吉田三傑「村井保固傳」を読む 28

村井から見た森村組発展の五期
後年村井は、森村組発展の跡を辿って5期に分けてみた。
第1期…創業より明治28年日清戦争に至る、小売りより卸売りに転じ発展の第一歩を踏み出した。
第2期…明治28年より日露戦争を経て、明治41年頃に及ぶ期間、絵付工場を統一し日本陶器会社を創立した。
第3期…明治41年より大正3年に至る短い期間であったが、白生地と飲食器の製作に於いて最後の完成をみた。日清日露の戦争は対米貿易を増進せしめた。明治44年に第8,9,10、11号窯を新設して技能を練り内部を堅めた。
第4期…大正3年欧州大戦の勃発を契機に世界的需給関係に大変動を生じ、日本の対外貿易は未曽有の発展を見た。日陶工場でも大正4年に第12号、13号、同5年に14号より22号まで、同6年に23号より28号に至る多数の窯を新設し大量の注文を消化し非常な繁栄の波に乗った。
日本陶器会社は、正に「時」を得て大発展した。大倉和親や江副技師、山田技術員の渡欧は第一次世界大戦の直前であったからこそ実行された。米国における高級陶磁器の競争相手の独逸、仏蘭西両国は戦争の為、政策も出来なければ対米輸出も一切断絶された所へ日本から優秀な製品が輸入された。戦時戦後の米国市場は日本陶器会社の製品で全然独占した姿である。
第5期…昭和に入って日陶の改革をなし装飾物即ちファンシーグッズの衰微にも拘らず、森村組は飲食器というデインナセットの長久性陶磁器を大量に生産する一方、トンネル窯を新設して一層業績を高めた。
これが村井の所謂森村組発展の経路で一期は一期より順次進むあって未だ曾て退いたためしないと云う珍しい事業界稀有のレコードである。
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村井は「人間に死はない」とよく云って居った。「宇宙の森羅万象の変動する中にーつ不思議な力がある。人間の力が加はらないと山河も荒廃する。電力が樣々の働きをするやうになるのも人の力である。宇宙に存在する建設的の力これを名づけて人と云う。
或は力そのものが人である。人間の形體は此力の假寓所と見て宜しい。人は誰でも働いた効果が残って行く。それで人間は永久に死と云ふことない。


(その後のニューヨーク森村店と一部の店員)