『欧米独断』 第一北米篇(半月湾の掘出物)

来て見れば聞きしに劣る富士の山釈迦や孔子も斯くぞあるらん
とは長藩の大政治家村田清風の詠歌なり。
彼は斯く観じて改革の大業を遂げたり。予は江湖の援助に因りて遠遊を敢てす。耳を鬼にし、眼を隼にして所得を庶幾ふ。
而も如何に金門(ゴールデンゲート)公園の大を以てするも、我が奈良に及ばず、樫原(オークランド)の蹴鞠場を誇るとも明治神宮神苑競技場の多種なるに若くべくもあらず、自動車を屣履と心得道路を坦々砥の如くに造れるとが姑く企及し難き所なるべし。正義人道の尊ぶべきを口にして之を実行するもの亦多かるべしと雖、所謂弗外交に横暴を包まず、異人に對して壓抑を加ふるが如き、奢る平氏の久しきを願ふものは外にしてあらず、内も亦顰蹙(ひんしゅく)を禁ぜずざろもの多しと聞く。梅霖不快の天候と雖蓑笠を着、農民の稼穡に暇なきが如く、職業に努め将来の大成を期するもの即ち是れ吾が同胞出稼者なりとす。予は米国上陸後僅かに三日にして我吉田町出身者中に稀有か勿怪か、故郷にも疾く忘れられたる、典型的植民材能の所有者を掘出せり。良書を鴻雁に託するか、將た伝書鳩に寄せしむか、永く逡巡を許さざるなり。