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眠れない夜に考えること

2017-10-10

運良く生きる方法

時間によって、日によって、月によって、運が良い時、悪い時があります。

運が悪い時とは、例えば一つの作業をする場合、一度目に仕上た時に不具合が見つかり、二度目の試行をし、一度目で懲りているので、かなり慎重にやったつもりでいたのに、再度失敗してしまう。

慣れている作業という油断があったと反省し、チェック項目を今更ながら確認し再々試行したところ、思いもよらないミスでまた失敗してしまう…等々の経験は誰もがすると思います。

私が思うに、この「運が悪い時」というのは絶対に存在し、どう足掻いても上記のループにはまってしまい、時が過ぎるのを待つか完璧に処理してしまうかして、その記憶を無くすしか解決方法が無いと考えます。

<その記憶を無くす>というのは、自分で完璧にその作業を完結するだけでなく、他人に完全に任せてしまっても、とにかく自分の中でその失敗を引きずらない、落ち込まない、出来れば完全にそれは無かったものと忘れてしまうことが出来ればOKです。

その時に、これで悪運をまた一つ祓ってやった! なりの訳の判らない自信を持てれば更に良いと思います。完璧です。

同様に「運が良い時」というのも絶対に存在します。もちろんその時は、「行け行け!どんどん」です。

ただ、この時には、「運が悪い時」以上の落とし穴が、用意されている事も事実です。

つまり、「運が良い時」の対応は、天使のように大胆に、悪魔のように繊細に「行け行け!どんどん」です。

まあ、このように絶妙な対応をして、もうまくいかないのが人生です。そういう所に私たちは居るのですから納得して陽気に前進するしかありません。

2017-05-10

間違っているのはだ〜れだ。

森友学園大阪市)への国有地売却問題いわゆる「森友学園問題」においてさまざまな忖度がなされ特例措置が行われたというのは事実だと思います。

それについては、財務省の担当者の間違った気配りや首相夫人の脇の甘さを指摘し糾弾しても当然と思います。

ただ、上記の間違った気配りや首相夫人の脇の甘さに付込み、手を変え品を変え強引な手口で「忖度」を引き出した籠池さん側に対するマスコミ及び野党の最近の扱いに気持ちの悪さを覚えます。

そもそも役人は上下関係に縛られ権威に弱く体裁を重んじるため、気遣いという「忖度」は本来の仕事ともいうべきものです。(皮肉を60%込めました。)

また、首相夫人は、その立場上、全ての人に気配りをし、失礼が無いよう必要以上の対応をしてしまうのは理解できます。(悲しいかなアイドル神対応と同列です。)

その気遣い・気配りを利用し、今回の国有地売却問題で「忖度」を引き出したのが籠池という子悪党おじさんという事だと思います。

その子悪党おじさんに独占インタビューを敢行出来たとして今朝のTBSテレビの情報番組でその模様を嬉々として流していましたが、籠池さんをまるで善意の第3者として、まるで正義を語るコメンテイター扱いで気遣いながらインタビューをしている様はバカ丸出しで反吐が出ます。

この局には事象をちゃんと捉える事が出来るまともな人は居ないのでしょうか?

また、国会質疑において首相夫人は、「単なる名誉職というより、言ってみれば(学園側と)『ずぶずぶ』の関係だ」と述べた民進党議員は、それを言った時点で、役人の間違った気配りを責めることは出来なくなったと思います。

なぜなら、この言葉は、手を変え品を変え強引な手口で役人から「忖度」を引き出した籠池さんの言質等を拠り所として発した悪意ある逆「忖度」だからです。

とにかくマスコミ関係の方そして野党議員のみなさん。もうこの子悪党おじさんに係るのはやめにしませんか?

いま日本にとって、もっと重要で急を要する問題がいっぱいあると思うのですが…。

2017-02-28

今さらながら身の程を知る

失敗しなければ地位も名誉約束され、裕福な生活が送れる人生と

成功しなければ地位も名誉も得られず、貧しい生活を送る人生

どちらがいいか?…と、

人間として生まれるときに聞かれたので、ビクビクして失敗を恐れる人生よりもプラス思考でワクワクした人生を送りたい、人生チャレンジだ!と後者を選びました。

ほんと、若気(?)のいたり…(-_-;)

後者を選ぶには、知力・体力そして運を掴む才能もなく、かといって努力を惜しむという最悪の条件を持った私には荷が重過ぎました。

だいたい、これからという時は、血気盛んになりがちで、自信もこれ以上ない位過剰な状態なので、こんな事を聞かれたら、どうしても後者を選んでしまう身の程知らずのお調子者です。

今度万が一人間に生まれ変わる事ができたなら、しゃにむに前者でお願いします。

あ〜あ、後悔先に立たず!

2016-10-19

血税の使途

2020年東京オリンピックパラリンピックに関して今、「アスリート・ファースト」を盾に、一部のスポーツ選手や各競技団体が東京都での開催にこだわり、また「計画通りに新施設を造ってもらわないと困る」と訴えています。

ここでいう「アスリート・ファースト(選手第一)」とは、オリンピックパラリンピックは人々に夢や希望を与える→その夢や希望を与える為に4年間頑張っているアスリートを一番に考え、その要求は当たり前のこととして叶えるべきだ。

…との事だと思いますが、私は、この奢った、気持ちの悪い勘違いに辟易させられます。

上記にて一纏めに“人々”とされる者も、日々仕事に追われ、アスリートの方々からすれば一笑に付されるのでしょうが、一生頑張って働きそして税金を払っています。

当初言われていた「復興五輪」…2020年東京オリンピックパラリンピック被災者の皆様に勇気、感動を届けられる大会にしたい。「復興」の二文字なくして今大会はあり得ません。…という事でしたらまだ納得できるのですが、「東京五輪なので。東京選手村に滞在し、選手村から競技に行きたい。」てなことを言われるとアスリート、何様?て気持ちになります。

だいたいアスリートと言われる人は、“人々に夢や希望を与える”為にスポーツ選手になったんですか?

とにかく綺麗ごとで「アスリート・ファースト」を唱えれば聞いてもらえる、一種宗教じみた傾向は気持ち悪いです。

ちなみに私の場合、4年に1度の五輪よりも友達や家族という回りの所謂“人々”によって勇気付けられたり夢や希望をもらうことが多いです。

極端なことを言えば、オリンピックパラリンピック東京で開催しなくても良いし、なんならそれ自体無くても充分生きていけます。

2016-03-30

決断できない法治国家

最近話題となった最高裁判決について、いまだ解決には至らず中途半端な判断と私は思うのですが、いかにも終了みたいに世間マスコミも収まってしまった事に違和感があります。

それは、

「徘徊症状がある認知症男性=当時(91)=が徘徊中に電車にはねられ死亡した事故で、離れて暮らす長男も高齢の妻も監督義務者にあたらず賠償責任はないとした最高裁判決」です。

マスコミ有識者のほとんどは認知症高齢者の在宅介護の悲惨な現実に初めて光を当てた司法判断だったと通り一遍の好意的なコメントを寄せていましたが、問題は、そ・れ・で? という事です。

つまり、じゃあ、誰が賠償責任を負うの?という事です。

今回は[介護の努力をしていると誰もが納得する重度認知症患者を抱えた家族]と[JR東海いう大企業]という個人対大企業という図式であった為、如何にも日本人らしい判官贔屓の世論と日和見主義のマスコミが趨勢を決めた部分は否めません。

ただそれにしても被害者は現実として存在します。

では、訴えている側が大企業ではなく個人の場合だったらどうなの考えずに入られません。

例えば仮に認知症患者が注意能力が欠けた状態で電車ホームで他人を線路に落としてしまいその他人が死亡したような場合、誰にも損害賠償責任はないと今回同様の判決で、ハイ!終わり。とすることが出来るのでしょうか?

とにかく被害者の“泣き寝入り”!

……では、済まされませんよね。(^_^メ)

それは、ほら、実際にそういう事例が起こった時に考えるとして、それまでは先延ばしというか、それに触れないようにする。

…これが、世間的にも国の面子としても、人間としてあるべき姿を保つ為にも、とにかくみんなの為に…そう、暗黙のルールとして。(-_-)∩

こういう事なんだと思います。私も理解できます。

そして同時期の事件としてこのような事がありました。もちろんこれも、うやむやにみんなの記憶から消え去っていく道程をたどります。

その事件とは、

認知症の妻の介護に疲れ無理心中を図ろうと77歳の妻の首を刃物で刺して殺害したうえ、自らの首や手首も刃物で切り付け、殺人の疑いで逮捕された83歳の夫が逮捕後、食事をとることを拒み続け、入院していた病院で死亡した。

というものです。

担当警察署の見解は、同容疑者(容疑者ですよ!<`〜´>)について「本人はほとんど何も話さなかったので、なぜ食事をとることを拒み続けたのか理由はわからない。 警察としても食事をとるよう説得していただけに、このような結果となり残念だ」としています。

え〜理由はわからないって…(^_^.)  「このような結果となり残念だ」…でしょうね!<`ヘ´>そういうことですよね。

こうして、今まで真面目に生きてきた健康な老人が、国家・法律に頼らず“犯罪者”という汚名を甘んじて受け入れるという凄まじい覚悟と精神力をもって生きることをやめました。

そんなこんなで、人生の最後にこのような決断と責任を個人に負わせて、それでも人目(確かに大多数の国民の目です。)を気にしてうやむやに済ませようとする法事国家に対し鬼畜 で人で無し の人非人である私にはまだ期待してお願いしたい事があります。

それは、個人を意識する事もできなくなった重度認知症患者を国家の責任で、「安楽死」させるという事を真剣に考え議論してほしいということです。

当然有識者の方は、嫌悪感パンパンに「人間の尊厳」や「基本的人権」そして何よりも「命の大切さ」をもって一蹴すると思います。

なるほど!とも思います。それでも一つ教えてください。

そもその「人間の尊厳」とは何ですか?

とにかく人の形をしていれば尊厳が与えられるのですか?

これからも増えるだろうことですが、人生の最後に“犯罪者”にしてしまう事はどうお思いですか?

そして認めてください。「命の大切さ」というのはあくまで人の命の大切さで、他の生き物は人間の都合で“刹処分”も止む無しと。

実際、日本では、犬・猫が毎年30万匹殺処分されています。1日平均850匹の犬や猫が殺されています。

もちろん安楽死を法制化するためには、あらゆることを想定し、時間を掛けて色々な意見を聞き議論し、とにかく慎重にことを進めることが必要です。

ですが、本当の意味での「人間の尊厳」や「基本的人権」そして命を大事にするということについて考える事をやめ、問題を先延ばしにして議論する事さえ忌み嫌い闇に葬る去る事はいい加減やめた方がいいのではないでしょうか?