「〜というので」vs.「〜というから」


例によって自分ソースの例文とその容認度*1 をメモしておきます:

  1. 昨日は,夕方から雨が降るかもしれなかったので/から,田中さんはカサをもってきていた.
  2. 昨日は,夕方から雨が降るかもしれないというので,田中さんはカサをもってきていた.
  3. 昨日は,夕方から雨が降るかもしれないというから,田中さんはカサをもってきていた.


最初の (1) の前半はふつうの理由節で,「かもしれなかっ」の時制は発話時を参照時としています.これと対照的に,残る2つ (2)-(3) の「〜かもしれないというので」・「〜かもしれないというから」の時制は,発話時でなく主節の時間を参照時としています.ここからわかるのは,「〜ので」とちがって「〜というので」・「〜というから」の節は間接話法と同様の時間直示をもっているということです(「視点が主節にある」といってもよいでしょう).これは一般に「という」に引用・伝聞をみちびく機能があることと整合的です.

 さて,次に「というので」・「というから」を対比させてみますと,どうも上の例文では「誰に由来する認識なのか」という点で相違があるのではないか思います.

 すなわち,(2) では田中さん本人が「雨が降るかもしれない」と考えたと解釈することができますが,(3) ではそうした解釈はとりにくいと感じられます.そうではなく,まず他の誰かが「雨が降るかもしれない」と考え,それを聞いた田中さんが「雨が降るかもしれないと(その誰かが)いうから」カサをもってきていたといった解釈の方が自然です.

 そうしてみると,上記の対比では,次のような意味の相違があったりするのでしょうか:

  • 「というので」:主節主語の認識
  • 「というから」:主節主語が他者から伝聞して受け入れた認識


ともあれ,ただのメモです.

*1:アテにならないことに定評があります