本当のECOを考える・・・

 ここ最近、ECOについての報道が多い。話によれば日本が京都議定書で公約したCo2削減数値目標は、達成できないのではないかというもの。いったいどうなっているのか?

 結論から言えば、世界中の人の生活が贅沢になったということ。

 (話せば難しくなってしまうので簡単に説明します。)

 生活が贅沢で便利になればなるほどCo2の排出量が増えてしまうという構造になっている。たとえば、家電製品を見ても一見、省エネなどの工夫が施されているが、電子部品関連事業の開発が進みより小さくより便利により多く生産できるようになり製造コストを低く抑えられる結果となり、より多くの人たちにより多くの家電がいきわたるようになった。

 クーラーや暖房機器などは一軒の家に何台も設置されるようになり、いくら省エネなどの商品を生み出したところで数年前よりは台数が増える。つまり、以前のモデルよりもCo2の排出量が少ないものを作っても台数が増えれば同じ、いやそれ以上にCo2を排出してしまう結果となる。

 車にしても同じで販売台数が増えれば増えるほどCo2排出量が増える。ハイブリッド車に力をいれてECO貢献を目指してはいるものの、反対に大排気量の車の存在も目立つ、確かに排気量を大きくすることで走りの快適さと排出されるCo2の量を減らすことは可能である。(納得)

 いずれにせよ、以前より便利になるということはそれだけCo2排出量の増加を免れることはできない。

 そして、もうひとつの問題が電力消費によるもの。電気をつくる上でできるCo2。これは、家庭での電力消費も問題になるが圧倒的に多いのが工場やオフィスビルなどである。

 よく、耳にすることがある。

 「こんな不景気に工場をフル回転させ、よく儲かっていますね。」とか

 「こんな夜遅くまで事務所の電気がついていて、よく儲かりますね。」などである。

 冷やかしか。よほど儲けがないのか。いろいろな解釈ができる。

 これは、個人的な考えになってしまうが。これだけの景気後退や低迷・停滞期の場合、物が売れない、価格が安くなるなどの現象が起こる。結果として、コストの引き下げが行われてしまう。

 これは、どんな業種や仕事においても同じことであるが、ある一定レベルの固定経費が生じる。これをどのように引き下げるか企業に投げかけられる問題であり、これらをクリアーできるものが生き残っていくわけである。

 ここ最近では、リストラや雇用助成など最悪の結果を招いているわけであるが、それまでの道のりは、通常の稼働率よりも増産やかかる日数を短期化させたり、製造にかかるコストの安い国々などを利用するなどの努力を繰りかえす。

 結果として、それらのものづくりにかかるコストは抑制でき、安い品物ができる。

 そして、消費者から喜ばれヒット商品となってゆく。

 だが、これらがかえってCo2排出量増加の原因になっていることを知っている人がどれだけいるか疑問が残る。

 「安いものをつくり、人に喜ばれ何が悪い。」

消費者からすれば、「安いものを提供してもらい、生活のたしになっているのに何が悪い。」

 なんての反論が飛んできそうなわけだが、よく考えてみると理解していただけることだと言える。

 消費者にとって生活に欠かせないもの、それは生活物資。しかし、これらのものをよりやすく提供している店は、恐らく郊外にあり車を要さなければならない。

 そんなことはない、安いものは、ネットで買っているとはいっても、たいてい夜にパソコンの前でそれらの検索などの時間を要している。

 屁理屈みたいな話になりそうなのでもとにもどり・・・。

 結論からすれば、Co2排出量が限りなくゼロに近い車を生産することと、電気関係においても電力消費の少ないものの開発を推し進めること。物の調達距離を縮めること。

 そして、なんといってもすべてにおける作業が人の手を要し、価格が値上がりをし、簡単に利益を生み出せる状態を作り上げてゆく。

 なんで時代の流れから逆行するのか?

 つまり、価格が上がりし利益を生み出すことができれば、雇用も増え、工場やオフィスビルなどの稼働率も抑えることが可能となり人の暮らしにもゆとりができる。そうすれば、消費も地元で行われ個人商店が軒を連ねるようになる。

 早く言えば、現在のくらしや生活レベルにあった価格が必要で、安くして購買意欲をかきたてたところで逆に収入源が下がっていれば無意味になってしまう。

 消費に必要な資金は、以前よりまして多くなっている。必要な資金は、利益から生み出すことはだれにでも理解できる。けれどすべての物事が少なからず関連していることをみんなが忘れているような気がする。

 どこか一つの歯車が狂ってしまうと自分以外の最低二か所が狂う。二か所が狂えば四か所が狂う。

 つまり、景気の後退は、人々の連携や物事の関連すべてをも狂わしてしまうのである。

 ズバリでいくと「自分だけ良ければいい」などの行動や言動が横行する。

 自分たちが生活をしてゆくだけで精いっぱいの状態になり、その他の部分に目を向けることを忘れてしまう。

 環境問題やECOの問題は、今に始まったものではない。長年にわたる人々の意識レベルがこのような悲惨な状態を作り上げた。一瞬耳を疑うようなこれらの問題は、今後、世界中でもっとも重要視されることに違いないであろう。

 そういったことを先頭を切って示唆してゆくためにも早期景気回復により「ゆとり」をもたらすことが重要なことであり、そのためにもすべてにおける相場や価格にも「ゆとり」が必要になってくるのである。

 もう一度、そういったことについて考えてみてはどうだろうか。