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ためらいドライブ このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2017-07-24

書きたいけれど書けないものと、書かなきゃけないのに書けないものと、書かなくてもいいのに書くことにしてしまった、にもかかわらず書けないもの、があって、結局なんにも書けないでいる。毎日毎日タイピングをしまくっているのに、なんていう。


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今年に入ってから自分の生活では全く触れ合わなかった世界を興味本位からのぞいていて、のぞいているうちに案外楽しくなって、フィールドワーク気分で数か月様子を見るつもりがだらだらと半年以上が経った。自分のセクシャリティを一切話すことなく、ファンタジーと創作活動に明け暮れる女性たち。それをファンタジーだとか愛だとかの言葉で呼ぶのはあまりに安直だけど、ぼんやりと、彼女たちの「決して現実化されない世界」の熱量を眺めている。世界には思っている以上にいろんな人が、ものすごい数で、生きているんだと当たり前のことに感動する。それぞれが一つの身体にいくとおりもの顔を持つなら、世界はいくらだって平行線を描き続けるだろう。女性のつくる虚構の世界はいつだって生々しいほど自傷的な痛みがあって、その中で純粋に愛をうたうバランス感覚を知りたくてずっと見ている。

2017-05-01

事故で突然従兄弟を亡くした、

という悲しい話を突然始めてしまう。


好き嫌いとは別に単に頻度とタイプの問題から、私たちはあまり親密な間柄ではなかった。従兄弟の彼は喋り方やコミュニケーションに癖があって、あまり会話をした記憶がない。むかし、中学に上がってわかりやすいおしゃれやちょっとしたメイクをした私を見て、一歳違いの彼は「SPEEDかと思ったよ」と言った。私はそれを褒め言葉として受け取って、30年間でちゃんと覚えているやり取りはそれくらい。3ヶ月前に祖母の葬儀で数年ぶりに会った時も、とくに会話らしい会話はしなかった。あの時の彼は黒の仰々しいロングコートを着ていて、こういう服はどこで買うんだろうと思った。

そういえばこの人はどこで働いて、どこで遊んで、何をしているのだろう。

会社員をしているということ以外、私はそんなことも知らなかった。

コミュニケーションの癖、と書いたのは、偏見を承知で言えばそれは典型的な「オタク」に見られるそれで、“普通”の、“いわゆる”な「社会のノリ」からは、スムーズに受け入れられるものではなかったと思う。20代後半は仕事にもめぐまれず、親子関係も危ういものだったらしい。そして実際彼には、叔父が言うところの「理解できない趣味」があった。

オタクだったのだ。あるジャンルにおいて、深く、長く。

パスワードのかかっていないガラケーから奇跡的に連絡の取れた彼の友人は、幸いにもその趣味つながりの人だった。訃報は仲間たちにあっという間に広がって、家族がぎょっとするほどの人数が通夜に訪れた。誰も予想していないことだった。彼が集めていたものの類をすべて処分しようとしていた遺族に、「適切なやり方があるから後日連絡します」と彼らは伝えた。故人の愛したものをもっとも理解しているのは、家族が知らない、理解できない、交わることのない世界の人たちだった。


「趣味を一緒に楽しんでくれて――」

叔父は途中で、挨拶の言葉を言い直した。

「一緒に生きてくれて、ありがとうございます」


私たちはいくつものレイヤーを持っている。それぞれのレイヤーが重なり合っては透過度を変え、何層もの人生によって描かれたひとつの個として日々を歩む。そして時々考える。どれが本当の自分なのだろう。メインの自分は、サブの自分は、あるいは――。だけど「本当の自分」なんていうのは、重なり合いの中にしか存在しない。他人の見ている自分もまた、ひとつの、あるいはいくつかのレイヤーだけなのだ。

それぞれのレイヤーを、私たちはたしかに生きている。その層の存在が、厚みが、そして彩度が、ときに私たちの救いになる。たとえそれが、こんなことでも起こらない限り、互いに姿を確かめられないものだとしても。


限りない、それぞれの、決して消えない人生の層。

2017-04-05

愛を持て余している。あるいは愛ではないかもしれない。バカみたいなフレーズだと思う。


博愛主義でいたいんでしょう、

とあの人は言った。そうかもしれないし、少し違うような気もするけれど、私は世界のすべてを愛したくて、だけどそれができないこともとっくにわかっている。心も器も追いつかないのだ。

3か月くらいそれを考えたあとで、ふと、私が愛せないのは愛されていないからかもしれないという考えが浮かんだ。思考はそこでストップする。

博愛主義なんてどこへでも行ってしまえばいい。



身動きが取れない忙しさで、

と方々に嘘をついて、私は今とても暇だ。だけど時間は持て余さない。

過ぎていく時間を追いかける気もなくなった。

安っぽいセンチメンタリズムのすき間で

私は大量の商品コピーを書き殴る。

あるいはカタログのヘッドライン。

あるいはブランドの宣伝文句

あるいは学者のインタビュー。

あるいは大学のカリキュラム紹介。

あるいは、あるいは。


今ここで、一つの決心と行動を起こしたら、

何年か後に私はその選択をどう位置づけるだろう。

そしてこの先数年後、私は今のこの時間を、

なんの時代だと名付けるだろう。


喉の奥に違和感がある。乾いている。

春風邪は引きたくない。

2017-03-31

寒さが戻った。寒いだけなら平気。だけど風があるのはだめだ。風がなければ、寒さなんて耐えられる。雨に濡れるのだってどうってことない。

かなしいのは大丈夫、ストレスがなければ、という文章を読んだ。だいたい同じことだと思う。

246の駒沢から池尻あたりを走っていると、あ、死ぬな、と思う。死にたくない私は、速度を弱めて脇道へ入る。身体を壊して過去に2回救急車で運ばれたときは、べつに死ぬなんて思わなかった。自転車に乗るとき、工事現場を通りかかるとき、駅の階段を下りる時、浴室でシャワーを浴びる時、だけど私はいつも死を思う。生にしがみついている。安心する。

2016-10-10

昔読んだ記事の話。

日本人である著者がフランスのキャッフェで超無愛想な店員にオーダーしたところ、何度「○○をください」と言ってもむすっとした顔で返事をしない。イラッとしながら何度かオーダーを繰り返したら店員から一言、「何か忘れてない?」。最初の「Boujour」を忘れていたのだ。曰く、国境をめぐる争いが絶えなかった国では、初対面の相手にまず挨拶をすることで「私は敵じゃないよ」という意思表示をしていたのでは、と。

そのいわれが本当かどうかはさておき、「私は敵じゃない」という意思表示、というのがとても気に入ったのでこの記事は印象的だった。私はフランスは昔一度行ったきりなのであまり覚えていないけど、イギリスでもアメリカでもお店に入る時は確かに欠かさず挨拶をする。それに気付いてから自分も意識的に挨拶を忘れないようにしているし、この記事を読んだ後はその度に「敵じゃないよ〜」の気持ちでいるので、きっと自然に笑顔になっているだろう。

で、この「私は敵じゃない」というフレーズを、最近またよく思い出している。

なんで人はそうも、敵をつくりたがるのだろうかと思うのだ。仕事をしていても、誰かの話を聞いていても。敵がいると戦わなくちゃいけない。意思表示のひとつでその労力を回避できるなら、私はいくらでも笑顔をつくれる。だって本当に、私は誰の敵でもないのだ。相手がどう思っているかは知らないけど。あと味方であるかどうかもわからないけど。

敵を意識するようになると、人を自分の敵か味方かという視点でジャッジするようになる。これは多分無意識のものだけど、そういう目で見ているなこの人は、というのがわかるときがある。無意識的なものだから、もしかすると私もそういうことがあるのだろうか。一方的に敵視してくる人、とういうのに出会うこともあるかもしれない。私はあんまり経験がないからわからないけど、別に敵になりたくないなら距離をとればいいと思う。敵か味方か、の二つで考えるから苦しい。敵でも味方でもないよ、というフラットな関係がいい。それでどんな不都合があるのだろう。まあでも、戦う意義がある時はたくさんあるだろうから、それをすべて避けていきたいわけではないけど。



お店の挨拶と言えば、カフェで「ホット。」しか言わなかったり、コンビニで「32番。」と煙草の番号だけ告げるとか、(そういう人は大抵お金もぽーんとおいて何も言わず帰って行く。)そんな昭和の父的振る舞いは町中で見かけはするけどまああんまり知り合いにはいないよなーと思っていたら、いた。代理店のクライアントがそうだった。自分のお客さんに丁寧に接しているうちに誰に対しても腰の低い謙虚な態度になる人と、その逆で相手を社会的ステータスで判断して明らかに見下すようになる人とがいるけど、思いっきり後者でちょっとぎょっとした。それでも私や外注スタッフに対してはとても丁寧で感じよく振る舞ってくれるけど、ここの仕事は減らしたほうがいいなと思った瞬間だった。

2016-09-23

今一緒に仕事をしている少し歳上の女性は、まだ数回の打ち合わせをしただけなので全然よくはわからないけど、「こんなこと言うとまた怒られますけど、」という前置きを多用する。そしてそりゃあ怒られますよねなことをすぱっと言う。どれだけ怒られてきたかはわからないけど、怒られているこの人もまた「怒れる人」だ。90年代にぎりぎり中高生をやっていた私にはわかる。90年代はみんな怒ってた。一定の私たちは、今もそれを引きずっている。

2016-09-22

台風何号だかわからなくなるくらいには台風がやってきては過ぎ去っていき、不安定な天気は東京の気温を一気に急降下させた。祝日前の昨日、打ち合わせの後に渋谷で買い物を済ませ、人ごみを避けて路地を歩いているとき私はこの気候が好きだと思った。ひんやりしていて、降ってるかどうかわからない程度の小雨があたって、空は灰色。人と歩くには嫌な天気だけど、一人で歩くにはとてもいい。「ここにいない」ような気分になるのは、これがロンドンの天気に似ているせいかもしれない。街とはちがうレイヤーの中を、自分だけ歩いているような、変なパラレル感。あるいはそんなのただのセンチメンタリズムである。

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今住んでいる部屋は望まない引っ越しだったため全然気に入っていなくて、更新せずに引っ越しだな、この先まだまだ長いな、と思っていたのにあっという間に1年10ヶ月目に突入し、まじかよと思いながら今月は部屋探しをしていた。町を変えたくないので近所の物件、家賃はできれば下げたい、あとはどうしたって今よりはよくなるだろうと探せば物件が見つかるは見つかったんだけどとにかく古い。本当に古い。内装はリフォームされていて抜け感も十分でもう3回も内見に行ったのだけど夫が「死ぬって思う」って言うくらい古い。入居者も住居は半分くらいであとはデザイン事務所とか雑貨作ってる会社とか、1・2階はショップ。住居として使っていない人が多いとなんだか無神経に使われそうな気がしてしまい、それも悩む。でも眺望はずば抜けてる。

これが10年も前であれば悩むこともなにもなかっただろう。人生は年を取るからいけない。年を取るのはやっぱりどうしたって恐怖だ。年を重ねるたのしみ?歓び?知らんよ。私は今、大学1年くらいに戻って折り合いゼロのどうしよもない恋愛でもしながら未来と言うには近すぎる将来のことで激しく悩んだり希望を見出したりしたいのだよ。ああばかばかしい。私のあの頃はあんなに絶望的だったというのに。


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