不連続な読書日記

2017-08-16 Web評論誌『コーラ』32号のご案内

■■■Web評論誌『コーラ』32号のご案内(転載歓迎)■■■


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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●

  

  第42章 和歌三態の説、雑録──心・イマージュ・映画

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  第43章 中間総括──古今集仮名序をめぐって 

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  中原紀生


  ■心の四分岐をめぐって

  雑録の一。第40章で、心と世界の四層構造に思いをめぐらせていた際、脈絡

 なく同時並行的に読み進めていた三冊の書物の、それぞれから切り取った断片

 が一つにつながっていった。そのことをここでとりあげる。

  (その1)

  津田一郎著『心はすべて数学である』は、刺激的な話題に充ちた書物だっ

 た。

 (たとえばエピローグにでてくるチューリングと夏目漱石をめぐる議論は秀

 逸。チューリング・テストは本来「機械か人か」を当てるゲームではなく「男

 か女か」をテストするものだった。マンチェスター工科大学近くの銅像には

 「偉大なるロジシャンにしてホモセクシャルで論理学者のチューリングに捧げ

 る」と刻まれている。自分は男なのか女なのか、いったい男と女は何が本質的

 に違うのかという実存的な悩みに直面したチューリングが自分のような人間の

 表現形として、生物としてのセックスのない中性的な機械を考えた。これと同

 じように、ただしチューリングとは逆に、漱石は西洋と東洋の差異という実存

 に迫る深い苦悩をモチベーションにして男女の性(恋愛)をめぐる小説を書い

 た。漱石が描く女性は西洋近代を象徴していて、東洋的で優柔不断な男性たち

 を独特のロジックでやり込め、たじたじにさせたのである。)


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 ●連載〈心霊現象の解釈学〉第10回●


  父の怪談  

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  広坂朋信

  仕事帰りにスーパーで買い物をしていた私の携帯に老母から電話。何事だろ

 うと思って出ると、「お父さんが帰って来て、自分の寝るところを探している

 から、お前にすぐに伝えようと思って」という。

  老父は昨年冬に認知症で入院してから、入院中に肺炎を起こして何度も危篤

  におちいり、今も病院のベッドで寝たきりである。

 「それは夢を見たんじゃないの。お父さんのことを心配しているからだね」と

 言い聞かせるが、実はこの日の朝、母から「玄関でお父さんの声がする」と電

 話があったものだから、ついに老母もか、と不安を覚えていた。

  しかし、考えてみると、こうした話は今にはじまったことではない。もう一

 年ほど前になるだろうか。父の認知症が疑われはじめたころ、実家に立ち寄る

 と、父が「ふすまの向こうに婆さん(父の母・故人)がいる。白い手を出して

 おいでおいでをする」という。そういう話をしていたら母が、「夢を見ていた

 のか、寝ていると誰かが私の布団のまわりをぐるぐる歩いている。誰だろうと

 思ってみると、父(母の父・故人)が歩いている。お父さんが何人も何人も

 ……」というのであっけにとられた。

  私の両親には以前からこういう話題を口にする傾向があった。とくに母に

 は、夢を一種のお告げのようにとらえる傾向がもともとあって、これまであま

 り気にも留めていなかったが、後期高齢者になってからますますそういう話が

 増えたような気がする。

  両親ともに、もう六十年近く東京で暮らしているわけだが、昔気質な人たち

 で、世間話にもどこか民話のような響きがあって、閑なときに聞くぶんにはよ

 いものである。

  閑話休題。夏の暑さに寝苦しい夜が続く。私の家族の与太話よりも、まずは

 怪談の名手による作品をお読みいただこう。


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 ●連載「新・玩物草紙」●


  吉増剛造はムツカシイ?!?/エンド・ゲーム

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  寺田 操


  吉増剛造はムツカシイ……と敬遠されていると小耳にはさんで、何かゴツン

 と頭を叩かれた気がした。若い日には、これは何だと驚愕した詩と詩人たちと

 の出会にこそ興奮したものだが。

  吉増剛造『黄金詩篇』(思潮社/1970・6・1)赤瀬川原平の装幀に度肝を抜

 かれた。水紋のなかから黄色い指がヌット突き出し、その指の爪の先にも水紋

 があり、なでしこのような花首がいくつも散っていた美しくて不気味な絵だ。

 扉を開けば吉増剛造の青いペン書きの詩篇。完成された作品ではなく、書き込

 みや削除などの痕跡が生々しいが、これもお気に入りだった。


 (Webに続く)

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2017-04-15 Web評論誌『コーラ』31号のご案内


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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●

  第41章 和歌三態の説、定家編─イマジナル・象・フィールド


  中原紀生

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 ■モネを超える試み、言葉のかたちをとる想念、レミニッサンス

  前章の末尾、筆が走って思わず書きつけた「生きる歓び」の語に触発され

 て、定家の歌の世界における「歓び」に関連する話題を二つとりあげ、定家を

 めぐる予備的考察をしめくくりたいと思います。一つは、プルーストの無意志

 的想起と定家の本歌取りに共通する、認識と言語にかかわる「特別な歓び」や

 「力強い歓び」について。二つ目の話題は、世阿弥を典型とする日本の中世美

 論における「感」、すなわち「かたち」を通じて「もの」の「いのち」にふれ

 た時に得られる「深遠な歓喜」をめぐって。 (以下、Webに続く) 

 

 

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●連載〈心霊現象の解釈学〉第9回●

  よく似た物語は同じ物語か

  ─―怪談の発生と伝播について

  

  広坂朋信

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  前回(連載第八回、本誌26号)、「怪談の解釈学の目指すものは、体験を語

 る物語の類型が語られた体験に与える影響を、民話学などを参考にしながら中

 和し、「よくある話」「よく似た物語」から体験の異様さを救出することにあ

 る」と大見得を切った。大見得を切るところまではよかったが、そこからが難

 所である。私自身、それではどうしたら体験の異様さを取り出せるのか、正直

 言って考えあぐねている。ここからは手探りで考えることになるので、多少の

 論理の飛躍はこれまで以上にご容赦願いたい。(以下、Webに続く)

 

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 ●連載「新・玩物草紙」●

  夢の話/車中のひとは


  寺田 操

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  明け方よく夢をみる。たいていは断片しか覚えていないが、ときに「物語」

 を紡ぐように鮮明に覚えている。脳内に映像化されている箇所を書きだそうと

 するが、うまく表出できなくてもどかしい。ひとつひとつの場面は鮮明に思い

 出せるが、言語化には距離ができる。(以下、Webに続く)

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2016-12-29 心に残った本(2016年)

 年々、読了本が加速度をつけて減り、再読本が微かながら増えている。フィクション系と数学自然科学系が激減し、政経倫社系と歴史系が増加傾向にある。

 通販での中古本、電子書籍の購入が増え、遠隔複写サービスの利用が新登場、同時拡散的、部分熟読型の読書スタイルが定着しつつある。

 歳のおかげで一度や二度読んだくらいでは到底、身と頭に浸潤せず、何度でも繰り返しあたかも初めて接するがごとく楽しめるようにもなった。

 本を買う、読むということの内包と外延が拡張しつつある。


●伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』


 今年「発見」した新人(私にとっての)。簡明で深い。『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』も記憶に残る。ツイッターでフォローしている四人の内の一人。


●市川浩『〈身〉の構造──身体論を超えて』


 今年「再発見」した鬼籍の人。『精神としての身体』を再読した後、続けて『身体論集成』『〈中間者〉の哲学──メタ・フィジックを超えて』を読了。折に触れ『現代芸術の地平』その他を参照している。

 ちなみに『精神としての身体』と『〈身〉の構造』以外はすべてAmazonの中古本。丸山圭三郎の単行本も含めて今年は随分たくさんの廉価中古本をネットで買った。


●中島義道『不在の哲学』

野矢茂樹『心という難問──空間・身体・意味』


 フォローしている現役の日本人哲学者の「主著」の刊行が続く。中島本、野矢本ともに必要に応じて再読、三読の上、熟読玩味する常備本。ここに永井均『存在と時間──哲学探究1』を掲げたかったが、何しろまだ読み終えていない(読み終えられない)のだから仕方がない。

 永井本では他に『改訂版 なぜ意識は実在しないのか』と『西田幾多郎』を再読。(『哲学の密かな闘い』と『哲学の賑やかな呟き』が今年もまた越年。)

 関連本では電子書籍版『現代哲学ラボ第2号──永井均の哲学の賑やかさと密やかさ』が(『現代哲学ラボ第1号──入不二基義のあるようにありなるようになるとは?』ともども)面白かった。また鈴木康夫『天女[アプサラ]たちの贈り物[マーヤー]』が濃い印象を刻印するも、いまだ「整理」がつかない。


●加藤典洋『戦後入門』

●加藤洋子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』


 今年読んだ戦後史関連本から。他に矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないか』が記憶に残る。


●柄谷行人『憲法の無意識』

●互盛央『日本国民であるために──民主主義を考える四つの問い』


 今年読んだ政経倫社本から。他に井上達夫『憲法の涙──リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください2』が記憶に残る。


●マーク・グリーニー『暗殺者グレイマン』

●ダヴィド・ラーゲルクランツ『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』


 ジャック・ライアン・シリーズでは、昨年の『米露開戦』に続き今年はトム・クランシーの後継者マーク・グリーニーによる『米朝開戦』を堪能したが、オリジナル・キャラクター(グレイマン)は新鮮かつ格別な味わいがあった。『暗殺者の正義』『暗殺者の鎮魂』『暗殺者の復讐』『暗殺者の反撃』と五部作を一気読み。

 一気読みでは『ミレニアム4』も負けていない。極上のエンターテインメント小説で、いまだに慣れない(没入しきれない)電子書籍版で目が痛いのも構わず読み耽ったのはこの本が初めて。

 電子書籍では他にジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』も独特の文体(「呪文のような」と解説の馳星周は書いている)と絡みつくテイストが楽しめた。ただiPhoneの小さな画面で、しかも断続的に読み進めたのでストーリーと人物の関係が掴めなかった。


●井筒豊子『白磁盒子』


 Amazonで中公文庫版の中古品を取り寄せ、ほぼ2年かけて読了。橘外男と久生十蘭を足して微量の澁澤龍彦をふりかけたような極上のテイスト(と「日記」に書いた)。

 村上博子(文庫解説)が絶賛する「モロッコ国際シンポジウム傍観記」を国会図書館の遠隔複写サービスを利用して取り寄せ、年の始めの初読み用にとってある。続けて蓮実重彦の『伯爵夫人』を少量ずつ惜しみながら嘗めるように読み進めている。


●三上春海・鈴木ちはね他『誰にもわからない短歌入門』

●和辻哲郎『日本語と哲学の問題』


 永井均のツイッターで『誰にもわからない短歌入門』という本があることを知り、速攻で取り寄せた。和辻本は「精読用テクスト」というコンセプトに興味を覚えた。

 どちらも書物の「かたち」(物としての本の姿や出版の形態、趣向など)が気に入った。内容もよかったが(特に『短歌入門』)何しろその「かたち」が決まっていた。


 その他の心に残った本(2016年)。


○長谷川櫂『芭蕉の風雅──あるいは虚と実について』

○安田登『身体感覚で『芭蕉』を読みなおす。──『おくのほそ道』謎解きの旅』

○大岡信『紀貫之』

○大岡信『萩原朔太郎』

鎌田東二『世阿弥──心身変容技法の思想』

○尼ヶ崎彬『日本のレトリック』

○海道龍一朗『室町耽美抄 花鏡』


○津田一郎『心はすべて数学である』

○ウィルヘルム・ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』

○九鬼周造『時間論 他二篇』

○河合俊雄他『〈こころ〉はどこから来て、どこへ行くか』

○中沢新一『熊楠の星の時間』

○佐藤公治『音を創る、音を聴く──音楽の協同的生成』

○藤田一照・永井均・山下良道『〈仏教3.0〉を哲学する』


○安田理央『痴女の誕生──アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』

○平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』

○竹村公太郎『水力発電が日本を救う──今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる』

○東島誠・與那覇潤『日本の起源』

○白井聡『戦後政治を終わらせる──永続敗戦の、その先へ』

○井手英策・古市将人・宮�啗雅人『分断社会を終わらせる──「だれもが受益者」という財政戦略』

○高橋源一郎『丘の上のバカ──ぼくらの民主主義なんだぜ2』


   ※  ※  ※


 いま読んでいる本のうち(すでに取り上げた『存在と時間──哲学探究1』や『伯爵夫人』を除いて)「心に残った本(2017年)」の候補になりそうなもの。大森本はほとんど読んでいるがなぜか読了感が湧いてこない。


大森荘蔵『物と心』

◎淺沼圭司『制作について──模倣、表現、そして引用』

◎赤瀬川原平・山下裕二『日本美術応援団』

◎渡辺恒夫『夢の現象学・入門』

◎川田稔『柳田国男──知と社会構想の全貌』

◎五百旗頭真『大災害の時代──未来の国難に備えて』

◎中沢新一・小澤實『俳句の海に潜る』

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2016-12-18 ◆Web評論誌『コーラ』30号のご案内

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  ●寄稿●

  マイノリティについて語る倫理

  ――「子どもの貧困」を一例として

  田中佑弥

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  本稿を書こうと思った契機は、「新貧乏物語」の捏造である。「子どもの貧

 困」をめぐる昨今の事象を振り返りながら、まとまりのない文章で恐縮ではあ

 るが、考えたことを書き記したい。

  捏造があった「新貧乏物語」は『中日新聞』による2016年の連載記事であ 

 る。『中日新聞』の検証記事(1)によれば、以下のような捏造があった。

   五月十七日付の名古屋本社版朝刊の連載一回目「10歳 パンを売り歩く」

  は、母親がパンの移動販売で生計を立てる家庭の話。写真は、仕事を手伝う

  少年の後ろ姿だったが、実際の販売現場ではない場所での撮影を、取材班の

  男性記者(29)がカメラマンに指示していた。少年が「『パンを買ってくだ

  さい』とお願いしながら、知らない人が住むマンションを訪ね歩く」のキャ

  プション(説明)付きで掲載された。

   撮影当日、少年がパンを訪問販売する場面の撮影は無理だと判明。少年に

  関係者宅の前に立ってもらい、記者自らが中から玄関ドアを開けたシーンを

  カメラマンに撮らせた。

  また、五月十九日付朝刊の連載三回目「病父 絵の具800円重く」でも記者

 は、「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話

 をつくった」。

  報道は正確でなければならないが、本稿で考察したいことはそういうことで

 はない。(以下、Webに続く)

 

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 ●連載<前近代を再発掘する>第6回●

  地獄は一定すみかぞかし

  岡田有生・広坂朋信

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  前置き

  黒猫編集長にさんざんご迷惑をかけ、岡田さんに無理やりつきあってもらっ

 て、脱線を繰り返しながら続けてきたこの企画だが、『太平記』を一通り読み

 終わったので、今回で一区切りとしたい。(広坂)

  天狗太平記(広坂朋信)

  ■鎌倉幕府滅亡の予兆

 『太平記』にはしばしば天狗が登場する。天狗は、歴史物語としての『太平 

 記』の前近代性を際立たせている特徴の一つだろう。

  まず前回取り上げた「相模入道田楽を好む事」(第五巻4)から見ていこ 

 う。

  田楽に夢中になった北条高時が、ある晩、酔って自ら田楽舞を踊っている 

 と、どこからか十数名の田楽一座の者があらわれて、「天王寺の妖霊星を見ば

 や」と歌いはやした。高時の屋敷に仕えていた女中が障子の穴からのぞいてみ

 ると、踊り手たちは、あるものは口ばしが曲がり、あるものは背に翼をはやし

 た山伏姿、つまり天狗の姿であった。

  この場面をどう受けとめるか。高時の舅が駆けつけたときには、怪しいもの

 どもは姿を消していた。畳の上に鳥獣の足跡が残っていたことから、天狗でも

 集まっていたのだろうということになったが、当事者である高時は酔いつぶれ

 ていたので、目撃者は、家政婦は見たよろしく障子の穴からのぞいた女中一人

 だけである。(以下、Webに続く)

 

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●

  第40章 和歌三態の説、定家編─イマジナル・象・フィールド

  中原紀生

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  ■音象、ネイロ、世界の影

  前章の最後の節で、パンタスマ(虚象)の音楽的効果について簡単にふれま

 した。今回はその補足、というかやや蛇足めいた話題から始めたいと思いま 

 す。

  大森荘蔵著『物と心』に収められた「無心の言葉」の冒頭に、時枝誠記の著

 書(『言語本質論』(『時枝誠記博士論文集』1))からの孫引きで、平田篤

 胤の次の言葉が紹介されています。「物あれば必ず象あり。象あれば必ず目に

 映る。目に映れば必ず情に思う。情に思えば必ず声に出す。其声や必ず其の見

 るものの形象[アリカタ]に因りて其の形象なる声あり。此を音象[ネイロ]

 と云う」(「古史本辞経」、ちくま学芸文庫『物と心』98頁)。

  いま手元にある『国語学原論』総論第七節「言語構成観より言語過程観へ」

 の関連する箇所を拾い読みしてみると、時枝はそこで、「特定の象徴音を除い

 ては、音声は何等思想内容と本質的合同を示さない。これを合同と考えるの 

 は、音義的考[かんがえ]である。」と書き、先の一文を例示したうえ、「音

 声は聴者に於いて習慣的に意味に聯合するだけであって、それ自身何等意味内

 容を持たぬ生理的物理的継起過程である。音が意味を喚起するという事実か 

 ら、音が意味内容を持っていると解するのは、常識的にのみ許せることであ 

 る。」と書いています(岩波文庫『国語学原論(上)』108頁)。

 (以下、Webに続く)

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 ●連載「新・玩物草紙」●

  黒岩涙香/地 図

  寺田 操

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  黒岩涙香

  5月の大型連休のさなか、「黒岩涙香」の文字をみつけて胸がざわついた。

 竹本健治『涙香迷宮』講談社2016・3・9)の新刊。探偵小説家・涙香 

 (1862〜1920)が主人公では?それとも評伝的な小説なのか?

  1980年代、黒岩涙香の翻案探偵小説『幽霊塔』『鉄仮面』『死美人』 

 (旺文社文庫)などを読んだ覚えがある。《雪は粉々と降りしきりて巴里の 

 町々は銀を敷きしに異ならず、ただ一面の白皚々を踏み破りたる靴の痕だも見

 えず、夜はすでに草木も眠るちょう丑満を過ぎ午前三時にも間近ければ》…書

 き出しから怪異の時間に引き込まれた。警官2人の警邏中、黒帽子に長外套の

 襟をあげて顔をかくす紳士が下僕を従えて歩いてきた。下僕の背には重たげな

 籠。なかには絶世の美女の死体。肋骨のあいだにスペードのクイーンの骨牌

 (カルタ)の札が突き刺さり…。フランスの作家ボアゴベイ原作『死美人』

 だ。(以下、Webに続く)

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2016-12-17 語り口の問題─永井均が語ったこと(番外)

 これは『西田幾多郎』を読んでいた時に気がついたことだが、永井均さんは本文と註に書いたことを自在に繋いで議論している。その分かりやすい実例が『改訂版 なぜ意識は実在しないのか』にあった。


《で、こういう類比はどうでしょう? 心や意識のあり方を、時間のあり方と比較してみるのです。自分に直接現われている感覚や意識を現在の出来事に、他者による振舞いの認知を現在の出来事の通時的な記録に、身体内のその物理的基盤を(過去・現在・未来といった時間様相を度外視した)無時間的事実に、それぞれ類比することができます。現在の出来事は、自分にだけ直接体験できる出来事ではありませんが、それと類比的に、その時点においてだけ直接体験できる出来事だからです(ただし、自己と他者の場合と違って、現在と過去には、記憶という直接的紐帯が存在する点が違っていますが)。そうすると、その記憶を含めて、かつて現在だった出来事を新しい現在に伝えるすべてが、自己と他者の間をつなぐ場合の外的な振舞いに対応することになりますし、そうした間主観的連関とも主観的認知とも無関係の物理的事実が、過去・現在・未来といった時間様相とは無関係な客観的出来事連関に対応することになります。》(『改訂版 なぜ意識は実在しないのか』22-23頁)


 これはちょっとおかしくないですか? 文中の「その記憶」とは、直前の括弧書きの中で言われていることを指しているのだから、それをいきなり次元が違う本文で言及するのは変だと思う。

 まるで舞台上の台詞の中でついさっき楽屋であった出来事に言及するるような、何かカテゴリー違反に近いことをやっている。

 永井均さんのこの語り口は、対話を想定していると考えればよく分かる。仮想の論敵か自分自身との哲学問答。あるいは対話的哲学思考のスタイル。(この本は大学での講義を基にしたものだから、自問自答的思考のスタイルというのが正解かも知れない。)


 『〈仏教3.0〉を哲学する』の鼎談で、時々永井均さんの存在感というか息遣いが聴こえなくなる時があった。じっと聴き入っているのか、別の考え事をしているのか、心ここにあらずなのか。

 それは「語り口」の問題ではなく、その反対の「語らない」ことのあり様の問題とでも言えばいいのかもしれない。

 ともかく鼎談という哲学的思考のスタイルには、本文と註がひと続きになる対話的(自問自答的)思考とはまた違った、本文と註と沈黙(メタレベルでの思考)が一体となった独特のテイストがある。


 ところで、「その記憶を含めて、かつて現在だった出来事を新しい現在に伝える」という永井均さんの発言を読んで、私は、水平的伝達(引用、模倣)、垂直的伝達(表出、反復)、通時的伝達(記録、伝承、心意現象)、共時的伝達(伝導)、そして〈私〉と〈私〉を繋ぐ第五の伝達といった分類を思いついた。

 そんなことを考えたのは、最近読み始めた岡安裕介氏の論考(「折口信夫の言語伝承考」他)を手掛かりに、そこに永井哲学のアイデアを導入して、たとえば和歌の心が伝わるとはどういうことかといった事柄について思いをめぐらせてみたいと考え始めていたからで…

 と、書き始めて、ふと、このような議論の進め方(他人の文章をその内容とかかわらない文脈で引用しておきながら、素知らぬ顔をしてその内容に繋がることを書く)は、永井均さんの「語り口」(本文と註が地続きになる)と似たところがあると気づいた。

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