岡崎さんに激賞されるのは良い事ではない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051215-00000005-san-pol

「日米関係が良ければ中韓はじめ、世界各国と良好な関係が築けるというのが基本だ」。先月、京都を訪れたブッシュ米大統領と会談した小泉首相は明言し、岡崎久彦元駐タイ大使を「なまじっかな学者には持てない洞察力」とうならせた。



この記事の上記の部分は、ある意味笑い話なのかもしれないけど、岡崎久彦さんに激賞されるというのは、果たして喜ばしいことなのだろうか。前に、マル激で出てきた加藤紘一さんが、「理知の範囲、議論の範囲を超えている」「信仰に近い」と評していた岡崎久彦さんに。


僕も、岡崎さんの「今までアングロサクソンに付いて行った方が上手く行ったから、今後もアングロサクソンに付いて行けば安泰だ」的な物言いの裏には、深い知識や国益計算、深謀遠慮があった上で、あえて判りやすい言い方をしているのではと思った事があるけど、ここ最近は、「彼は本当にこの程度の認識しかないのではないか」としか思えなくなってきた。


でも、上の記事によると、産経新聞では、今回の東アジア首脳会議で、「小泉首相靖国問題を逆手に取り国際舞台で中国を牽制(けんせい)できた」ことになっているのか。岡崎さんを持ち出してくるあたりといい、何か非常に無理矢理な感じがする。

実際は100対5の話

恥ずかしい話なんだけど、高校生の頃、落合信彦の「20世紀最後の真実」を読んで、ユダヤ人は600万人殺されたのに戦後は人口が増えているという話を読んで本当はユダヤ人虐殺はなかったんだと間に受けていた時期があった。今で言う「南京市内には20万人しかいなかった」論と同じパターン。


当時の事を振り返って、何故まともに間に受けてしまったかと言うと、高校の世界史では現代史は殆ど急ぎ足だったし、「ナチスユダヤ人を大量に虐殺した」という事実関係しか習わなかったから、例え学術的にはお話にならない論理とかであっても、そういうのを持ち出されて主張されてしまうと、そちらの方が説得力があるように思えてしまうということだったんだと思う。


南京事件資料館さんにも引用されている、『アウシュヴィッツと(アウシュヴィッツの嘘) (白水Uブックス)』の

実際、頑迷なアウシュビッツ否定論者はどんな反論にも納得しない。 しかし問題なのは、自分に知識が不足しているがために、寛容な態度や公平な見方をしているつもりで、彼らの言うことにも一理あるかも知れない、と動揺する人々のほうである。

という言葉でいうと、物の見事に動揺してしまった一人だったんだな。


僕は、大学で歴史学を専攻したから、教科書に載っている一つの事柄の裏に、それこそ数多くの研究の集積(史料批判、研究者間の指摘・批判)があることを知っているけど、歴史学を専攻しないとあまりそういったことは分からない。


結局はそこに、歴史修正主義的な流れが跋扈する余地があるのだろうと思う。1の歴史的史実の裏にある100の史料や研究集積を知らないから、恣意的な5程度の史料らしきものを使った論説が幅を利かす。歴史修正主義者の論説を信じる人達は、もしかすると1(教科書・戦後教育)しか知らない周りの皆に比べて、自分は5(歴史の真実)を知っていると思っているのかもしれない。けど実際は100対5の話なんだよ。


僕は、いま中学や高校でどの様な歴史の授業が行われているか知らないけど、歴史の授業で実際の史料に触れてみる機会、歴史学的な手法に触れておく機会を作っておくべきだと思う。南京でもアウシュヴィッツでも、もっと事実関係が簡単な古代の事柄でも構わない。
実際100の史料がどの様なものか知らなくても、教科書に載っている物事にはそういう学術的営みを経ているものだと言う事がわかっておくだけでも、確信犯的な中国嫌いは別として、プリミティブに騙される人達はそれなりに減るだろうから。