origoiwahashi2017-06-13

朝っぱらから、脳内ヘビロで『時をかける少女』の「桃栗三年柿八年」の唄が流れているのだが、途中から、とり・みきの描いたパロディマンガの絵(田村信二の模写だったかな)がちらついて、全然没入できない。
身内がドタバタしているので、明日あさって辺りはネットに入れないかもしれませんー

【本日の写真】カンタンなにほんごのニュース

讀賣新聞販売員「新聞取りませんか?」 私「いいです」 讀「今ならお試し期間なので、その期間だけでもいかがですか?」 私「宗教上の理由で取りません」 讀「どちらの宗教ですか?」 私「阪神です」
虫プロが待遇が良かったというのは、各方面からの証言で、ほぼ間違いないようで。 手塚治虫が亡くなったとき、宮崎駿監督が追悼そっちのけで、アニメ界の貧乏体質は手塚が戦犯論を熱弁していたが、どうも宮崎・高畑両氏も所属した東映動画が真の戦犯ではないかと
京都府警、詐欺業者にひたすら電話をかけ続ける嫌がらせ攻撃スタート
●芸術に造詣が深くて、肉の部位に詳しいと言ったら佐川君だろ
●引きこもりだった親戚の高学歴ニート(30代半ば)が人生の再出発として選んだのが測量会社。知識の吸収が早すぎて入社3か月で給料が倍になって結婚して子供作って地元で戸建てを新築するまで3年もかからんかった。景気のいい業界であり、人手不足半端ない業界という認識。
●「今獣医が足りている」「今医者は足りている」「今教師は足りている」「今薬剤師は足りている」「今法律家は足りている」という議論の誤りはこれまで幾度となく繰り返されてきた。「今足りている」ことではなく「10年後20年後に足りているか」
●今の若い奴は、「人と同じことをやりたかねえ」とか、「自分は自分の個性を生かして」って言うけれど、みんな必ず同じことをしているんだよ。
● 近頃、強く思うのです。行ってみたいと思う場所は行くべき場所であり、会ってみたいと思う人は会うべき人なのではないか、と。行ったところで、会ったところで、それが何の意味もなさないとしても by CHISAI HASEBE
●自分の感情さえ完全に言語化するのが難しいのに、なんで言語化せずに相手にはわかってもらえると思い込んでいるのかさっぱり理解できない。
● 部活推進派と否定派の主張が互いに両極端なのだと思います。打開案としては「大学での部活の扱われ方を見習う」です。「部活をやりたい人はやればいい」「適度にやりたければサークルへ」「全く興味がないならバイトなり何なりすればいい」

2017年06月12日のツイート