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November 05(Sun), 2006

[]国境なき記者団によるノーヴァヤ・ガゼータ副編集長へのインタビュー


ノーヴァヤ・ガゼータ副編集長ヴィタリ・ヤロシェフスキー、アンナ・ポリトコフスカヤについて語る:

「最後の希望としてのアンナ・ポリトコフスカヤ」

ロシア 2006年10月31日

http://www.rsf.org/article.php3?id_article=19517


―調査に進展はありますか?

「調査中なので何とも言えません」

―警察には協力していらっしゃるのですか?

「ええ、記者たちも警察に協力しています。皮肉なことに過去にもこうした経験がありましたからね。彼女を失う前に、私たちは、イゴール・ドムニコフとユーリ・シェコチヒンの2人を失っていますから。イゴール・ドムニコフを殺した犯人が見つかったのは、私たちが捜査に協力したからです」

―アンナ・ポリトコフスカヤはこれまでにも命を狙われていましたよね。彼女は脅迫されていたのでしょうか?

「何度も狙われてきましたし、幾度も脅迫を受けてきました。最初に命を狙われたのは、チェチェンで作戦を行っていた[東シベリアの都市]ハンティ・マンシスクの[特殊部隊]オモンについて、一連の記事を書いた後でした。オモンの軍人たちがチェチェン人男性を誘拐して拷問したことについて書いたのです。その記事はノーヴァヤ・ガゼータに掲載されました。その後、関係者の一人であるラピンと呼ばれる将校―チェチェンでの彼のあだ名は『人身売買斡旋業者』というものでした―が、彼女を殺すと脅すようになったのです。彼女はなんとか無事でいてくれました。私たちは、彼女に海外に身を隠すよう勧め、彼女もしばらくの間ウィーンにいたのです。この『人身売買斡旋業者』は、11年の禁固刑を受けました。ですが、どうせその後で恩赦を受けて解放されたのではないかと思います」

「2004年にもアンナは再び殺されかけました。ベスラン学校占拠事件のときですね。彼女は、事件が起こっている間に、急いで飛行機で現場に飛び立ったのです。自分なら破局を食い止められるのではないかと考えて。ですが、モスクワからロストフ[直行便がないためロストフを経由しなければならなかった]での機中で、何者かが彼女に毒を盛ったのです。医師たちが必死で彼女を生還させてくれました」

―彼女の殺害は特定の記事によるものだと思われますか?

「彼女のジャーナリストとしての業績、そして彼女が公的に行ってきた活動のためだと思います。彼女が殺された後、私たちは彼女の記事を再掲載したのですが、[彼女が初めてノーヴァヤ・ガゼータに記事を掲載した]1999年から数えて彼女が511もの記事を書いてきたことをあらためて確認しました。その大半は、重大な問題に関するものでした。それによって、権力を持つ危険な人物の利権に抵触してしまったのです。彼女は一般化という方法で犯罪を婉曲に扱うことをせず、具体的な人物の名前や、場所、特徴といったものまで報道してきましたから」

―彼女の公的な活動とはどういったものだったのですか?

「彼女はロシア人権活動家連盟や海外に認められた人権活動家でした。彼女は自分の時間の多くをこの活動に割いてきたのです。ときには平日を基本的にそのために使うことさえありました。軍隊にいる息子を戦争で亡くした母親たちが、この事務所にやってきます。家族を失った父親たち、まったく無力な難民たちも、この事務所にやってきます。彼らは、まるでアンナが救済者であるかのように、彼女に会いにきていたのです。そして、彼女も彼らを助けていました。彼女が公的にしていた活動とは、そういったものです」

―あなたのノーヴァヤ・ガゼータはロシア政府に対してきわめて批判的ですね。ロシアの言論状況についてはどうお考えですか?

「もちろん非常に厳しいですね。アンナ・ポリトコフスカヤのようなジャーナリストが殺害されることは、表現の自由に対する恐ろしい侵害です。表現の自由ということに関するなら」

―ロシアには言論の自由は存在しないということですか?

「ほとんど存在しないでしょうね。ただし、ノーヴァヤ・ガゼータは存在しますし、私がこうしてあなたのご質問に答えることもできる。ですから、決して存在しないわけではない。ですが、たとえばジャーナリストたちが表現の自由を謳歌していた10年前のロシアと比べると、状況は様変わりしています。ロシアのテレビ局を見てください。テレビ局はクレムリンの直接支配下にあります。うっとうしいことですが、そういうわけなのです。政府はテレビ局を注意深く見ています。というのは、テレビがロシア世論に与える影響が、いまだに巨大だからです」

―政府が批判されないテレビ局の独占状態がある一方で、出版メディアのジャーナリストは殺されているわけですね。政府は彼らを恐れているのでしょうか?

「政府が我々を恐れているようには思えませんね。客観的に言って、私たちの声というのはたいして大きくありません。ノーヴァヤ・ガゼータの記者がテレビで扱われることなど、実質的にありえません。テレビ局は命令されているんですよ。この種のジャーナリストを扱うな、彼らの声を伝えるな、出演などとんでもない、とね。よほど特別な出来事がない限り、ある日、テレビにノーヴァヤ・ガゼータの記者が2人も出演するなどということはありません。政府が我々を恐れているかどうかはわかりませんが、私たちを監視していることは間違いありません。政府は私たちの記事を読んでいますし、私たちを見張っています。ロシアよりも市民の自由が保障されている国では、アンナが書いていたような記事が、政府の最上部での変化をもたらすことさえできるのでしょうが。ここではそんなことはありえません。ノルド・オスト、クルスク、ベスラン・・・すべてはキャラバンに向かって吠え立てる犬の声のようなものです。ロシアでは、いつもそうなのです」

―殺害事件について、政府と市民社会の反応はいかがでしたか?

「ロシアにはつねに二つの社会があります。ひとつはアンナの葬儀に参列した人々の社会。私たちのところには、ロシア全土から哀悼のメッセージが届けられました。ジャーナリストの支援者からメッセージが寄せられたことは言うまでもありません。同僚や私のところには、ここ2週間いつも電話がかかってきます。コメントなどを求められるのですが。葬儀には、ロシアのテレビ局がすべて取材にやってきました。しかし、同時に、ジャーナリストたちは政府からの庇護を受けられることもありませんし、国民の大半は無関心なのです」

―彼らの無関心さに驚かれましたか?

「ロシアには市民社会などありません。ご存知でしょう?ロシアには同情心や団結心はないのです。チェチェン戦争は1994年から続いていますが、本当に大きなデモが起こったことなど一度も思い出せません。ベスラン事件の後で、人々が事件について語っている、そんな状況を思い出すこともできません。赤の広場で私たちが集会を主催したときも、ようやく200人が集まったという状況でした。私もその場にいました。すると、こんな会話が聞こえてきたのです。『参加しないと給料を下げるって言われたから来たんだよね』『私は参加したら休暇が3日延長されるって言われたね』。300名もの人々―しかもその半数が子どもたち―が殺されたことなど、もう誰も覚えていないかのようでした。ローマでは、こうした抗議集会に何十万人もの人々が集まったというのに。彼らは子どもたちと一緒にキャンドルを掲げて集まったのです・・・。ローマがどこにあり、ベスランがどこにあるかは、ご存知でしょう?イタリアとロシアは、いったいどこにあるのですか?ロシアではこの手の無反応さがあまりにも顕著なのです」

―アンナ・ポリトコフスカヤ殺害事件は解決すると思いますか?

「私たちには過去にも刑事事件の調査に関わった経験があります。イゴール・ドムニコフの殺害犯は特定されました。この事件も政治的殺害でした。彼は閣僚の腐敗について書いていたのです。今回の殺害事件が政治的な背景を持つことも疑いありません。私たちは、彼女の殺害犯とそれを命じた人間を見つけ出し、裁判にかけるためになら、できることは何でもします。ノーヴァヤ・ガゼータの株主は、アンナ・ポリトコフスカヤの殺害の煽動や計画につながる情報を求めて2400万ルーブルの賞金を掛けました。これによって手がかりが見つかるのではないかと思っています。希望を失うつもりはありません。アンナは調査報道を続けてきましたが、そのいくつかは本当に恐ろしく、そして最後まで正しいものでした。私たちはこの調査を最後まで続けていきます」

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