岐路に立つ日米関係〜切り捨てか、さもなくば死か

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気になれなくなつてゐるのである。(三島由紀夫「果し得てゐない約束」1970年)

この国のマスコミと大衆がポピュリストの小泉純一郎を総理に選んだツケはあまりにも大きすぎた。'90年代のバブル崩壊後の「失われた10年」で日本経済が崩壊しないで済んだのは、政府による銀行救済を昭和世代の財政的余力=貯蓄が支えていたからである。未曾有の金融危機とデフレに際し、当時の国民は貯蓄を切り崩すことで、食いつなぐことも銀行の止血にも協力することができたのだ。その時の止血剤の担保となっていた郵便貯金や簡易保険は海外の新保守主義者たち(ネオコン)と主張を同じくする小泉純一郎(在2001-06)が05年に押し切った郵政民営化*1で流動資本となり、竹中平蔵*2の推進した規制緩和で国内外のハゲタカファンドの恰好の餌食となっている*3。また民営化以降、海外の国債や債権の積極運用に乗り出していた「ゆうちょ銀行」は、先のリーマン・ショックファースト・インパク)で炎上し、国民の富を大きく減少させた。
振り返ってみれば、ゼロ年代とは“無責任”の時代であった。最高司令官たる総理大臣が「どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か分からない」と言って軍隊を戦争中のイラクに派遣したその無責任さ。自身の責任を追及されれば「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と逃げのパフォーマンスを打つ。見ていないようで、子供はしっかり大人の真似をする。子供だけではない。その無責任な小泉政権を継承した安倍内閣は「仮病」で、福田内閣は「開き直り」で、それぞれの政権を放り出したではないか。それに続く麻生内閣に至っては、ろくに漢字も読めずに*4、「議論が多いのは良いこと」と内閣を牽引する首相としての努めを放棄している。とうの昔に賞味期限切れとなっている自公政権の“延命措置”もいよいよ限界に来ているが、このような“司令塔の不在”の中でセカンド・インパクが生じれば、もはや'90年代と違って“防波堤”の存在しない日本をデフレから守る術はない。
日本デフレの二つの顔
もう正社員も守れない 大京、レナウン…瀬戸際の決断

*1:2005年8月8日に悪名高き「郵政解散」が行われ、10月14日に特別国会で郵政民営化法案が可決・成立。07年10月1日には「JP日本郵政」「JP日本郵便」「JP郵便局」「JPゆうちょ銀行」「JPかんぽ生命」「独立行政法人郵便貯金簡易生命保険管理機構」から成る「日本郵政グループ」が発足。総資産は338兆円、従業員は24万人。

*2:竹中は政界を退いてから、慶應義塾大学“グローバル”セキュリティ研究所の所長に就任した。洋学者であった福澤諭吉に由来する慶應は今も昔も“グローバリスト”の産地であり、国益を無視する塾生が多いことで知られている。

*3:郵政民営化法案の策定に際し、政府の郵政民営化準備室と米国政府との間で20回近い協議が行われ、米国側の勧告により法案の内容が書き換えられた。300兆円もの資金を持つ郵便貯金は日本の国債の最大の引き受け先であり、この“本丸”が(例えば中国や中東などの)海外SWFに支配されれば日本の財政は破綻、日本政府はいとも簡単に崩壊する。この「内政干渉」は米国が日本を私物化している端的な事例といえるが、これ以上書くのは危険すぎるので、ここでは“小泉純一郎竹中平蔵慶應OBは日本を外資に売った非国民である”という非難に留めておく。

*4:麻生は「破綻」「実体経済」「焦眉」といった言葉を正しく読むことができなかった。漫画ばかり読んでいると、こういうおバカな大人ができあがってしまう、という悪例か。無能な国会議員が多いと、省益先行の官僚にますます国政を牛耳られてしまうのだが。そういえば、あの小泉も人気取りで“素人”の田中真紀子を外相に据え付けたものの、自ら更迭する羽目になったが、このお粗末さも無責任の一例と言えるだろう。