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日々つれづれ このページをアンテナに追加

2012-08-22 なんやよくわかりませんが このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

皆さんお疲れ様です。

8月15日日帝崩壊解放パレードも終わったようで、いつもの静けさを取り戻しておりますがいかがお過ごしでしょうか?

それはさておき

なんかよくわかりませんが、こんな場末スパムコメント攻撃を受けているようですな。しかも特定の日のやつ、もっと具体的に言えばよしりん戦争論を馬鹿にしたときの奴だけ。

特定日のトクテイ記事だけ集中的にスパムコメントが来るつーのはやっぱ意図的にやってんだろーなーと思うんですが、なんでこんな場末のカスブログにチョッカイだすかね?もっと高名な方いるのにねー

メンドクセエので放置も考えてますけどねえ

2012-08-19

日々雑論 従軍慰安婦の自分なりの結論

まあ、久しぶりの更新ですが、スマホだとかなり面倒クサイですな。面倒クサイので放置してたらスパムがとんでもねー事になってました。

クソうざい軍国主義から解き放たれた8月15日も過ぎました。各地でどんちゃん騒ぎや解放パレードを開催し、大いに賑わったと言う話はトンと聞かなくなりましたが戦争記憶は徐々に薄れているのだなあとひとしきり思う今日この頃です。

それはさておき

よくサル以下の方々が「慰安婦ハ裕福ダッタンジャー銭ゲバジャー」と事ある毎にわめき散らしておりまして、特にこの時期になると暑苦しさが三倍増しですね。まあお金の問題については否定しませんけどね。

この手の話で問題になるのが「貨幣価値」と言う奴ですが…上は安倍ちんなんかの元総理大臣閣下から下はヒッキーネトウヨまで、すっかりこの「貨幣価値」を頭に入れて無いとしか思えないんです。

では…当時の「円」ブロックがどういう状態か、ここで一寸考えてみましょう

まず、日本の基本戦略、と言うと小難しくなりますが…簡単に言ってしまえば「現地の物資を本土へ送って加工して」生きていく、つーのが基本な訳です。この方針が従軍慰安婦問題と関係あるんか?と言われりゃ答えは「大いに関係があるよ。すごく重要な関係です」となります。

ではどう関係があるか?

軍が現地を占領すると現地の物資を根こそぎ本土へ送り付ける訳ですよ。本土に物資が無いんだから当然ですわな。で、ただで物資を持っていく事も大いにあったでしょうがここでは支払いをしたと仮定します。何で支払いをしたか?当然日本経済ブロック通貨である「円」ですよね? 敵性通貨ドルポンド、元なんかで払う訳がない。

ここで問題が発生します。

本土へ送り付けた物資は軍需生産として使われるばかりで、民生品の生産殆ど無かったのは皆さん知っての通りです。良いかいかは別にして、基本的な植民地経営と言うのは「原材料を買い付けて、本土へ送り付け本土で生産、加工された商品を現地で売る」と言うサイクルで成立します。俗に言う「金は天下の回りもの」です。

ですが、本土で生産するのは軍需品であるが為、現地での民生品は何一つ入って来ない。民生品なんか作って無いんだから来るわけがない。現地から調達された物資は片っ端からへっぽこ戦車やへっぽこ戦闘機に消費され、片っ端から米軍英軍に撃破されていくんだから

となるとどうなるか?

現地で「ブツ」が極端に減り「円」ばかりが増えていく、つー状態になる訳です。ブツが極端に減り、カネだけが腐る程出回る状態をなんと言うか?

悪性インフレです

いくら大量の「円」で支払われようが、北斗の拳世界でのモヒカンが喚いていたように「ヒャッハーこんなもんまで持ってやがったぜ!ケツ拭く紙にもなりゃしねえのによう」状態な訳ですよ。

なので、無価値の円ナンザいくら貰っても邪魔なだけで意味ネエンヨ。「円」ナンザいくらあってもブツが買えないんだから食える訳がない。

でだ。「慰安婦ハ裕福ダッタンジャーカネ持ちダッタンジャーチャントカネ払ットッタンジャー」とか能書きを垂れるキな連中はジンバブエ移住して只今絶賛ウルトラスーパー悪性インフレ中のジンバブエドルだけで生活するように。米ドル使用禁止な(嘲)

2010-08-15

日々雑論 ウサンクサイケイ抄8月15日

産経抄 8月15日

日本ラジオ放送が始まったのは意外と新しく、大正14(1925)年3月のことである。夏目漱石森鴎外もこの「文明の利器」を知ることはなかった。先の戦争が終わったときも、放送開始後20年しかたっていなかったことになる。

▼そのせいかどうか昭和20年8月15日正午、昭和天皇が「終戦の詔(みことのり)」を述べられたラジオ玉音放送もかなり聞き取りにくかったという。「詔」そのものも格調高い文語調だった。それだけにラジオを聴いた人たちの多くは、事態を正確に知るのに時間がかかったようだ。

▼『新潮45』8月号の特別企画「私と玉音放送」に寄稿している作家佐藤愛子さんの場合もそうだった。当時22歳で、結婚していたが、雑音でほとんどわからず舅(しゅうと)に聞いた。「皆、苦しいだろうがしっかり頑張ってくれということやろう」というので気が抜けた。

日本が降伏したことを知ったのはその日の午後になってからだったという。夜になると、灯火管制をつづけるか、やめていいかが問題になった。さらにその1日か2日後、部屋で子供を遊ばせていたとき突然、止めどなく涙があふれてきたのだそうだ。

佐藤さんはその悲しみの源を自ら、こう推測している。「みんなあんなに一生懸命戦ったのに。若者壮年も老人、女、子供、みんなが国のために心身をすり減らしたのだ。私の涙の中には確かに戦友意識にも似た同胞への想いがあったと思う」。

▼恐らく当時の多くの人が抱いた感情だろう。敗戦を確認するのに時間がかかった分だけ、お互いをいたわる心が育(はぐく)まれたのかもしれない。そんな気持ちを持てたからこそ、奇跡ともいえる復興をなしえたのだ。65年たとうと、忘れてはならない。

はい、安倍珍好みの「美シヒニッポソ」談話はウゼェのでどっかへうっちゃって

ウサンクサイケイ抄 8月15日

日本ラジオ放送が始まったのは意外と新しく、大正14(1925)年3月のことである。夏目漱石森鴎外もこの「文明の利器」を知ることはなかった。先の戦争が終わったときも、放送開始後20年しかたっていなかったことになる。

▼そのせいかどうか昭和20年8月15日正午、昭和天皇が「終戦の詔(みことのり)」を述べられたラジオ玉音放送もかなり聞き取りにくかったという。要するに当時の日本製ラジオはそれだけ出来の悪い真空管などで構成されていたという事であり、この小噺だけでもMADE IN JAPAN品質物語る。「詔」そのものも一般人にはよくわからない文語調だった。それだけにラジオを聴いた人たちが何を言っているのか判らなかったようだ。敗戦事実を語るのが余程悔しかったのか、敗戦という事実を受け入れ、それを全国へ知らせたくなかったのか。

▼『産経新聞』の日常企画と化している管総理と民主党ヘイトスピーチを垂れ流す記者崩れ、阿比留瑠比場合もどうだったろうか。管談話が発表される折、先の参議院選で民主党が大敗していたが、本人の明らかな知識不足と不勉強でこの談話の内容が全く理解できずに自分ブログのお友達であるヒッキーネトウヨに聞いた。「管総理はサヨクで売日なんだよ(ワラ)」という、コメ欄へのカキコがたくさんあったので安心した。

▼管総理が談話を発表し、日韓併合に対する明確な謝罪とお詫びを政府の公式見解とするのを知ったのはその日の午後になってからだったという。夜になると、反管総理キャンペーンをうつかどうかが社内で問題になった。さらにその1日か2日後、部屋で子供を遊ばせていたとき突然、止めどなく涙があふれてきたのだそうだ。

阿比留瑠比はその悲しみの源を自ら、こう推測している。「みんなあんなに2ちゃんFAX攻撃やニコニコ動画一生懸命戦ったのに。あんなに反特亜キャンペーンをぶちあげたのに。私の涙の中には確かに戦友意識にも似た同胞への想いがあったと思う」。

▼恐らく在特会などといった泡沫極右の連中とごく一部のネトウヨヒッキーが抱いた感情だろう。自らの愚かさを確認するのが出来ない分だけ、異国に居ながらも一生懸命生きる人達を呪う心に支配されてしてしまったのかもしれない。そんな気持ちがあったからこそ、在特会子供に対しての狂気とも言えるヘイトスピーチ嫌がらせをやってしまったのだ。何年たとうと、忘れられるものではない。