる未来

未来へ、さあ走り出せ!」(Juice=Juice


鏡の前ってなんだか不思議勇気の出る日 そうじゃない日 いろいろね それでも100%自信がないのは 前髪のニュアンスだけで なんとかするわ

Rock定義」(田中れいな(モーニング娘。))


前髪を失敗した時 ほんのちょこっと 笑ったでしょう その後すぐ 「似合う」とか言ってフォローする…かわいいやつ

「まっすぐな私」(Berryz工房


前髪そろいすぎ! エッ?

乙女の心理学(モーニング娘。)


前髪を切ったら 似合うと言われたり

I have a dream」(真野恵里菜


冗談を言い合って 二人じゃれあって たまにケンカもしたりするけど 何気ない事が大切なんだね 前髪切りすぎたり 優柔不断だったり

「こんな私でよかったら」(吉川友


前髪もパッツリだぞ とっぽいショートカット

ショートカット」(アンジュルム


前髪乱れても それでもまあいいよね 私に変わりはない

青春コレクション(モーニング娘。)


今日はいつもより 早く起きて カール巻いてみた ちょっと効き過ぎて 前髪とか なんか変ね

「通学列車(モーニング娘。)


短く 切った髪を あなたは 笑ったけど 今でも この前髪 そのまま

「月色の光」(安倍なつみ


前髪はどん位 切っていいの?

なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?」(Berryz工房


伸び始めてきた前髪を 少し自分で切った 気がついてくれたのはきっと あなただけでした

紫陽花アイ愛物語」(美勇伝


「加護亜依ぼん」 前髪が決まらないだけで 分かりやすいほど 凹む

女子かしまし物語(モーニング娘。)


こうして見てくると、前髪にいくつかの役割を託していることが分かる。

1.自分で切ることができるということ(変化をつけられる)

2.環境条件(風とか)により変化すること

3.顔の一部であること(見られること)

4.視界を遮るものであること

大方上記の4つについて留意しておけばよいのではないかと。

私が最も想定していたのは、「思春期女の子が前髪を切り過ぎる」という、「ささいでありながら本人としては切実な、日常的な失敗」のモチーフとして登場しやすいのでは、というものでしたが、それ以外にもいろいろなパターンがありますね。

「前髪」というモチーフが優れているのは、髪は勝手に伸びるものなので(身体の中で最も変化が大きい)、切る必要があるのだが、前髪は顔の一部であって誰もに見える身体的パーツであり、オシャレの表現にもなるし、心理表現決断・切り替え)にもなる、そして視界を左右するという意味象徴的なものとしても機能するということですね。どんな役割で使われているか(あるいは使われうるか)列記してみます


・風などの外部環境要因により前髪が乱れる(不運のモチーフ)

・逆にうまく決まったという幸運のモチーフ

・前髪が失敗したこと(うまくいったこと)による、恋人等とのコミュニケーション(ささいな日常の尊さのモチーフ)

・前髪を切るべきかどうかというささいな、日常的な悩み

・見られたくないので前髪を伸ばす/前髪を切ったことに気付いてほしい

・視界をクリアにする(前向きになるという象徴意味合いでも使用可)ために、前髪を切る/手でかき上げるなど

・決意・覚悟表現としての前髪カット


ということで、調べてみたら、前髪というのは歌詞表現の中でかなり使い勝手のよいものだと気づいた、というお話でした。

2017-01-09

[]Hello! Project 2017 WINTER 〜Crystal Clear〜

1月8日(日)朝公演を観てまいりました。久々のハロ紺

思うところをつらつらと、セットリストの流れに従って。


2.初恋サンライズつばきファクトリー

組まれて間もないグループは、基本的に「背伸びした恋愛」を歌う傾向にある。

多くのグループがそこから始まって、グループが成熟するにつれて(ファンの数が増えるにつれて・ファンの年齢が徐々に上がるにつれて)だんだんに「恋」でなくて「愛」を歌うようになったり、具体的ではなく抽象的なことを歌うようになったりする。これはハロプロに限らず、たとえばジャニーズにおいてもまずまず成り立ちそうなことである

そんなことを思っていたのだけど、この思いはその後のセトリで崩された。


3.Oh my wish!モーニング娘。'17

小田さくらが終盤までずっと後ろに位置取っていた。それによって迫力がより増していた。


4.女の園/ハロプロ研修生

この歌詞も割と背伸び感がある。

というか、あれだ、年少のメンバーの方が歌詞世界では「女性性」が強く打ち出されがちというのは面白い。しばしば思うことだが、加入したてのメンバーの方が大人びている感じがして、加入した後の方がだんだん幼い見た目になっていくの、面白いですね。


5.カクゴして/アンジュルム

歌詞自己啓発的。というか、この後もしばしば自己啓発的な歌詞が登場する。

これはこれでハロプロのいまの持ち味である


6.どーだっていいの/カントリー・ガールズ

嗣永桃子を生で見るのはこれが最後かもしれない。

ここ5年くらいはずっと、アイドルのセカンドキャリア問題に興味を持ち続けていたが、嗣永のようにコーチ選手のような立場経験するのは、後の仕事のためにもよいことだろうと思う。

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この動画においても嗣永能力が際立っているし、他のメンバーもうまく教育されているところが見える。

動画後半で嗣永が問いかける質問に対して、メンバーの答え方のパターンがどうであろうとも、面白い方向に展開することができる。そして、その意図をメンバーもその場で読みつつ、反応できる。そのあたりの探り合いの様子がとても面白い動画である

「デザイン」ということを考える。嗣永は、デザインをする。いい素材(メンバー)を生かして、どのように面白く仕上げるか。コーチとか、管理職というのは、そういう、デザインをする能力が求められている。

アイドル全般の話にしても、アイドルの人気と継続は、どうデザインするかにかかっていると言える。アイドル運営に関わる人たちは、そこを見誤ってはいけない。


7.生まれたてBaby LoveJuice=Juice

金澤さんの声の良さは圧倒的。メンバーを声で好きになることがよくある。

ところで、なんだか、この曲の最中に泣けてきそうになったのだが、そこには「アイドル幸せであってほしい」という思いがあった。なぜこのタイミングだったのか、よくわからない。「アイドル幸せである世界であってほしい」というような思い。


8.GO TO THE TOP!!/こぶしファクトリー

ハロプロの曲って前髪が決まらないイメージがあるのだが、その件は別途記事を書きます。


10.忘れてあげる/アンジュルム

和田さんの髪をかき上げる仕草は、エロいというよりは、強さを表していた。惚れる。

室田さんは自分の中では黄色。シトラスの香気を放っている。


11.うるわしのカメリア/つばきファクトリー

旧仮名遣いの歌詞、こういうのを出しちゃうのが、マーケティングしてない感じでいいのですよねえ。

全然わかりやすくない。こういう幅、多様性を持つことがとても大事、と思う。


13.ピーナッツバタージェリーラブ/カントリー・ガールズ

カントリー・ガールズは、70〜80年代カタカナ。という点ではレトロなパフェも似合いそうな。


15.Bye Bye Bye!/全員

ここまで歌詞世界によってユニットごとの個性が出ていることを見てきただけに、この歌詞凡庸さが際立った。正直この歌において歌詞は添え物でいいんだろうと思う。

そういえば、全然調べないで来たので、℃-uteが出演しないことを知らなかった。


16.ギャグ100回分愛してください嗣永ほか

この曲は言語身体性、音そのものの響きを楽しむ曲で、「のにゅ」はとてもよい。


17.Just Try!/つばきファクトリー

この曲だったか、歌詞の中に「人間とは如何なるものか」というのが出てくる。

こういうのを、かわいい女の子が言うからいいのですが、これに少しでも政治色や宗教色が入ってくるとまた難しくなってくる。そういう意味でも、歌詞は徹底的に具体的か、逆に抽象的か、であった方がよいと思える。


振り返ると、以下の3点が心に残る。

1.自己啓発的な歌詞に、割と本気で感化されそう。

2.アイドルも、どうデザインするかという視点がとても重要

3.アイドル歌詞が作り出す世界に興味がある。


いやもちろん、アイドルライブとしてとっても面白かったです。

中でもアンジュルム、いい。

2016-12-19 浮かぶから、堕ちる。落ちても、救われる。

[]映画『堕ちる』感想

12/17(土)LOFT9での上映会に行ってまいりました。

映画『堕ちる』、なかなか上映される機会がなかったのですが、今回タイミングが合い、上映会に足を運ぶことができました。とても面白い映画でしたので、ちょっと感想を、と思ったらだいぶ長くなりました。

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ここからネタバレを含みます

あらすじとしては、織物職人が地元のアイドルにハマる、という内容で、映画の長さとしては30分程度の短編です。でもその短さを感じさせない濃密な時間で、惹き込まれつつ、時折挟まれるアイドルオタク内輪ネタ爆笑しながら観させていただきました。

ここからかい感想ですが、一度見たきりなので、記憶あいまいなところもあります。ご了承ください。(何かはっきりとした誤りがありましたら、ご指摘くださるとありがたいです。)

桐生の街の織物工場(「こうじょう」というよりは「まちこうば」といった感じ)で働く、技術はあるがうだつの上がらない中年の男。町の理髪店で、シャンプーをしてくれた店主の娘に惹かれていく。彼女は地元でソロアイドル活動をしていたのだった。

この、「めめたん」というアイドルとの出会いのシーンで、主人公が惹かれる一番初めのきっかけ、「めめたん」のアイドル性の端的な表現が、「スカートのふわりとした動き」だった、というのは重要だと思いますアイドルにおいて、アイドルが「動く」ということはとても重要です。アイドルにおいてはダンス重要であり、アイドル一般的には歌手の一形態でありながら、アイドル場合によっては「口パク」をしてでもダンスをするのです。

軽やかな動き、は生命力若さ象徴です。アイドルの衣装にスカートが多いのは、もちろん脚を見せるとか、デザインとしてのかわいさもありますが、アイドルダンスによってスカート自体が動く、ということも大きな要素であると思われます

主人公の男は、逆に「動き」がない。しゃべらないし、仕事場でも快活に動くわけではない。そして何より、表情も変わらない。そんな男が、「女の子スカートのふわり」に、少し心が揺らぐ。浮き立つ。この出会いのシーンの描写はとても重要でした。

理髪店の店主にもらったチケットで、男は初めて地下のライブハウスで行われている「めめたん」のライブに行くことになる。チケットをもらわなければ、行くことはなかっただろう。自ら動く、ということのない人生になっている。

ライブ描写が秀逸です。ライブハウス店員の無愛想な様子。ドリンクチケットをもらって、戸惑う主人公。中に入りざま、「1曲目からお願いしまーす」と、常連のファンに何やら得体のしれない棒を渡される(サイリウム)。

そして、男は恋に落ちる。「恋に落ちたの 苦しいほどに あなたのこと 考えてばかり」というめめたん歌詞リンクするように。

ライブ後、常連のファンに促されて握手をする男。家に帰って、押し入れの中から使っていなかったCDラジカセを取り出して、めめたんのCDを聞く。そこからはもう、堕ちていく。

この映画は、アイドルファンにとっては刺さる映画です。アイドルに堕ちていく経験は、自分の中で強く記憶に残っていることだから。たとえば自分だったら、もう15年以上前、テレ東のモーニング娘。深夜番組を見ていて、堕ちました。CDを買う。ポスターを貼る。コンサートに行く。これはやばい、堕ちていくという感覚と、空も飛べそうな浮遊感と。

映画『堕ちる』の「おちる」は、恋に落ちるとか、堕落するとか、いろいろな意味をかけているけれども、一方でその下へのベクトルは、アイドルというものの輝きが上へのベクトルであるということを逆に引き立てていますアイドルファンは、アイドルと接している以上、堕ちると同時に上がっていますアイドル生命力象徴であるように、アイドルライブアイドルの曲に合わせて動くファンは、そこにおいてアイドルと同じ生命力を手にしています。ヲタTという非日常の衣装をまとって、救われています

めめたん現場に足を運ぶようになった男は、いつしかヲタTを着て、ファンのオフ会にも参加するようになる。常連のファンに促され、説教されて、男はアイドルファンの身体を獲得していく。男の日常が変わっていく。(アイドルファンになることで、かえって理髪店にいる素の女の子には顔を合わせづらくなる、という描写はとてもよかったです。)

部屋にポスターを貼りまくる。めめたんのツイッターを常時チェックする。歩きながらめめたんの曲を聞く。その足取りは軽くなっている。男の生活に、身体に、「動き」が生まれる。そして、表情もやわらいでいく。

男はめめたんのために何かできないかと考える。そして、めめたんの衣装を自分で作ろうと思い立つ。自分が持っている職人としての技術を使って、アイドルのために衣装を作る。ここにおいて、日常と非日常が接続される可能性が生まれてきています普通アイドルに堕ちる現象というのは、非日常であるアイドル日常を侵食しすぎて、その生活が継続困難になるというものです。金と時間アイドルに費やし過ぎて、にっちもさっちもいかなくなる、というファンが、多分かなりの数、実際にいます

ただ、男は仕事で培った技術日常)を、アイドル世界(非日常)に生かそうとする。ここには可能性があると感じたし、この段階で、頼むからこの映画、ハッピーエンドで終わってくれよ、と思っていました。この映画の普遍的メッセージとして受け取りたいのは、自分が心の底からしたいと思ったことが、すごいものを生み出していく原動力になる、ということです。なんとしてもめめたんの衣装を作りたい、と思ったことが、この男を輝かせる。とは言え、仕事での技術を使いながらも、仕事そっちのけでアイドルの衣装づくりをしているのだから、やっぱり男は、堕ちていっている。

めめたんに衣装のプレゼント。それは成功した。

けれども、男は手にケガをしてしまう。ケガをしたのは、ライブ中にペンライトを落として、床をはいつくばって探しているときに、曲に合わせてジャンプしたファンに手を強く踏まれてしまったから。これが男の、完全に堕落するきっかけとなってしまう。ここはとても象徴的な場面でした。

男がケガをする(堕落する)のは、アイドルファンがジャンプしたからです。アイドルファンは、アイドルの動きに合わせるようにジャンプする。でも、アイドルファンは空を飛べないから、空を飛べそうなアイドル世界にあこがれてジャンプをしても、その後すぐに落ちてしまうのです。男もまた、アイドル世界にあこがれて、飛ぼうとしたが、束の間の浮遊感の後、堕落してしまう。だから、男のケガの理由がアイドルファンのジャンプだったというのは、必然的なのです。

男は、職を失う。めめたんは、東京デビューすることになり、桐生を離れることになる。

理髪店の店主から、男がめめたんに送った衣装が、返されてしまう。

衣装は返されたくなかったが、男にとってアイドル(的世界)との接点は、もうその衣装しかなかった。

から、男はその衣装をまとって、街を徘徊する。その気持ちは、痛いほどわかります。もういないめめたんに思いを馳せながら、そのめめたんの名残・痕跡であるところの衣装を着るしかない男。もう、めめたんはいない。自分にはもう、何もない。

男は、働いていた町工場で、めめたんの衣装を着たままで、首つり自殺を試みる。だが、首にかけた布が切れて、男は床に落ちる。自殺は失敗する。男は嗚咽し、「めめたぁぁぁん……」と悲しげに叫ぶ(主人公のこの映画唯一のセリフです)。みじめで滑稽である、が、観客としては「ああ、助かった」という安堵感があり、この滑稽さは笑いを生みました。

そこに出くわした工場経営者。男の行動に驚きつつも、着ている衣装の出来栄えに目を奪われる。これは、いける。

映画のラストめめたんではない別のアイドル現場。2人の男がライブの様子を遠巻きに見ている。主人公の男は随分スカした格好をして、音楽に体を揺らせている。アイドルの美しい衣装を売りにして、2人はどうやらアイドル運営側になってしまったようだ。

最後、大きな字幕で「OCHIRU」と出る。「おちる」にはいろいろな意味がかけられている、という表現であるのとともに、既存の「おちる」に新たな意味付与したいという思いも感じる字幕である

「おちる」という言葉について考える。

落ちるためには、まずは浮かばなくてはならない。浮かんでいるものがなければならない。

この映画、思い返せばその、落ちる(下へのベクトル)と浮かぶ(上へのベクトル)がよく考えられた映画だと思った。

男の恋のきっかけは、スカートのふわりとした浮遊感だった。それに少しだけ浮き立った男の心が、完全に恋に落ちるのは地下の空間だった、というのも面白い

そして、「恋に落ちる」は、落ちると言っておきながら、その後はふわふわした浮遊感・高揚感を伴って、昇っていく感じがする。

アイドルは少しだけファンよりも高いところにいて、ファンを煽ってジャンプさせる。アイドル世界に救われたかったら、少し背伸びをして、またジャンプをして、アイドルに合わせる必要がある。けれども、ジャンプをしたら、その後、落ちる。

アイドル世界にすがっていたら、いずれ、堕ちる?

堕落した男が自殺を図って、失敗する。天に召されることなく、床にたたきつけられる。最低にみじめな瞬間である。が、ここでは落ちることが、生き残ることを意味している。底の底まで落ちきったら、あとは浮かぶばかりである。男はアイドル運営側となることで救われるのだ。

しかし、これは、ハッピーエンドなんだろうか?

主人公の男のスカした感じ、絶対これ、何かまた落とし穴が待っているんじゃないだろうか。

そういった余韻まで残す、いい映画だと思いますアイドルとそのファンの世界に対して極力価値判断を持ち込まず、一方でアイドルファン文化についての理解はした上で、アイドルファンにも、またアイドルファンでない方にも刺さるメッセージが込められた映画だと思います

アイドルファンの活動は、感情絶対値が大きいのです。アイドルファンが長い人ほど、空も飛べそうな気分と、地獄に叩き落されたような気分を知っているでしょう。浮かべばいずれ堕ちるし、落ちてもいずれ救われる。

人生って、そんなものですよね(とってつけたように)。

2015-02-13 「パンチラ2015」に行ってきた

パンチラ2015」に行ってきた

パンチラ2015」という写真展に行ってまいりました。

http://pt2015.lewo.jp/in/

場所は浅草橋歩いてすぐの、Photons Art Gallery。

会期は2月15日まで。

さて、感想を。



まず、「パンチラ」を展示するということにおいて、直観的な反発のようなものを感じないわけでもない。

というか、もしパンチラ評論家なる者がいたら、大いに異議を申し立てるかもしれない。

パンチラ」は、展示するものではない。「パンチラ」は、前もって用意されるものではない。

パンチラ」は、偶発的な出会いにこそ、その本質があると。

別に自分がそう思っているということではないよー。

そういう可能性があるという、そう、可能性の話だよー。

そんなことを考えながら、会場に向かう。



取り立てて自ら探し求めなくても、

人は人生の中で何度かは確実に、「パンチラ」と出会っているのではないかと思う。

自分の最も最古のパンチラ記憶は、

小学4年頃に、体育の時間に同じクラス女子生徒のブルマから少しパンツがはみ出していた件である

しかしそれは取り立てて甘美な思い出でもなくて、何かとても気まずいものだった。

その後、駅のホーム高校教室、あるいは自転車女子高生、という感じで、いくつかの記憶がある。

おそらく自分人生におけるパンチラ遭遇回数はせいぜい5〜10回というところであろう。

それは不思議なことに、それによってひどく興奮するとかいう類の単純なものではなくて(なにしろ「パンチラ」というくらいなのだから、一瞬の出来事でしかない)、

後ろめたさのような気持ちと、普段見られないものが見えたという強い印象(これを「よい経験」と言ってよいかも判然としない)が残って、つまりとにかく記憶にはよく残るのである映像が鮮明に残るというのでなく、遭遇したという事実記憶が強く残る)。



それはさておき、展示を眺めていくと、いろいろなパンチラがあるということに気付く。

まずはじめに、当たり前のことを思い知るのだが、

パンチラは、圧倒的に後ろ向きであることが多い、ということである

これはとても重要なことで、スタンダードパンチラは、

パンツを履いている当人は気付いていない」ということがあって、

それを見つけた他者との間に、非対称な関係が生まれている、という事態がある。

スカートがめくれる原因としては(そもそもパンチラはほとんどの場合スカートあってのパンチラである)、

風でめくれる、バッグなどがひっかかってめくれ上がっている、誰か他人がめくっている、

というのがあり、

めくれていなくても、階段の下からなど角度的に見えてしまうとか、座った姿勢により見えてしまうといったパターンもある。

いずれにしても、多くの場合パンチラは、

ある主体が履いているパンツが、その主体のあずかり知らない形でチラッと見えており、その光景を他者享受している、という構図になる。

から昔ながらのパンチラ評論家は、「いやその展示物は、主体了解した上でのパンチラなんだから、「本当のパンチラ」ではないし、そもそも展示物は常に面前に晒されているのだから、その段階でパンチラじゃないじゃないか!」と怒り出すのである。(例えばの話だ。)



ところで、「パンチラ」の成立条件とは何かということで言えば、

個人的には、女性スカート(的なもの)・パンツの三つであると考える。

なぜかというと、展示物の中の男性コスプレイヤーパンチラ写真を見て、「これはパンチラではない」と言う心の声があったためだ。

そして、ジーパンがずり落ちてパンツが見える、的なものもどうも違和感がある。



話を戻して、「主体了解しているかどうか問題」というのは、実はアイドル世界でもよく言われる話で、

アイドル操り人形」のように言われる際には、アイドルには自由はなく、受動的な存在に思われるが、

特に現代アイドルは、自らのイメージを巧みに操ってみせる、セルフプロデュース能力に長けたアイドルが人気を博している。

その点を考えるならば、パンチラだってセルフプロデュースしていいじゃないか、ということにもなる。



これは、超越性をどこに求めるかという問題でもあって、宗教観問題ですらある。

一つの立場は、「パンチラ人為的に創られるものではなく、偶然的に、人の手によらずに生まれる奇跡であって、そこに神聖性がある」というものであり、

もう一つは、「よりよきパンチラを、人間の発想と技術によって生み出す。その結果生まれた芸術的な美に神聖性を認める」というものである

前者を「トップダウンパンチラ」、後者を「ボトムアップパンチラ」と名付けよう(たしかこれ、前にパフェでも同じこと言いましたよ)。

ボトムアップパンチラ」には大きく2種類あって、パンチラを見る側が自らの創意工夫においてパンツ発見していくプロセス(たとえば階段の下から覗くとかそういうことである)か、パンツを履く側が自らパンツを見せていくプロセス(これは日常的にはほぼありえない)。「パンチラ2015」は、この両者(パンツを履く人と見る人)の共同作業として、パンチラ写真提供する、ということになっている。



パンチラ写真は、写真としてでき上がった以上、その写真を見る側には自由はあまり残されていないかに見える。一方で、普通は瞬間的にしか出会えないパンチラをじっくり見る(それはもうパンチラではないかもしれないが)という貴重な体験ができるばかりか、パンチラを見ていることをパンツを履いている主体からはとがめられない(視線が返ってくる心配がない)という利点がある(パンチラモデルさんが在廊している場合事態はもう少しややこしいし、こちらを向いているパンチラ写真も多いのだが)。

我々が最も自由パンチラ享受できるのは、1階のナマダ嬢の大きな写真で、腰につけられたスカート生地をめくれば、自らの力でパンチラを獲得できるようになっている。これはとても面白い記念撮影場所として、ずいぶんと盛り上がっていた。



で、パンチラってなんだろうなー。よく分かりません。

もしかしたら、「本来見えないはずのものが見えることにおけるロマン」と同時に、「別にパンツが見えたところで、取り立てて何かあるわけではない(たとえ見られても、決定的なマイナスではない)」ということが重要なんではないか、と考える。

性器的な生々しさのない、記号的な性としてパンツ機能している、という側面は否めない。その主体性的な側面を表しはするが、その主体の身体そのものではないパンツ。服と生身の身体の中間形態として存在するパンツ。生身の身体ではないがゆえに、それをめぐって(文字通り)不毛なおふざけができてしまう。それを都合よく言えば文化の豊穣さということになる。

しかしそんなことよりもまあ、パンチラ写真を見たら、なんか、胸がつーんとしますよ。


パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

▲全部読めてませんが、とても面白い本です。


「ぱんつ」大全

「ぱんつ」大全

▲6年前に買いました。

2014-10-28 装苑12月号の告知

装苑12月号の告知

装苑 2014年 12月号 [雑誌]

装苑 2014年 12月号 [雑誌]


10月28日発売の、ファッション雑誌『装苑』12月号の1コーナー、

「衣装にみるアイドルクロニクル」に携わりました。


http://books.bunka.ac.jp/np/mag_next.do?maga_id=2


4ページでアイドルの昔から今までの衣装を振り返るという企画なのですが、

当然4ページで振り返りきれるはずもなく、

やむを得ずの代表的事例の紹介にとどまっております

他いろいろな事情で紹介できないものもあり、

そこらへんは難しい部分もありましたが(おそらくいろいろ言いたくなる方もいらっしゃると思います)、

おおまかにアイドルの衣装の多様性は伝えられたかと思います

スターボーとかピンクサターンは紹介しておりません。)

現代のところのアイドルグループのチョイスは、好きにやらせていただきました。


今回70年代80年代アイドルをいろいろあらためて見返しましたが、

やはりすごく面白いですね。

その中でも、山口百恵とか松田聖子の圧倒的な存在感


そして、いま何となくぼんやりと共有されているステレオタイプアイドル像って、

一体何(誰)によってどのように創り上げられてきたのだろうか、という疑問はいまだ残ります

なかなかこれは答えの出るものではないでしょうが。


何かご意見ありましたらコメントまたはメールいただけたらと思います

2014-10-26 アイドルと結婚、およびアイドルの期間限定性について

アイドル結婚、およびアイドル期間限定性について

13年前、矢口真里のファンになった自分は、矢口結婚する方法は何とかないものか、割と本気で考えたことがある。アイドルファンは、もしアイドル結婚できますよ、という条件下におかれたら、(それがうまく続かないという予感があったとしても)結婚するものだと思う。一方で、好きなアイドルが誰か他の芸能人と、あるいは一般人結婚されようものなら、やはりショックを感じるものだ。これはもういかんともしがたい。

アイドル恋愛することについては、たとえそれが露見したとしても、まだチャンスはあると思う余地がある。その恋愛破局を迎えれば、(処女性という問題は措いておいて)一旦振出しに戻る。恋愛はまだ不可逆な事態ではない。しかしそれが結婚となると、それが「ゴールイン」と言われるように、とりあえず終了である。その意味では、アイドルにおける結婚は、恋愛よりもはるか先にあるタブーであるはずだ。


ところで、地下アイドル姫乃たまの以下の文章は胸を打つ。「ファンが結婚ラッシュです。」から始まるこの文章の切なさはなんだろう。

http://realsound.jp/2014/10/post-1621.html

姫乃たま『地下からアイドル観察記』アイドルはなぜ“恋愛禁止”を掲げるのか 姫乃たま自身の体験から見いだした答えと不安


アイドルとファンは合わせ鏡のようなもので、アイドル恋愛結婚をしたらしばしば「裏切り」という言葉をもって評されるのと同じように、アイドルにとってもファンが自分のもとを離れていくのにそれ相応の感傷を抱いている。


私生活に別の顔を持っているのは、アイドルだけでなく、ファンも同じようです。ファンがアイドルに夢を見ているように、アイドルもまたファンに夢を見ているのです。


裏切り」とは、ごっこ遊びから離脱、そのルールの外に出ることを意味する。ふーむ。つまりアイドル問題は、いつまでもそこにはいられない、という期間限定性にあるのだろうか。しかしもちろん、その期間限定性こそが、アイドルの最も強い訴求性でもある。


逆に、死ぬまでその関係性が保てるという可能性はあるだろうか。

以下は、「歌って踊り、読経する尼さん8人組」、アマゾネスのブログより。

http://ameblo.jp/amazonesu-official/entry-11942207289.html

アマゾネスの魅力とは?斎藤美海


私たち、アマゾネスは、お墓までファンの方々と付き合えるんです。

どちらが先に死ぬかはわかりませんが、死ぬまで、たのしい関係でいられます

ただし、アマゾネスが終わらない限り!!!

(改行は無視して引用


ふーむ。しかしそれよりも、氷川きよしである

http://d.hatena.ne.jp/houkoudou/20141019/p1

氷川きよし15周年コンサート 日本武道館周辺雑感(前編)−腰の曲がったおばあちゃんまで集結させる求心力−(演歌記者・咆哮堂さんのブログより)


これこそ、死ぬまでの付き合いということだろう。昨年演歌歌手イベントはしごして見たことがあるが、おばあさんたちの「おまいつ」の方々の幸せ笑顔が忘れられない。氷川きよしライブでも、80代以上と見られるおばあさんがけっこういたという。本当に「死ぬまでに一目見られてよかった」という世界が広がっている。この関係は、重い。重いが、それゆえにもう、聖職と言ってもよいのではないかと思う。


あ、結婚の話をしていたのでした。

以前、結婚を目指す「結婚願望」というアイドルユニットがいたようだ。

Wikipediaを見ると、「今すぐに結婚したい、結婚願望の強いタレントが集まって花嫁修業=タレント活動を行うタレント集団であるタレント活動目的は、「しあわせな結婚をする事(=脱退)」であると公表している。」とある。実際、2人が結婚により脱退をしているらしい。

ふむ、やはり結婚をすると続けられないのか。


アイドルは、「アイドルらしさ」をめぐって、「アイドルらしさ」と「らしくなさ」を巧みに体現することでアイドルイメージを揺らがせ、時代ごとのアイドルイメージを作り、また他のアイドルとの差別化を図っている。恋愛結婚についても同様である結婚している、という設定の「清 竜人25」をここで取り上げないわけにはいかない。

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しかしMVを見て思うのは、「一夫多妻制」というアイドルとしてのフックに過度に依存することなく、つまり「このコンセプト、面白いでしょう?」というご機嫌伺いなく、人と曲の魅力で勝負をしているすがすがしさである

ということは、やっぱり恋愛とか結婚とかとは関係なく、アイドルって成り立たないだろうか、と考える。逆に、なぜアイドル恋愛というものと固く結びついているように思われるのか。それは、おそらく人と人との関係性において、恋愛という形式がもっと普遍的で、どんな属性の人と人でも、恋愛という関係性においてつながれる可能性があるからかもしれない。おっさん幼女が、恋愛関係になれる可能性がある。おっさん幼女は、親子関係になれる可能性は(ほとんど)ないが、恋愛関係になる可能性はある(これは実際の実現可能性のことを言っているのではない)。アイドルは、アイドルとファンが好きという気持ちにおいて関係を結ぶ営みであるが、それはやはり恋愛関係類比的に捉えるのが確かに自然である、という結論に(自分としては一周まわって)たどり着いた気がする。

あ、違う。というか、「好意において赤の他人同士が関係を取り結ぶ」という事態を「恋愛」という言葉以外で表現するすべをおそらくぼくらは知らないのだ。アイドルとファンの関係恋愛表現する弊害も当然大きいのであって、ぼくらはそこらへんの語彙を整備していく必要があるかもしれない。ちなみに、自分結婚しても、やはりアイドルは好きである自分結婚してもなおアイドルに抱く好意を「恋愛」とされてしまうと大変居心地が悪いのである、そういえば。


とりとめもない話をしてきた。それにしても、20曲連続オリコン1位を獲得して、結婚・出産して2年足らずで復帰した後も4曲連続オリコン1位を取り続けた松田聖子のことを、ぼくはまだよく知らない。

2014-09-01 アイドルはステージである

JAM EXPO 2014

「@JAM EXPO 2014」、すばらしいイベントでした。

寝坊しまして、10時の開演に間に合わず、ひとまず10:45開始のJewel Kiss目当てで横浜アリーナを目指す。

それにしても、横浜アリーナの会場を7ステージと、トークステージ運動会エリア、物販エリアに分けてという独創的な会場の設営の仕方はすばらしいです。朝の10から夜7過ぎまでずっとアイドルが歌い踊り続ける。いまやどこにでもアイドルステージは現れるし、いつでもアイドルイベントを行なっている。そんなアイドルの「いつでも・どこでも性」を凝縮したようなイベントでした。

横浜アリーナの外周部分はスペースが十分にあって、小さいステージを設営することができ、そしてステージを見る客とは別に、柵によって通行スペースを確保することもできていて、大きな混乱はなかったように思います。進行についても、大幅に時間が押すこともなく、滞りなく行われていたように思います。すばらしかったです。

いろいろなグループを見ましたが、今回はアイドルステージについて考えさせられたので、それを中心にレポを。


さて、会場に着くと、グレープステージでは「せのしすたぁ」がオープニングアクトを行なっていました。せのしすたぁの評判は聞いていましたが、初見でした。「アイドルなんてなっちゃダメゼッタイ!」を歌った後で、ステージを降りて観客の中で「ワタシアイドル」を歌い始める二人。彼女たちが「サークル」の範囲を定めて、ファンがつくる円の中でパフォーマンスを続ける二人。ここからは当日のツイートも引用しながら振り返ります





非公式ですが、参考となる動画はこちら。

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f:id:onoya:20140902005914j:image

上の画像はせのしすたぁのまおさんのツイートより引用

https://twitter.com/seno_mao/status/505903008983429121



中心のメンバーに向かってのケチャは、まるでナウシカを見ているようです(いい加減な気持ちで書いてます)。

「その者蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし。」ファンの無数の手が、アイドルを支える。何でもない床が、一瞬にして、我々の聖地になってしまう。そんな風に、いい加減に聖地が出来上がってしまうところが、アイドル面白いところなのです。

ということで、オープニングアクトがすばらしすぎたので、昼のオレンジステージも見てしまいました。ステージから降りてしまうという、運営サイドからすれば禁止しておきたいことを2度もできたというのは、運営の寛容さと、ファンとの信頼関係がなせる業かと思います



続いて取り上げるのはJewel Kiss

3人になってからは初めて見たので、初めはちょっとさびしい気もしましたが、ヲタの熱気は変わらずそこにありました。

Jewel Kissと言えば、最近YouTubeに上げられた動画が本当にすばらしいですね。それとともに、アイドルとは、ファンとは、ステージとはと考えさせられるものです。


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一応説明しておくと、Jewel Kissの「ミラクル初デート」では、サビに入るとファンがステージ関係のない方向に走り出し、どこかでターンして戻ってくる、ということが一種のヲタ芸として行なわれています。この動画を見れば分かるように、サビに入ると、メインコンテンツはファンの振舞いの方に切り替わってしまう。そこで束の間捨て置かれるステージとは何なのか。

さあ、この横浜アリーナの外周部分に設置されたステージでのパフォーマンスにおいて、このダッシュは発動するのだろうか(するだろう)というのが見どころでしたが、もちろん案の定、発動したのでした。初めはさすがに危ないので早歩きVerになるのかなと思っていましたが、割とガチでダッシュでした。通りすがりのファンを驚かせながら、そして若干危ない思いもさせながら(ごめんなさい)、やはりダッシュは最高に楽しいのでした。



もう一組取り上げたいのが、青SHUN学園

プロデューサーのSHUNさんが熱唱しているのを見て、アイドルステージやないんかい、と思いながらも、結局その熱にあてられて自分も渦中に巻き込まれてしまう(いつものパターン)。最終的にプロデューサーが持ってっちゃうのって、ずるくないか?ずるくないか?いやー、しょうがない。SHUNさん、また毎度自己啓発っぽいことを言うんだなこれが。頑張った自分拍手


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SHUNさんは客の側に飛びこんで、担がれて、観客と一緒にぐるぐる回って、胴上げもされて、また観客もオーエーオーで一体化して、確かに全力のいっしょくた感。



これらのライブから感じたこと。繰り返す部分もありますが、あらためて書いておきます

アイドルステージを上がることでアイドルになるが、一方で、ステージを降りてもアイドルアイドルで居続ける。むしろ、アイドルを中心とした想像上のステージがそこに広がってしまう。これがすばらしい。

アイドルを名乗って、ステージに上がってパフォーマンスをする。それでアイドルは成り立ってしまう。しかし一方、そのステージというのが、別に大会場の立派なステージである必要はない。地方の街の一角に、テープで区切られた申し訳程度の範囲として示されるだけでもいい。せのしすたぁは横浜アリーナの外周部分に設営されたステージを降りて、自らがファンを統制して、横浜アリーナの何の変哲もない床に円形のステージを創り上げてしまった。ここにおいて、ステージに上がるのではなく、そこをステージにしてしまう、アイドルがいるところがステージになってしまう、という事態が起きる。

そして、アイドル役割ってなんだろうという話。自分アイドルが、楽しませるということさえできれば何をやってもいいという自由度が面白いと思う。歌を歌っても、踊っても、けん玉をしても、マジックをしても、コントをしても、運動会をしても、何でもいい。

盛り上がりたい、楽しみたいファンを統制するような、指揮者アイドルが特化するならばそれもとてもすばらしい。

その盛り上がりの中で、メインの演者がファンになってしまう、という事態があってもそれは面白い。全力でダッシュするファンの集団が一番の見世物になる、ということがあっていい。もちろん、メインコンテンツがアイドルである、という事態を脅かしてはならない、そのバランス。

からSHUNさんが担がれるのは自然だけれども、自分はファンが担がれるリフト的なものを許容しづらい。それは一ファンを特権化してしまう可能性がある(もちろん単純に視界を遮るという問題もあるし)。アイドルステージを降りてきてもよいが、ファンが一人でステージに上がることは許されない。だったらその人は、アイドルになればいいという話。


ということで、

アイドルステージである

アイドルは演者であるが、ファンが演じる時には、よき指揮者でもありうる。

そんなことを感じた@JAMでした。