デヴィッド・リンチとセザンヌと荒川修作

結局おきたら19時すぎだったので映画見てた。

別にハートつながりとかじゃないんだからねっ!!
11月に行なわれた保坂和志×古谷利裕対談の内容が面白かったので、見てみた。これは面白い。偽日記(11/3)の「真に受ける」という話。

例えば、凄いピッチャーでも、シーズンオフの気を抜いた時にはシーズン中のようなボールは投げられない。同様に、アラカワにしても、生活しているすべての時間で「死なない」ことを信じられる状態にあるわけではないと思う。しかし、ある瞬間には本気で「死なない」ということを信じることが出来ている。「死なない」というのは、その時の脳や身体の状態全体を意味している。だとしたら、それを信じることが出来ている時のアラカワの身体の状態を、自身の身体として一時でも再現するということが、アラカワの作品を理解するということになる。そのような理解は外側からの解説では不可能で、その人の言う言葉を字義通りにいちいち本気で「真に受ける」必要がある。それによってはじめて、言葉が隠喩という機能を超える。

ふつう・・・かどうかわからないけど、「死なない」って言ってることに付き合うほうが、「死なない」ってネタとか「あえて」言ってることに付き合うのより面倒くさいって思うと思うんだけど、僕の場合は逆なんですよね。細かい話だけど、「面白さ」よりも「すごさ」に魅かれる。それは「わからないこと」に魅かれるってことでもあるんだけど。