Dream Fighterと「願い」

Perfumeは「最高を”求めて”」いるのかな?
ずっとこの言葉の意味に抗えなくて、聴き込もうにもいつも途中で停止ボタンを押してしまう。あ〜ちゃんがどこかで言っていたように(忘れた)、元気でエネルギーに満ち溢れているときに聞けば、また印象も変わるのだろうか。たぶんもう語り尽くされているんだろうけど、この曲では「最高を求めて 終わりのない旅」をしていない者は、「僕ら」の集合体からあっさりと弾かれてしまう。残酷な詞だと思う。

前作「love the world」では、「一番星」を「さがす」ために必要だったのは、「すこしの意地」と「キミ」だけでよくて、それだけで「見える世界がきらめくわ」って、だから「愛そうぜ世界!」って励まされていたのに較べると、「最高」を求めなければ肯定されもしなくなった今作は、なんかずいぶんハードル上がりすぎじゃね?「マカロニ」の蜜月な世界なんてもう遥か古のかなたじゃねーか!

中田ヤスタカが「ファンとしての”僕ら”」と「Perfumeとしての”僕ら”」をメタに含み込んで、先回りし見透かしたように「僕ら」と書いた居心地の悪さを、百歩譲って受け入れるにしても、究極的には「求めて」っていうこの一点の言葉が、ぼくにはどうしても受け入れられない。好きな人には申し訳ないけど、「Dream Fighter」は、僕が初めてPerfumeの曲のなかで「嫌い」だと思った曲です。

唐突だけど、「たのしんで 努力の後には シアワセが」って言うあ〜ちゃんがすごく好きだ。この言葉は、「シアワセ」を「求めて」なんかないよね?そうじゃなくて、「おまじない」のように手の甲に書かれたこの言葉で、あ〜ちゃんは努力の後にシアワセがくることを「願って」いる。「求める」ことが「手に入れること」「戻ってくる」運動を織り込んでいるのとは違って、「願う」ことには、届くかどうかわからない手紙を「届く」と「信じて」投函するときのような、世界の側へ勇気をもってちょっと踏み出して戯れるような「ささやかさ」がある。

Perfumeには「願い」をかけていたい。もちろんそんな僕の「願い」だって、「そんなのただの幻想だよ!パフューム物語じゃねーか!」って無限に相対化されることはわかっているけれど、誰かを好きだって言えるのは、大小あれ症候としての幻想をもっているからよね。

シェンロンにお願い事があるとしたら、Perfumeの3人がいつまでも「願い」つづけていられますようにって言いたいな。いやさすがにちょっとカッコつけすぎだと思うけど、そんな3人の「願う」姿を見て、ささやかな「願い」をいつまでも3人にかけていたい。なんかそれだけで励まされるから。

「最高を求め」られる存在となりつつあるいまの彼女たちには、そんな悠長を言ってられないような期待と重圧が、すでにかけられてしまっているのかもしれないよね。なんかもっとささやかでいいんだけどな。とりあえず大いなるささやかさをもって、あ〜ちゃんに伝えたい。「たのしんで!」



アミューズ|Perfume REPORT BLOG|m(_ _ )m - 2007-4-17

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