ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

海外に暮らす人間が感じるショックについて

まず、正直に言うと、この記事を書くことが、いわゆる「不謹慎」なことといって非難されるのではないかという恐れを感じていた。見えない罪悪感に縛られる。けれど、同じような気持ちを持って、海外で過ごされている方がいるかもしれない。たった一人でも、私以外にもそういう方がいらっしゃるなら、この記事を書くことの意味があると思う。いや、私だけだったとしても、こうした感じ方をした人間がいることを残そう。


一週間前、旅行先の西海岸で地震のニュースを知った。Twitterで知り、すぐにニュースを見てusteramのNHKとCNNをつけた。家族と一切連絡が取れないことに焦り、Twitterのタイムラインを追いかけながらTwitterのDMでどうにか連絡を取り、名取川津波で溢れていく映像を繰り返し繰り返し見ながら一晩中、なんとか情報を得ようとしていた。名取は、昨年まで父が赴任していたゆかりのある場所だ。ともかく安否が知りたく、首都圏にいる家族達、仙台にいる親類のことが心配でならなかった。ほとんど眠れないまま、ジョージア州の住居に帰った。帰ってから、両親ともskypeで話せたし、親類も無事と分かってほっとした。歩いて帰宅したひとが、無事に帰ったというしらせを聞いて、身体の力が抜けた。

帰ってから、同僚や学生達が心配するメールを次々と送ってくれた。とてもありがたかった。けど、返事を書く余裕がなかった。まるで何も書けなかった。PCに向かい、usteramのNHKをつけたまま、ニュースを追い、Twitterのタイムラインを追い、情報を受けるだけで精一杯だった。それで何が分かるわけではないけれど、見えないこと、体感できないことが不安をかき立てて、自分から積極的に情報を得ようとしてしまう。食欲はなかったし、食べたものを吐いた。5月までのこちらの滞在を切り上げて、今すぐ帰りたいと思った。意味ないことだけれど、日本から離れていることが辛くてたまらなかった。

TVを消しなさいと言われた。ルームメイト達が、半ば無理矢理私をPCから引き離し、外に連れ出してくれた。夕食も皆で取った。映像を見るのをやめなさい、安否を知りたかった人たちは皆無事でしょう?と言ってくれた。その通りだ。映像のインパクトは強い。悪夢を見て叫んで起きた。安全な海外に居ながら、こんなショックを受けるなんて、自分はなぜ弱いのだろうと自己嫌悪に陥った。罪悪感を感じたのは、安全なところにいることに対してではない。海外に居ながら、ストレスやショックを感じることに対する罪悪感だ。海外だからできることもあるだろう、と言われた。実際、情報を取りまとめるなどの貢献はできるはずだが、できなかった。

海外に居てくれてよかった、と家族に言われる言葉に反応できなかった。この感情は、自粛とも遠慮とも違う。ただ、ショックというだけだ。

先週は、日本からのゲストをお迎えして、講義をする予定があった。地震の後においでいただけないだろうと思っていたが、なんと、来て下さったのだ。たくさん話を聞き、学生にも話をしていただいて、ようやく何があったのか、どういう様子だったのかが分かってきて、心持ちが楽になってきた。見えないという不安がひとつひとつほぐれていった。原発のニュースについては、こちらの学生も助けてくれた。原発関連の仕事をしていたという学生が、数値に関して解説をしてくれた。

こうした気持ちは、Twitterにも書けなかった。それどころではないだろうに、何を書いているの?と非難されることが怖かった。自分で自分を非難していたのかもしれない。

けれど、確かに自分は大きなショックを受けていた。最初はそれを否定し、そうであってはいけないと思っていた。けれど、一人でこっちにいて、ショックを受けること、仕事が手につかないこと、これは自然なことなのだ。否定し続けても意味はない。そうした自分の状態を受け入れた上で、ようやく、情報を得ることにも自分が書くことにも対峙できるようになってきた。

海外にいる方で、同じようなショックやストレスを感じている方がいらっしゃったら、そこに罪悪感を感じたり、否定し続けたりなさいませんように。これはごく自然な反応だと、今は思えます。ニュースを絞り、外に出て、太陽を浴びて、人とたくさん話して下さい。