上御一人のプーチンの誤算が飛んでもないことに!?(その6)...

3月13日の日経新聞に、ダニエル・ヤーギン氏のインタビュー記事が載っている。「氏はエネルギーの世界的な権威と知られる」とある。

プーチン氏は3~4年前の彼ではない。彼が聞きたいことしか言わない人たちに囲まれ、孤立している。(中略)

侵攻を決断する過程で経済関係のアドバイザーたちは外されたようだ。22年かけて築いてきたロシア経済を破壊している。合理的は判断を下せないかもしれず、紛争はエスカレートするリスクがある。

Swiftで弱っている経済が、ルーブルの急速な減価で海外の負債は膨らむばかりだ。恐らく借金の踏み倒し、デフォルトしか他にたどる道はないだろう。その結果、国内は急激な物価の上昇にあい、ハイパーインフレに突き進み国民は塗炭の苦しみにあうに違いない。

ヤーギン氏は、また

プーチン氏と習近平国家主席はお互いのことを「ベストフレンド」と呼び合い、プーチン氏は中国と通じて経済制裁を回避できるとみている。

何万人もの人命をうばい、ウクライナの人たちの生活を無茶苦茶にして世界中のひんしゅくを買っている。そのうえ、ロシア経済が破綻しそうで、そうなればプーチンの失脚は必須である。それを見た中国は、それまでベストフレンドと同じ歩みをしてきた習近平に反発し、彼の失脚につながるのではないか?

 

独裁の上御一人(かみごいちにん)か民主の御一人か、戦後の名経営者にみる。(その5)

戦後の名経営者といえば、ソニーの盛田さん、経団連の土光さん、ホンダの本田さんだろう。盛田さんの謙虚さ、土光さんの質実剛健、本田さんの心の広さは、天下一品である。

民主主義を考えるについて、本田さんについて考えてみたい。

 

本田さんは、技術者としてNo1の技量を持ちながら、経営の感覚も併せ持っていた。しかし経営の方は天下一品とまではいかないと自覚していたのだろう。その方面は藤沢武夫氏に全面的に任せた。この辺の人を見る目と心の広さは天下一品である。

そんな本田さんでも間違えることはある。自動車のエンジンを水冷にするか空冷にするか、社内で大問題になった。本田さんは空冷、対する技術の幹部たちはいっせいに水冷を推した。カリスマ経営者の本田さんが、自分の意見を否定する幹部たちに、自由な意見を言わせているというところが偉い。しかし、何しろ相手はカリスマ経営者である。ただ一人とはいえ、幹部たちが束になってもかなわない。そこで藤沢さんに何とか説得してくれるように頼み込んだ。そういう藤沢さんをNo2にしていたということもまたまた偉い。ついに藤沢さんが直談判に及び、水冷にすることに決定した。そして本田さんは現役の第一線から退くことを決意したのである。

 

プーチン習近平金正恩の周りには、自由に意見を言える雰囲気はなく、周りは全員イエスマンの独裁者である。木下尚好のいう「上御一人」(かみごいちにん)で、上御一人が決めたことは全員が恭順するしかない。上御一人にミスはないという建前になっている。

本田さんはトップではあったけれども、自分にも足らざるところもありミスもあると自覚されていたのだろう。みんなに自由に意見を言わせた。私が勝手に名付けたことだが「御一人」(ごいちにん)といってもいい。

上御一人と御一人とでは、最後の決定権者、最終的な責任を取るという点では共通するが、実は天と地の差がある

 

福島原発の事故で、時の総理や東電の社長は責任を取らなかった。全責任を負うというのが「御一人」であるとしたら、御一人ではなかった。

日本の30年間にも及ぶ経済の停滞は、残念ながら御一人が居なかったに尽きる。パラダイムシフトには御一人に俟(ま)つしかない。

民主主義か強権主義か(その4)

プーチンの余りの暴虐無道に興奮したのか、このところ立て続けにブログを書いております。

上記テーマを、何年か前の定例ミーティングで論じたのを思い出した。

以下、2015年7月22日(水)議事録よりの抜粋

 

1.日露戦争 

みんな、日本は勝った勝ったといって、有頂天になった。 満州の露軍は蹴散らされたと新聞は大々的に報道したが、その実、部分的には確かに勝ったが、日本は、兵器も弾薬も使い果して、補給しょうにも、余力がない。兵隊も、いっぱいいっぱいだった。

日本の国民はロシアに大勝を博して、狂気乱舞したけれど、ポーツマスで開かれた講和談判の結果には、失望落胆した。日露講和条約に不満の民衆が、9月5日、日比谷公園で条約反対の国民大会をひらき、終了ののちに街頭に流れ出て、暴動化したのである。

2.講師 藤原正彦 先生  演題 「日本のこれから」

 一国を運営する、リードするということは、大変なことです。したがって、圧倒的な真のエリートが日本を率いてくれないと困るのです。真のエリート、その第一条件は、教養を腹いっぱい身に付け、それに基盤を置いた大局観、長期的視野を持っていることです。第二条件は、いざとなったら国家国民のために命を捧げる気概を持っていることです。しかし、この真のエリートが日本からいなくなってしまった。

 

藤原正彦の「国家の品格」では概ね次のように著している。

 民主主義の根幹は主権在民である。それは“国民が成熟した判断ができる”ことが前提である。しかしサラエボ事件で国民が大騒ぎした結果、外交ではおさまりがつかなくなり第一次大戦を引き起こした。第二次大戦でドイツがオーストリアを併合したときは、ヒットラーの煽動にドイツ国民が乗って、国民投票では99%が支持した。日本だって昭和12年までは民主主義だったが、国民はもちろん朝日新聞をはじめとする新聞も、ほとんどが軍国主義を支持した。最近では、イラク戦争を支持したアメリカ人は開戦時に76%だった。このように、民主国家で戦争を起こすのは国民であり、世論を操るマスコミが第一権力者になる。国民は永遠に成熟しないのだ。その暴走を防ぐのは誰か。それこそが真のエリートである。エリートとは文学・哲学・歴史・芸術・科学と平生は役に立たない教養をたっぷり身につけていて、優れた大局観と総合判断力をもち、いざという時は国家・国民のために命を捨てる気概のある人を言う。官僚はエリートではなく保身の徒である。平等もフィクションである。格差の甚だしい米国をはじめどこの国にも平等はない。

3.松本サリン事件 『日本の黒い夏─冤罪』より

 

『日本の黒い夏─冤罪』は2000年の作品。監督の熊井啓は私の学校の先輩なので、先々週TVで放映された機会にこの映画を見た。

1994年、長野県松本市北深志地区で発生した松本サリン事件の第一通報者である河野義行に対する「警察の強引な任意同行」と「報道機関の誤報による過熱取材」によって、我々国民・一般大衆は河野さんを真犯人と思い込んでしまった。みんながそうだからと言って、必ずしも正しくはないという典型的な例である。

発生から7月3日までは河野さんを犯人視するような情報が氾濫。テレビのワイドショーや週刊誌が追随します。特に『週刊新潮』(7月14日付)の「毒ガス事件発生源の怪奇 家系図」という特集は「さん」付けながら河野さんの実名で「有毒ガスの発生源は河野宅だったと警察の捜査で判明」と断定。出身から今に至るまでの個人情報を詳細に報じ19世紀半ば(本文は西暦明記)生まれの先々代(同実名顔写真付)から「家系」を説き起こし「親戚の話」などでもめごとがあったかのように書いています。

急展開したのは同年11月、山梨県上九一色村にあったオウム真理教教団施設周辺でサリンの副生成物が検出されてからです。そして1995年3月20日、東京都内で死者13人、負傷者数千人という未曾有の惨事「地下鉄サリン事件」が起きます。2日後に同年2月に起こっていた仮谷清志さん監禁容疑で警視庁が上九一色村の教団施設などを一斉捜索。約1か月後に逮捕した教団幹部の1人がサリン散布の事実を認めて麻原代表やその実行犯などを取り調べたところ、認めました。松本サリン事件は別の幹部が関与を認めました。

 

みんながいいいいということが必ずしも良くはない。第一何が正しいかはっきりしていない。太っている方がいいのか痩せている方がいいのか。コレステロールはどうなのか。炭水化物は摂ったらまずいのか。諸説紛々だ。6/25の週刊文春は「昨年は、長生きしたければ肉は食うな、が大流行だったが、本当のところは肉食は必要」とトップ記事にあった。一体どっちなのだろう。安易にTVや新聞を盲信してはならない。といって誰の話も聞かない、TVや新聞を読まないということになれば、もっともっと悲惨だ。

みんなの意見を聞く。新聞やTVをみて視界を広く持つ。賛成という本と反対という本を読む。そうして自分の考えを持つというしかないのではないか。大変難しい道だが・・・

 

昔40年ほど前、イザヤベンダサン(山本七平)の「日本人とユダヤ人」という本が出た。「ユダヤ人の古い慣習では全会一致の決議は無効としている」という。全会一致ほどいいものはないと思っていた私にとって、このフレーズに接して目からうろこが落ちる思いがしたことを今でもはっきり覚えている。つまり一つも反論のないものは怪しい。何か問題があるというのだ。

同様に、会社を運営して行くというのは、一つ一つ、何らかの方針を決定してゆかなければならない。ところが、面倒なことだが、何が正しいとは誰も判らない。これまで述べてきたように、みんながいいからといっていいとは限らないからだ。結局、色々な意見が出て、議論が噴出し、最後に責任のある人が決める、というのがいいというのが世間の知恵として落ち着いているように見える。

一人の独裁者が決める共産主義よりみんなで決める民主主義の方がいいにきまっているが、国民・民衆が決めるというのは得てして間違う。矢張り、みんなの意見をよく踏まえて、責任感を持つ人に決定してもらうというのがいいような気がする。

専制者独裁者が数々の悪政を敷いてきたのは言を俟たないが、教養、大局観を持った一人(いちにん - 最もすぐれた人。第一人者)が最後に決定するというのが一番いいような気がする。幕末、官軍は西郷隆盛に、幕府側は勝海舟に一任した。この二人が列強の植民地化から救った。みんなで決めていたら「船頭多くして船山に登る」だったろう。

 

まとめると、まずは先週の議題の「ダイバーシティ(多様性)」だ。自分との異論を大切にするような心の広さ、視界の広さを持たなければならない。簡単に言えば、またまたこの「ワイワイガヤガヤ」つまりワイガヤだ。これをなくして、会社の維持はできないし、ましてや発展はないということを肝に銘じてほしい。そして最後に司々の長が責任をもって決定する。

民主主義の欠点(その3)

ロシアの暴挙について、世界中で抗議のデモが続いている。そんな中にあって、中国では、ロシアを擁護する意見の方が多数だそうである。

民主主義が多数決であるとすれば、中国ではロシア派が多数なのだ。要するに民主主義は何でもかんでもいいということにはならない。元々ヒットラーは選挙で選ばれたものだし、ロシアの先の国民投票では77.9%がプーチンに賛成したという。民主主義の欠点を我々はよく自覚しなければならないと思う。

そういえば、イギリスのウィンストン・チャーチル元首相が「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが・・・」といったそうであるが、民主主義をもっとよい方向に昇華させなければ、強権主義国家に負けてしまう。

トップ一人の独断は危険だ(その2)

宮家邦彦氏の「公開情報深読み」で、ウクライナ侵攻について、プーチンの四つの戦略的「判断ミス」があったとし、

筆者がプーチン大統領の「誤算」に注目するのは、こうした「誤算」は、プーチン氏だけでなく、今後、中国の習近平国家主席など他の政治指導者が繰り返す恐れがあると思う。

       誤算1:  ウクライナ軍・義勇兵の善戦

       誤算2:  歴史的イデオロギー的認識

       誤算3:  NATO諸国の結束

       誤算4:  情報戦の戦闘能力

 

プーチン時代の「終わりの始まり」か

 ウクライナ側は徹底抗戦する構えだが、ロシア側が非戦闘員の犠牲を覚悟で無差別攻撃すれば、キエフは陥落する可能性が高い。一方、最初の4日間で、ウクライナは悲劇の主人公となり、ゼレンスキー大統領は英雄となり、ロシアの名声は地に落ち、プーチン大統領は「悪の権化」と化した。ロシアは「得るもの」よりも「失うもの」の方が大きいだろう。

 

 同じように、木下尚江(著)「火の柱」の「二十三の一」の中で、或る将軍の言として

 

「戦争のことは上(かみ)御一人(ごいちにん)の御叡断(ごえいだん)に待つことで、民間の壮士などが彼此(かれこれ)申すは不敬極(きは)まる、何故内務大臣は之を禁じない。だから貴様等は不可(いかん)と言ふのだ、法律などに拘泥(かうでい)して大事が出来るか、俺など皆な国禁を犯して維新の大業を成したものだ、早速電話で言うて遣(や)れ、俺の命令だと云うて――輦轂(れんこく)の下をも憚(はばか)らず不埒(ふらち)な奴等だ」

と、この将軍は上御一人がきめることと信じて露ほども疑わない。プーチンとか習近平とか上御一人が決定を下すのは極めて危険なことであると思っていないから、危険なのだ。

余談ですが、木下尚江さんは、戦時中に勇敢にも戦争反対を叫んだ高校の大先輩で、「きのしたしょうこう」と尊称していました。

ウクライナ侵攻などという暴挙はどうして起こったのだろうか。(その1)

近年、「民主主義国家が衰退、権威主義国家の躍進」などという記事が目に付くようになった。たとえば、2020年の国連人権理事会では、中国の香港国家安全維持法について、「中国に反対」としたのが日本や欧州などの27カ国だったのに対し、「賛成」は何と53カ国にもなったという。賛成の多くが権威主義的な国だったり、中国から巨額の支援を受けている途上国だったという。

独裁国家は、一人で決めるのだから、即断即決だし、施政者にとって意のままになるのだから、権威主義の中国の方が、人気が高くなるのは否めない。

しかし、民主主義は、遅いとか優柔不断などの面があるかもしれないが、この度のようなウクライナ侵攻などという暴挙は起こらない。なぜならみんなで決めるのだから革新的なことはできなくとも、常識的な線に落ち着くのではないだろうか。

我社の場合は、はばかりながら、独裁の欠点を除去すべくこんな風に決めている。

「SOCはTV会議といって、立派な大きな会社では常務会とか言っているようですが、新しいことはTV会議の7人の合議制で決めます。提案は担当の責任者からなされますが、結論はみんなの衆議によって決まります。そして、単に決めるだけではなく、その決め事に7人全員が責任を負うことになっております。そのため、7人全員が結構真剣に、何しろ自分にも責任がありますから、「あのシマはオレには関係がない」などと言っておれません。垣根をなくしたバリアフリーで、自由な立場で、侃々諤々丁々発止意見を言い合います。社長がいれば皆が何かと気を使いますので、社長はおりません。最近はダイバーシティとか多様性と格好よくいっているようですが、そうすればおのずと、不自然、不合理なこと、ムリなことは排除されて、納入業者や従業員などステークホルダーのみなさんに、迷惑のかからないような自然と正しい結論になるという会社の知恵なのです。月1回の頻度ですがもう長いことやっております」。(月2回のミーティング議事録より)

 

こんな風に、ロシアもプーチンを外してみんなで決めれば、ウクライナ侵攻などという暴挙は起こらなったのではないだろうか。

日本の大赤字、土光さんのような人は現れないか。

長いことブログを休んでおりましたが、「過去最大の一般会計予算」となると知って黙っていられなくなりました。

実は12/7(火)NHK特集で、1982年の再放送があった。30年ぶりに懐かしく敬意をもって見させていただいた。第二臨調会長として奮闘する土光さんの姿である。「国の借金、国債発行残高は82兆円。国家の財政は今破綻の危機に瀕(ひん)している」という書き出しから始まっている。

下の図は、日経の記事に当時の数値を書き込ませてもらったものである。1981年当時の日本のGDPは274兆円であるから、まだGDPの30%程度である。それでも85歳の土光さんは、国の行く末を憂えて、老骨を鞭(むち)打って、強力な反対にあいながらも、本田宗一郎井深大さんの応援を得たりして何とか成し遂げた。

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しかし、今やその政府債務残高は21年度末、初めて1000兆円を突破する見通しとなり国内総生産GDPで266%と米国のほぼ2倍に達する(日経20.12.25より)。これは、土光さんの頃の9倍にもなるという飛んでもないことになっている。土光さんが心配していた頃が30%であったことを思う時、将来を安心している気にはどうしてもなれない。

日米開戦でも、最初は政府やマスコミが国民を煽(あお)りに煽ったが、すっかりその気になってしまった国民を今度は政府が抑えきれなくなって、ついに真珠湾攻撃の火ぶたが切られてしまった。今は、国民の「(金を)出せ!出せ!」の一点張りで、大多数の一般国民に受けのいいポピュリズムしか頭にない政府は、その声に押されるばかりで、これまで日本は借金に借金を重ねたが、一向に成長戦略とは程遠く、今日の停滞になっている。その上まだその延長線上で、来期も新規の国債を37兆円も重ねようというのだから、今後どのようになってゆくのだろうか。