デレク・ハートフィールドよ、永遠に

openlimit2007-05-21

ひさしぶりに春樹を読んだ。
レコード店主をしながら書いた
デビュー作なのだそうだ。
風の歌を聴け


この前は、たしか、
『かえるくん、東京を救う』
を読んだっけ。
ずいぶん経つような気がする。


今回は人間しか出て来ないが、風の歌を聴け (講談社文庫) [ 村上 春樹 ]
まっとうな人間は出て来ない。
大学生の「僕」とその友人「鼠」。
なぜか鼠という変なあだ名で、
そのいわれは書かれていない。


ひとことで言うと、乾いている。
言い換えると、ドライというか、
さばさばしてて、指の間からするする
せっかく掴んだ砂が零れ落ちていく感じ。
埃っぽくてちょっと焼けた砂が。
ビールを飲んでも乾きは癒えない。


作家、デレク・ハートフィールド
の生涯や、その作品が引用される。
彼が使う言葉で面白い表現として、

宇宙の観念が欠如して

いる


と言って批評をすることがある。
ここで言う、「宇宙の観念」とは、
大抵、「不毛さ」を意味するらしい。


この本を貫く雰囲気全体をとっても、

全ての意味において不毛な作家

に捧げたからこそ、不毛なのかもしれない。
どうしようもない焦燥感や苛立ちを
感じてもおかしくない状況なのに、
主人公らはいたってクールに振舞う。

年じゅう霜取りをしなければならない
古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、
僕だってそうだ。


抜き出してみて気付いたけれど、
「僕」は気障なセリフをときどき使う。
そういうのをクールと勘違いしている
可能性は否定しきれないじゃないか。
そう思ったら、やっと落ち着けた。


この文章を書いた後に、
読んでみたいと本当に思った
デレク・ハートフィールド
実在しないということを知った。
それはとてもショックだった。


しかし、違和感はあった。
全ての意味において不毛な作家
などと他の作家を呼べるだろうか。
自分が創作した人物でなければ、
そこまで言い切れなかったろう。


作られた以外の言葉もある。

昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか


まだニーチェを読んだことはない。