吾輩は主婦である:第35話「いつう」

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  • みのりとみどりが一緒にいるところをみたときのたかしの顔がさいていでいいなあ。ガムシロで気付くみどりとみのりの入れ替わり。昔のドラマぽいね。「元のみどりちゃんに戻らなくても君が好きだ」て…漱石のままでたかしに泣きつくのは何かこう、何度も言いますけど、倒錯的で面白い。
  • CM 明けにいきなり救急車。えー? みどりの病状を心配して漱石の死に方を調べる小松…何かもう、みどりが漱石だっていうことがすごくナチュラルに浸透してて意味が分からない。はは。
  • 漱石が帰ってきたとき、お向かいのやすこのクリーニング屋、「トレーニングフェア」ってのぼりが見えた…。何をするフェアだというのか? 胃潰瘍にナーバスになる漱石…あー、そうか、昔は胃潰瘍ってもっと重い病気だったから?
  • 「先生一人の身体じゃないんですから」って…夜せんせえ…というか朝野ー、何でそんなに言動がフェミニンなんでしょうか! 新連載のための打ち合わせで、しきりに「ストレイシープ」を連呼している手前の編集者がちょう気になる。迷える子羊?
  • 胃潰瘍がすぐに治るってのが信じられないんだなあ、漱石は。分かるけど。同行してる朝野が教えてあげればいいのに、と思ったけど、まあ、それでも漱石は信じないんだろうなあ。
  • 金に困って人妻ヘルス…しかもデリヘル。頭がおかしい…! というか、「金があればみどりが戻ってくる」って考えるその発端て、「せめて最後はみどりの状態で死なせてやりたい」ということなのかな。チェンジて。昼ドラって結構子供と一緒に見る人も多いらしいじゃないですか。大丈夫なのかしら*1
  • 何かこのドラマでは、全体的にこの「A と思い込む → それをどうにかするために B せねばと思う → A が誤解だったと判明 → しかし B せねばという状況だけが残ってバタバタが続く」という、手段だったものが目的に変わっちゃってるシーンがすごく多い。30分1話で話を転がすためには、漱石を暴走させるためのきっかけが無限に必要ってことなんだろうけど、このやり方に感じる無理がそろそろ嵩んできたかも。
  • しかし、咄嗟に思い出す、漱石の「内輪」が随分と拡がっているのが何だか微笑ましいなあと思うのです。緩いファミリー感覚というか…そういう、「懐の内」に何となくいる人たち、という感覚がすごく好きだ。
  • お別れ会の看板、「みどりちゃん(吾輩)」って。漱石の様子を見に席を立つときのたかし、いやさミッチーの姿勢が美しすぎて不自然なのに笑った。なんだろうかこれは。
  • 予告でまゆみと朝野が手え繋いでたのがすごい気になる! 何でこんなに気になるんだろう…朝野が好きなのかしらもしかして? つか五十嵐きゅんの立場は?

*1:とか書きつつ、別に昼ドラだからってシモネタを禁じなきゃいけないとは微塵も思ってないんだけども。