国語教科書

よく趣味に、「読書」と記す人々がいるものだ。
漠然としてとらえどころのないものだ。
図書館などで、ラウンジみたいなところに、
姿勢を楽にして、新聞、雑誌、その他などを
読み漁っていることをさすのだろうか。
僕は、てっとりばやく、
学校の教科書をよむことがある。

高校国語教科書に、
哲学者の野矢茂樹さんの文章が掲載されていた。

人類は色々な真実を解明しているが、
それはあくまで人間の頭脳にしか認識さえ得ないもので、
人間とはまったく違った生き物が存在すれば、
真実はまたちがったものとして表現されていくものであろう、といった趣旨のものであった。
それをいかにも哲学風に、簡潔に述べている。

野矢さんとは、
一度だけ食事したことがあるように思える。
JR水道橋駅
すなわち、東京大学に近いところに、
学習塾の講師として野矢さんは、やってきたことがある。
当時、野矢さんは、
東京大学大学院生だと
紹介された。
20名ほどの生徒をやっと教えられる狭い教室で、
野矢さんと肩をならべて、
数学の質問にやってくる中学生の生徒たちの相手をした。

そうして、
値段の割に大盛のカレーの店があるので、
一緒に飯をたべませんか、と言ったら、
応じてくれたのだった。

野矢さんと僕とは同じ年齢なので、
たぶん、いっしょにさせてくれたのかもしれない。
それが、日本を代表する、若き日の哲学者だったとは・・。

私は学生時代、まじめな学生ではなかった
大学の教室でまどろみながら、
ききかじった、
三角形の内角の和が180はなぜか、という説明に対しての
コメントをじつに
わかりやすく説明してもらったのを覚えている。

野矢さんの印象は、どこか、
写真でみたピカソのような老成した感じもした。

国立大学において、
大学からは、意味不明な学問を削り取ろう、
予算を組んでまで、やるほどのことはない、と、
どこか、
文系は消滅の危機があるのだそうだ・・。

ここでは敢えて述べないが、

わずかな期間における出会いでしかなかったのに、
いくつかの、忘れられない、
名言を残してくれた。

野矢さんは、
私とのいくつかのやりとりのなかで、
頭脳に浮かんだことを
率直に的確に述べただけなのかもしれないが、
それは忘れえぬものなのであった。