バサーエフとは誰だったのか −チェチェン市民の声−

「確かにバサーエフは人質を取ったこともありました。けれど、ロシア軍も同じことをしてきたのではないですか?・・・今、バサーエフを非難したり賞賛したところで意味はありません。彼にとっては、こうした方法でロシアに対して戦いを続ける以外に選択肢はなかったのですから。ロシアは、まさに自らの行為によって、彼のような人物に過激な手段を取ることを強制したのです。(訳注:バサーエフに対する評価は)いずれ歴史が教えてくれるでしょう・・・」(グローズヌイ中学校教員 マンスール・イドリソフ)

イスラム過激派のテロリスト・・・民族の英雄・・・。まったく相反する二つの象徴を背負ってきたシャミーリ・バサーエフという人物は、チェチェン市民によってどう評価されているのだろうか?7月13日付のプラハ・ウォッチドッグの記事によれば、彼に対する市民の評価もまた、肯定と否定を二分するものであるという。


だが、回答者の実名と職業、年齢が明記された同紙のインタビューでバサーエフへの評価が二分されたという事実は、実際にはバサーエフに対する市民の評価がより高いことを示唆している。例えば、公職にあるタウス・アルテミロフ(35歳)は、「これで銃撃や襲撃、爆発が劇的に減るでしょう。個人的には彼の死を歓迎しています・・・」と語っている。けれども、彼が仮に逆の発言をしていたなら、記事の日付の翌日は、彼の失業ないし失踪記念日になっていなかっただろうか。同様に、グローズヌイ中学校の教員であるマリーカ・ハムザラトバ(30歳)は、「山岳部にいるゲリラたちは・・・投降して、ラムザン・カディーロフが平和なチェチェンを建設するのに協力するべきでした」と述べる。

ラムザン・カディーロフが「平和なチェチェン」を建設しているというのは、金正日が「自由な北朝鮮」を建設しているというのと同じくらいセンスのない冗談だと思うが、たとえチェチェンの市街地をロシア軍戦車が行き交っているとしても、それを「平和」へのプロセスとして受け入れない人間はチェチェン親ロシア政権によって「テロリスト」化されかねない。チェチェンにおける報道の自由は、まずロシアによるメディア統制によって、次にチェチェン市民への直接的・間接的暴力によって、圧砕されてしまっている。

とはいえ、公職にありながら、現政権を痛烈に批判する者もいる。その一人が、警察官のスプヤン・アブドゥルカディーロフ(34歳)だ。
「人として他者の死を悼むのが当然であるように、私もバサーエフの死を悼みます・・・彼が逮捕され、裁判にかけられていた方がよかったのは当然ですが、当局は彼を生かしておきたくなかったでしょう。というのは、彼が法廷に立っていたとすれば、彼に北コーカサス戦争を始めることを許可したのが誰なのか、彼のテロリスト行為に手を貸し、彼に武器を売っていた警察官や法執行当局者が誰なのか、というおびただしい事柄が明るみに出てしまったからです・・・」

失業中のアンゾル・ガラーエフ(22歳)は、「チェチェンには平和主義者が生まれる余地はありません。ロシアがすぐに平和主義者を消してしまうのですから」と言い、バサーエフを「真の戦士」と称えている。あるミニバスの運転手(推定20歳)は、「私は自分では戦いに参加することもできないような臆病者ですが、ゲリラたちのことを尊敬しています。多くのチェチェン人も同じように考えているでしょう」と打ち明けた。「私はつねに、バサーエフの存在によってロシアがいつかチェチェン戦争をやめてくれるだろうと思っていました・・・彼らは、故国を守っている者を盗賊と呼び、信念のために戦っている者を狂信者と呼ぶのです」というのは、失業中のリスハン・アジーモフ。

インタビュー中、もっとも印象的な発言をしているのが、冒頭に紹介したグローズヌイ中学校教員のマンスール・イドリソフ(50歳)である。
「あらゆる政治的・軍事的指導者の評価というものは、100年も経てばわかるでしょう。バサーエフが行ってきたことに関する評価も、やはり時の試練を待たなくてはなりません。確かにバサーエフは人質を取ったこともありました。けれど、ロシア軍も同じことをしてきたのではないですか?彼らがグローズヌイのオクチャブルスキー地区の警察署で行っていたこと*1は何なのですか?今、バサーエフを非難したり賞賛したところで意味はありません。彼にとっては、こうした方法でロシアに対して戦いを続ける以外に選択肢はなかったのですから。ロシアは、まさに自らの行為によって、彼のような人物に過激な手段を取ることを強制したのです。(訳注:バサーエフに対する評価は)いずれ歴史が教えてくれるでしょう・・・」

シャミーリ・バサーエフを一人の血の通った人間として見ようとするのなら、彼にとっては、イスラム過激派のテロリストという評価も、民族の英雄という評価も、どちらも虚像だったのかもしれない。たとえ、彼自身がその虚像を最大限に利用することで、今後のチェチェン戦争のシナリオを思い描いていたのだとしても。100年後に歴史が彼をどのように評価するのか?それは、これから先、私たちがチェチェン戦争にどのように関わっていくかに懸かっているのかもしれない。

*1:2004年1月、オクチャブルスキー地区警察署が2名のグローズヌイ市民を不当に拘禁・拷問した事件。